2章-平穏な時間、微かな不安
「うふふっ、色んな服装のルイが見れて大満足ですっ」
ニコニコと満足そうに微笑むセリーヌ。
時間にして三刻ほどセリーヌの着せ替え人形と化していたルイ。
最終的にセリーヌから、一番評価が高かった白い詰襟のシャツに濃灰色のベスト。
同色ながらも色合いが若干暗いパンツ姿を身につけ、ルイは遠い目をしている。
シュナイゼルもまさか、これほど長期戦となると思っておらず、
ルイに憂いの眼差しを向け、改めて胸の内で謝罪した。
そんな2人を置き去りに、側に控えていた店員に声をかけるセリーヌ。
「今、あの子が着ている物を一式、あとあちらに畳んである方。
ええ、そちらです。そこにある物全部頂きます」
「ぜ、全部ですか?」
「!」
店員とのやり取りにルイは我に返る。
「ええ、全部です。それとお支払はこれも使えるのかしら」
そう言って取り出したのはオーカスタン王国の白金貨。
それたったの1枚で、金貨500枚に相当。
「しょ、少々お待ち下さいっ!もちろんご利用頂けますので、
すぐに値段をお出し致しますっ」
「リーヌ姉様いけませんっ、そんな…んっ」
ルイの声に反応しセリーヌが振り返る前に、
シュナイゼルが後ろから、口を塞ぎルイの耳元で一気に言い募る。
「今着てるのも良いが他のも良い物だな、なぁルイっ!
(あわせろ、逆らうな、せっかく良くなった機嫌だ。
荒れると今日一杯どころかしばらく続くぞ。それでも良いのか)」
「お兄様もそう思われますか?嬉しいっ。最近はご自身で買われてしまうので、
以前みたいにお兄様の服をお選びできなくなりましたから…。
そうですっ、少しお兄様の服もここで…」
「ストップだ、セリーヌ。気持ちは嬉しいけどな、
今日はルイに感謝するための外出だろ?」
「そうですよね…はい、今日はルイの事だけを考えます」
そこへ先ほどの店員が戻り、セリーヌはそちらに向きなおり支払を進める。
シュナイゼルは、とっさの機転に思わず拳を握りしめ声にならない声をあげた。
「(ゼル兄様は、以前からずっとですか)」
「(ああ、"自分の事は自分でやりたい、大人になりたいんだ"って名言を発掘するまで、
大変だったぜ。さっきまでのお前みてたら昔の俺と重なったよ)」
たった一度の機会でルイに蓄積されたダメージは大きい。
これを何度となく乗り越えたシュナイゼルを、ルイは尊敬のまなざしで見つめる。
2人が小声で男同士の友情を噛みしめていると、
店員が数名がかりで箱や袋を持ち、外へ出て辺りを見回している。
「あら、馬車じゃないの。ルイ、"貴方の収納"に全部入るかしら?」
そう口にしたセリーヌは、ルイに微笑みかけ一瞬足下の影に視線を落とした。
"収納だと見せかけ、影の中に仕舞えるか"…と。
言葉の意味も視線の意味も理解したルイは頷いて答える。
シュナイゼルもセリーヌ同様、ルイの特異能力の存在は聞かされている。
黒い鎖を一本出し、自在に操作して見せてくれたり、
拘束訓練時に、百舌を単体で呼び出し牢の一画を崩すのも目撃した。
だが、それらの戦闘的な仕様方法とは異なり、
執事見習い時に見た、掃除の際に障害物を全て呑み込み様子や、
落とした物を壊さぬ様に呑み込んで手元に戻すと言った。
便利な能力と言った認識が強い。
「またの起こしをお待ちしています」
店の外まで見送りにきた店員に別れを告げルイたちは、
中央区にあるマーケットや屋台街を経由し、工業区に向かう。
「リーヌ姉さま、たくさんの贈り物本当にありがとうございました。
散財させてしまい心苦しいのも本心ですが、本当に嬉しいです」
「ルイが喜んでくれたのなら良いんです。それが何よりですから、ふふっ」
「散財っつても、俺らがもらった無駄に高い美術品なんかを処分したお金出しな。」
「陛下にも"リアスお兄様"にも、頂いた物は、目録の上で把握したら良い。
不要な物は全て売ってしまいなさい。そのお金は留めず、街へ流すようにって」
「利益循環…だっけ」
「そそ、陛下が良く言ってたやつ!」
「さすがルイですねっ」
お金を絶え間なく動かす事によって民が潤い、街が潤う。
それは巡り巡って国が潤う。
利用しようとシュナイゼル達に近づく者たちは、循環を留まらせる傾向が強い。
溜めこんだ私財は、似た様な者へと流れるも、そこで止まる。
だが、王族に便宜を図ってもらおうと持ち込む品はけちる訳にはいかない。
中途半端な物を送り、評価が落ちるだけならまだしも、
なんらかの不評を買い、追い詰められる事すらありえる。
結果、シュナイゼル達に贈られる物は高額となる。
「悪い事ばっか考えている愚か者のお金を、有効活用してるだけです。
ルイにはとても似合うその服が、先ほどの店はその対価に売り上げを手にした、
小声で話してましたが、従業員の皆さまにも特別手当も出るそうですよ」
「そんで、従業員が家族と上手いご飯食べたり、酒を飲んでさらにお金は巡る。」
マサルから知識を得ただけの自分と、知識を持ち実戦する2人。
急にそんな2人を眩しく感じ、焦燥感のような物がこみ上げる。
「あら、難しい顔して」
「なんだなんだ?」
「僕は知ってるだけで、お2人みたいに出来てないなって」
少し悲しげに漏らしたルイに、シュナイゼルとセリーヌは顔を見合わせ苦笑いする。
「ばーか、なんでもかんでも俺より出来ると思うなよっ」
「なんでも出来るとは思ってませんよ」
「ある人がいます。その人は、エドガー様の様に、数多の武器を容易く操り、
リズィクル様の様な魔法を駆使し、ルーファス様の様に闇に消え姿は捉えられず、
神謀鬼策はマサル陛下にも劣らない、かつレオン様の如く素手で城門破壊する」
「それは本当に人ですか…」
セリーヌの言葉にルイは絶句する。
自分が想像してる姿でも生ぬるいのではと、思わずにいられない。
「ぶっははは、確かに化物だなっ。でもルイが望む姿って規模は違っても、
俺とセリーヌから見たら同じこと言うと思うぜ。
理想は高いのは良い。それはいいんだけどさ、ルイに貴族らしい振舞いとか、
貴族の在り方って必要ないだろ。そんなん俺らがやっとくから、
ルイはやりたい事、こうなりたいって姿を目指せば良い」
―― やりたい事、なりたい自分。
シュナイゼルの言葉は、ルイに沁みわたる。
「案外、力を抜くことの大切さを感じて欲しくて、
陛下たちは、今日の休暇を許して下さったのかもしれませんわね」
「そうかもしれません」
そう、ルイは頷き。
顔を上げて大きく伸びをする。
そんなルイの表情にセリーヌは笑みを浮かべ、ルイの頭に手を載せた。
シュナイゼルはもう大丈夫そうだな。と独り呟き前に広がる広場を見渡した。
「おっ、ここがマーケットかよっ。馬車で遠目に見た時もすげーなって思ったけど、
近くで見ると迫力あんな…ってか、物凄い数のテントだな」
中央区に、巨大な広場に様々な形状、色をしたテントが立ち並ぶ。
シュナイゼルの言葉通り、数を数える気も失せる圧倒的な数。
テントとテントの隙間を縫う様に行き来する人々の数も相当数に上る。
「僕も近くで見たのは、初めてですよ。
それと、ここはスリが多いから気をつける様に言われているので、
お2人の貴重品は、僕がお預かりしておきます」
「わかった。でもよ、ルイならスリなんて、すぐ捕まえられるだろ?」
セリーヌとシュナイゼルから収納だと思われる物を幾つか預かる。
用途別とかあるのだろうか。と考えていたルイにシュナイゼルがそんな事を言った。
「可能だと思います。だけど、盗む物が無いのなら犯罪を起こしようないですし。
僕自身、孤児院出身なのもあるせいか、なんとなく」
ルイが不意にむけた視線の先には、シュナイゼルたちと同じくらいの年齢の子供が、
獲物を探すかの様な鋭い視線を忙しなく動かしている。
一度それに気が付くと、他の物影にも似た様な者たちの姿があった。
「俺やセリーヌの物を、まかり間違って盗めば死罪か」
「孤児院の騒ぎもひと段落したと聞いていますし、
オルトック様も孤児の対して手を尽くすと約束してくれました」
「流石はオルトック伯様ですね」
「…ルイっ!俺はあのテントがみたいっ」
漂う陰鬱な空気を裂くように、シュナイゼルが陽気な声をあげる。
少し驚いてしまうルイの視界に、セリーヌが笑顔で頷く姿が映った。
「はい、ご案内いたします。ゼル兄様」
道化を演じ、ルイに気遣わせないようにしてくれた事を悟り、
ルイも明るく努めて声をあげた。
それから10程のテントを巡る。
聞き慣れない効果の魔道具や、指輪やネックレスなどの装飾品。
ルイの古巣である健やかなる日々でも見慣れない薬剤の原料。
絶対に手を触れてはならない雰囲気を纏う妖しい武器などを見て回った。
途中、シュナイゼルが虎をモチーフにした耳飾り(イヤーカフ)を手に取り、
もっと雄々しいデザインの物はないのかと訪ねていた。
確かに手にしたデザインは虎ではあるか、どこか可愛らしい作りをしている。
「お兄様は、虎が大好きなんですよ」
「なるほど、言われてみればどことなく虎っぽい…。
リーヌ姉様は、好きな動物とかモチーフとかあるんですか?」
「蜥蜴です」
「え?」
ルイの想像には無かった回答に、聞き間違いかと思わず聞き返す。
「蜥蜴です」
「蜥蜴ですか?なんでまた?」
「可愛いじゃないですか。ああ、魔物のイメージをしているんですね。
そうじゃなくて、こうニョロニョロと素早く動く子が好きなんですよ」
魔物の蜥蜴はそもそも想定していなかったルイ。
そもそも、素早く動く蜥蜴が可愛いと感じた事などない…。
引き攣った笑みを無理矢理張り付け、その場のやり取りは誤魔化した。
しばらくして、雄々しいデザインと言うか、
シュナイゼルの好みにあうものが見つからなかったらしく、
落胆したシュナイゼルが戻って来た。
「元気だしてください、お兄様。私なんて可愛い子を見つけたのに、
お借りしてる部屋に置いて良いか確認してからのが良いと言って、
許してくれなかったんですよ」
変わったペットを扱うテントで、セリーヌは大興奮。
ルイが止めねば、シュナイゼルとセリーヌの滞在している部屋が、
蜥蜴に占拠されかねない状況だった。
シュナイゼルは無言で見つめ"でかしたルイ"と告げ、
ルイはそれに微かな目礼のみで応えた。
マーケットを離れ、屋台通りを訪れると2人は大暴走をはじめる。
当然、口にした事のない屋台の料理に、目を輝かせたかと思えば、
「主人、これをくれ。」
「金貨って坊っちゃん。釣りがねーよ」
屋台の主人は金貨を渡され困惑する。
服から見て、育ちが良いと判断したため、無碍にも出来ないようだ。
ルイが懐から銀貨を取り出そうと助け舟の準備をしていると、
「釣りはいらんから、何本かくれ」
「ま、まじかよ。じゃあ、あるだけ持ってってくれ」
シュナイゼルとセリーヌは歓声をあげ、収納へ納めて行く。
当然、1つの屋台で済む訳がない。
次々と同様の手口で屋台を襲撃する王族たち。
「ご満足いただけましたか?」
思いもよらない売り上げに、喜んで屋台を畳む店主たちや、
シュナイゼルたちから、御馳走しようと振舞われた者たちから、
大歓声を浴び、手を振り答える問題児たち。
その様子にほとほと疲れたルイは、やや呆れた口調でそうこぼす。
「大満足だっ!あんな美味しい食べ物があんな安価で食べれるとは…」
「私もですわっ!外で立って食べるなんて初めてですものっ」
「食べ物を粗末になさいませんように」
「はい、わかってますわ」
「当然だ」
2人が使用した収納は、時間停止の効果もあるらしく。
いつでも温かい焼き立てを楽しめるのだと聞かされた。
ルイは収納を持っていない。
隷属する影があるので必要としていなかったし、
そこまで感心がなかった。
2人から、冒険者が好んで使う一般的な宿屋の個室くらいの容量でも
金貨100枚ほどはすると聞かされ絶句した。
「影さんの容量はどれくらいなの?」
「時間停止あるのか?」
2人からの問いに素直に試した事がないと答えると、
貴族の在り方なんかに興味持つ暇あったら、能力の把握しなさい。
と、至極まっとうなお叱りを受けた。
中央区から離れて、工業区へ向かう道。
特に大きなトラブルはない。
それでもルイは2人と共に外出してから今まで、
一瞬たりとも気配察知、魔力探知に気は抜いていない。
だからこそ、不審に思う。
足を止め、周囲に軽く目線を走らせる。
建物の影、屋根。
今しがた通った道。
(リグナットさんがいない?)
中央区から工業区へ入る手前までは、
付かず離れずの距離に感じていたリグナットの気配が感じられない。
些か戦闘能力に関しては不安が残る兄弟子ではある。
だが、それは比較する相手が悪い。
その隠行の技術は、ルイの親代わりたちの平均よりもかなり高水準。
名無し(アンノウン)の中でも、リグナットを感知できる者は限られる。
頭領である朱華(仇花)、側近であり三柱サミュル、五柱ラミーエ、
そして、やや劣って八柱オーリ。
彼女らならば、気配察知範囲に捉えればリグナットは捕捉される。
それらに追随する実力者、六柱ドリュン、七柱マケニティ、
そして指南役のダンサイを持ってしても違和感、
一種の勘の様なもので捕捉する可能性はあるが確実とは言えない。
「おい、どうした?行こうぜ」
シュナイゼルの声で我に返る。
2人を不安にさせても仕方ない。
空を見るとまだ陽も高い。
拭いきるには些か不安が大きいが、ルイは2人を伴い工業区へ足を運んだ。




