2章-怖れることの大切さ、託される思い
ルイとレオンのやり取りを黙って見守っていたマサル達は、
途端にルイの表情が曇ったのを見て、ルーファスは頭を抱え天を仰ぎ、
マサルは眉を顰め困った顔をし、リグナットは悲しげに相貌を崩した。
「あー、これは分かってない顔っすね」
「そうだね、困った子だね。ルイ君は」
「坊っちゃん・・・」
そんな三人の様子に困惑するルイ、
そこで再び頭をレオンにこねくり回され顔を上げる。
「死ぬのが怖くない者など強者ではない。ただの馬鹿で愚か者だ。
マサルであっても、ルーファスであっても。リグナットもそうだ。
ここにいないエド、リズィクルもそうだ。当然、俺も怖い。」
「・・・」
「そんな顔をするな、嘘で煙に巻こうなんて考えてはいない」
珍しくレオンの言葉に胡乱な視線を向けたルイ。
それは、口に出さずとも嘘だと思っているのがありありとわかる。
「先ほど、俺の話を聞いて差し詰めお前は"ゼルとリーヌを守ると決めたのに"、
と自分を責めたんだろう?」
その問いに返されたのは、図星をつかれバツの悪そうな表情。
「2人を失うかもしれない"恐怖"。それが怖いと感じ努力していた自分は、
そんなに恥ずかしいものか?」
不意に告げられたその言葉に、ルイの心が揺れる。
ルイの中には無かった価値観。
その心の揺れを見て取ったレオンは更に言葉を紡ぐ。
「お前の師である俺たちは、"お前を失うのが怖い"。
だから、俺たちはお前がそうならない様に、数多くの事を伝え、
数多くの事を教えているんだ。そんな俺たちは恥ずべき師だろうか」
「そ、そんなことないですっ!思ったこともないっ!」
恐怖を感じる事の必要性は、やっとそれらの言葉で理解できた。
それを理解出来なかったのは自分の無知。
そこに師である彼らが貶められる理由などない。
それを言葉にして口にする術が今の幼いルイにはない。
それがもどかしくて歯痒くて、ルイは顔を真っ赤に染め上げ声を荒げた。
そんなルイを慈しむ様に、レオンはルイの両肩に手を置き、
視線をあわせる様に膝を付く。
「命を賭してでも何かを守りたい。と言う場面はあるかもしれない。
いや、必ずその場面はお前にも訪れるだろうな。
守りたい物を守るは、お前の原点だからな」
レオンの言葉に揺さぶられて、たくさんの顔が脳裏に浮かぶ。
守りたいのは、何もシュナイゼルとセリーヌだけじゃない。
孤児院から焼きだされたルイに、家族の温かさを教えてくれた親代わりたち。
言葉すらままならなかったルイを、
優しく迎え入れ笑いかけてくれたギルド職員たち。
笑い叫び、時に酒に興じ、幼いルイの相手を嬉々として引き受けてくれる冒険者たち。
圧倒的強者である師たちの顔すら、そこにはあった。
「だから、今は敵わぬ強者と遭遇したのならば迷うな。
さっきのように、かわして、逃げて、例え醜い様になっても逃げろ」
「…守りたい人が、そこにいても?」
「そうだ…と言いたいが、そこは好きにしろ。
だが、無駄に逝くな。最後の最後まで足掻いて逃がしてみせろ。
それから、1人勝手に満足して死ぬと良いさ」
レオンが笑いそう言いきった。
想定外の返答にルイは目を見張る。
そんなやり取りにリグナットが口を開き掛けたが、
ルーファスは、ひと睨みする事で制す。
そんなルーファスに抗議の目を向け、次いで救いを求める様に、
マサルに視線をやるも、彼もまた首を横に振ってみせるだけ。
「そんなことが起こらないよう努めろルイ。
常に、恐れる事を忘れるな。
そして、その悉くを乗り越えて、強くなろうと在り続けろ」
その言葉にルイは震えた。
それは、まだ知らぬ恐怖に屈した訳ではない。
ルイの瞳に確かな火が灯る。
「そうであれば、賢いお前のことだ。自分勝手に命は散らさないと信じている。
俺達を…お前を知る皆を悲しませるような真似はしてみせるなよ」
言いたい事は全て言い終えたと言わんばかりに、
少しの痛みを感じるほど、頭を撫でまわされる。
「だいたい、力がないから命を賭すことになるんだ。
何がきても死なない強さになっちゃえば良いよ」
「どんな暴論っすか。ってか、なるほどって顔止めるっすよ。
レオっちが良い感じに着地させたのに台無しっす」
ルーファスの言う通り、
マサルの言葉を鵜呑みにしかけたルイは困惑の色を浮かべる。
そんなルイを"仕方ないやつだ"と嘆息し、
レオンから解放されたばかりの頭に手をのせた。
「後輩ちゃんは、まだきちんと伝えてないっすけど、
さっきのレオっちとの事がなくても、全員一致で任せようって決めてたっす。
それは後輩ちゃんなら出来るって、太鼓判を押せると全員考えたからっす」
ルイはその言葉を聞き、小さな手で握り拳を作る。
だがまだ話は終わってないとルーファスはルイの頭を軽く小突いた。
「それでも何が起こるかはその場にならないと、神様だってわかんないっす。
後輩ちゃんはもちろん、俺っちだって知らない強者がいるかもしれない。
だから、死を感じたらいつでも逃げられるように備えるっす」
使い道があるかわかない場所に罠を仕掛けても良い。
2人を安全だと思うところに避難させた後でも良い。
それすら難しいなら、全力で囮を演じて時間を稼いでその後に逃げれば良い。
ルーファスは指折り予測出来る事を挙げて行く。
そして、空気が変わる。
死神は怜悧に目を細めてルイに告げる。
「大事なのは今回2人が攫われたとしても、すぐには殺されはしない。
ルイ、お前が死なず、そして恐怖に折れなければ必ず救える機会がやってくる。
機会があるのが分かっているのに死んでみろ。それは無駄死に許さない。
難しい事はなにもない、一番は死なずに戻れ。…ただそれだけ簡単な仕事っす」
最後に死神が姿を消し、ルーファスは笑みを作る。
ルイは死神の言葉を反芻して呑み込む。
「失敗しないように色んな事を考えて2人を守る。
だけど失敗しても、死なないで帰ります。そのあと絶対助けます」
「満点っす」
「はいっ」
肩を軽く叩きルーファスは立ちあがって大きく伸びをしてみせ。
ルイの姿を満足そうに見つめているマサルに向き直った。
「これで、我々は思い残す事なく王都に戻れるっすね。狂王陛下?」
「そうだね。無茶して命散らしそうって最後の心配もこれで無くなった。
うん、ルイ君。あとは任せた、気楽にやってね。
失敗してもルーファスの言う通り、幾らでもどうにでも出来る」
そこまで言いきったところで、マサルの笑みが悪戯っぽいものに変化する。
「想像してごらん、ルイ君がもし失敗したとしよう。
僕、ルーファス、それにレオン。ここにはいないけど、エドにリズィクル。
あと2人ほど、ルイ君の師にまだなっていない面子もいるけど。
そんな僕らが総力で奪還にあたろう。ほら問題ないでしょ?」
わざわざ考える必要もない。
何度も頷いて見せる。
まだ見ぬ2人の事は、詳しくは知らない。
だが、師たちと負けず劣らずの実力者であることに疑いはない。
ルイはその言葉を聞いて、どうしてこんな人たちを相手に、
喧嘩を売る真似が出来るのかと心底呆れる思いでいっぱいになった。
その後、マサル達が王都へと旅立つ支度が済むのを待つ中、
ルイはルーファスと何度か軽い模擬戦を行った。
その中で、黒鎖の運用方法について改善点などが指摘されたのだが。
「つーか、後輩ちゃん。百舌ちゃんも黒鎖ちゃんも、
ルイの影からしか出せないんすかね?」
「えっと…どうなんでしょう」
「どうなんでしょうって…。自分の能力なんすから把握は大事っすよ」
ルーファスの指摘したこの点については、
ルイが所有する二つの特異能力。
隷属する影、理識の瞳の性能を調査、
検証しているリズィクルにはない着眼点だった。
何故ならば、彼女は魔法、魔術研究者として優秀過ぎたためだ。
闇属性からの派生である"特殊属性"のひとつ"影属性"を深く理解していた。
"自身の影"を操る汎用性が高い魔法としてのその属性を知るが故に、
同様の効果がみられる隷属する影を、術者の影を利用すると定義付けてしまった。
一方でルーファスは、符術研究と言う分野で魔術研究に携わってはいるが、
あくまでもそれは、自分の戦闘体系に適応する効果の物に限られる。
そのため、ルイが運用する姿に単に感じた疑問を口にしただけだった。
「試しに、俺っちの影から自分に向けて出してみるっす」
そうして検証を進め、以下の事が判明した。
10メートル程離れた場所、ぴくりとも反応を示さない。
5メートル、微弱な反応。3メートル、影の反応は激しいものの鎖は出現せず。
これらは、黒鎖だけでなく、剣林を産み出す百舌でも同様の結果だった。
「やっぱり駄目みたいです」
ルーファスの助言で、更なる可能性に心が浮だった分、
成果が出なかった事にルイは消沈する。
だが、そんなルイの様子をただ黙って見ていたルーファスは全く別の事を考えていた。
(…技術だとして。成長して技能に至る…とかっすかね?)
魔法体系の基本、上位基本、その上の最上位、派生の特殊属性へと階位がある様に、
技術体系にも、階位は無いものの上位は存在する。
技術の剣術が一定の水準を満たし、かつ適正が高い場合に短剣術、長剣術などの、
技能に昇華される事がある事は、この世界で戦う術を持つ者には周知の事実だ。
(鎖ちゃんが暴走した後に、発動に魔力消費はいらないと言うことは発覚した。
実際、影を広げる際に若干魔力の流れは感じるものの、発動自体には魔力の運用は無い。
だけど、そもそも魔力の消費が必要ない事が、判明するまでは、
後輩ちゃんは、常時魔力を使用して発動させてた…となると)
それが指し示す要因は何だ。
「あ」
思わず間の抜けた声が出た。
それにつられた様にルイが顔を上げる。
それに応える事なく、至った仮説を再度考察して行く。
「あながち、的はずれじゃないかもしんないっすね」
「なんの話ですか?」
「ああ、えっとすね。・・・そうっす!5メートルより近いと反応があったんすから、
続けて訓練してると出来るかもしんないなーって思ったんすよ」
咄嗟に、適当な言い訳を思い付きそれを口にする事でお茶を濁した。
幸いそれに気付く事も疑う事もなくルイは納得した表情を浮かべ、
訓練用の槍を地面に突き立て、少し離れた場所から影を操作しようと試し始めた。
ルイに伝えるのを躊躇ったのには、理由がある。
魔力をただ譲渡するだけで成長するのであれば、何も問題はない。
だが、それが"種族水準"や"種族値"が反映される場合は些か問題がある。
それを証明するために魔物と対峙させる訳にはいかない。
自分も含め全員が"冒険者になるまで"の間は魔物と戦闘させない。
そう取り決めたからだ。
「今日明日やって急に出来るんならさっき出来てるっすよ」
「む・・・そうですよね」
ルーファスの目算では、使用頻度をあげたところでルイの望む成果は出ない。
咄嗟の出まかせで、努力させて落ち込んでもらうのも気が引ける。
「それはさておき、後輩ちゃんにこれを」
「なんです?…ってこれ」
手渡された袋の口を軽く開け、中身を確認したルイは驚いた表情を浮かべた。
「リズからの最後の課題の件、聞いたっすよ。面白い事考えたっすねー」
「これっ、もらってもいいんですか?」
「良いか悪いかって聞かれたら良くないっすね。
特に、リズには内緒の方向で頼むっすよ」
「わ、わかりました」
ルーファスからの忠告を受け、
周囲を見渡した上で、大切そうにルイは影に仕舞い込む。
「使わないに越した事はないっすけど、備えあれば憂いなしって言うっすからね。
リズに言われてわかってると思うっすけど、あのままの運用じゃ駄目っすよ?
大怪我して、後でばれるなんて…リズの説教は怖いっすからね」
「ぼ、僕も怒られたくないので、気をつけます」
(まあ、これで誤魔化せたっすかね。特異能力の成長の件は、
レオっちに話して、リズに伝えてもらうっすかね)
顎に手を当て考え事にふける、子供らしさの無いルイの姿に苦笑しながら、
ルーファスは、こちらに向かってくる一団に目をむけた。
マサル、レオンの姿に混ざって小さな影が二つ見える。
「後輩ちゃん、可愛らしい護衛対象がお目覚めみたいっすよ」
「あれ、もうそんな時間ですか?そう言えば、お腹空いた・・・」
「ははっ、埃まみれでバイセルの爺さんにねちねち言われるのも癪っすから、
軽く風呂でも入るとするっすか」
「…そうですね」
バイセルの名を耳にした途端、お腹を擦っていたルイの手が止まる。
「意外と根に持つタイプなんすね」
「・・・」
からかう口ぶりで呟いたルーファスの言葉に、
少しだけ拗ねる様な顔でルイはそっぽを向いて見せる。
たまに見せるそんな年相応な態度に、ルーファスは少し安心するように微笑む。
「後輩ちゃん、あとは任せるっすわ」
背を軽く叩き、ルーファスは託す。
言いたい事、教えたい事は、まだ沢山ある。
このまま、ルイを残して王都に行く事に不安が無いと言えばウソになる。
だが、それは口にはしない。
「しっかり任されました」
幼い弟子は、そんな気持ちが分かっているのか分かっていないのか。
大人びた顔をしてそう力強く頷いた。




