76話 足るを知る者は富む
「ふん。残虐王の慈悲ってのも碌なもんじゃあるまいよ」
とことん小賢しい男だ、数歩下がったニースはイリナ姫の傍に位置取りをしている。姫を殺すわけにいかない俺たちはそうされれば集中砲火できないと知っているのだ。俺は攻撃を準備していた亜人たちに下がって様子を見ているように手を挙げてジェスチャーで伝える。
わずかに時間を稼いだニースの身体から爆発的にマナが巻き起こって周囲の空間を包んだ。
「死の世界の祝福を」
どこからともなく吹雪が巻き起こり一面が白面の世界となった。白い靄が舞い降りて視界が封じられた。ニースたちの姿が見えなくなった。これでますます下手な攻撃はできなくなった。もとより俺も銀世界に取り込まれ、味方の亜人に指示を出すこともできなかったが。
これは結界魔術、自身に有利なフィールドを作り出す特殊な魔術だ。すぐさま守護壁を炎属性で強化してそれに対応した。気功でも軽減はできるが、あまり長くはもたない。強い炎属性の防御手段も持たなければ数分もすれば戦えなくなる、それほどの温度操作だった。
ここでイリナ姫がどう動くかが問題だ。彼女が得意な炎はニースと相性が悪いが、水系統を使われると危険だ。ここに空中から水の滴を放つと、それは瞬時に凍りつき散弾となって襲いかかるのだ。過去によく協力魔術を使っていた。
あまりの冷気でマナが乱れ、流れがひどく鈍かった。吐く息までも白く凍りついていた。氷か炎、あるいは時空間属性以外の魔術は役に立たないだろう。残虐王本人による魔術合戦ならば本来負けるはずがない。しかし俺は彼ほど優れた魔術師ではない。いざという時の術式選択、最強の魔術師に比べれば劣るのは当然だ。
だが考えても仕方がない。さすがに彼我の恩寵量が違いすぎる。残虐王の守護壁を突破するにはアレーテイアの技術が必要だ。だからおそらくは接近戦を仕掛けてくるはずだ。
シュッと影が横切り、足元にこつんと筒状の物体が転がった。筒状の物体には無数の穴が開いている。それは光と爆発音とともに金属片をまき散らす。すべてに守護壁無効化が付与されている。
俺もニースの魔術を利用して、氷魔術で体を覆うほど大きな氷柱の盾を生み出した。氷に金属が食い込み削っていくが、問題なく耐えきった。
ニースが仕掛けるとしたらここだ。
吹雪の音で視覚も聴覚も封じられる中、かすかに上空からマナが集まっているのを捉えた。目を凝らして頭上を見つめる。白い靄を貫いて無数の氷柱が降り注ごうとしていた。
半円を描くような足さばきで身体を捻る、寸前に顔があったところを氷柱が通過していた。ガシャン! と氷が砕け破片が飛び散る。続く攻撃を最小限の動きで間を縫っていく。上から魔術がきたとて上にいるとは限らない、それが結界魔術。どこだと視線を光らせる。
地面に突き刺さる氷の柱の傍で影が動いたのを捉えた瞬間に短剣を放る。突き刺さったのは氷の壁。氷の中に小さな機械が、それは映像を投影しただけだ。
同時に背後に踏み込んできた人影を察知する。この手は読めていた。ニースのお決まりの戦術だ。回転しながらニースの肩口から胴体を袈裟切りにした。
──この手ごたえは。
人の肉を裂いた時のものではない。ニースだったものはただの氷となり俺の眼の前で爆散した。手の込んでいることだ。これにも暗器が仕込まれている。俺は全身からマナを放出、爆発させてそれを吹き飛ばした。
「どうして霊体化を使わない?」
ふらりとニースが姿を見せて問いかけた。
「使う必要がない」
効かないと分かっていても剣士としてまともに刃を受けるのはできなかった。それに依存すれば刃の脅威に対する感覚が狂ってしまう。使うとしても完全に手詰まり、それ以外方法がない時のみだ。
「はっ。ありがたいね!」
短剣を投擲する。それがニースの頭に突き刺さると、氷となって爆発する。かなり対策してきているようだ。
いつもの戦闘時の昂揚はなく頭の中は静まり返っていた。相手がニースでは戦いを楽しむ気にもなれない。作業のように淡々と、ただそれだけだった。
「結界魔術は確かに面倒だ」
ふうと息を吐くと、蒸気となって空に昇って立ち消える。
「だが同時に起こしたらどうなる?」
身体に練りこんだマナを放出させる。魔術が構築され、世界を染めていく。白銀の世界が黒く塗りつぶさていく。やがて建物や街道、あらゆるものが色を失いモノクロとなった世界に俺たち二人だけが立っていた。残虐王の最強の秘術、異空間を作り出して相手を引きずり込む結界魔術だ。その空間はすべて残虐王の支配下に置かれている。
「答えは単純だ。強いほうが勝つ」
「くそ。化物だな」
「最初から分かっていたはずだ」
残虐王と戦う時は絶対に一人では戦ってはいけない。そう言われていた。この世界では残虐王の都合のいいように時空間を変えてしまう。自らがまとう領域と相手にまとわせる二つの領域がある。自らの時間を跳ね上げ、相手の時間を停止させる。究極の魔術だ。
これに対処するためには残虐王が身体の周りに展開する領域の中に常に誰が一人が入る必要がある。そうなれば二つの領域がぶつかり合い、無効化される。一人が決死の覚悟で食らいつく、かつて俺はそんな役目を果たした。
必ず攻撃の一瞬前に時間停止は解除しなければならないが、それでも瞬時に移動して魔術を乱発する残虐王の結解は恐ろしいものだった。
それでも戦う選択をしたということは、まだ何かあるはずだ。そうでなくとも、さっさと決着をつけるべきだ。これはかなりの魔力を爆発させ続けて維持しているようなものだ。残虐王から受け継いだ恩寵量の総量はかなりのものとは言え、あまりに長く発動させていればすぐに底をついてしまう。
霊体化しかり、彼の秘術は魔力の消費が激しい。
ニースは即座に氷の槍を十数と放った。俺はそれをすべてを領域に包み、空間を捻じ曲げて破壊する。さらにニースの腕付近の空間を切断する。ニースは身を伏せ、辛うじてそれを躱した。やはり結解内でも座標指定してからほんのわずかにタイムラグがある。英雄のレベルならば十分に躱してくる。だが。
次の瞬間に俺はニースの目の前にいた。自らの領域にて空間を操って瞬時に移動したのだ。これで領域は相反してひとまず解除される、だが問題はなかった。この間合いは俺の間合いだ。
咄嗟に反応したニースはナイフでの刺突を放つが、俺は刃を掴みとって握りつぶした。距離をとろうとするニースの肘を逆の手で捕らえて動きを封じる。
「覚悟するんだな」
そして渾身の力をこめた正拳がニースの顔面に突き刺さった。
「がは!」
モノクロの建物に衝突して地面に転がる。ニースは起き上がれずに地に手をついていた。
「立て。英雄。まだこんなもんじゃない」
衝撃を物語るようにニースのサングラスは砕け散り、大きく血を吐いていた。
「くそ。これだけは使いたくはなかったが」
ニースはふらつきながらもなんとか立ち上がり、手に取ったのは丸い水晶であった。濃縮された精霊の恩寵の気配がした。彼はそれを口に含んだ。
──止めるべきか?
即座に殺せば防げる。だがここにきて躊躇いが勝った。ただ殺す、それだけで済ませていいはずがない。鍵となる情報を聞き出して、絶望を味合わせてから殺すのだ。どんな方法を使おうと、真っ向から叩き潰してやる。何が起こるのかとニースの変化を眺め続ける。
「蝕害?」
ニースは禍々しい闇をまとう。それはマナでも魔力でもない、蝕害と同じように周囲からマナを吸い取るものだった。結解が闇に侵食されていく。そのエネルギーが吸い取られている。すべてが闇に包まれる前に俺は自ら結解を解いた。
「何だ。何事だ!」
元いた場所に戻り、アステールたちがニースのおぞましい力に気が付いた。ニースは周囲からマナを取り込み、その魔力そのものが暴風となって吹き荒れる。ニースは高らかに笑い声をあげた。
「凄い力だ」
凝縮されたマナが肉眼でもはっきり見えるほど体に纏っている。これははったりなどではない。だが明らかに過剰、世界を侵食し身体に馴染まないマナを無尽蔵に取り込み続けている。それに耐えきれない身体は明確に悲鳴を上げていた。決死、相打ち覚悟の下法に手を出したのだ。
「時代は進歩してるんだよ。残虐王」
「一つ良いことを教えてやろう」
「何だ?」
「今までその手の台詞を言ったやつで俺を傷つけたやつはいない」
「しゃらくせえ!」
人間とはどこまで業が深いのか。ここまで異端の力を作り出すとは。ニースは巨大な氷の龍を生み出した。翼を広げて凄まじい冷気を放つ。これは躱せば街への被害が馬鹿にならない。元々厄介な力を持つが、爆発的に能力が強化されていた。
突っ込んでくる氷の龍を空間魔術で受け止めて、異空間へと吹き飛ばす。消耗し続ける俺に対してニースはどんどんと身体にマナを吸収していた。
ニースは空を蹴る。瞬きの間に俺に肉薄していた。俺に匹敵する速度だ。突進の勢いを乗せてショートソードを上段から振り下ろした。
ギィィン! と鋼がぶつかり合う。ギリギリと力が拮抗し合う。腕力、速度など肉体性能までもが跳ね上がっていた。つばぜり合いの中で俺の剣が悲鳴を上げる。急場で手に入れた代物だ、質で大きく劣った。押し切らんと大きく力を込めるニースの剣を弾いて距離を取った。
ニースが選択したのは近接戦闘だ。これの状態ですら魔術戦は分が悪いと感じているのだろう。確かにニースは剣士としても強い。今この時は俺に比肩し、勝る状態かもしれない。
だが俺は常に強者の側にいたわけではなかった。弱者として生まれ、弱者として育った。自分より強い相手と戦うことは慣れていた。
ニースによって力任せに叩きつけられる剣を俺は刃を斜めに受けて力を滑らせ、殺すようにして防ぎ続ける。はじめは余裕そうにしていたニースもそれが数十合と続くと顔色を変えはじめた。
「くそ! 何で魔術師のくせにここまで」
腹立たしそうにニースはうめいた。
「お前を舐めているから言うわけじゃないが」
はっきりとニースに告げる。
「たいしたことないな」
「なぜだ! どうして勝てない!」
「力は強い、速さもかなりのものだ。技も一流だろう」
瞬時に数合ほど打ち合い、鋼が打ち鳴らされる擦過音が連続して響く。
「しかしバラバラだ。俺に戦い方を教えてくれた人は心技体を揃える事が戦闘における真髄だと言ったが。お前の身体と技はかみ合っていない。にわか仕込みの強化があだになったな」
慣れていない速度、威力、身体の動き、そんなものでは攻撃が見えすぎる。当たるはずもなかった。
「ふざけるな」
怒りのままにニースは空気中からマナを取り込んだ。ひと際多く。目から血の涙が流れ出し、ぶちぶちと筋組織が切れるような音が聞こえた。ニースは大地を蹴った。爆発的な踏み込みだった。
速い! 俺の本気の縮地とほぼ等速。これは至近距離の一撃にかけた玉砕覚悟の突貫だ。そして二つの影が交錯し──
「ちくしょう。この化物め」
脇腹をざっくりと切り裂かれたのはニースのほうであった。気功術の応用、燕返し。カウンター技になる。先の先を取ったフェイクの一の太刀を躱させてから、二の太刀で仕留める。先の太刀をすかすためにニースはわずかに減速した、その瞬間を二の太刀が捉えた。
「これを防ぐ魔術師がいていいわけねーだろうが」
忌々し気に口にする。相手が残虐王、魔術の申し子と見て徹底的に近接勝負に来たのが大きな過ちだった。近接戦闘で魔術師相手に俺が負けるわけがない。
「このまま死ねるか」
ニースは地に伏せながらも、また力を集める。もはや限界を超えようとしていた。裏切りのはてに、狂った力にまで手を染めて何を求める。
「この馬鹿が!」
ニースと俺の魔術と魔術がぶつかり合い、大きな爆発を巻き起こした。砂塵が散り、それが風に吹かれて消える頃にはニースの姿はもうなかった。
「しぶとい男だ」
逃がすわけにはいかない、彼を逃がすつもりなど毛頭なかった。




