2章-傍らに在るは、いと小さき救出者
「失礼致します、シュナイゼル殿下をお連れ致しました」
「ああ、入って来てくれたまえ」
ここに至るまでの間、すっかりザフラマと、打ち解けたシュナイゼルは、
彼と共にイジートが、私用で利用している区画へとやってきた。
イジートが口にした通り、扉どころか仕切りらしいものすら無い。
シュナイゼルの前までやってきたイジートは恭しく臣下の礼をとり口を開く。
「よくいらして頂きました、シュナイゼル殿下。
この様な場所故、大した持て成しも出来ませんが、お許し頂ければと」
「別に、来たくて来た訳じゃない。持て成しも不要だ。
くだらん晩餐会も大概だったが、お前たちの持て成しは、好きになれそうにない」
「これは手厳しい」
イジートはそう笑っておどけて見せるも、目の奥は冷ややかで笑みなど微塵もない。
恐らくその事を、シュナイゼルにも、ザフラマにも隠す気がないのだろう。
「では、私はお茶のご用意を」
「貴公は、パブタス閣下の執事であり、代理の身。シュナイゼル殿下のため…」
「ああ、俺は、喉が渇いたから頂こう」
芝居じみた態度でザフラマを牽制するような、振る舞いを見てとり、
シュナイゼルは、すかさず横やりを入れ、言葉を遮る。
イジートの笑顔が、硬直したのが見てとれた。
ザフラマをどうしても遠ざけたい。
そんな意図をシュナイゼルも、ザフラマも感じとった。
「イジート、此度は大変に世話になった。この身に何が起きようとも覚えておく」
シュナイゼルが、イジートの目をしっかりと見つめ、そう口にした。
言下に含まれた激情を隠す事なく、告げた言葉に、少しだけイジートがたじろぐ。
だが、その反応すらも、どこか白々しさを感じる。
「……ああ、もう化かし合いは良いだろ? 明日は、ナーノルッタか?
朝が早いのならば、俺はさっさと休みたいんだが」
シュナイゼルはわざとらしく、肩を竦めてザフラマの淹れた紅茶を口に含む。
「おや、セリーヌ様の事は心配で眠れないのではないですか?」
「……貴様、俺を本気で怒らせたいのか?」
「シュナイゼル殿下、どうか落ち着いて下さい。…流石に配慮が欠けたお言葉では?」
目を細め、怒気を露わにしたシュナイゼルを宥め、そして庇うように間に入り、
ザフラマは、イジートを見つめ静かな口調で戒める。
そんな2人の態度など物ともせずに、イジートは笑みを浮かべたまま口を開く。
「ゆっくりお休み頂くためにも、これからセリーヌ殿下に、ご挨拶へ参りませんか?
ザフラマ殿、大変申し訳ないのですが、馬車の手配をお願いしても?」
先程は、部下では無いのだからと口にしておきながら、
舌の根も乾かぬ内に、指示紛いの言葉を口にしたイジート。
見え透いた挑発めいた態度だったが、ザフラマは、これを快諾して退室していった。
去り際に、小さな声で"熱くなってはいけません"と告げられ、
シュナイゼルは、大きく息を吐き出し、紅茶を一気に嚥下した。
「邪魔者が去ったので、今のうちに建設的なお話を」
ザフラマが退室して、やや間を空けたイジートは出入り口から顔を出し、
誰もいない事を確認して、シュナイゼルの前で再び臣下の礼をとる。
先程までの人を小馬鹿にした態度は、鳴りを潜め真面目な眼差しに、
シュナイゼルは困惑の色を浮かべ、眉根の皺を深めた。
「ルイ殿は、この野営地に既に到着しております」
「――っ」
「大きな声をあげるのだけは、ご遠慮願いますか」
思わず息を飲んだシュナイゼルが、何事か口にする前にイジートが、そう牽制する。
「私、イジート・ニックロは、マサル・ルクシウス・コンドー陛下の忠実な部下。
此度の件、パブタス、ニサスカ、バドナタ、ボィミスが集結していると報を受け、
シュナイゼル擁立派と呼ばれる派閥に接触。今日まで潜入しておりました」
イジートの口にしている言葉は分かるが、すんなり納得するのが難しい。
シュナイゼルは、ここでこう対峙するまで、完璧にこの男が敵だと思っていた。
それをこの場で、実は潜入していただけと聞かされても正直、信じがたい。
だが、実際この男はルイの名を口にした。
元奴隷の子供執事が、この野営地へと侵入した事を知っていなければ名は出ない。
ルイの実力を理解した上でも、この状況下でこの場に子供が来るとは思わない。
既に、ルイがなんらかの事態に巻き込まれ、囚われたのだとしても、
全く、野営地で騒ぎになっていないのはおかしい。
戒厳令が敷かれたとしても、ザフラマの口から聞かされたはずだ。
「晩餐会の時に、私がルイ殿に絡み騒ぎを起こしたのは、覚えておいでですか?
あの時、騒ぎに乗じて、ルイ殿に"これ"を見せたんです。
ルーファスから、軽く手習いしたのですが、なかなかこれが難しくて」
イジートが、そう口にして、指を複雑に動かして見せる。
シュナイゼルには、その動きに、見覚えがあった。
「…"手信号"」
「やはり、殿下もご存じでしたか。意味も理解できましたか?」
「いや、きちんと習った訳ではない。俺の名前を表す様な動きしか理解してない」
シュナイゼルが読み解けないとは思っていなかったのか、
心なしか悔しそうな表情を浮かべたのが、妙に気になった。
「ん?ああ、これを確実に理解出来るのなら、私の仕事もしやすくなるのになと」
シュナイゼルが疑問を感じた事に気付いたのか、イジートはそう口にして苦笑した。
「殿下は、実際ルイ殿がどのようにして、お2人を救出なさろうとしているか、
既に、全容は把握されているはずですよね?」
「晩餐会から、抵抗せずに連れ出されるか否かについての対応は事前に決めていた。
だが、その後の事に関しては決められてはいなかったぞ。
考えてもみろ、俺もルイもこの野営地の事は、今日ここに来て知ったくらいだ」
「で、では、その場で救出劇が始まり次第、臨機応変にと?それは、危険では?」
「なんだ、お前も聞かされていないのか?てっきりさっきの話ぶりでは、
ルイから作戦を聞かされているから、俺に教えてくれるのかと思ったぞ?」
首を傾げそう問うシュナイゼルに、イジートは少し気まずそうに笑みを漏らす。
「いや、私の役割は聞かされているのですが…、今だ逡巡されていた様子だったので。
ああ、それと気になっていたのですが、ルイ殿のあの特殊な能力は、なんですか?」
「んー、特殊って言ってもルイが誰よりも努力した結果だろうな」
「……ああ、なるほど」
「失礼致します。馬車の手配が整いました」
「……では、参りましょうか」
ザフラマが戻ってきたからか、イジートは些か険しくさせて席を立つ。
シュナイゼルもそれに倣い、先に歩きだしたイジートの背をじっと見つめた。
その後、ザフラマが御者をつとめる馬車に乗り、本部を出発。
20名程の兵が、護衛として騎乗して並走する。
行き先は、本部の天幕の前で1人下ろされた際に、漠然と不気味だと感じた天幕。
不意に、去り際の馬車から睨みつけきたセリーヌの顔を思い出し、苦笑いを浮かべる。
「騎乗の者達は、天幕の周囲を警戒。それに代わって天幕の警備担当の者、
10名程で構わない、私たちの護衛としてついて来い。
ザフラマ殿は、出入り口でお待ち頂けますかな?」
「シュナイゼル殿下、許可を頂けるのでしたら、私も随行させて頂きたい」
天幕の前に到着するとイジートが、部下たちに指示を出し、
護衛として天幕の中に、随行する者が12名程、集ってくる。
「勝手に付いて来い。ほら、さっさと中を案内してくれ、イジート」
何故そんな助け舟を出すのだと、イジートは抗議の視線を向けたが、
シュナイゼルは、そんな視線に見向きもせずに、天幕の中へと歩を進めた。
(ああ、ザフラマが、パブタスの執事だからか…。イジートは、知らないのか)
ザフラマにやたら当たりの強い理由に、思い当たりなるほどと、
1人納得したシュナイゼル。
遠ざけたい理由が、それであるのならば、いずれそれが徒労だったと分かるだろう。
そんな事を考えていると、天幕に先に入って行った数人の護衛の様子から、
天幕の中は、思ったよりも暗いようだとシュナイゼルは気付き。
すっと目を閉じたまま天幕の中へと歩を進める。
「声を出さずに…そのまま目を瞑って歩いて下さい」
驚きに声をあげそうになったが、小さく顎をひいて、傍にいるはずの了承を伝える。
やや遅れて、小さな手に掴まれ誘われるままに目を閉じたまま歩く。
「……止まります。そのまま目を閉じていて下さい。
僕が良いと言うまで、開けちゃ駄目ですよ? 失明なんかしたら大変ですから」
久しぶりに耳にしたルイが、可愛らしい声で物騒な言葉を口にする。
思わず、噴き出しそうになったが我慢して、念のため顔を伏せた。
5秒程置いて、夥しい閃光の群れがシュナイゼル達を呑みこんだ。
「「――っ」」
護衛たちや、もちろんイジート、ザフラマが苦しそうに息を呑むのが聞こえた。
顔を伏し、目をきつく閉じていたシュナイゼルでさえ、
瞼の上から感じた光の奔流は、凄まじく閉じたままの瞼が痙攣して悲鳴をあげている。
光は徐々に消え去り、瞼の痙攣が少しずつおさまり始めると、
時折、鎖の擦れる音や、肉が何かに叩きつけられる音などが、何度か耳を打った。
中には、悶え苦しむような、くぐもった声や、粗い呼吸音などが近くに感じられる。
ルイの許可を待ちながら、シュナイゼルは耳を研ぎ澄まし、
深く、もっと深くと集中を高めて、音を探し、そして感じようとしていた。
「もう大丈夫ですよ、ゼル兄様。お待たせ致しました。遅くなって申し訳ありません」
ルイの声と、肩を触れられた温もりを感じ、ゆっくりと開いた目は、
未だ閃光の余韻が、強く残っていて、ちかちかと視界を阻害する。
だが、光が瞬き歪む視界の中に、微かにだが、確かに見えるルイの姿。
いち早く、ちゃんと目で捉えたい一心で、何度も何度も瞬きを繰り返した。
ぼんやりとした光の残滓が、少しずつ霧散して行き、
すっかりと透明度を取り戻したシュナイゼルの瞳は、しっかりとルイの姿を捉えた。
「ははっ……ルイ、ルイっ!」
シュナイゼルは、ルイを抱きしめ、その小さな身体を抱えあげる。
そして、何度も何度も嬉しそうに、ルイの名を呼んだ。
「あははっ、遅なったって?何言ってんだっ!早いくらいだぞ!
この!くそーっ、どんだけ優秀なんだよ、お前って、やつは!」
「ゼル兄様、そろそろ降ろして下さい。まだ、拘束してない者もいるんですよ」
「ん?ああ、そうなのか、悪い悪い。手伝うぞ、前教わった縛り方でいんだろ?」
「助かります、手分けしましょう。僕は目隠しと猿轡をしていきますね」
手を噛まれたら大変ですからと笑って口にしたルイだが、
どれもこれもしっかり気絶している様に見える。
これは、ちょっとやそっとじゃ起きないのではないだろうか。
中には、泡を吹いている者もちらほら見える。
「もうちょっと、きつく拘束した方が良いよな?」
「……僕も終わったら、縛り具合確かめるので、気にせず、どんどん進めてください」
「おう、了解」
シュナイゼルは、軽快にそう答えて、別の気絶した護衛に近づく。
そんなシュナイゼルを見て、ルイは少し悲しげに顔を伏した。
「なあ、イジートとザフラマもか?」
振り返る素振りを感じて、ルイは浮かべていた表情を霧散させる。
「ザフラマさんですか?」
「ああ、色々あってな。俺が許した」
「では、どちらも僕が対応します。イジート子爵は人質役を快諾してもらったので、
他のと変わらず、しっかりと縛り付けないと怪しまれますからね」
「あいよー」
シュナイゼルは、意識がまだ戻っていないザフラマを一瞥して他の者へと向かった。
ルイがイジートの身体を拘束していると意識が戻ったのか、
薄目を開け、驚いたようにルイの姿を見た。
「イジート子爵、拘束がきつすぎて痛むところはありますか…って、
猿轡してたら話せませんよね」
「んーんー」
首を縦に振り、ルイの言葉を肯定して見せるイジート。
「そろそろ、他の兵も目覚めてもおかしくないので静かに。人質役、頼みましたよ」
最後に目隠しをして、イジートから離れる。
他の兵士も目覚めだしたのか、抗議するような唸り声をあげはじめる。
「お前たち五月蠅い。1人くらい殺せば静かになるか?」
淡々とした口調で冷たい声音が響き渡る。
「次に、この中の誰か1人でも呻き声を出してみろ。連帯責任で半分の者を殺す。
両殿下誘拐に加担したお前たちを、殺す事に、僕は、一切の躊躇はない。
騎士でも兵でもない、ただの暗殺者に誰が関与してるとか、関係ない…だろ?」
イジートも含め全員が頷くのを見て、数本の麻痺薬と睡眠薬の瓶を取り出し、
躊躇う事なく拘束した者たちに浴びせかける。
シュナイゼルが絞めあげた者たちも、適当に転がし目を覚ましていれば忠告し、
目を覚ましていなければ、薬を浴びせかけるだけで放置した。




