第5章 プロローグ
「――何を馬鹿なことを……!」
明らかに苛立ちが混じった声が鳴り響き、その声の主の周囲にいる者たちは思わず何事かと声の主へと顔を向けた。
周囲から視線を向けられたのは、棗 惣治郎。
探索者協会で働いている三十代前半の、無精髭が生えた男だ。
先日の〝金銀花〟に対する騒動によって、探索者協会内では組織の変革が必要であると命じられ、様々な部署が解体、統合されることになった。
その結果、『東京ダンジョン特別対策室』という、『魔物氾濫』対策などの緊急事態に対応するための新たな部署に異動し、その室長という聞き慣れない管理職に選ばれた男である。
新たな部署での慣れない仕事の日々、今までの杜撰な管理体制の尻拭い、そうした諸々が降りかかる形となったためか、疲労が溜まったような、生気すら感じられないような顔をしていた男が目を大きく剥いて叫んでいた。
「安房地域の奪還は現実的ではないと何度も申し上げたはずだ! 確かに極小範囲ではあるが、〝ダンジョンブレイク〟によって魔物が溢れた地域の魔物の強さは、それこそ蠱毒で育った異常進化個体と同等――いや、それ以上の力があることはご存知でしょう!?」
《棗室長、あなたは何かを勘違いしていらっしゃる。これは意見を求めているものでもなければ、議論をするための電話でもない。上層部の決定を通達しているのです》
惣治郎は周囲の目を気にせず、切々と訴えた。
しかし、事務用電話の受話器から聞こえてきた声は聞く耳を持たないようで、それが〝上〟の決定であるの一点張りで会話にならない。
――ったく、お役人はこれだから……っ!
惣治郎は込み上がる苛立ちに歯を食い縛り、懸命に声を押さえながら続けた。
「……ッ、馬鹿げた話だ。こんなものを大手クランに出したところで、どこも受理などしませんよ……!」
《大手クランでなくとも、それなりに功績が欲しい中堅クランは多くいるでしょう?》
「言い方は悪いですが、中堅クランと呼ばれる場所は大抵が突出した戦闘能力のないクランばかりです……! 〝ダンジョンブレイク〟した場所に中堅クラン程度の戦力を送り込んでも蹴散らされるのが関の山だ……!」
《何を仰っているのです。いるではありませんか、異常進化個体すら倒してみせた、新人探索者が》
「は……?」
《先日の全国新人探索者パーティ対抗戦で、かのケイヴタイラントの群れ、そしてその異常進化個体、プリマトゥスとやらを討伐した高校生グループですよ》
「な……ッ!? 馬鹿を言わないでいただきたい! 高校生を〝ダンジョンブレイク〟した地に――領土奪還作戦に参加させるなど、聞いたこともない!」
ダンッ、と机を殴りつけて立ち上がった惣治郎の声に、同室にいた者たちも何が起こったのかを薄々と察した。
第23回、全国新人探索者パーティ対抗戦で〝金銀花〟というパーティが異例の強さを見せつけ、活躍してみせた。
切り抜きの動画も含めれば凄まじい再生回数を記録しており、海外でも〝金銀花〟のレベル3探索者とは思えない実力に対して、本当はレベル5の探索者なんじゃないのかだの、日本人は童顔だから年齢が分からないだのと、フェイクを疑うようなコメントなども多く出回っている。
それだけの話題性があるからこそ、厄介な者たちの目についてしまったのだろう。
しかし、〝ダンジョンブレイク〟した土地は危険が段違いだ。
そんなところに未成年の、それも高校生を連れていくなど非常識な話であるのは確かだ。
それらを加味した惣治郎の叫ぶような訴えも、電話越しの相手は意にも介さない様子で淡々と無感情に続けた。
《安心していただいて大丈夫ですよ、棗さん。あくまでも〝金銀花〟の子を含め、有能な若手に前線で活躍してほしい、などとは思っていません。若い世代には後方支援組として参加していただきたいのです》
「……どういう、ことです?」
《領土奪還作戦は、我が国にとっても悲願です。だからこそ、可能性のある若手に現実を知っておいていただきたいのです。その上で、いずれは挑戦することも含めて、そもそもあの地獄に踏み込めるだけの覚悟があるのかどうか。それを測っておきたいのです》
「……ですが、それは何も解決ではないでしょう! たとえ若い世代が無事でも、内部に挑む中堅の探索者たちの被害は……!」
《棗さん、それは探索者たちの意思次第の話です。栄光のために、名誉のために死地へと向かうというのなら、我々に止める権利はありません》
「っ、そちらには関与しない、と……?」
《はい。非情なことを言いますが、それはもう個人の責任でしょう》
はっきりと断定されて、惣治郎は内側から込み上がってくる罵倒の言葉を呑み込んだ。
電話越しの相手の言い分は、ある意味で非情に、けれど道理ではあるのだ。
探索者という職業柄、栄誉や名誉のために命を懸けるという者は一定数存在している。
いや、相応にレベルが上がっている探索者であるからこそ、その辺りの感覚が麻痺してしまっている者もいる。
ましてや、今回の提案は領土奪還作戦。
要するに『魔物氾濫』によってダンジョンから魔物が溢れたことを〝ダンジョンブレイク〟と言い、魔物の住処となってしまった地域の奪還を目的とする作戦だ。
故郷を取り戻したいと考える者も、名声を手にする絶好の機会と考える者もいるだろう。
惣治郎は探索者協会の職員だ。
探索者協会は基本的にどの国にも所属していない、という建前はあるものの、その代わりに国からの要請には極力応える必要がある。
それが領土奪還作戦や、『魔物氾濫』対策などであるならば、探索者協会に断れる道理はない。
電話越しの相手は政府の役人。
淡々と無感情に話してはいるものの、ここで惣治郎が断ろうが、担当者が交代することになろうが、すでに国として領土奪還作戦を実施する意向が固まっているのであれば、誰かが代わりにやるだけの話に落ち着く。
――だったら、ここで俺が条件を取り付けるしかねぇわなぁ……、
先んじて職場を去って行った後輩がいるクランの、若き探索者だ。
この前の大会でも充分に活躍し、これからの未来を担っていく新星とも言えるような少女たちを、こんな無茶な作戦に参加させなくてはならないというのは心苦しい。
だから、惣治郎は意を決して深呼吸した。
「――我々探索者協会にとっても、彼女たち〝金銀花〟は注視している探索者です。無論、彼女たちだけではなく、探索者を守ることこそが探索者協会の本懐でもあります。領土奪還作戦の重要度は重々承知していますが、未成年者が作戦に参加するのであれば、最低限条件を呑んでいただかなくてはなりません」
《……いいでしょう、伺いましょう》
――霧島のヤツにどやされるかもしれねぇが、せめて無事に帰って来れるようにはしねぇとな。
そんなことを考えながら、惣治郎は領土奪還作戦における作戦内容と各スケジュール、条件を確認しながら、〝金銀花〟や若い探索者たちを少しでも安全な場所に配属させるよう、交渉を開始したのであった。




