中層13階層の洗礼 Ⅳ
先日、『明鏡止水』で行われた身体能力の検査中に聞かされた、流霞の身体能力の高さと『常魔値』の関係性。
その際に耳にした詳しいことや難しいことは、流霞には分からない。
そもそも流霞はその話をしている最中は体力測定されている真っ最中でもあり、後で軽く聞かされた程度だったので。
ともあれ、流霞は「要するに魔力を増やせば身体能力が高くなる」という、シンプルなものとして認識していた。
魔力を感知すること、操ることは、【魔力感知】というスキルが存在して初めて『第3世代』のダンジョン因子が働いたように、実はダンジョン因子とは密接な関係にあり、それが前提となっているとも言える。
流霞が使う重力操作のような〝独自魔法〟においても同様で、それができなければそもそも〝独自魔法〟を使うことすらできなかったりもする。
その点、流霞は〝独自魔法〟の腕前だけで考えれば、おそらくこの世界でも上位にいる程度には馴染んでいると言えるだろう。
そもそもスキル拡張という方向性しか知らなかった〝虎〟にとっても〝独自魔法〟という存在は物珍しいもの――同時に、取るに足りない技術という認識でもあったが――であったことからも、表の世界だけではなく、〝裏〟の世界であっても知られていないことは窺える。
要するに、〝魔力の扱いが上手いこと〟と、それに加えて【凶禍酔月】――厳密には、〝適合反動〟の経験というものが、流霞の身体能力強化には関係していた。
先日、『指定ダンジョン』で〝適合反動〟によって暴走状態に陥ったが、その際の流霞の身体能力も、今とは比べ物にならない程に大きかった。それこそ、〝虎〟が傷を追いながらも中層を上ってくることになったのは、流霞の身体能力が想定以上に高すぎたせいでもあった。
ただ、当の流霞には当時の記憶は朧気なものしか残っていない。
だが、流霞の身体の異常な『常魔値』の高さは、その時に肌で学び、感じた自前の身体能力を強化した際の残滓として、魔力を活用するという経験が刻み込まれ、残っていた。
だからこそ、奏星と美佳里に比べて、流霞だけが飛び抜けて身体能力が跳ね上がる結果となっているのだ。
そうした背景もあるからこそ、流霞はこの状況で身体能力の強化方法を朧気ながらに掴んでいた。
こうした要素を持つ流霞だからこそ、【魔法:身体能力強化】とでも言うような真似が出来たからこそ、この戦いは成り立っていた。
プリマトゥスの、異常進化個体が手に入れたスキルによって、群れ全体が強化されているという厄介な集団。
その長である個体と、無手で対等に渡り合うという荒唐無稽な光景が、ドローンに映し出される中、両者の戦いは激しい応酬へと変化していた。
業を煮やし、プリマトゥスが咆哮をあげて流霞を叩き潰そうとして振り下ろし、地面に拳を叩きつけた。
同時に、流霞が【朧帳】から【潭月鏡身】を発動させて幻影を放出し、本体がプリマトゥスの頭上に出現したのをドローンが捉えた。
困惑して周囲を見回したプリマトゥスの頭上で前回転でくるくると回りながら、重力を操作して加重――加速してプリマトゥスの頭に踵落としを叩き込めば、強烈な音を立てながら衝撃が周囲に放射状に広がる。
それでも、プリマトゥスという魔物は打撃には相当耐性があるようで、簡単に倒れはしない。
ぐらりと体勢を崩しかけながらも、流霞を捕まえようと手を伸ばし――その手へ、【潮汐破断】の赤い霧が襲いかかる。
高速で連続する甲高いジジジジジッ、という奇妙な音を立てて、プリマトゥスの左手、その人差し指と中指の付け根を破裂させた。
「きひひひっ! 威力は弱まるけど、ダメージは通っちゃうねぇ!」
自由落下していた流霞の身体が、くん、と落下方向を変えて痛がるプリマトゥスの顔面へ真っ直ぐ向かっていく。
それに気が付いたプリマトゥスが必死に屈むと、プリマトゥスの首のあったその場所を、遅れて流霞と赤い霧が通り抜けた。
『惜しいいいい!』
『いけえええ!』
『え、こわ。首真っ直ぐ狙ってんじゃん』
『すげえ、あの巨体蹴りで怯ませるとか』
『きひ子ちゃんやっぱヤベーわ……』
『もうあの笑い声で赤い霧とか出てくんの、下手なホラーよりホラーなんよ』
コメントではすでに勝利を確信したかのように盛り上がっていて、誰一人としてネガティブなコメントは打っていないようにも思えた。
公式放送では周郷が白目を剥いて限界化していたりもするが、それはさて置き。
そんな中、戦っている当の本人である流霞だけは、獰猛に笑いながらもその実、この状況ではジリ貧であることを悟っていた。
――本気で攻撃しても、足りてない……。
プリマトゥスに叩き込んだ攻撃は、流霞が一対一のこの状況で叩き込める最大の打撃だ。
こうして打ち込むことで多少なりともダメージは通っているのは間違いない。
普通に考えれば、この調子で攻撃を仕掛けていれば倒せると考えても良いのかもしれない。
だが、そうはいかない理由があった。
ちらりと流霞が視線を送った先は、今しがた【潮汐破断】で傷つけた場所。
その場所の傷口は、すでに血が止まって塞がりかけている。
あまりにも自己治癒能力が高すぎるのだ。
超再生と言うには遠いが、しかし有り得ない速度で傷が塞がっている。
硬い毛と分厚い筋肉の鎧に覆われ、耐久力も高い上に自己治癒能力まで高いとなると、じわじわと削るような戦法は無理がある。
勝負をつけるのであれば、高火力で一発、さっさと勝負をつけるしかない。
だというのに、プリマトゥスを覆った障壁がそれを許さない。
攻撃力を底上げするロッドでは攻撃が通らず、【潮汐破断】による傷も浅く傷つけるのが関の山だ。
ちらりと見れば、奏星と美佳里も激しい戦いの中に身を投じており、複数のケイヴタイラントを倒しながらも、しかし数に押され、どうにか戦線を維持しているのが見えた。
援護はそう簡単に入らない。
それどころか、このままでは下手をすれば、奏星と美佳里が押しきられることも考えられる。
――……大丈夫。奏星なら、ミカミカなら、きっとまだ耐えられる。数はかなり減っているし、大丈夫なはず。
意識を切り替えて、流霞はプリマトゥスを睨みつけた。
さすがに何度も殴られ、蹴りを入れられて苛立っているらしいプリマトゥスが、地響きのような唸り声をあげて流霞を睨めつけていた。
その姿に僅かに口角をあげてから、流霞が一度空を仰ぐように顔をあげた。
「すぅ……、はあ……っ!」
深く息を吸い込んで、視線を戻すと同時に鋭く息を吐いて、大地を蹴る。
初速からトップスピードに入るような、そんな勢いで流霞は再びプリマトゥスへと肉薄した。
いつもの自分とは違う速度で戦うことにはまだ慣れていない。
身体能力が上昇し、移動速度や腕の振りなど、力を入れ、振りかぶり、振り下ろすという動作も含め、その全てのタイミングが大幅にズレてしまうのだ。
そんな感覚のズレをどうにか調整して、慣れないながらも水増しした能力を維持しつつ、プリマトゥスに対してヒットアンドアウェイの要領で攻撃を仕掛け続ける。
だが、身体のあちこちに下手に力を入れてしまっているせいか、負荷も大きい。
それでもどうにか形になっているのは、孤児院で物心ついて間もなくから戦闘訓練を受けていたおかげだろう。
重力を操作して加速したり減速したりという行動もそうだが、それらをするために日常的に十全の力を使いこなす必要がある。
そういったことを無意識にこなせるだけの経験があった流霞だからこそ、今の強化状態においてもどうにか形になっている、というレベルだ。
もしもこれが流霞ではなく、美佳里のようにあまり身体を動かしてこなかった者が行っていたのであれば、大幅な身体能力の強化に対して判断力と思考力、それに反応速度といったものが追いつかず、使い物にならなかった。
「――ふ……ッ!」
プリマトゥスの振るった巨大な腕が、鞭のようにしなって流霞を襲う。
歩幅を小さくすることを意識して小刻みに動き、即座に重力の方向を変えながら素早く飛んで回避した流霞が、横合いからプリマトゥスの脇腹に向かって突っ込んでいく。
しかし、さすがに流霞を一撃で仕留めるのは難しいとプリマトゥスも学習したようで、突然そこにプリマトゥスの肘が差し込まれ、動きが阻まれた。
その判断を前に、流霞は止まらない。
両手の指、爪を立てるように広げながら、赤い霧を残して駆け続け、高く跳び上がる。
「――あ、たれええぇぇぇッ!」
空中で両手を交差させるように斜めに振り下ろせば、赤い霧が三日月状になって飛び出した。
これまで流霞が見せてきたのは、【潮汐破断/下弦】。
手元でのみ分子破壊を引き起こすというものだけで、せいぜい多少リーチが伸びる程度のものだけだった。
ここにきて流霞が選んだのは【潮汐破断/上弦】、つまり、遠距離攻撃という選択肢であった。
想定していなかった動きに、プリマトゥスがぎょっと驚愕したように目を見開いた。
回避は間に合わず、仕方なく受け止めるという選択をしたようで、腕を差し出してそれらを受け止め、ジジジジジジジッ、と甲高い独特な音を立てながらプリマトゥスの腕を抉って弾けた。
腕の痛みにプリマトゥスが叫びながら身を捩った、その瞬間。
流霞はその動きを、プリマトゥスの視線が自分から外れた、その一瞬を見逃さなかった。
その場で【朧帳】を発動して、姿を消す。
プリマトゥスも、何度か【朧帳】を見たおかげか、それにあっさりと惑わされることはなかった。
周囲を警戒するように周りを見て、飛び出してくるタイミングを見計らい、反撃に出ようと身構えた。
――――それが、《《間違い》》だとも知らずに。
「――きひひっ、がら空き!」
「っ、るかちー!?」
次の瞬間、流霞が奏星と美佳里を囲んだケイヴタイラントの背後から姿を現した。
驚愕の声をあげる美佳里とは裏腹に、口角をあげて笑っていた奏星が、ぱちん、と指を鳴らした。
直後にケイヴタイラントたちは奏星の〝焼失〟の炎に一斉に包まれ、流霞がそれに合わせたかのように、【潮汐破断】でケイヴタイラントの生き残りを回転しながら斬り裂いて、滑るように着地しながら奏星と並んだ。
「――奏星」
「――分かってる。あーしが厄介な障壁を焼く」
状況をようやく察したプリマトゥスが動くよりも早く、流霞と奏星が並んで一斉に駆け出し、左右に分かれた。
「――ったく。あーしには指示もないのかよ、っと!」
苦笑しながらスナイパーライフルを構えて、美佳里が笑う。
戦況は一気に傾き、終局へと加速した。




