2章-煮え滾る悪あがきと、舞い散る紙吹雪
「くそったれ…はあはあ」
弾幕が止み、土埃が視界を奪う。
回復薬の入った最後の瓶を取り出し、コルクを噛み捨て頭からかぶる。
幸いなんとか致命傷は避けているものの、
失った体力と流れ出た血は戻らない。
魔力障壁も幾度と張り続け、魔力量も限界が見えてきた。
霞む視界、止まり掛ける思考。
唇を噛み切り、必死に繋ぎとめる。
しかし、リグナットもただで好き勝手させていた訳ではない。
(隊長格の野郎、それと…あいつがきな臭い)
指示の下、徹底して槍衾を形成する者たち。
そこから脱しようとすると妨害に入る手練れの副長らと軽装の者たち。
やや離れた場所で、ただただ魔法を放つ者たち。
冷ややかな視線をリグナットに向け、佇む隊長格。
そして、魔法を行使する者たちに紛れ、"何もしない"者が1人いた。
接所当初こそ、黒外套の者たちを"同業"と考えていたリグナット。
だが、今はそうではないと確信している。
戦闘の最中、斥候らしい動きを見せた者は混ざっていた。
だが、それはあくまで少数。
そして今、リグナットを囲う大半の者が全身金属鎧を着用している。
そもそも30を超える規模の斥候がわざわざ集まっているのがおかしいのだ。
(こいつらどこぞの軍属だろう。……殿下たちを狙う貴族の私兵。
それか雇われた傭兵ってとこだろうな)
だが、そうだとするのであれば、それはそれで腑に落ちない点がある。
"なぜリグナットの気配察知で捕捉出来なかったのか"。
騎士や傭兵の中にも、隠行ないしは隠蔽に長けた実力者はいるだろう。
だが、早々にリグナットの手によって退場した者たちは、
お世辞にも手練れとは言えない。
(十中八九、魔法、魔術または技能の類だな。
こんな効果(大規模隠蔽)が可能な魔道具なんざあれば、量産されてるだろうしな。
間違いなくそいつは切り札。戦闘に巻き込んで失くしていい駒じゃない)
そうなると該当する者は隊長格と、もう一人の動かない黒外套。
(まぁ、試してみるしかないわな)
唯一持つ、水属性の適正。
それも評価はC+と、これまた微妙。
だが、可愛い弟弟子が面白い事を教えてくれた。
土埃に隠れ、たどたどしい手つきで魔術回路を書きあげる。
(難しい物なんざ、描けない不器用な俺のための様な回路だなっ)
リグナットは意識を失わないギリギリの魔力を込めて詠唱を開始。
それは紛れもなくただの"水壁"
土埃が晴れて行く。
姿を現せるボロボロのリグナット。
そんな彼の口から漏れる詠唱を耳にし、黒外套は最後のあがきだと嘲り笑う。
「水壁なんかだしたところでなんとなる、見るに耐えんとどめを刺せ」
隊長格も些か興がそがれたように、嘆息するようにそう口した。
その号令にあわせて槍衾が躍動する。
同時にリグナットも全文詠唱を終えた。
「こいつは"ちっとばかし熱いぞ"? "煮え滾る水壁"っ!」
ぐらぐらと煮え滾る水壁が、夥しい量の湯気を纏い槍衾の一画を飲み込む。
「「「「がああぁぁああっっ」」」」
巻き起る絶叫。
火耐性、熱耐性を持つ者もいるだろう。
だが、全員が一定水準の耐性がある訳がない。
沸騰した水壁に突撃した重装の黒外套たち、
転げ回りのた打ち回る者もいれば、
火傷で赤くただれた手で必死に鎧の留め金を外そうとする者もいた。
その隙に包囲網から悠々と離脱したリグナットは、その様子を見て苦笑を浮かべる。
―― "加熱"の回路は簡単ですから覚えて下さい。
ただただ繰り返し描けば沸騰させられるんです。
何度か試していけば、いつでもお風呂に入れますっ!
(この凶悪な魔法が、ただの風呂魔法だって伝えたらどんな顔するか見ものだな)
嬉々として魔力回路を教えてくれた笑顔のルイに感謝して、
いまだ湯気や悲鳴で沸く黒外套たちに向けて、リグナットは大声を張り上げた。
「意趣返しも出来た事だし、悪いが仕切り直させてもらうわっ!」
「追えっ!絶対に逃がすな!」
隊長格の発したその声には、わかりやすいほどの焦燥感が含まれていた。
そんな機微を察したリグナットは笑みを深くする。
「誰が捕まるかよ、ばーか」
最後の煽り文句を投げつけ、リグナットは走り出す。
隊長格を筆頭に、惨事を逃れた黒外套たちが追いすがる。
多少の負傷があるとしてもなお、
斥候としても高い水準を誇るリグナットは捉えきれるものではない。
隊長格は激昂しているのか、それとも別の要因があるのか。
のらりくらりと速度を調整しつつ逃げるリグナットを追い続ける。
追いすがる数9つ。
その中には、例の男の姿もある。
閑散としていた区画から、工業区により近いところまで駆け抜けたリグナットは、
乱立する建物の狭間に身体を滑り込ませた。
そして気配を断ち、景色に溶け込む。
かぐさま気配察知を展開。
先陣を切っていた隊長格の気配と、もう二つほど気配を捉える。
そして、すぐにそれらの気配は霧散した。
(確定だ。隊長格の能力じゃない)
隊長格の能力ならば、先ほど展開した気配察知にかかるはずがない。
追随していた2つの気配も含めてすぐに霧散したのは、
遅れて合流した"動かないでいた黒外套"が、
リグナットを見失い足を遅らせた先陣に追いついたからだろう。
最大で周囲20から30メートル前後が気配隠蔽の効果範囲。
リグナットはそう結論付けた。
(それに、やっぱりあいつら気配察知すらまともに出来てやしない)
目視で捉えた黒外套たちは闇雲に駆けまわり、捜索している。
その中には憤怒の形相で周囲を睨み、檄を飛ばす隊長格の姿も確認出来た。
リグナットは乾いた笑みを漏らし、額に手を当てた。
(って事は、そもそもヤツらは、俺の存在になんざ端から気付いてなかったってか)
自身の気配察知に掛からない隠蔽能力を有する相手。
勝手に、格上と査定して、悪手を打った事に思い至り嘆息する。
だが、すぐに頭を振り冷静な思考を取り戻す。
(いや、坊っちゃんたちを捕捉していた事には間違いないはずだ。
俺が無茶しなければ、坊っちゃんと挟撃出来たとしても、
殿下たちの安全が確約されたとは思えねぇ。
と言っても、もっと早くに気づけば立ち回り方も、もう少し変わったわな……)
「まぁ、言っても仕方ない。"楔も打った"事だし、もうひと踏ん張りだな」
時折、黒外套たちに姿を晒し、追手を引きつけリグナットは駆ける。
その間にも、冷静に手順を頭の中で組み立て、そして壊し再構築する。
再度身を隠し、自身の状態を確認する。
(少し休めたおかげか、造血剤も効いてきた。呼吸は…問題ない)
やや拓けた裏通り。
リグナットに誘導された黒外套たちが、血眼になって捜索しているのが見える。
標的は、隊長格の側にいるものの距離はほど良く離れていた。
地を蹴り、壁を駆け、一気に空に舞いあがる。
空中から目標を睨みつける。
(やれることは全てやった…あとは出たとこ勝負だなっ)
目標の直上からリグナットは一気に落下。
ぐんぐんと加速し、速度を殺さぬよう手にした愛用の投擲武器を放つ。
「させるかっ!」
着弾寸前。
隊長格が咆哮をあげ、手にした斧槍を割り込ませる。
―― ギィイィィンッ
投擲武器と斧槍の悲鳴の様な金属音がけたたましく鳴り響く。
束の間の拮抗。
「舐めるなぁっ!」
吹き荒れる暴風の様な気勢を纏い隊長格が投擲武器を弾き飛ばす。
続けざま大きく振るわれた斧槍は、自由落下するリグナットを捉えた。
「死ねぇ」
叩きつける様に振るわれた斧槍に、なんとか手元に戻した投擲武器で受ける。
中空を泳ぐリグナットは、
抵抗する事すら出来ずに容易く壁に叩きつけられ、地面に倒れ込んだ。
「かはっ」
必死に仰向けになり、悲鳴をあげる身体を動かそうにもぴくりとも動かない。
背中を強く叩きつけられたせいで、呼気が止まる。
一拍遅れて血を吐き咽た。
おぼろげに霞む視野の中なんとか目を細めるリグナット。
その周囲には、武器を構えリグナットを取り囲む黒外套たち。
「手間をかけさせよって」
黒外套たちが道を譲り、視界に姿を見せた隊長格は、短くそう口にし、
リグナットの喉元に斧槍を向ける。
覗きこむようにしてリグナットの表情を見た彼は、苦々しげな表情を浮かべ問う。
「なにが可笑しい」
力なく仰向けになるリグナットは、その言葉に一層笑みを深める。
そんなリグナットの態度が気に障ったのか斧槍を持つ手が僅かに震えた。
「忠告を1つ」
不意にリグナットはそう呟く、掠れた弱々しい声音で。
ただその目はじっと隊長格を見つめている。
隊長格は、その瞳に写る自分と"ひらひらと舞う紙吹雪の姿"を見た。
「俺なんかに足引っ張られてると、坊っちゃんの相手には役不足だ…
まあ、なんだ……吹っ飛べ」
閃光と爆発。
刹那、衝撃と熱が周囲を飲み込んだ。
―― 死神の符術。
それは、目標の黒外套へ落下をはじめる前。
リグナットが切った、最後の手札。
紙吹雪と見紛うほど、ばら撒かれた"爆裂魔法が描かれた符"の群れは連鎖して一気に爆ぜた。
隊長格がリグナットから視線を切ったのは、瞬きをする程の短い時間。
リグナットには十分過ぎる時間。
「はい、殺った」
目標の黒外套。
その首をはね、そう口にするとリグナットはその場に崩れ落ちた。
「…貴様っ」
なんとか顔を動かし、"そちら"に向ける。
視界の端には、爆発に巻きこまれ負傷したものの、
怒りに身を震わせリグナットを睨む隊長格の姿。
「ははっ、これでも精一杯、やったんだわ」
「簡単に死ねると思うなよっ!」
力無く笑うリグナットに、隊長格は声を荒げた。
「そんな顔しないでくれよ……泣いちゃうぞー」
「気でも触れたかっ!」
まったく噛みあわない会話に顔を更に赤く染め、隊長格は斧槍を振りあげる。
それでもリグナットは隊長格など見てはいない。
「手を煩わして悪いな…坊っちゃん」
―― 百舌。
周囲を飲み込む様に、足下に広がる漆黒の闇。
次いで沸き出でたるは、林の如く黒く輝く剣の山。
それらは、黒外套その悉くを刺し貫いた。
流れる静寂。
ゆっくりとリグナットに近づく小さな影は、
殺気を纏い、激しい怒気に身を震わせていた。
「……心配かけないで下さいよ、兄弟子。」
「はははっ、俺さ。弱いのに無理しちゃったよ弟弟子(坊っちゃん)」
ただ、リグナットに向けられた弟弟子の声音は、とても優しいものだった。




