2章-開演、謀略の晩餐会
日が西の空へと大きく傾き、夕暮れに染まる辺境都市ハンニバル。
オーカスタン王国、王家の紋章が刻印された4頭立ての馬車はゆったりと街を進む。
中央区を行き交う住民や、冒険者たちはその紋章に気付くと恭しく頭を下げ見送った。
「両殿下、それと坊っちゃん。間もなく目的地へと到着致します。ご準備を」
御者を務めるリグナットが、やや緊張に硬くした声で、そう呼びかけた。
いつもの皮鎧の軽装とは異なり、貴族の御者然とした装いのリグナット。
クラウンのやや長いハットと、そして、口元には、つけ髭で偽装している。
シュナイゼルとセリーヌからは案外似合ってると好評だったが、
ルイは服装やハットに対しては好意的だったが、つけ髭は胡散臭いと渋い顔をした。
馬車は、ハンニバル内でも一等地に建てられた大きな館の門の前で、
速度を更に落としゆったりと敷地内へと進む。
手入れの行き届いた庭園が、本来ならば目を楽しませもするだろうが、
今日ばかりはそんな気分にはならない。
リグナットは、涼しい表情と微かな笑みを張り付け。
気配察知を展開しながら、馬車を繰る。
今夜、晩餐会の会場となる館の前には幾つもの馬車が立ち並び、
そこから降り立つ着飾った貴族、その婦人、そして子女たちが、
周囲に笑みを浮かべ挨拶を口にすると次々と館の中に消える。
(それっぽい奴らは……事前に聞いてた数より気持ち多いくらいだな。
つーか、とんでもないのが2人混ざってやがる…)
明らかに他の者たちとは一線を画す2っの存在。
それらは自分たちが"ここにいるぞ"とでも言うかの如く、
この馬車にむけて底冷えするような圧を放っている。
リグナットは、そちらに顔を向けたい気持ちをぐっと抑え込み、素知らぬ顔を通す。
だが、その心の内は穏やかな物ではない。
そこへ馬車の傍らに、近付いてきた執事姿の男が、リグナットに声をかける。
「お並びになる必要はございません、あちらへお進みください」
男を重圧に巻き込む事を避けたのか、それまであった圧が嘘のように消えた。
男や周囲の者に気付かれぬよう、リグナットは小さく苦笑を漏らし顔をあげる。
男が指し示した先に目をむけると、この馬車よりも先に到着し列を成している馬車が、
別の執事服の男たちの指示によってだろうか、場所を空け待機していた。
(王族を待たせるなってとこか。ご配慮どうも)
リグナットは誘導に従い、馬たちに優しく鞭を振るう。
誘導に従い、幾つもの馬車の横を通りすぎると、
20名ほどの執事服の者、その背後にそれよりも多い数のメイド服の者、
それらが整然と並び、恭しく頭を下げた姿勢のままで待機していた。
馬車を静かに停止させたリグナットは、そんな彼らに頭を下げて応え、
御者台から降りると、ゆっくりと馬車の扉へと近づく。
「坊っちゃん、10で7。そして2」
馬車の中にいるルイに、唇すら動かす事なくそう符号のようなものを口した。
リグナットが口にした"10、7、2"。
これらの符号は事前にルイと相談しきめられたもの。
はじめの数字、これは想定していた動員数の誤差を指す。
これは"10人多い"と伝えた訳ではなく、"10人以上増えてはいない"、
即ち"想定通り"を意味している。
次の数字は、リグナットの実力を基準に、実力者と思われる者たちの数。
最後は、その実力者の中で、ルイが対峙してもなお危うい。と感じた者の数。
扉を開く前、リグナットは小さく咳払いをひとつして、
何事もなかった様に、にこやかな顔を作り上げ口を開く。
「両殿下、今宵の会場に到着致しました。失礼致します」
馬車の中から、執事服に身を包んだルイが音もなく地を踏む。
次いで、シュナイゼルが姿を現し、最後にルイの手を取りセリーヌが降りたった。
白を基調とした凛とした騎士然としたシュナイゼルは、
背筋をすっと伸ばすと、セリーヌへと手を伸ばす。
光沢のある薄緑のドレスに身を包むセリーヌは、差し出された手に自らの手を添えた。
「シュナイゼル・オーカスタン様、セリーヌ・オーカスタン様、御来館」
高らかにそう告げられると、執事とメイドで作られた人垣が左右に割れ道を作る。
シュナイゼルが先行し、セリーヌ、そしてルイが続いた。
その場に留まったリグナットは、さりげなくルイの手元に視線を向ける。
(…なるほど、それが一番無難ですね。ご武運を)
それは微小な変化ではあったが、リグナットはルイの意図をしっかりと理解した。
三人の背中へ一度丁寧に頭を下げると、リグナットは御者席に戻り鞭を打つ。
(さて、坊っちゃんたちの心配ばかりして、俺が下手打つ訳にはいかないな)
仕掛けにうつるため移動を開始するリグナット。
そんな彼と別れ、豪奢に飾り立てられた館の中には、
数人の執事服とメイドに案内される三人の姿があった。
前を行くシュナイゼルとセリーヌの背中を、じっと見つめるルイ。
これから襲撃が起こる事を理解している2人は、馬車の中でも毅然と振る舞っていた。
そして、今このときも、2人の背中からは動揺の色も不安な色も窺えない。
この胆力こそが王族たる者の証なのか、ただ2人が特別なだけか。
前を行く2人の小さな王族しか知らないルイには、その答えはわからない。
(本当に、心強いなあ。守る側の僕が安心させられてる場合じゃないけど)
不意にそんな想いが込み上げ、笑みを浮かべそうになるのをルイは律する。
リグナットより伝えられた情報は、ルイが感知していた物と差異はない。
数は問題ではない、あの狂宴めいた里帰りで得た経験でルイはそう確信している。
問題は二つの異質な存在。
馬車の中で感じた圧は、名無しの柱たちと同等。
しかしそれも、ルイたちが乗る馬車へ向けて限定的な圧力だった。
そのため、ルイはその2っの気配の危険度を柱よりも上と判断し、
予定されていた幾つかの対応策、その中のひとつをリグナットに伝えた。
ルイが対峙するべく相手へと考えを巡らせていると、
案内の者たちが、ひと際豪奢な大扉の前でその歩みを止めた。
「我がオーカスタン王国、シュナイゼル・オーカスタン殿下。
並びにセリーヌ・オーカスタン殿下のご出座っ」
大高らかに宣言の言葉が響き、大扉が開け放たれた。
列席の者たちがその場に膝をつき頭を垂れる中、
シュナイゼルは、颯爽とその中を歩み進め口を開く。
「顔をあげよ、ここは王城でもなければ謁見の間でもない」
セリーヌは笑みを湛え頷き、シュナイゼルに続く。
最上段にある席まで伸びる赤絨毯を踏まぬように、ルイもそれに倣った。
サミュルからもらった御揃いのモノクルで片目を覆い、
熟練した執事然とした態度で、主人たちの背後に続くそんなルイの姿に、
参列者たちは小声で何かを発し、奇異な目を向ける。
あの過激な里帰りの翌日から、シュナイゼルとセリーヌは多忙を極めた。
茶会に会食、そして晩餐会。その数々の席にはルイも同行した。
今日の列席者の中にも、その間に顔をあわせた者もいる。
年若くも否のつけようのない立ち振る舞いを見せるルイは、
目の効く貴族たちからも注目され、そんな彼らに2人は嬉々としてルイを紹介した。
当然、その内容にはルイが元奴隷であると言う偽りの背景も述べられる。
2人の手前、表情に出さないまでも貴族が集まる場に、
元とは言え、奴隷をつれて歩く2人に難色を示した者は多い。
この場で初めて目にした者たちも、見覚えのある者が口を覆い耳元で囁くと、
悪感情を隠すことなく視線に込め、ルイを見る。
そんな視線の中には、ルイが最も警戒する二つの気配もあった。
(隠れてはいるようだけど、会場内に姿を見せるなんてどうするつもりだ)
晩餐会の間は、他の列席者もいるため無茶な行動はしないだろうと考えていたルイ。
だが、件の2つの気配も含めて想定数の過半数にもなる気配がこの会場の中にあった。
形振り構わない強硬策に出ることも考慮しなければと、ルイは歯がみする。
「今宵は忠臣たるパブタス侯爵が、このような素晴らしい館を、
そして宴を手配してくれた事に感謝する。主催を務めるニサスカ、貴殿にも感謝を」
微笑みを浮かべそう謝辞を述べ、シュナイゼルはセリーヌと共に席につく。
それを機に厳かな雰囲気は幾ばくか和らぎ、音楽隊が美しい旋律を奏ではじめる。
「さて、ここからだな」
「ええ、そのようです」
高座に向かって近づく数人を見てとり、シュナイゼルとセリーヌはそう零した。
「僕がいます」
2人にだけに聞こえる程度に漏らしたルイの言葉に、2人は微かに頷く。
些か強張っていた表情は抜け落ち、その表情には余裕と落ち着きが戻った。
「今宵は、よくぞ御越し下さいました。ありがとうございます。
この場に来る事ができなかったパブタス侯爵閣下に代わり、深い御礼を」
2人の下で膝をつき、痩身の男がそう口上を述べた。
(やはりパブタス公爵は、ここにはいないのか。
最初に挨拶しにきたってことは、この人がニサスカ・ミモタハ伯爵かな)
視線を向ける事なく、痩身の男を窺う。
印象としてはオルトックに近い。
細身で神経質そうな雰囲気が似ている。
だが、どこか卑屈さと陰鬱さを感じる笑みは似ても似つかない。
事前に報されていた人物像と照らしあわせ、首謀者と思われる者たちの姿を探す。
ニサスカの後ろで距離を取り、挨拶が終えるのを待つ者たちに3人。
パブタスらしき人物が見当たらない。ニサスカの言葉通りいないのだろうか。
「パブタスからは既に書状が届き、謝罪の言葉は受け取っている。
代わって貴殿が万事、取成してくれるのだろ?それで問題などない」
「ありがたき幸せ、お褒めの言葉をしかと頂戴できるよう尽くします」
「ああ、期待している」
シュナイゼルとニサスカのやり取りを、セリーヌはただ笑みを浮かべて見つめる。
ニサスカが、シュナイゼル擁立派の主流派なのは誰もが知っている。
そんな彼にセリーヌは言葉を投げかけないのは、いらぬ不快感を抱かせないため。
さし障りの無いやり取りが続き、セリーヌも笑顔のまま相槌を打つ。
「私ひとりが、いつまでも独占してはいけませんね。では、両殿下」
最後にそう告げ、礼をすると2人の下から離れていった。
入れ替わり近づいてきたのはバドナタ男爵。
どたどたと足を鳴らし、臣下の礼もどこかぎこちない。
あまり腹芸は得意ではないのか、忙しなく視線が泳ぐ。
そんな落ち着きないこの男も、要警戒対象の一人。
「また一段と立派になられた両殿下とお目通りできて、私は幸せ者ですな」
終始、なんとか当たり障りのない言葉をひねり出そうと必死だったバドナタは、
そう締めくくり礼をして、またドタドタと足を鳴らして離れて行った。
そうしてしばらくは、襲撃には関与していないであろう貴族たちが、
自慢の子女を2人へと挨拶させる者が続いた。
どの子女も可愛らしく、中にはルイに"本当に奴隷だったんですか?"と、
声をかける子女もいた。
「身分の卑しい私などに、勿体なくもお言葉を下さるなんて心優しきお嬢様ですね」
ルイが優しい声音でそう言葉を返すと、嬉しそうに双眸を揺らしはにかんだ。
そんな様子に、シュナイゼルとセリーヌはもちろん。
親である貴族もほほえましそうに見つめていた。
そうして、列が短くなってきた頃。
2人の下に膝をつく男。
その男にルイは見覚えがあった。
(…あんたの名前も首謀者に入ってたな、イジート子爵)
軽薄そうな外見と、顔をあげると挨拶もそこそこにルイを睨みつけるイジート。
「元奴隷を側に置くなど……それもこんな野蛮な!
両殿下、如何に王族の戯れにしても卑しい者を側になど置くものではありません!」
「お前に指示されねばならぬ理由はない」
「殿下っ!」
素気無く言い放たれたシュナイゼルの言葉に、納得できないとばかりに声を荒げる。
顔を真っ赤に染め上げ憤怒の形相でルイを睨みつけた。
その視線をまっすぐに受けとめ、ルイは嘲笑を浮かべ口を開く。
「何をそんなに憤っているのか、私にはわかりかねますが……、
両殿下に対してその物言い。些か無礼では?」
冷淡と感じるほど抑揚の無い言葉がイジートの怒りを更に加速させる。
そして、ついに臨界を超えた怒りに身を任せ、
イジートは手にしたグラスをルイの足元へと叩きつけた。
グラスの割れた音に気付き、数人の執事姿の者たちが駆け寄る。
「お騒がせしました、両殿下に怪我はございません」
「君…いや、失礼。貴方は無事なのですか?」
「ええ、少し子爵様がお疲れのご様子。別段どうと言うことはありません」
やんわりとルイは、駆け寄った者たちを遠ざけ視線をイジートへと戻す。
怒りに狂ったのか、歪に指を動かしながら何度も何度も髪を掻き毟り、
ぶつぶつと呪詛のように何かを呟くイジート。
その態度にシュナイゼルとセリーヌが我慢ならないと口を開こうとする。
だが、それをルイが視線を向け首を横に振る事で制止した。
「シュナイゼル殿下、セリーヌ殿下、他の列席の御客様も見ております。
お気を静めてください。それにイジート様が仰ったことは、まさに正鵠。
本来、私の様な身分の者は、この場には相応しくはございません」
そう静かな口調で述べると、いまだ不気味な指の動きを見せるイジートに向き直る。
「イジート子爵の言葉、しかと承りましたのでどうかもう御戻りに」
「……なんでもわかった様な口をきくな」
「その様なつもりはありません。ただ貴方様の仰りたいことはわかりました」
「ふんっ、どうだかな!両殿下、先の弁、忠誠深き身故の進言と御許しください」
数秒、ルイの瞳を睨みつけ捨て台詞の様にそう口にすると踵を返して立ち去った。
そんなイジートの振る舞いに、不快そうに眉根を顰めて口元を覆う貴族たち。
会話すら聞き取れはしないものの、明らかに不敬ととれる態度を見せたイジートを、
悪し様に批判しているのだろう。
ルイは離れ行くイジートの背中を、すっと目を細めて窺う。
そんな様子に気付いたセリーヌが小さな声をかけた。
「どうしました?」
「いえ、突然の事だったので少々驚いただけですよ」
ルイは困り顔のままセリーヌにそう口にすると、近付く気配に顔を戻す。
「ふん、あの様な振る舞いで自分の評価を落としていると気付かぬ辺りが小者か。
……小さき執事よ、いらぬ怪我は負っておらんか」
重々しく響く声で立ち去ったイジート子爵の背に辛らつな言葉を投げかけ、
ルイの下へ近付く老齢の偉丈夫。
軍服の上からでもわかる鍛え抜かれた身体。
事前に聞いていたが、とても70歳を超えた者とは思えぬ覇気を纏っている。
(この人が、ボィミス将軍…)
てっきりルイの前を素通りするものと思っていたところに、
突然話しかけられた事に、驚いたがすぐに体裁を整え優雅に頭を下げる。
「心使いありがとうござます、幸い衣服にも汚れはございません」
「で、あろうな。そなたを汚すなど、あれに出来るとも思えん」
含みのある言葉を口にし、興味深い物を見るかのように目を細めるボィミス。
「お戯れを」
「ふん、上手く化けたものだが、老兵の勘を侮るな。弛まず努めよ、小さき執事」
張り付けた穏やかな笑顔で道を空けるルイと摺れ違いざまに、
小さく笑ったボィミスはそう口にした。
やや呆けたルイを気にする事もなく、両殿下の前で臣下の礼をとるボィミス。
「お坊殿下、お譲殿下。大変お久しゅうございます、恥ずかしながらこのボィミス、
御身の前に再び、老いた身を晒すご無礼をお許しください」
お坊、お譲と呼ばれた2人は一気に笑顔の大輪を咲かせる。
それは張り付けた偽りの表情ではなく、2人が心から見せた笑顔だった。
「久しいな、ボィミス爺。リアス兄様の成人の儀以来だなっ」
「ふふっ、ボィミスの老いた顔なんて、生まれた時から見てるもの。
何を今更、恥ずかしいなどと。元気そうで嬉しいわ」
親しげに昔話に花を咲かせる三人の姿を、ルイは少し苦い気持ちで見守っていた。
ボィミス・ボーティガ将軍、彼もまた首謀者のひとりであると知っているからだ。
「…大きく、そして立派になられた。本当に」
眩しい物でも見るように目を細め、優しげに笑みの皺を深めるボィミス。
(どうしてこんな顔をする人が、2人を苦しめるような真似を)
シュナイゼルもセリーヌも、そしてボィミスも心から喜色を浮かべている。
この人物が敵であるという情報はもしかしたら誤報なのでは、そんな疑問すら感じた。
だが、2人がここまで心を許している人物が、首謀者の一人であるなどという情報を、
あのマサルがなんの確証も得ないまま齎す訳がない。
悪戯にシュナイゼルとセリーヌが傷つかないように、徹底的に裏をとったはずだ。
好々爺然としたボィミスの裏側に、在るであろう隠されたの狂気を探すように、
ルイはただ口を塞ぎ、三人の様子を見つめていた。




