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75話 用心

 イリナはニースの背中を必死に追っていた。暗くなった自由都市の町を駆ける。最近の騒ぎで人の姿はまったくなかった。これもニースの狙いだったのだろうか。


 血まみれの腕は感覚がほとんどなかった。癒しの力をかけ続けているが、対不死者用の治癒を阻害する闇魔術が込められていた。


 怪我と繊細な魔術の行使の同時並行で息も切れた。空気が足りなくてぼんやりとする。それでもニースを追いかけていた。イリナはふと思う。あの頃は誰もが生きるために必死だった。かつての懐かしい記憶だった。いつからかそんな単純に生きることはできなくなってしまった。


 それは英雄となってからか、それとも仲間の一人が反逆罪に問われた時からか。


 イリナは余計な考えを振り払う。これから残虐王と戦う可能性もある。全属性を高い練度で操り、氷と炎に限っても英雄の二人に比肩するレベルで使いこなす。正真正銘の怪物だった。


 さすがに一属性に絞れば威力は勝るが、魔術の多重展開や構築速度、連続使用の技術、恩寵量ともに桁はずれている、まさに魔術の申し子だ。


 そんな彼が剣ばかり使って戦うことにも違和感を大きく覚えていた。


「ここを抜ければもう安心だな」


 ニースが止まったことでイリナは転びそうになりながらも立ち止まる。目の前には自由都市の堅牢な門があった。


「ここは警備が手薄だ。簡単に通れる」


 逃げられる。そう聞いてまた複雑な思いが沸き上がった。しかしもはや彼についていくしかない。そう思ったところで。


「はたして本当にそうかな?」


 頭上から声がかかった。響き渡った声は底知れぬ感情が込められている。まったく気が付かなかったが城壁に腰かけた男がいる。降り立ったその姿は、怒りを宿した残虐王その人であった。


 ◇◇◇◇◇◇


「どうやって気づいた。監視魔術は掻い潜ったし見張りにも見つからなかったはず。罠だと見抜いていたとしても、気づけないはずだ」


「馬鹿正直に教えてやるほど親切じゃない」


 久しぶりに見るニースの顔は少し大人びていた。奇妙な懐かしさを感じつつも俺は質問をかわして逆に問い返す。


「南の大蛇の目覚め、早すぎると言っていた」


 記憶にある長老の言葉が気がかりだった。


「あれもお前の仕業だな」


「ああ。たたき起こさせてもらった。予定ではイリナ姫は残ると思ったんだよな。鬼のいぬ間になんとやらと思ったが、まさか連れていくとは俺はびっくりだったぜ」


 悪びれもせずに、むしろ悪巧みを誇るように語る口調だった。どれだけの悲しみと苦しみが生まれることになったか、微塵も感じていない。人を人と思わない、その生き様は万死に値する。燃え上った闘気が周囲を包んだ。


「おっと待ちな、ウィルとか言ったっけな。人間の小僧が吸血鬼の姫と一緒にいる。俺が魔術を点火すれば一瞬で木っ端みじんだ。吸血鬼のほうは助かるかもしれんが。試してみるか?」


 決して弱い相手ではない。それがここまで汚い手を使う。それがニースの強みであった。


「お前はまさか本気でそんな脅しが通用するとでも?」


「残虐王に人質は通じない。そう思っていた。しかし本当にそうか? お前を観察していて気が付いた。あの残虐王とも思えない甘い態度。本当に見捨てられるのかな」


 さすがはニースだ。まさしく彼の疑念は真実だ。俺は二人を見捨てることはきっとできない。


「この魔封の腕輪をつけたらやつらは殺さないでおいてやる」


 外への発現を阻害する魔封じの腕輪を俺の足元にまで転がした。


「お前は人を裏切る時に何か感じるか?」


「特に何も。ま、裏切りは利益が出る時しかしない。俺は義理堅いんでな」


「そうか」


 不思議と心は静まり返っていった。諦観の念が心を支配しつつあった。怒りよりも失望が勝った、この男はしょせん小悪党、はじめから仲間と考えていたことが間違っていたのだ。


「お前に友はいるか」


「別にいねえよ」


「家族は?」


「いねえって。女ならいるけどな。子供もどっかでできてるかもしれんが」


 意図の分からない質問にニースはいら立ちを見せた。


「何のための質問だったんだ」


「特に何の意味もない」


「ああ?」


「お前がどう答えようと俺のすることは最初から決まっていた」


 例えニースがその答えを全て肯定したとしても。裏切りの代償は払ってもらう。それに対しての迷いなど微塵もなかった。剣を鞘から引き抜くと英雄の二人に動揺が走った。


 俺はその剣を。


「これでいいか」


 地面へと放り投げた。からん、と寂しげな音が響いた。そして魔封じの腕輪を手に取り装着する。


「ほほう。残虐王ともあろう者がお優しいことだ」


 賞賛のつもりか口笛をひゅうと吹く。ニースは腰から刃渡りの長いナイフを手に取った。


「ニース。やめて。こんなの間違ってる」


 震える声でイリナは言った。


「俺もお前と同じさ、正しくなくてもやるのさ」


 無造作に間合いを詰めてくる。着実に。そしてナイフの間合いに入ると──ニースは顔色を変えて飛びのいた。


「危ない危ない。やっぱり残虐王だな、人質なんて関係ないか」


「よく気づいたな」

 

 あと一歩無警戒に近づいてきてくれれば殺せたのだが。


 ニースは短剣を投擲した。威力はかなりのもの。しかし──俺は指二本でそのナイフをぴたりと掴んで止めていた。外への魔術の発現を禁じるだけの魔封じなど俺には何の意味もない。


 さらに言えば。大量のマナを流すと魔封じの腕輪が破裂した。封じ切れるマナの許容範囲を超えたのだ。


「この程度で封じられると思ったか?」


 この程度の封魔にて完封できる相手が歴史上最強と謳われるまでの存在になれるわけがない。


「嘘だろ。おい」


 さすがのニースも絶句した。俺はそんな彼に淡々と告げる。


「お前は一つだけ間違ってるな。俺は人質を見捨てたんじゃない。そんなものはいないんだ」


 さっと手を上げるとずらりと周囲から亜人たちが囲んだ。その中にはルシャに連れられたレイチェルとウィルの姿もあった。


「マスター。不肖の弟子一号、ミッションコンプリートしました!」


「よくやった。ルシャ」


 この状況はニースには理解しがたいことだろう。混乱に満ちていることだろう。


「馬鹿な。いったいどういうことだ?」


 だがそんなことは俺には関係なかった。


「投降しろ。ニース・ラディット」


 ◇◇◇◇◇◇


 時刻はわずかに遡り、ニースを探しに都市外に向かった時のことだ。俺たちはある程度歩いて見通しの悪い雑木林までたどり着くと、じっと身を隠していた。


「間違いないのか」


「ああ」


 アステールの問いに短く返す。混乱を呼びその最中に目的のものをかすめ取る。この薄汚いやり口からはかつての仲間の臭いを嗅いだ。ニース・ラディット、元小悪党の現英雄。


 人生とは分からないものだ。犯罪者だったものが英雄となり無実だったものが地に落とされた。ニースの思考は読めていた。最も守るべきは一番重要なカード。


 それはイリナ姫に他ならない。


 誘いに乗ったふりにしておびき出す。それが俺たちの選んだ戦法だ。イリナの部屋には小型の盗聴器を仕込んでいた。情報屋の男、エリック・ドランの作だ。さすがは名の通った魔法技師、これぐらいは簡単に作成してくれた。さすがのニースも亜人側が盗聴器を仕込むなんて思わないはずだ。


 ラジオに似たスピーカーがついた媒体から部屋の中の様子が聞こえてくる。衣擦れの音やため息ばかりが聞こえてくる。何かをお悩みのようだった。


 しかし突然、イリナ姫は誰かとの会話を始めた。


 ──この声は。


 間違いない。記憶に強く残る、かつての仲間の声色だった。


「来たな。行くぞ」


 あらかじめ設置しておいたイリナ姫の部屋がある建物の周りにゲートを繋ぐ準備を始めた。


「すぐに周囲を囲め。そうすれば白旗を上げるさ」


 不利な賭けは嫌いな男だ。速やかに完全包囲すれば投降するはずだ。


「じゃあ行くぞ。準備はいいな」


 魔術を発動しようとしたところで。セレーネが袖を引っ張った。


「お待ちください。主様。足音です」


 わずかに遅れて俺にも雑音に紛れて小さな足音を聞き分けることができた。ノックと挨拶の声が聞こえる。


「レイチェル?」


「部屋から出るなと言っておいたのに」


 アステールがぼやいた。


「いや、仕方ない。根は正直な子だからな、だがもう一人は誰だ」


 足音は二つあった。セレーネは神経を集中するために目をつむりながら耳を澄ます。


「この足音からすると、ウィルという少年です」

 

「そうか。彼か」


 彼らが一緒にいるのはいい傾向だが、最悪のタイミングだ。まさか二人がイリナ姫の部屋を訪ねるとは完全に予想外だった。レイチェルには休息のため、ウィルは人間の英雄と敵対させないため話を伏せていたことが裏目になった


「エルさん。このままじゃ」


「鉢合わせになりますね。どうしましょう。マスター」


 ラナとルシャが不安そうに俺を見上げた。アステールも懸念を口にする。


「二人を人質にとられると非常にまずい。しかし踏み込むにも呪術の爆弾がある」


「ニースは騒ぎを起こしたくない。隠れてやり過ごすはずだ」


 これは甘い考えだろうか。あの男の行動は基本的には予測できない。思いつく中で最悪の行動をすると思っていたほうがいい。


 そして予想はやはり悪いほうが当たった。俺たちのもとにイリナの叫びとレイチェルの苦痛の呻きが届いた。 


「あいつ」


 念のためイリナ姫の部屋の中にもゲートは繋げるが、迂闊には行けなかった。まずあちら側にゲートの存在を探知されるからだ。窓から行くにしても、ドアを破るにしても必ずワンテンポ遅れる。その隙を逃すほど英雄は甘くはない。 


「俺とルシャの二人で行く。危険だと判断したら問答無用で踏み込む」


 ルシャを同行者に選んだのは呪いがきかないこと、そして高い癒しの力を持つためだ。ゲートで近くまで飛び、イリナ姫の部屋の前まで来ると息を殺して耳を澄ます。


「私が入りますか? 私ならばきっと呪術を封じ込めます」


「いや、危険だ。イリナ姫にかけるしかない。彼女ならばきっと」


 話しつつ時間を操作する準備を整える。集中して扉の外から中の様子を伺った。音は遮断されているがマナの動きが感じ取れた。こちからの音も届かないため扉を蹴破ってから気づかれるまでに一瞬の猶予がある。だがそれも賭けだった。

 

 ここが分かれ目であるとの予感があった。イリナ姫の行動は俺のこれからの生き方に大きく影響するだろう。本当に他者に信頼を置いてもいいのか、信用してもいいのか。それが今この時に決まってしまうのではないかという予感があった。


 1秒1秒がいやに長く感じる、焦れた時間だった。汗がしたたるのも気にならい極限の集中状態にいた。


 臨場感のある形で部屋の状況が頭の中で再現される。ウィルの行動、そして反撃によって刺されたのが分かった。すぐさま致命傷にはならない傷だ。だがしかし、もう限界だった。ニースはレイチェルの命を刈り取ろうとしている。これ以上は待っていられない。


 時間を最大まで操り即座に踏み込みんで、天井裏に潜む人間爆弾となっている男を瞬時に殺す。そうすれば命をエネルギーとする呪術は発動できない。そしてニースの攻撃を止めなければならない。


「時間──」


 時間支配と半ばまで口にしようとした。その瞬間に気が付いた、イリナが庇うために動いたことを。レイチェルの前に立ってニースの凶刃を防いだことを。


 ──あなたならそうしてくれると信じていた。


 信じたのは間違いではなかった。やはりこの世はまだまだ捨てたものではない。ごく少数だったとしても真実として信頼することができる者たちがいるのだ。イリナ姫やアステールたちのように。


 ニースたちが窓から逃げていくと、すぐさま行動だ。まず屋根裏に潜む男を時空間魔術で別の場所に吹き飛ばした。しかし扉を開ければニースが気づくようになっている。その瞬間、操られただけの男も死ぬことになる。


「ルシャ。窓から回って二人の治療を。俺たちは彼らを追う」


「はい。お任せください」


 俺はゲートの魔術で空間を飛び、わざと手薄にしておいた門で待ち伏せた。読み通りニースたちが選択したのはこの逃げ道だった。


 そしてニースの前に姿を現して、配下の者たちが集まる時間を稼いだのだ。話し合いなど元から何の意味もなかった。


「なるほど。やられたぜ。長話は時間稼ぎってわけかよ。そらそうだわな」


「もう一度言う。投降すれば命は助ける」


「断る」


 その即断は意外ではあった。しかし関係ない。その意味はもはや目の前に何の障害もないことを告げていた。憎悪と怒りの感情がニースに向かって放たれる。


「ならば死ぬがいい。英雄よ。貴様に与える慈悲はない」


 捨てた剣を蹴りあげて掴み取る。お前は英雄どころか人間の風上にも置けない。

 

 ニース・ラディットはここで仕留める。




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