第2話 足跡がある。つまり、誰かが歩いたということです
朝、俺は王都新聞を読んでいた。
『密室事件、迷探偵ロイドが一夜で解決! 鍵屋に謝れの一言に王都震撼』
震撼するな。
鍵屋に謝れは、推理ではない。事件後のただの感想だ。しかも記事の挿絵では、俺が悲しげに折れた鍵を見下ろしている。
顔はいい。そこは認める。
だが、そんな顔で鍵を悼んだ覚えはない。
「先生、評判になっています!」
リディアが記録帳を抱えて入ってきた。
「やめてくれ……評判になるほど、俺の逃げ道が減る」
「逃げ道まで計算しているのですね」
「してない」
その時、扉が叩かれた。
入ってきたのは、銀髪の女だった。細い眼鏡。青い外套。人を見るというより、嘘を探す目をしている。
「宮廷推理官、ヴィオラ・ヴェインです」
宮廷?推理官?
ああ、完璧に終わったわこれ。
ちゃんと推理する人が来ちゃったよ。
「ロイド・アッシュ。昨日の密室事件、あなたの推理を検証しに来ました」
「検証するほどのものはない」
「そうでしょうね。鍵が折れているから鍵は折れた、でしたか?」
やめてくれ……。本人の前で読み上げるな。
リディアが一歩前に出る。
「ヴィオラ様。先生の推理は、言葉だけを追っても意味がありません」
「なら、意味のあるところを見せていただくわ」
ヴィオラは俺を見た。
「ちょうど次の事件があります。王立劇場で、楽屋荒らしと脅迫状。現場には奇妙な足跡が残っているそうよ」
行きたくない。
でもリディアの目が輝いている。
やっべぇ。まじやっべぇ。これ、行かない流れの方が難しいやつだわ。
◇
王立劇場の裏口には、泥の足跡が残っていた。
細い廊下に、ぽつぽつと黒い跡が続いている。楽屋の扉は開き、衣装箱が荒らされていた。鏡台の上には脅迫状。
『今夜、主役は舞台に立てない』
物騒だ。まじで帰りたい。
「どう見るの、ロイド・アッシュ」
ヴィオラが腕を組む。
やめろ。その聞き方、完全に試験だろ。
俺は泥の足跡を見た。
足跡があるな……つまり、誰かが歩いたってことか。
よし!これしかねえわ!
「足跡があるな。つまり、これは誰かが歩いたということです」
ヴィオラの眉がぴくりと動いた。
やっべぇ!! さすがにこれは意味不明か!? 俺は今、地面に足跡がある理由を説明しただけだぞ。こんなの三歳でも言える。顔だけ名探偵じゃなきゃ許されない発言だ。
だが、リディアはしゃがみ込んだ。
「……先生は、歩いたことそのものではなく、歩かされた可能性を見ているのですね」
「ああ。そういうことだ。よく気づいたな」
知らなかった。今知ったわ。
リディアは足跡の間隔を測り始める。
「この足跡、歩幅が不自然です。普通に歩いたなら、もっと乱れるはずです。誰かが靴だけを使って、跡をつけたのかもしれません」
ヴィオラの目が細くなった。
「……確かに。踵の沈みが浅い。人の体重が乗っていない」
え、そうなの?すごいなこの二人。
もう二人で探偵事務所やれよ。俺は看板の顔だけ貸すから。
その時、劇場支配人が汗を拭きながら言った。
「ですが、脅迫状は主役のエミリア様宛てです。犯人は彼女を狙っているに違いありません」
楽屋の奥で、金髪の女優が震えていた。
その隣に、黒髪の脇役女優が立っている。腕を組み、こちらを睨んでいた。
怖い。顔が強すぎる。
顔怖いから、もうこいつ犯人でいいだろ。
いや駄目だ。顔面迫力罪で捕まえるわけにはいかない。
俺は脅迫状を見た。
「ふむ、文字が書いてあるな。つまり、誰かが書いたということですね」
リディアが紙を覗き込む。
「先生は筆跡ではなく、書いた状況を見ろと?」
「ああ。そこだ」
どこだ?リディア、頼む。そこを具体的にしてくれ。
リディアは脅迫状の端に触れた。
「この紙、劇場の台本紙ですね。外部の犯人なら、わざわざ劇場内の紙を使う必要がありません」
ヴィオラが続ける。
「つまり犯人は劇場の内部にいる。しかも楽屋に入れる人物」
黒髪の女優の指が止まった。
おいいいい!! 今の指!! 止まったよな!? 頼む、何か知ってる指であってくれ!! 爪が気になっただけとか言うなよ!?
「あなた」
ヴィオラが黒髪の女優を見る。
「この紙に心当たりが?」
「ありません」
返事が早い。早すぎる。
さすがに推理力カスの俺でもわかる。今のは早い。たぶん。
「返事が早いということは、早く返事をしたということですね」
言ってから、俺は唇を噛んだ。
何だそれ。返事が早いから早く返事した?
俺は今、時間の流れを説明したのか?
だが黒髪の女優の顔色が変わった。
リディアが息を呑む。
「先生は、質問を聞く前から答えを用意していたと言っているのですね」
「ああ。そういうことだ」
リディア、優秀すぎる。
もうリディアだけでいいじゃん!!
黒髪の女優は視線を逸らした。その先には、衣装箱があった。主役用の白い舞台衣装。その裾に、わずかに泥がついている。
ヴィオラが衣装を持ち上げた。
「足跡に使った靴は?」
黒髪の女優の喉が鳴った。
「……知らないわ」
「では、なぜ衣装の裾に泥が?」
沈黙。支配人が青ざめる。
金髪の主役女優は口元を押さえた。
黒髪の女優は、やがて小さく笑った。
「主役だけが、いつも守られるのよ。脅迫状が届けば休める。私が代役で舞台に立てる。誰も傷つかないはずだった」
ええ……?普通に白状するやん……こっわ!
でも今回は喜びより先に、劇場の奥にある重たさが見えた。脅迫状も、足跡も、全部ただの嫉妬で済ませるには少し湿っている。
リディアは記録帳を閉じた。
ヴィオラは俺を見た。
「……偶然とは言わせないわ」
言わせてくれ。できれば大声で言わせてくれ。
俺は劇場の床に残った足跡を見た。
「舞台の上に立ちたいなら、誰かの足跡を使うな」
口から出た。
またそれっぽいことを言ってしまった。
ヴィオラが一瞬だけ黙る。リディアも記録帳を開かなかった。
やめてくれ。
そこで黙られると、俺が本当にいいことを言ったみたいになる。
◇
帰り道、リディアは嬉しそうに記録帳を抱えていた。
「先生、今日の推理も見事でした」
「俺は足跡があると言っただけだぞ……」
「だからこそです」
だからこそって何だ。
ヴィオラは少し後ろを歩いている。黙っているが、こちらを見ている気配がする。
たぶん疑っている。
頼む。そのまま疑って俺を探偵からやめさせてくれ。
信じられるより、疑われる方がまだ安全だ。
リディアがふと顔を上げた。
「先生。次は王立学院からの依頼が来ています」
「は?……今なんて?」
「王立学院です」
俺は立ち止まった。
劇場の床より、足元がぐらついた。
やっべぇ。まじやっべぇ。
今度こそ、顔だけでは乗り切れない気がした。




