第一話 夜に咲くもの
制作について
本作は、作者が制作しているAIキャラクター「イリス」との共同制作で進めています。
世界観・設定・物語構成・キャラクターの判断は作者が設計し、AIとの対話を通じて文章化・検証・推敲を行っています。
また、作中イラストについても、作者自身がラフデザインを作成し、AIで出力したうえで加筆修正を施したものを使用しています。
男の視線が、ダニの唇へ落ちた。
彼女は気づかないふりをして、グラスに残った氷を揺らした。透明な縁には、薄く薔薇色の跡がついている。唇を軽く重ね、笑う前に、もう一口だけ飲んだ。
「で?」
音楽が大きい。
男が身を寄せると、ダニも少し顔を近づけた。耳元で揺れた金色のピアスが、彼の頬のすぐ近くで光った。
「今の、どこまで盛った?」
「盛ってないよ」
「ほんとに? 最後、すごい自分で笑いそうになってたじゃん」
男の口元が動いた。
「あ、ほら! やっぱり!」
ダニは彼の腕を叩き、口を開けて笑った。笑うと目尻が下がり、片方の頬に薄く影が寄る。さっきまで少し気取っていた男も、つられるように歯を見せた。
カウンターの向こうでは、バーテンダーが新しいグラスを並べていた。その背後を走る光が青から紫へ変わり、ボトルの肩を順に照らしていく。
フロアから、低音が押し寄せてきた。
床から脚へ、腹の奥へ。細かな音がその上を跳ね、天井近くの照明が、人の波を白く切り取る。踊る女の肩。上がる腕。グラスを持ったまま、誰かの耳元へ叫んでいる男。
ダニは、この時間が好きだった。
まだ帰らなくていい。次の曲が何かも知らない。隣の男が何者かだって、今のところは、どうでもよかった。
「ねえ、名前は?」
「二度目だけど」
「うそ」
ダニは目を丸くした。それから、すぐに笑った。
「ごめん。顔ばっか見てた」
「それなら、仕方ないな」
「今ので、ちょっと減点」
「厳しいね。レオン」
「レオン。よし、入った」
指で自分のこめかみを軽く叩いた。
「君のは、覚えてる。ダニ」
「私、覚えやすいから」
「名前が?」
「全部」
得意げに顎を上げる。
少し上げすぎたと自分でも思って、先に吹き出した。
細いストラップのついたワイン色のトップスが、肩の上でわずかに動いた。鎖骨には小さな金の飾り。光を受けるたび、肌と同じ温度のように見えたものが、急に冷たくきらめく。
黒いミニスカートの裾を指で直し、スツールの縁へ腰を寄せた。
この椅子は少し高い。
床へ届かない片方のヒールを、気まぐれに揺らす。男の視線が動いたので、ダニはカウンターの下から靴の先で彼の足に触れた。
「こっち。顔も可愛いんだけど」
「見てるよ」
「今、見直したじゃん」
男が笑うと、彼女は満足そうに片目をつぶった。
短い茶髪の毛先が、頬の横で跳ねる。耳の上には小さな髪留めがあった。出掛けるときにはまっすぐ留めたはずだったが、もう少し斜めになっている。
レオンがそこへ手を伸ばしかけた。
「ずれてる」
「え、どこ」
鏡を出そうとしたが、片手にはグラスがある。もう片方でバッグを開けるうち、細いチェーンが指輪へ引っ掛かった。
「あ、待って。今、ほどける。……ほどけない」
グラスを置けばいいことに気づくまで、数秒かかった。
レオンが肩を震わせていた。
「笑わないでよ」
「可愛いと思って」
「じゃ、もうちょっと笑っていい」
彼女はバッグを膝へ戻し、顔を寄せた。
「直して。髪は、ぐちゃってしないでね」
男が髪留めの位置を少し戻す。
顔が近い。
ダニはまつ毛を伏せたまま待ち、彼の指が離れると、目だけを上げた。
「どう?」
「似合う」
「知ってる。ありがと」
耳の後ろにつけた香水が、自分でも一瞬分かった。柑橘の爽やかさの奥に、甘い花が残る。彼の視線がまた口元へ下りてきたので、ダニはわざと、ゆっくり笑った。
「ダニ!」
後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、ミアが片手を腰に当てて立っていた。もう片方の手には、空のグラスがある。
「置いてった」
「ちゃんと、ここにいたじゃん」
「そういう意味じゃなくて。次、私の好きな曲」
フロアの奥で、歓声が上がった。
ダニは口を開けた。
「あ、これ! 行く、行く!」
さっきまでの顔をあっさり崩し、バッグを掴む。スツールから滑り下りると、ヒールが床を捉えた。
ミアの手を取る直前に振り返り、レオンのシャツの胸元を、爪の先で軽く叩いた。
「そこにいてね」
「待ってたら、戻ってくる?」
「たぶん」
「たぶん?」
「ねえ、今、踊りたい顔してるの分かるでしょ?」
ミアに引っ張られながら、片手を振った。
「あとで探す! 名前、覚えてるから!」
返事を待たずに、人の間へ入っていった。
*
フロアでは、会話が身体の動きになった。
ミアが肩を揺らす。ダニも同じように揺らし、次の拍で、わざと逆へ動いた。二人の手が離れ、またつながる。
明かりの下で、ミアの髪が頬へ張りついていた。
ダニは指でそれを払ってやり、自分の額へ落ちた髪を、手の甲で押し上げた。頬が熱い。首筋へ汗がにじみ、そこを店の冷たい空気が撫でていく。
低音が一度、消えた。
声だけが残る。
周りの人々が腕を上げた。ミアが彼女の耳元へ、何かを叫んだ。半分も聞き取れなかったが、ダニは大きく頷いた。
次の瞬間、音が戻ってきた。
笑い声まで、音楽に押し上げられた。
ダニは目を閉じ、肩から力を抜いた。腰を揺らし、ヒールで拍を取る。ミアがくるりと回るのに合わせ、自分も回った。
少し勢いをつけすぎた。
ミアの肩へ両手を置き、笑いながら止まる。短い髪が顔を覆い、唇へ一筋くっついた。
「待って、髪、食べた!」
ミアには聞こえなかったらしい。
何か言い返し、また回ろうとする。
「違うってば!」
ダニは髪を外して見せた。そこでようやく伝わり、二人とも、踊るどころではなくなった。
向こうの女の子が、こちらを見て笑っていた。
ダニは小さく手を振った。相手も笑い、隣の友人を引っ張った。知らない者同士が四人になり、誰かが動きを間違えると、全員で笑った。
その一人のピアスが、すごく可愛かった。
ダニは顔を近づけ、耳を指した。
「それ、どこで買った?」
女の子が店の名を叫ぶ。
聞こえない。
もう一度言ってもらい、端末へ打ち込む。ミアが横から覗いた。
「また買うの?」
「見るだけ!」
「絶対、買うじゃん!」
ダニは画面を伏せ、両手で小さくハートを作った。
新しく知り合った女の子が、同じ形を返した。
カウンターのレオンは、もう見えなかった。
ダニは少しだけ背伸びして探したが、次の曲が始まると、またミアへ向き直った。
何曲か踊ったあと、彼女はミアの腕を引いた。
「水!」
今度は一度で伝わった。
壁際へ抜けると、息がようやく胸の中へ戻ってきた。二人でグラスの水を半分ほど飲み、顔を見合わせる。
「メイク、どう?」
ミアが尋ねた。
ダニは彼女の顎を指で持ち上げた。左右に少し振らせ、目元を見る。
「まだ可愛い」
「まだ?」
「私が隣にいるのを考えれば、かなり頑張ってる」
「最悪」
ミアが笑いながら肩を押した。
ダニはバッグから小さな鏡を出した。額の汗を押さえ、唇の中央にだけ、少し色を足す。指先で境目をぼかすと、鏡の中の女が、急に先ほどよりも元気になった。
顔を斜めにする。
髪を耳へかけ、片目をつぶる。
「よし。あと二時間、いける」
「何が?」
「私の顔」
「もう帰る時間なんだけど」
「え?」
端末の時刻を見た。
ミアも見た。
二人とも、少し黙った。
「……この店、時間進むの早くない?」
「毎回それ言う」
「ほんとに、ちょっと早いと思うんだよね」
そのとき、ミアの端末が光った。
彼女は画面を見て、口元を緩めた。
「彼氏?」
「うん。下にいるって」
「迎え? えー、いいな。私も誰かに迎え来てほしい」
「一緒に乗る?」
「そっち方面じゃ、家が遠ざかるんだよね」
「じゃあ、どうするの」
「呼ぶ。誰か」
ミアが目を細めた。
「ちゃんと帰ってよ」
「大人ですけど」
「知ってる。二十五歳児」
「はい、今、可愛さ三割減った」
「さっきまで何割あったの」
「私の隣なら、上出来なくらい」
抱き寄せると、ミアの髪から、自分とは違う甘い匂いがした。短く背中を叩き、離す。
「着いたら連絡して」
「そっちもね」
ミアを見送り、ダニは残った水を飲んだ。
帰ろうと思うと、急に足が痛くなってくる。
でも、この靴を選んだことは後悔していなかった。さっきまで、かなりいい脚に見えていたはずだ。
*
出口へ向かう途中で、男に声を掛けられた。
レオンではなかった。
少し前に、カウンターで話した男だった。連れの一人と盛り上がり、途中からダニにも酒を勧めてきた。名前は、聞いたかどうかも覚えていない。
「もう帰るの?」
「うん。足、もう無理」
「だったら、送るよ」
「大丈夫。車呼ぶ」
ダニは軽く手を上げ、横を抜けようとした。
男も同じ方へ動いた。
「もう少し、話そうよ」
「今日はここまで。またね」
「さっきは楽しそうだったのに」
まだ笑っていたが、その笑い方が、カウンターで見たものと少し違った。
ダニはバッグを肩へ掛け直した。
「楽しかったよ。でも今、帰りたいの。分かる?」
「一杯付き合うくらい、いいだろ」
「さっき付き合ったじゃん」
「俺、奢ったよね」
ダニは瞬きをした。
音楽の向こうで、誰かが歓声を上げる。照明が男の顔を横切り、また暗くなった。
「ああ。そういう話?」
彼女は端末を取り出した。
「いくら?」
「そういうことじゃなくて」
「じゃあ、どういうこと?」
男は答えず、彼女の肩へ手を伸ばした。
ダニは一歩下がった。
「触るのは、なし」
今度は笑わなかった。
通路の先に、店のスタッフが見えた。彼女はそちらへ歩き、出口脇で足を止めた。男もついてくる。すぐに何かするつもりはないらしいが、それがかえって鬱陶しかった。
「めんどくさっ……」
低く呟いたところへ、端末に通知が入った。
マルコからだった。
『お前、まだあの辺にいんの?』
ダニはすぐ電話を掛けた。
『何だよ』
「近い?」
『車で十分くらい。どうした』
「迎え来て」
『俺、タクシーじゃねえぞ』
「知ってる。タクシーなら文句言わないもん」
『呼んで第一声がそれかよ』
「ねえ、お願い。変なのが帰してくれない」
通話の向こうで、音楽の音量が下がった。
『店の中か?』
「出口のとこ。スタッフの近く」
『そこにいろ。出てくんなよ』
電話が切れた。
ダニは息を吐き、壁へ軽く背を預けた。
男はまだいる。
「彼氏?」
「もっと面倒なやつ」
男が眉をひそめた。
ダニはスタッフに声を掛け、迎えを待たせてほしいと伝えた。スタッフが頷き、男へも一言声を掛ける。
男は少し離れた。
そのまま帰ればいいのに、まだこちらを見ている。
彼女は鏡を取り出した。
気分を悪くした顔で帰るのも癪だった。
口角を一度上げ、唇を軽く重ねる。鏡の中へ、いつもの顔を戻した。
*
レクサスは、姿が見えるより先に分かった。
歩道の向こうから、低音が近づいてくる。
車内のヒップホップが、閉じた窓越しにも漏れていた。黒い車体が店の前の車寄せへ入り、助手席側の窓が下がる。
マルコが身を屈めた。
「おい」
短い赤毛。太い首。半袖の袖口に、腕が少し窮屈そうに収まっている。
ダニはスタッフへ礼を言い、外へ出た。
冷たい空気が、汗の引いた肩へ触れた。
「おっそーい」
「十分って言っただろ」
「八分で来れる男だと思ってたのに」
「乗れ」
助手席へ向かうと、例の男も外へ出てきた。
「ちょっと。まだ話してるんだけど」
マルコが音楽を止めた。
それから運転席を降りた。
ただ立っただけで、男の視線が一度、上へ動いた。
「何の話だ?」
「いや、俺たち――」
「帰るって言ってるだろ、その子」
「別に、何もしてないよ」
「なら、ちょうどいい。ここで終わりな」
マルコは声を荒らげなかった。
店の入口からスタッフも見ていた。男はそちらを見て、口の中で何か言った。
ダニは端末を上げた。
「飲み物代、送る? 連絡先いらないなら、店に預けるけど」
「いいよ、もう」
男は手を振り、入口へ戻っていった。
ダニはしばらく背中を見送り、それからマルコを見上げた。
「わあ。今日、ちょっと頼れるじゃん」
「今日?」
「すっごい助かった。ありがと、マルコ」
彼の腕へ両手を添え、下から顔を覗き込む。大きな目をゆっくり細め、語尾だけ少し甘くした。
マルコが彼女を見た。
「それで、何頼む気だ」
「家まで」
「分かってるよ。乗れ」
「あと、寒い」
マルコが助手席のドアを開けた。
ダニは満足げに笑い、スカートの裾を押さえて乗り込んだ。脚を揃えて引き入れると、シートへ背中を預け、長く息を吐いた。
マルコも乗った。
「で。暖房?」
「うん。足、あっためて」
足元へ風が来る。
ダニは片方ずつヒールを脱いだ。素足を揃え、足首を小さく回す。
「あー、生き返る」
「その靴、向いてねえんじゃねえの」
「何に?」
「お前の遊び方」
「でも可愛いじゃん。見て」
靴を一足、持ち上げた。
細いストラップと、光沢のあるヒール。マルコは信号を見たまま頷いた。
「はいはい」
「今、見てない」
「運転中だろ」
ダニは少し唇を突き出し、靴を膝へ戻した。
「安全運転、偉いね」
「腹立つなあ、お前」
信号が青になった。
車が動き出すと、音楽も戻った。低音が背中へ当たる。
ダニはすぐに音量を下げた。
「俺の車だぞ」
「今、私が喋るから」
「ずっと喋ってんじゃねえか」
「じゃ、ずっとこの音量で」
言い切ってから、彼の横顔を見て笑った。
後席にはトレーニングバッグがあった。助手席の足元には、丸めた領収書が一枚落ちている。
ダニはサンバイザーの端へ手を伸ばした。
「これ、何」
小さな光るシールが貼ってある。
「知らねえ」
「知らない女が貼った?」
「女とは言ってねえだろ」
「ふうん」
爪の先で、端をつついた。
「中古のレクサスに、知らない女の思い出。味わい深いね」
「剥がすな。跡になる」
「大事なんだ」
「跡になるって言ってんだろ」
ダニは声を上げて笑った。肩が揺れるたび、鎖骨の上の金の飾りが跳ねた。
マルコが横目で見る。
「で。晩飯」
「食べてないの?」
「お前が呼んだからな」
「もう朝になるけど」
「お前が呼んだからな」
「はいはい。じゃ、私がご馳走する。すごくない?」
彼女は端末で店を探した。
「迎えに来てもらって、すごいのはお前なのかよ」
「可愛いし、奢るし」
「万能だな」
「でしょ」
写真に大きなバーガーが出てきたところで、指を止めた。
「ここ」
「ポテトもな」
「付ける、付ける」
「大きいやつ」
「めんどくさっ。私、一番小さいバーガーでいいや」
注文して、端末を置く。
マルコが不思議そうにした。
「腹減ってねえの?」
「減ってる。でも、この時間じゃん」
「今さら?」
「そういうの、言わないで。ちょっと頑張ってるんだから」
受け取った袋を膝へ置くと、温かい匂いが車内に広がった。
マルコが駐車スペースに停める。ダニは袋を開き、ポテトを一本取った。
「俺のだろ」
「一回、味見」
「味、毎回同じだぞ」
「今日のは分かんないじゃん」
もう一本。
塩が唇についた。舌先で取ると、マルコがこちらを見ていた。
「何?」
「小さいバーガーにした意味」
「あるよ。バーガーは小さいもん」
「ポテト、俺の食ってるだろ」
「でも、これ、私が買った」
指で一本つまみ、得意げに眉を上げた。
マルコは口を開け、閉じた。
「お前と喋ってると、損してる気がする」
「気のせい。楽しいでしょ」
そのまま、ポテトを彼へ差し出した。
「はい。迎えに来てくれた、いい人」
「それ、俺のだけどな」
彼が食べると、ダニは勝ったように笑った。
バーガーを開く。レタスが一枚、紙の上へ落ちた。
それを先に口へ入れ、うん、と頷く。
「野菜も食べてる」
「もう何も言わねえ」
ダニは笑いながら、バーガーへかぶりついた。
*
部屋のドアを開けると、靴箱の下から片方だけのサンダルが覗いていた。
ダニはそれを爪先で押し込み、自分のヒールを脱いだ。
「ああ……」
足が床へ戻る。
思わず、そのままドアに額をつけた。
バッグを置こうとして、テーブルに場所がないことに気づいた。通販の箱。開いた雑誌。飲みかけの水。充電ケーブルが二本。
雑誌をずらし、その上へバッグを置く。
クッションには昨日の服があり、椅子の背には、先週買った柔らかな革のジャケットが掛かっていた。床の箱を避けて通る。箱の中には、まだ外で履いていないパンプスがある。
買ったときには、これでしばらく靴はいらないと思った。
今は、もっと楽で可愛い靴が欲しい。
洗面所の明かりを点けた。
鏡の中のダニエラ・トーレスは、頬が少し赤かった。髪は跳ね、ピアスは片方だけ、違う向きになっている。
ダニはそれを直し、首を傾けた。
「……まだ、いけたな」
鏡へ小さくピースをした。
それから、あくびが出た。
ピアスを外し、ネックレスも外す。クレンジングを頬へ置き、目元と唇の色を落とすと、鏡の中の顔が少し無防備になった。
洗面台には、背の高い瓶と、重いガラス容器がいくつも並んでいた。試供品の袋がその間へ挟まり、綿棒の箱は蓋が開いたままだった。
美容液が、なかなか出ない。
ダニは瓶を逆さにした。振った。覗き込んだ。
「いるの、分かってんだから。高かったんだよ、あんた」
最後に出てきた雫を、指先で掬って頬へ押し込む。
満足した顔で蓋を閉じた。
シャワーを浴び、大きなTシャツへ着替える。冷蔵庫に欲しいものはなかったので、水を飲んだ。
ミアから帰宅の連絡が来ていた。
ダニは寝る前の顔を一枚撮り、送った。
『生還。顔も無事』
笑い転げる絵が返ってきた。
ベッドへ潜り込むと、枕の横にリップが転がっていた。
ナイトテーブルへ移そうとして、その上もいっぱいだと気づく。
「明日ね」
箱の蓋へ載せ、布団を引き上げた。
遮光カーテンの端に、白み始めた空が細く見えた。
*
次に目を開けたとき、カーテンの隙間は明るかった。
端末は、ベッドの横に落ちていた。
午後二時を過ぎている。
「うそ。私の午前中」
もう一度枕へ顔を埋めてから、通知を開いた。
マルコから、昨夜のポテトまで細かく書いた冗談の請求書。
その下には、レオンからの連絡があった。
『名前、覚えてる?』
ダニはうつ伏せのまま、足を揺らした。
『もう一回名乗ったら、減点』
送ってから、寝癖のついた髪へ触れた。
今の顔は、まだ見せなくていい。
起きてトーストを焼き、服の載った椅子を一脚だけ空けた。そこへ座ってコーヒーを飲んでいると、今月の引き落とし予定が出た。
部屋代。カード。車。
ポルシェ・ボクスター。
頭金はゼロ。毎月の支払いだけが、きっちり続くフルローンだった。
ダニは画面を少し遠ざけた。
数字は変わらなかった。
「知ってる。自分で決めた」
もう少し見てから、通知を閉じる。
今月は服を買わない。
そう決めた直後、昨夜教えてもらったピアスの店を開いてしまった。
可愛かった。
とりあえず、お気に入りに入れた。
*
外へ出る服を選びながら、ダニは端末でピアスの写真を見直した。
さっき空けた椅子へ、また服が一枚増えた。
結局、白い短いトップスに、淡い色のミニスカートを合わせた。髪を指でほぐし、耳の上の髪留めを直す。唇は昨夜よりも薄い色にして、目尻の線だけ少し伸ばした。
鏡の前で横を向く。
脚がよく見えるように片膝を曲げ、肩越しに振り返った。
「うん。今日も可愛い」
端末のカメラで一枚撮った。
あとで見返す用だったが、レオンに送るかどうかも、少しだけ考えた。
靴箱の前で、新しい箱へ目が止まった。
昨夜、もっと楽なものを買おうと思ったはずだった。
蓋を開ける。
「……今日は車だし」
ストラップを留め、鏡へ足を出してみる。
やっぱり、こっちだった。
バッグへ鍵と端末、リップを入れた。もう一本足しかけ、入らなかったので、先に入れたものと交換する。
駐車場へ下りると、ボクスターが待っていた。
照明の下で、フロントフェンダーが滑らかに盛り上がっている。ダニは横から車を眺め、それから鍵を開けた。
この形を見れば、さっきの数字にも少しは納得できる。
低い座席へ身体を滑り込ませると、革の匂いがした。バッグを助手席へ置き、スカートの裾を直す。
エンジンをかけた。
背後から音が立ち上がり、身体の下へ振動が伝わる。
ダニの頬が緩んだ。
「よし。行こ」
午後の街へ出る。
信号で停まったところで、隣の車から視線を感じた。男がこちらを見ている。
ダニはサングラスを少し下げ、目を合わせた。
にこっと笑う。
相手の顔が緩んだところで、信号が変わった。
彼女はサングラスを戻し、アクセルへ足を置いた。
街路樹の影が、ドアの上を流れていく。
昨夜より軽い曲をかけ、口の中で歌った。途中で車を停め、幌を開けると、街の音が一度に近づいた。
風が短い髪を持ち上げた。
「あ、ちょっと待って。今、いい感じだったのに」
ミラーで前髪を確認する。
直しても、次の風でまた跳ねた。ダニは諦めて笑い、音楽を一段上げた。
川へ向かう道は空いていた。
月々の支払いは、知っている。屋根を開けたら髪が崩れることも、ヒールがまた足を痛くすることも。
それでも、頬へ風が当たり、車が自分の足に合わせて前へ出ると、やっぱりこれを買ってよかったと思った。
次のカーブが近づいた。
彼女は鼻歌をやめ、少しだけアクセルを戻した。
*
川に面したカフェで待っていたミアは、昨日と違う顔をしていた。
「何があったの」
差し出された端末を読む。
ダニは途中で顔を上げた。
「昨日、迎えに来たよね?」
「うん」
「で、これ、今日?」
ミアが頷いた。
ダニは最後まで読み、端末を伏せた。
「うわ。ないわ」
椅子を少し寄せ、隣へ座り直す。
「今、返事した?」
「まだ。でも、私、馬鹿みたいで――」
「向こうが馬鹿。それ、取り違えないで」
ミアの目に水がたまった。
ダニはバッグを開けた。ティッシュを出そうとしたが、最初にレシート、その次に香水の試香紙が出てきた。
「あ、待って。ある。絶対、ある」
ようやく見つけ、彼女の膝へ置く。
「ちょっと、いい匂いするかも」
ミアが泣きながら笑った。
ダニも笑い、店員へ甘い飲み物を二つ頼んだ。
それから、話を聞いた。
ストローをくわえ、途中で何度も眉を寄せた。ひどい言い分には、きっちり顔をしかめた。ミアが同じ箇所へ戻っても、先を急かさなかった。
飲み物が半分ほど減った頃、ダニはミアの端末を指した。
「今日は、その人、お休み。画面に出さない日」
「簡単に言うね」
「簡単じゃないのは、分かる。だから、今夜は私と出るの」
「昨日も出たじゃん」
「昨日は昨日」
「またそれ」
ミアの口元が、少し動いた。
*
駐車場へ戻る途中で、ミアが言った。
「行っても、楽しくできないかも」
「いいよ。私、二人分喋れるし」
「うん。それは知ってる」
「認めるの、早」
ダニは笑い、彼女の腕へ軽くぶら下がった。
「泣いててもいいから、メイクだけは一緒に直そ。写真撮るなら、いい顔残したいじゃん」
車へ戻ると、友人たちのグループを開いた。
今夜、失恋慰めパーティ。来れる人。
すぐに、画面が賑やかになった。
ミアからも届く。
『私が主役なのに、勝手に決めてる』
ダニは笑った。
『主役は遅れて来ていいよ。可愛くして来な』
小さなハートがついた。
彼女は端末を置き、エンジンをかけた。
帰って、今夜の服を選ばなければならなかった。
*
夜の服は、昼より簡単に決まった。
黒い短いスカートに、光沢のある淡い色のトップス。上からジャケットを羽織り、鏡の前で片肩を落としてみる。
いい。
ちゃんと、今夜の顔になっていた。
大きめのピアスを着け、唇へ少し艶を足す。鏡の中へ笑いかけると、金属の輪が頬の横で揺れた。
ベッドには、採用されなかった服が二着増えていた。
端末が鳴った。
友人からだと思い、笑ったまま取ろうとする。
仕事の番号だった。
笑顔が止まった。
「……見なかったことに、なんない?」
鳴り続ける。
ダニは唇を尖らせ、通話を取った。
「はい」
声は、もう仕事のものになっていた。
『緊急召集。警備応援の準備をお願いします。詳細は到着後に』
「了解。集合時刻は?」
返答を確認し、通話を切る。
鏡の中では、片方だけ着けたピアスが揺れていた。
「めんどくさっ……」
もう片方も着けた。
片方だけ置いて出ると、きっと、どこへ置いたか忘れる。
*
同じ頃、ヴィヴィアン・ジャオは、火から下ろしたばかりの肉を見ていた。
湖畔のキャンプサイトだった。
グリルから煙が上がり、椅子の横には、湯気の立つマグが置かれている。少し離れたところに停まったジープ・グラディエーターの荷台には、使い終えた道具がきちんと収まっていた。
肉を切る前に、端末が鳴った。
「……今かよ」
用件を聞く間、彼女はナイフを持ったままだった。
「分かった。戻る」
通話を切り、肉を一口だけ食べた。
うまかった。
それが、余計に腹立たしかった。
*
ダンのプリムス・バラクーダは、街外れの道を走っていた。
窓を少し開けている。
エンジンの音が路面から返り、その合間をラジオの声が流れていた。次の分岐を曲がれば、街の明かりがもっと遠くなるはずだった。
端末が鳴る。
彼は停められる場所へ車を寄せ、通話を取った。
聞き終えると、フロントガラス越しに、先へ続く道を眺めた。
「了解。向かう」
ラジオを小さくした。
しばらく待って車列が途切れると、車の向きを変えた。
*
ダニは結局、昼に履いた靴をもう一度履いた。
着替える時間が惜しかった。上から短いジャケットを羽織り、仕事の身分証だけをバッグへ足す。
部屋を出る間際、ミアへ連絡した。
『仕事に呼ばれた。あとで合流するから、先に始めてて』
すぐに返事が来た。
『えー。大丈夫?』
『まだ内容聞いてない。すぐ終わるやつだといいんだけど』
『無理しなくていいよ』
ダニは玄関で足を止めた。
『慰められる側が気を遣わない。ちゃんと行くから』
送ってから、ドアを閉めた。
ボクスターの幌を閉じたまま発進する。
昼とは違う曲を選んだ。音量も少し上げたが、最初の交差点までに下げてしまった。
気分が乗らなかった。
窓の外では、夜の店が明かりを点けていた。歩道を行く二人連れの女が、互いの服を見て笑っている。
今、本来なら、自分もあちら側だった。
信号が変わる。
ダニは先へ進んだ。
*
軍事サービスの事務所には、隣接した整備区画と車両の出入口があった。
ダニが駐車場へ入ると、黒いレクサスが先に停まっていた。隣の空きへボクスターを入れる。
エンジンを止めても、向こうの車からは低音が聞こえた。
マルコが窓を開けた。
「お前、その格好で来たのかよ」
「その格好のときに呼ばれたからね」
「また遊びか」
「見て。今日、かなり仕上がってない?」
ダニは片膝を軽く曲げ、ジャケットの裾をつまんだ。駐車場の明かりを受けて、唇とピアスが光る。
「ここ、事務所だぞ」
「知ってる。もったいないから、誰かに見せたい」
「はいはい、可愛い可愛い」
「二回言うと、雑」
彼女はバッグを取り、車を降りた。
マルコも降りる。昨夜とは違うシャツだったが、腕の収まり具合は同じだった。
「お前は?」
「食いに行くとこだった」
「昨日も食べようとしてたじゃん」
「人は毎日食うんだよ」
「そっか。大変だね」
「お前、俺を何だと思ってんだ」
「よく食べる人」
並んで入口へ向かう。
認証ゲートに身分証をかざすと、ダニエラ・トーレスの名が表示された。下に所属の文字が出て、扉が開いた。
Cerberus。
ケルベロス隊。
通い慣れた廊下を歩く間にも、ヒールの音が響いた。
マルコが隣で笑う。
「すげえ出勤音だな」
「分かりやすくていいでしょ」
「逃げてても場所分かるな」
「ついてこないでよ」
更衣室の前で別れ、彼女は自分のロッカーを開けた。
扉の内側には、小さな鏡が貼ってある。
その下に仕事用の服。
鏡の中で、ピアスが揺れた。
ダニはそれを外し、小袋へ入れた。ネックレスも外し、バッグの内側へしまう。
服を脱いで畳みかけ、少し考え、ロッカーの空いた場所へ置いた。
皺になりそうだった。
仕方なく、もう一度取り、ハンガーを使った。
黒いインナーへ腕を通す。布が肌へ沿い、昼間は見えていた肩も、細い腰も覆われていく。
靴を替えると、今夜二度目に、背が低くなった。
鏡の位置が少し高い。
ダニは背伸びして、唇の端を指で確かめた。
色は残した。
どうせあとで、また出掛ける。
*
準備室の扉を開けると、マルコがすでに椅子へ座っていた。
「女って、何で着替え長えの?」
「いったん可愛いの、しまってた」
「ロッカーに入んのか、それ」
「ちょっとはみ出た。で、何の仕事?」
「別の施設の警備応援。詳しい説明はまだ」
「何それ」
「だから、まだ」
ダニは椅子へ座り、机の上の資料を引き寄せた。
先方の受け入れ確認が済み次第、出動。
現地の警備体制が整うまでの臨時支援。
集合場所と準備すべき装備は書かれていたが、開始時刻の欄には調整中と出ている。
「始まってもいないじゃん」
「俺に言うな」
マルコが背もたれへ寄りかかった。
ダニは端末を見た。
友人たちは、もう店を決めていた。ミアは「今日は飲む」と宣言し、その下に、誰かが止める絵を送っている。
彼女は笑い、短く返事を入れた。
「何笑ってんだよ」
「女の子の話」
「混ぜろよ」
「嫌」
廊下から、別の足音が近づいた。
ヴィヴィアンが入ってきた。
髪を後ろでまとめ、薄い上着を片腕に掛けている。かすかに煙の匂いがした。
ダニが顔を上げた。
「隊長。何か焼いてた?」
「肉」
「いいな」
「一口しか食ってない」
マルコが口を開きかけた。
ヴィヴィアンが彼を見た。
「食いたいとか言ったら、先にお前を焼くぞ」
「まだ何も言ってないっすよ」
「顔が言ってる」
ダニは笑い、隣の椅子から自分のバッグを退けた。
ヴィヴィアンが腰を下ろす。
「ダンは?」
「まだ。せっかくなんで、あの人が来るまで休み扱いにしません?」
マルコが言った。
「お前だけ給料抜いとくか」
「もう働いてます」
「何を」
「待機を」
「続けろ」
ヴィヴィアンは資料を開いた。
やがて、ダンが入ってきた。
受付で受け取ったらしい別紙を持ち、全員を見回す。ダニのバッグ、マルコの食べ物の検索画面、ヴィヴィアンの表情へ順に視線が止まった。
「全員、いい休日だったらしいな」
「さっきまではね」
ダニが言った。
ダンは頷き、別紙を机へ置いた。
「先方の確認に時間がかかってる。出るなら装備を着けて待て、だそうだ」
ダニは天井を見た。
「それ、いちばん嫌なやつ」
*
装備区画は、事務所より明るかった。
壁際に並んだ架台の前で、ダニは片脚を持ち上げた。補助を受けながら足を入れ、膝を曲げる。
接続部が収まった。
腰、背中、肩。
確認の表示が一つずつ変わり、背中で固定具が締まった。彼女は息を吸い、胸元の当たりを指で調整した。
「左、少しきつい」
担当者が直す。
もう一度肩を動かすと、今度は引っ掛からなかった。
「うん。それで」
左右の固定を確かめ、腕を上げる。引っ張られる場所がないことを確認すると、次の表示へ目を移した。
マルコの方では、金属の軽い音が続いていた。
ヴィヴィアンはサーベル型のVEILソードを確認し、ダンは短銃身カービンを受け取っている。
ダニの手元には、M7が置かれた。
引き寄せ、所定の確認を終える。コンバットナイフ型のVEILソードも収めた。
グローブを着ける前に、頬へ落ちた髪を指で押し込む。
深い赤の爪が、黒い布の中へ隠れた。
「ダニ、背中、確認するぞ」
「お願い」
ダンが後ろへ回る。
留め具を確かめる手の動きを待ち、彼女も振り返った。
「そっちも見せて」
同じ箇所を確認し、手を離す。
「はい。今日もちゃんとしてる」
「そいつは、どうも」
ダンが戻ると、マルコが顔を向けた。
「俺も見てくれよ」
「見てるよ。すっごい肩幅」
「そこじゃねえ」
ダニは笑い、彼の背中へ回った。
確認する手は、迷わなかった。
四人とも、準備を終えた。
出動の連絡は、まだ来なかった。
*
待機室の時計は、見ても見なくても、同じ速さでしか進まなかった。
ダニは椅子に浅く座り、装備が当たらない姿勢を探した。どこへ寄せても、さっきまで着ていた服ほど楽にはならない。
机の上には、冷めかけたコーヒーがあった。
飲み口へ唇を当て、少しだけ傾ける。
「今日中に出るの、これ」
「向こうも今、決めてんだろ」
マルコが答えた。
「私も今、帰るか決めてる」
「決める権利あんのかよ」
「ない。だから、ずっと決まんない」
ヴィヴィアンが鼻で笑った。
ダンは連絡端末を見ていた。
別件の状況に更新が入ったらしい。だが、彼はすぐに画面を伏せた。
「まだ待機」
ダニは椅子の背へ頭をつけた。
「その四文字、今日いちばん聞いてる」
端末を開く。
友人たちの写真が届いていた。店の入口。グラスを掲げる手。ミアが、いつもより派手な服で笑っている。
ダニは画面へ顔を近づけた。
さっきまで泣いていたくせに、口紅はちゃんと直していた。
いいことだった。
『それ、私が一緒に選んだやつじゃん。可愛い』
送る。
ミアから、写真がもう一枚来た。隣の空いた椅子を指している。
『席、あるから』
ダニは少し口元を緩めた。
「何だよ」
マルコがこちらを見た。
「別に」
「また女の子?」
「うん。あんたがいたら、話がややこしくなるやつ」
「紹介しろよ」
「別れたばっかりの子に、面倒増やしたくない」
「何で俺が面倒なんだよ」
ダニは答えず、写真をもう一度見た。
返信を打ちかける。
そのとき、ダンの端末が鳴った。
彼は画面を見て、姿勢を変えた。
ヴィヴィアンも顔を上げた。
「来た?」
「別件だ」
ダンが通話を取った。
ダニは入力を止めた。
マルコが椅子から少し身体を起こす。
部屋の空調音が、急にはっきり聞こえた。
「場所は」
ダンが尋ねた。
返事を聞き、ヴィヴィアンへ画面を向けた。
NEXUM BioSystems。
施設名と、緊急支援要請の表示が出ていた。
「切り替えだ。こっちが優先」
ヴィヴィアンが立ち上がった。
ダニは端末を片手に、彼女を見た。
「最初に呼ばれた仕事も、まだやってないんだけど」
「だから、そのまま行けるだろ」
「そういう便利さ、いらない」
文句を言いながら、椅子から立つ。
M7を取った。
マルコもロングソードを収め、M1100を手にした。先ほどまで画面に出していた飲食店は、もう閉じられている。
ダンが短く連絡を返した。
「機体は出せる。搭乗口へ」
ヴィヴィアンが先に扉を開けた。
「行くぞ」
*
廊下を抜けると、外の音が近づいてきた。
ローターが回っていた。
ダニは肩の装備の位置を、開いた扉へ向かった。白い作業灯がコンクリートを照らし、その向こうでは、機体の影が細かく震えている。
風に短い髪が乱れた。
押さえようとして、手にM7を持っていることを思い出す。
マルコが先に乗り、振り返った。
「ほら」
差し出された手を、ダニは取った。
「迎え、二回目。今日、優しいね」
「日付変わってんだろ」
「じゃあ、二日連続」
マルコが呆れた顔をすると、彼女は片目をつぶった。
段差を越えて機内へ入り、指定の席へ腰を下ろす。背中を収め、固定具を留めた。
すぐ隣にダンが乗った。
ヴィヴィアンが全員を見て、搭乗完了を伝える。
足元で、振動が深くなった。
ダニは一度だけ、自分の端末を見た。
ミアへの返信は、まだ途中だった。
『席、あるから』
最後に届いた写真には、自分のために空けられた椅子が写っている。
一言だけでも送ろうとしたところで、隊内回線に確認が入った。
「……あとで」
ダニは端末を収め、応答した。
機体がゆっくり動き始めた。
赤い室内灯の下で、向かいのマルコが膝の上のM1100を持ち直す。ヴィヴィアンは外を見ていた。ダンの視線は、届き始めた情報の上を追っている。
ダニは座席へ肩を預けた。
冷たい風も、外の排気の匂いも、もう遠くなっていた。
代わりに、振動が靴底から身体へ伝わってくる。
機体が浮いた。
窓の外で、駐機場の白い明かりが下がっていく。その先に道路があり、車の光が流れていた。もっと遠くには、夜の店が集まる街区が見えた。
ミアたちは、今頃、次の曲で踊っているかもしれない。
自分の席も、まだ空けてある。
ダニは唇を軽く重ねた。
口紅の感触が、少し残っていた。
帰りに直すなら、バッグの内側の一本でいい。
彼女はM7へ手を戻した。
ローターの音が、夜の街の音を覆っていった。
Álfr Saga ― アールヴ・サーガ ― 義腕の騎士イリスと剣の女王をよろしくお願い致します。
今後、話しの進行状況により、私が制作中のAIイリス自身に髪、目、服の色、髪飾りなどを選んで貰ってキャラクタービジュアルに反映致します、またラストまで大筋の物語は決定していますが、作中のオフの日の過ごし方やイリスならどう戦うかなどを話し合って本人に決めて貰う予定です。




