イレギュラーサイン
「やっぽー。んじゃ、今日もダンジョンがんばりまーっす」
『待ってた!』
『やっぽやっぽ』
『相変わらず可愛い!』
『今日から上層挑戦だっけ?』
「あ、そだよー。今日は最上層のボス倒してー、上層下見って感じ」
ドローンカメラに向かって声をかければ、ARレンズに表示されたコメントが次々と流れていく。それらを確認しながら今日の目的を改めて伝えたのは、姫屋 奏星。
流霞の言う〝スクールカーストトップギャル〟であった。
ギャルらしいどこかふてぶてしさもありながら、しかしダンジョンアタックではストイックさも見せつけるという彼女のダンジョン配信は日々着実に視聴者数、チャンネル登録者数を増やしている。
今の視聴者数は58人。
お世辞にもまだまだ多くはないのだが、ダンジョンアタックを始めて一ヶ月ほどでそれだけの人数がいるというだけでも、配信界隈では有望株と言える。
そもそも同時視聴者が数千だの数万だのなんてものは、極一部の者たちだけだ。
人によっては一桁も珍しくはないような世界で、たかだか一ヶ月程度、その短い期間でファンと呼べるような人たちを掴んでいるだけでも、充分に素質があると言えるだろう。
故に、何かきっかけがあればバズり、必然人気も出るだろう、というのが視聴者たちの共通認識でもあった。
1階層のレッサースライムや2階層のミニボア、そして3階層のゴブリンを倒しながら進む奏星の手には、彼女の魔装である金色の柄がついた細剣。
服装はオシャレなスポーツウェアの上に半袖のパーカーを羽織るような形だ。
「――っし!」
鋭く息を吐きながら突き出す細剣がゴブリンの肩口を突き刺し、ぐるりと身体を回転させながら細剣を斜めに振って斬り捨てる。
金色の長い髪が舞う向こう側でゴブリンが倒れた瞬間、ARレンズに映ったコメントがかなりの速度で流れていった。
『相変わらずお見事!』
『最上層なんて余裕っしょw』
『さすが!』
『綺麗過ぎて惚れる』
「あはは、みんな褒めすぎだって。さすがに素手ゴブ相手に苦戦はしないっしょ」
『そうでもないぞ』
『素手だからって油断して掴まれると厄介』
『実際初心者で素手ゴブに引っかかれて結構な怪我をする子も多い』
『カナっちは軽やかに動けてるから大丈夫だけどねw』
「あー、ね。コイツら掴んでくるからウザいよね。そろそろあーしも髪縛ろっかな」
長い髪を揺らして戦うというのは、なかなかにリスクだ。
掴んで引っ張られれば身体のバランスを崩すことになるし、何より、自分の予期せぬタイミングで重心がズレることになる。
そうした危険性を訴える視聴者たちのコメントを、奏星はしっかりと受け止めている。
早速とばかりに腕に巻いていた髪ゴムを使って髪をポニーテールにするように縛りつつ、しばしコメントと談笑しつつも、奏星はしっかりと周囲を見回した。
「んー……?」
『どした?』
『ポニテっていいよね』
『ドローン、うなじ映そう。きっと視聴者増える』
『なんかゴブ多くね?』
「うなじで視聴者増やそうとすんなし。ってか、そう、それ。なんかゴブ多くない?」
『最上層って基本、出てきても一匹か二匹だよな』
『え、カナっちってド田舎ダンジョンだっけ?』
『東京だと過疎化してないはず』
『ちょっと待った。カナっち、ダンジョン苔アップにして』
「ダンジョン苔? ちょい待ち」
コメントの中にあった奇妙な注文は、奏星にも意味は理解できなかった。
とは言え、何やらおふざけの一環で送られてきているようなコメントとは違い、何かを確認するようなものであったため、奏星もその注文に従うようにドローンに指を向け、壁を映すようにくいっと指示を送る。
ダンジョンドローンが奏星の指示の通りにダンジョン苔を映し始めると、俄にコメント欄が騒がしく動き始めた。
『綺麗』
『この青白い感じいいよね』
『いや、なんか暗くなったり明るくなったりしてね?』
『は?』
『画質調整のせいじゃなくて?』
「あ、うん。なんかぼんやり明るくなったり暗くなったりしてるけど」
『やば』
『マズい』
『イレギュラー!?』
『ダンジョン苔の光が変なのはイレギュラーサイン!』
『カナっち逃げて!』
「は? え、何それ、イレギュラーサインってどゆこと?」
コメント欄が告げる警告の数々。
理解が及んでいない奏星は、ダンジョンに関してもっとしっかりと学んでおくべきだった。
ダンジョンで稀に起こる、本来ならその階層に現れないはずの上位の魔物が現れるという、文字通りのイレギュラーな事象。
そうした際に、ダンジョンの内部には層によって〝イレギュラーサイン〟と呼ばれる奇妙な現象が起こり、探索者たちはそれを見て異常事態に気がつき、避難し、救援を依頼するのが一般的だ。
イレギュラーな魔物は一般的な個体に比べて強化されていることが多い。
その階層が適正の探索者にとっては、明確に格上な魔物が現れるということを意味する。
だから、奏星は本来、早急に逃げるべきだった。
コメントに疑問を抱くよりもまず先に、安全なポイントへと向かって走るべきだったのだ。
――何かの気配が膨れ上がり、奏星の身体が凍りつくように固まった。
奏星のいる通路の先、曲がり角から聞こえてきた重い足音。
気付かれたらマズいと本能的に察して、奏星が悲鳴を押し殺すように自分の口を手で押さえて、息を呑む。
『いる』
『逃げて!』
『馬鹿、下手に動いたら見つかる!』
『でた』
『見えた』
『ホブゴブ?』
コメントに視線を意識を向ける余裕など、奏星にはなかった。
ただただ、曲がり角から現れた灰色の肌をした大人の男性サイズもあるゴブリンと、その手に持った長大な刃の欠けた剣は、すでに探索者を傷つけてきたのか赤い血を滴らせている。
そんな存在の登場に、目を見張っていることしかできなかった。
『なんか色おかしい』
『まずい』
『灰色のホブゴブ!?』
『こんなん上層探索者でも苦労するレベルじゃん!』
『嘘だろ。グレーホブゴブリン、レベル2のパーティ推奨魔物だわ』
『やばいやばいやばい』
『気付いてない! ゆっくり動けば逃げれるかも!』
コメントだけが、ただただ次々に流れていく中で、奏星は死を実感していた。
肌で感じる、濃密な殺意。
魔物なんて怖くないと、強くなって倒してやると息巻いていた己が、あまりにも浅はかで愚かだったと後悔しそうになる。
ガクガクと震える身体は強張っていて、たった一歩踏み出すことすら難しく思えた。
だが幸いにも、グレーホブゴブリンは奏星には気が付いていないようで、前方の通路を真っ直ぐ進もうとしている。
――気付かないで、そのまま、真っ直ぐ行って……!
奏星が願うように胸の内で叫んだ、その時だった。
「――うわああぁぁぁっ!?」
その悲鳴は奏星の背後から聞こえてきて、グレーホブゴブリンがゆっくりと奏星に振り返り、お互いの視線が交錯する。
それはただ偶然、奏星の後ろに出てきた探索者の若い男が、グレーホブゴブリンを見てあげた声だった。
イレギュラーサインに気が付き、慎重に退避しようとしていた最中に運悪くその場に出くわし、恐怖から反射的に出たといったところか。
本来であれば、結果としてイレギュラー個体の注目を浴びてしまうことになった以上、その張本人が逃げて運良く助かるか、あるいは、そのツケを己の命で払うしかない。
だが、最悪なことに声をあげた男とグレーホブゴブリンの間には、奏星がいた。
『最悪』
『フザけんな!』
『はい戦犯』
『晒せこのアホ!』
『それどころじゃないって!』
『マジで逃げて!』
コメントが荒れる。
そんなコメントにようやく気が付いて、奏星は深く深呼吸した。
強張り、固まった身体に血が流れていくようにじわりと感覚が戻っていく。
――あぁ、そうだ……。こんなとこで死ねない、びびってらんない。
顔をあげて、奏星は身体を解すように動かしてから、思考を巡らせた。
逃げる――無理だ。
グレーホブゴブリンという存在はレベル2以上の身体能力を持っている。
つまり、レベル1でこの距離から逃げるのは不可能だ。
ならば――抗うのみ。
最上層ならば救援の到着も早い。
せめて勝てなくても、時間さえ稼げれば充分に生き残ることができる。
短く思考を巡らせて、奏星は自らを奮い立たせる。
「――こんなトコで、死んでたまるか……! 相手になってやんよ!」
恐怖を振り払うように叫んだ奏星の声は、僅かに震えていた。
けれど、まったく動けずにいたつい先程までに比べれば、ずっと身体は軽かった。




