2章-狂乱の宴、静かに猛るルイ
揺れるルイの気持ちを他所に、ボィミスは2人へと深々と臣下の礼をとる。
シュナイゼルとセリーヌは、名残惜しそうな表情を微かに浮かべた。
「…幼子の様な顔をされるな、強かに、厳かにあられよ」
重々しさを込めた2人への激励の言葉。
2人は弛緩した表情を霧散させ、まっすぐと視線を向けた。
その様子に満足したのか、一つ頷くと踵を返す。
そして、ルイの前を過ぎようとした時、ふと足を止めた。
「貴殿の配慮か、些か御節介ではあるが、その甘さに救われた。心より感謝を」
目をあわせる事なく告げられた言葉。
ボィミスは悲しげな表情を湛えて、小さく頭を下げる。
そして、再びあげた顔には厳しさを纏っていた。
言いたいことは告げたとばかりに、離れるその背中をルイは睨みつける。
ボィミスが敵に回っている事は、ルイが意図的に2人には告げていなかった。
オルトックから、小さな頃から2人が懐いて離れなかったと聞かされ、
2人の心情を鑑みルイは今この時まで、どうしても2人には伝えられなかったのだ。
ボィミスが口にした言葉は、2人と話している内にその事に気付き、
それを伏せた者がルイである事を見抜き感謝を口にした。
それは同時にボィミスが、襲撃に関わる当事者だと告げた独白に他ならない。
「ゼル兄様、リーヌ姉様、少し離れます。すぐ戻りますので……」
それは護衛としては愚行。
だが、ルイはどうしてもあの背中を追わずにいられない。
シュナイゼルとセリーヌの返事を待たずに、ボィミスを追った。
「失礼、少しお時間を」
「護衛としては失格だな」
ルイの接近に気付いていたのか、ボィミスは諫めるようにそう言った。
そして、ルイが言葉を発するのを制す様に言葉を重ねる。
「再びあの笑顔をこの身に受けられた。二度と向けられる事のない笑顔だ。
良い時間をもらった礼だ、狙いは殿下たちだけではない」
「っ!」
ボィミスが口にした言葉に、ルイは初めて狼狽してみせる。
(狙い?ゼル兄様、リーヌ姉様のほかに?)
そんな思考の海に呑まれたルイを叱責するように、ボィミスは圧を放つ。
「呆ける暇があるのなら、殿下たちの下へと戻れ、小さき執事。
まみえた際は、この手で叩き潰してやる。それまで片時も殿下たちから離れるな」
「…貴方でも僕は汚せない。せめて僕がいないところで死んでください。
僕が貴方を討ったと知ったら2人が悲しみますから」
鋭い殺気を灯した深青の瞳がボィミスを貫く。
ルイは用は済んだとばかりに踵を返し、2人の下へと歩き出した。
「……なにが執事の皮をかぶっているかと思えば、番犬どころか物の怪の類とはな」
一瞬、苦笑を浮かべるもすぐに表情を引き締めボィミスも歩き出した。
2人の邂逅が終わるを機とするように、音楽隊の奏でる曲調が変化する。
食事や酒精を楽しむ時間は終わりを告げ、列席者たちがパートナーの手を取り、
中心へと軽やかに集い始めた。
徐々に舞踏会へとその有様を変えて行く中。
軽快な曲調にあわせ、楽しそうに舞い始める紳士淑女たち。
その中には、楽しげに笑みを浮かべ舞う小さな淑女たちの姿もあった。
「ボィミスもそうなんだろ」
「気を使わせたみたいですね」
シュナイゼルたちの席に戻ったルイを、待っていたかのように投げかけられた言葉。
思わずなんて返していいものかと、ルイは表情を硬くする。
「そんな顔すんなよ、さあお話は終わりだ。俺たちはどうしたらいい」
覚悟を決めたと言わんばかりにシュナイゼルとセリーヌはルイを見つめる。
「では…」
2人の視線を受けとめ、ルイは一度大きく息を吐きだし口を開きかけて止めた。
会場へ鋭い視線を向け、2人を庇うように身構える。
ルイの纏う雰囲気が変化した事に気付いたシュナイゼルは、
セリーヌの手を取りしっかりと握りしめる。
そんな動きを背中越しに感じ、ルイはそちらを向くことなく声をかける。
「…外で待機していた敵と思われる者たちが、一気にここに向かってます。
目的はまだわかりませんが、警戒してください」
声こそ返ってこないが、2人がしっかりと頷いた気配は感じる。
2人が冷静である事に安堵しつつ、ルイは相手の行動に考えを巡らせた。
(どうして、このタイミングで仕掛ける?)
思わずルイは眉根を顰める。
どう考えても、このタイミングで襲撃をはじめるのは悪手だとルイは考えている。
それならば、館に入ってすぐルイたちを強襲した方が効率が良い。
閉演して館から人が少なくなったところを襲うか、帰りの馬車を襲撃しても良い。
これだけ大勢の目撃者がいる中で、襲撃なぞすれば悪評が立つのは避けられない。
考えがまとまらないルイの都合などお構いなしに、襲撃者たちの気配が近い。
武装した者たちが、会場に迫っているとは思っていない列席者たちを見渡す。
その中に、ニサスカの姿はあるが、ボィミス、バドナタ、イジートの姿はない。
(目撃者を皆殺しにする気か?いや、騒ぎが大きくなるのは避けられないし、
手間取っている内に、こちらが逃げる隙を作りだすだけ…)
―― 狙いは殿下たちだけではない
ボィミスの言葉が、脳裏に蘇る。
(別の目的?狙い…狙い…くそっ、何を見落としている)
沸き上がる苛立ちを抑え、必死に狙いを探る。
(列席者を人質にとる…いや、それならば殺した方が早い。いや…待て、人質?)
慌ててルイは会場に目を走らせる。
その中には、先ほどルイに微笑みかけた貴族の子女の姿がある。
ルイの中で何かが嵌まる音がした。
「……やられた。もう一つの狙いは子供っ!」
「ど、どういう事だ」
「子供とはなんですっ」
ルイが口にした不穏な言葉に、シュナイゼルとセリーヌは反応を見せる。
同時に大扉が、けたたましい音と共に破壊され、侵入者たちが流れ込んだ。
列席者に同行した護衛らしき者が、主人を守ろうと前に出る。
だが、ろくな抵抗も出来ぬまま数に押し切られその命を散らせた。
どろりと床を流れる血が徐々に広がっていく。
突然の事に理解が追いつかず、驚愕にその動き止めていた者たちは徐々に覚醒し、
血の色とその匂いに煽られ、恐怖の感情が一気に爆発した。
「なっ、なんだ」
「「「きゃあああ」」」
「に、にげろっ」
「待って!」
逃げる者、抗う者が入り乱れ、会場は一気に阿鼻叫喚に包まれる。
そんな中、ルイは苦々しい表情を浮かべ2人に向き直る。
「必ずっ、必ず迎えに行きます。だからっ…」
「「どうしたら良いかだけ言ってくれ(ください)」」
ルイの言葉を最後まで待たずに、シュナイゼルとセリーヌはそう言い放つ。
信じてるから大丈夫だと、まっすぐにルイを見つめる2人。
ルイは2人の頼もしさにひっ迫した状況にも関わらず笑みを零した。
「ふふっ、僕が行くまで、無茶しない。2人がばらばらになっても泣かない。
特に、ゼル兄様を迎えに行くのは少し遅れるかもしれません」
「泣かないってお前…」
「ゼルお兄様、完全に子供扱いされてますね」
「俺だけにルイが言った訳ないだろうがっ」
「状況を考えて喧嘩して下さいね、そろそろです」
冷ややかにそう告げ、ルイは会場に目を向ける。
そこにはルイの想像していた通りの事態が起こっていた。
40人ほどの黒衣の者たちは、貴族たちの子女を集め武器を向けている。
子供を人質に取られた貴族たちは返せと口ぐちに叫ぶものの、
近づこうものならば、黒衣の者たちが持つ武器が、人質の身体をかすめる。
無言の警告に抵抗する事が出来ず、その場から動けずにいる。
「紳士淑女の皆さま、大変申し訳ございませんが抵抗は諦めて下さい」
黒衣のひとりがそう口を開いた。
「罵声や悲鳴などもお控下さいね、話の途中で邪魔などされましたら、
つい苛立ちに任せて1人、2人ほど、あっさり殺してしまいそうですから」
会場を包む静寂に、男は満足そうに頷く。
「さて、私たちは皆さまの大切なお子様たちを少しの間だけお預かりします。
その間、一生懸命お相手するので、その手間賃を後ほど請求致します。
傷ひとつ付けずにお支払いされるのを待ちますので、なるべくお早いお支払を」
「そんな真似ゆるされる訳がないだろうっ!」
黒衣の男に激高し大声をあげたのはニサスカ。
「おやおや?」
黒衣の男は子供の一人に武器を近づける。
その子の両親だろう、悲鳴に近い声をあげニサスカを非難した。
「ああ、この中に子供がいらっしゃないと…ああ、では両殿下。
こちらへ来て頂けますか?貴方がたが人質ならば、この人も黙るでしょう」
黒衣の男が、ルイの背後にいる2人へと声をかけた。
一斉に会場にいる者たちの視線が集まる。
期待、懇願、悔恨。
それらの視線を浴びる中、2人は表情ひとつ変えずに席を立つ
「良い子にしてるからはやく来いよ」
「無茶はしない内に来てくださいね」
ルイの横を通り過ぎる2人は、小声でそう口にした。
黒衣の数名がやってきて2人に武器を向けつつ、誘導していった。
「両殿下の分は少し高めにお支払い頂きましょう、ではご機嫌よう」
子女たちを縛り上げ、会場の外へ連れ出して行く。
最後にシュナイゼルとセリーヌを縛り、黒衣の男はそう口にして去って行った。
しばし呆然と大扉を眺める事しか出来ないする者の中で、
ニサスカが立ちあがり声を荒げる。
「至急、あの者たちを追え!何人かの者は衛兵たちの詰め所へ、
それと辺境伯の下へと報せに走れっ!ぼさっとするなっ!」
その声に弾かれるように、全員我に返ったように動き出す。
子女を人質に取られた者たちは、ニサスカへ批難の言葉を投げかけ我先にと飛び出す。
私兵に連絡し捜索を命じるか、辺境伯に泣きつき兵を頼むかなりするのだろう。
騒がしい会場を冷めた瞳で見つめるルイの下に、数人の者が近づいてくる。
その表情には嘲笑めいたものがありありと浮かんでいた。
「元奴隷が身分を弁えずに、殿下の側にいるからこの様な事になる」
「何故、身を呈してお2人を留めおかなかった」
言葉自体は叱責するものではあるが、ルイの耳にだけ届く程度の声量。
この喧騒に包まれた会場内では誰にも届いていないだろう。
「ニサスカ様がお話があるようだ。静かになるまで少しじっとしていろ」
取り囲むように4人の男が武器を向ける、その顔は勝ち誇ったように歪んでいる。
抵抗する気力も失い、恐怖に駆られその場に立ち尽くすしかできない。
そのように彼らには見えているのだろう。
ルイは顔を伏せたまま、まんじりともせず、ただ黙ってその場に留まる。
(まだだ、動けば部外者が人質にとられる…誰かを犠牲にして助けても2人は喜ばない)
ルイは必至にそう自分に言い聞かせ、溢れ出る怒りに耐えていた。
三流の道化たちが、嬉々と演じた趣味の悪い茶番劇に対する怒り。
そんな茶番の肩棒を担ぎ、その上で2人の笑みに嬉々としていたボィミスへの怒り。
そして、そんな愚者たちの目的を土壇場まで察知出来なかった自分に対しての怒り。
そんな様々な怒りに耐えれば耐えるほど、ルイの瞳は怜悧な殺意の光を帯びて行く。
どれほど、そんな荒れ狂う怒りと葛藤していただろう。
すっかり人気の無くなった会場を背に、こちらに近づいてくる気配が幾つかある。
"漸く来たか"とルイは顔をあげた。
目に飛び込んだニサスカは、その相貌を喜色で染め上げ下卑た笑みを浮かべていた。
「さてと…やっと静かになった訳だが、私も忙しい身空でね。
これから事情を聴きに来るだろう君の雇用主や衛兵たちと話をせねばならん。
それが終えると明日には両殿下の下へと馳せ参じなければいけないしね」
「得意気にお話しになってるところ申し訳ないのですが、この様な粗末な茶番劇。
どう伝えたところで疑いの目は避けられないのでは?」
平坦な口調でルイがそう問いかけると、茶番劇と評された事に気分を害したのか、
ニサスカの表情から嘲笑が消え、怒りの色が射し込む。
「元奴隷が理解できるかわからないがね、事件はこのハンニバルの至るところで、
同時多発的に起きているんだ。平民あがりの小憎たらしい辺境伯はその対応に追われ、
今頃、顔色を悪くしているだろう。彼の頼みの綱である英雄もどき達も同様だ」
余程、自分たちの立てた作戦に自信があるのだろう。
流暢に語って行く内に、一度ルイに冷水を浴びせかけられた事も忘れ、
上機嫌に語り出すニサスカは、陶酔するかの様に笑みを漏らす。
「他の子女たちを、どうするつもりですか」
もののついでだ、話したいのならば全部聞いてやろうと、
ルイはニサスカの茶番劇に乗り、狼狽する子供を演じた。
ルイの演技が甚く気に入ったのか、ニサスカは笑みを深める。
「パブタス閣下への手土産……と言っても君のような子供には伝わらないか。
死んだ方がましだと感じる程の苦痛の中、死ぬだろうと言えばわかるかね?」
少女趣味の変態が何を欲し、どの様な事をするかはルイには当然わからない。
だが、ニサスカが残虐な笑みを浮かべ口にした"死んだ方がまし"な苦痛。
そんなものを彼女たちに味あわせてはならないという事はわかった。
聞きたい事もだいたい聞けたところで、演者としての皮を脱ぎ去るルイ。
「なるほど、オルトック様の下と冒険者ギルドへ一定数の兵を差し向けて大騒ぎ。
衛兵たちは被害者である列席者たちからの通報と、貴方たちからの通報。
その虚偽が混じる多大な情報に四苦八苦。まあ、確実に麻痺しますね。
その間に、両殿下と子女たちはハンニバルの外へ悠々と逃げ出すと……」
淡々と、かつ的確にニサスカたちの行動を読み上げるルイの豹変ぶりに、
ニサスカを含め周囲を取り囲んでいた者たちの表情が驚愕に染まる。
「そんな簡単に行くでしょうか?オルトック様の兵が想定よりも強兵だったら?
あのエドガー・ルクシウス・ワトール、レオン・ルクシウス・オーペル。
そして、リズィクル・ルクシウス・パルデトゥータ相手に何人用意しました?」
ニサスカは、小さな執事服の少年に戦慄する。
淡々と滔々とルイが口にした問題点の数々は、
ニサスカ達が立案の際、幾度となく議題にあがったもの。
それをこんな幼子が的確に指摘して行くのだ、ニサスカが恐怖を感じるのも無理はない
冷たく何処までも深青色の瞳が、何もかもを見通している様な錯覚に襲われる。
「な、生意気な口をっ!さっさと始末しろ!」
ニサスカは恐怖を断ちきるように、悲鳴の様な声をあげ周囲の者たちに命じた。
そして、おぞましい視線から逃れるように踵を返す。
背後から、肉が裂ける音と血が噴き出す音がした。
やや遅れて、力なく地に伏した音が"何度か続いた"。
ニサスカは、すぐに違和感を感じ足を止める。
「……辺境都市ハンニバルで暮らす化け物たちを甘く見すぎでは?
こんな僕なんか足元に及ばないですよ?僕に躓いているようでは…ねえ?」
ルイのそんな声に、おそるおそる振り返るニサスカ。
目に飛び込んできたのは、包囲していた者たちの首と亡き別れた胴体の数々。
肝心の小さい執事の姿はどこにもない。
背後から数人の兵が、駆け寄る気配がする。
この場から逃げねば、逸る気持ちで踏み出した足が消失した。
「貴方は殺しはしませんけど、逃がしもしません」
遅れてやってきた激しい痛みと噴き出す血が、足が切り捨てられたのだと告げる。
次いで、腹部に鋭い痛みを感じニサスカの意識は黒く塗りつぶされた。
シュナイゼル「おおう、ルイこえー」
セリーヌ「やっと、戦闘本番ですからね。溜まってたんじゃないですか」
ルイ「僕、苦戦描写多いんで…こういうの待ってました」
そんな訳で二章も大詰め。




