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65話 戦いを終えて

 村に帰還すると、村人たちは総出で俺たちの到着を出迎えた。彼らは固唾を飲んで俺たちを見据えていた。ただその中で一人長老だけが前に進み出て口にする。


「先刻から地震がなくなりました。まさか本当に」

 

 その言葉はわずかに震えていた。


「ああ。約束通り倒してきた」


 抱えていた白いものを彼らの前に放り投げた。ドスンと地面に突き立ったのは見たこともないほど大きな牙、大蛇からはぎ取ってきたものだ。

 

 村人たちの中でドッと歓喜と歓声、そして驚愕の声が上がった。やがて騒ぎが静まり返ると、みなが跪いた。俺たちを畏れ敬うように。


「感謝申し上げます。ありがとうございます。ありがとうございます」

 

 長老は涙を流して何度も感謝を述べる。それにあっさりとした口調で俺は返す。


「いい。俺は俺のためにやっただけのことだ」

 

 そして村人の中にいる一人の童女の前で足を止める。黒髪と黒目の少女、フィルネシアだ。


「さてフィルネシア、お前の命は俺のものだ。俺の命令に従え」


 そう言うとジャンが俺の前に立ちふさがった。村人たちにはざわめきが起こる。馬鹿な真似はやめろと止めようとする手も、囁く声もある。


「あなたには感謝しています。他の何にも変えられないほど。だけど、どうかお願いです。俺の命で代わりになりませんか」


「大丈夫よ。ジャン。生きてさえいればまた会えるわ」


 互いに気遣う言葉を聞いて俺はふっと少し笑う。きっと彼らは何度だってそうするのだろうと思った。


「残念ながら君じゃあ無理だな」

 

 俺は少年少女らをしっかりと見つめて告げる。


「フィルネシア。今日からはもう好きに生きろ。自分に素直にな」


「え?」


 フィルネシアもジャンもポカンとして呟いて。他の一同も呆気に取られていた。


「それが俺の命令だ」


 さらりと告げたその内容に理解が及んだ瞬間に、少年少女は他の目も憚らずに抱き合った。


 きらきらとこぼれた涙は悲しみからのものではない。彼らはあまりに綺麗だった。人間とはまだまだ捨てたものではないと、そう感じさせてくれた。


 こんな幸せな光景が監獄世界にもあることが救いに思えた。




 ふと物音に気付いて視線を向けるとルシャは一心不乱にメモ帳にペンを走らせていた。


「何してるんだ?」


「弟子としてマスター語録を残しておくべきだと思いまして。将来聖典として語り継がれるように」


 満面の笑みでルシャは得意げに語った。俺はそんな彼女のおでこを軽く弾く。


「即刻やめるように」


「あうぅ」


 などとルシャは情けない声をあげた。


 まったくもってしまらないものだった。

 



 夜になれば村中がすっかりお祭り騒ぎになっていた。もう悲しみや不穏さを感じるものではない。喜びと幸福の歓喜に満ち溢れるものだった。


 ごちそうはとなるのはタイラントベアの肉だ。魔物といっても普通に食べられる。村人の作法として神々と精霊に祈りを捧げて、それをいただいていた。臭みのある熊肉を鍋にしてあっさりと仕上げているものや、香草の包み焼などの土着の料理が並んでいた。香ばしい匂いとにじみ出た肉汁が食欲をそそる。


 お酒も存分に振舞われて、宴も終盤に入れば馬鹿騒ぎの様相を呈してきた。


「やっぱり私はマスターを称える歌を作るべきだと思います!」


「う、歌? ルシャちゃん。それはやめたほうがいいかも」


「それじゃあ銅像はを建てるのはどうでしょう。マスターがその深い慈悲の心を見せた記念として」


 ルシャはラナを相手にして相変わらずの調子で口走っていた。


「あ、あはは。エルさんはたぶんやめろって言うと思うよ?」


「え! そうなんですか!?」


「た、たぶんだけどね。うん。たぶんね」


 そんな騒ぎから少し離れた場所に俺はいた。酒宴の席ではあったが、やはり酒は苦手だった。フィルネシアやジャンからの丁重すぎる挨拶と感謝も終わると、外に出ていた。好き放題飲みまくっているアステールやザルドとは違い、酒は一滴も口にしていない。


 さらに足の赴くまま、ふらりと村はずれにまで散策する。一人まだ体調が回復せずに休んでいるレイチェルの様子を見にいこうかと考えたのだ。背後には明るい世界がある。美しく温かい、しかしそこに浸かれば冷たさを失ってしまう。そんな恐れがあった。


 思考する俺の背後に砂利を踏みしめる物音と、人の気配が。


「せい!」


 それは不意打ちではあった。しかし気配を殺すわけでもなく、掛け声を発しているため容易に察知できた。つまり襲撃者には明確に攻撃を当てようとする意図はないということ。


 振り向き、魔術は込められていない正拳を徒手で捌く。


「姫」


 襲撃者はイリナ姫だった。その真意を探る前に彼女は動く。突きの体重移動を利用した上段蹴り。懐かしいコンビネーションの動作、身体が咄嗟に反応していた。腕をあげてガードすると、距離をつめる。近ければ近いほど俺のほうが有利になる。そのまま動きを封じるつもりだった。


 しかしイリナ姫もすぐに対応してみせた。蹴り足を戻した瞬間に回転しながら身体を沈み込ませた。地を這うような高さの下段の蹴り、水面蹴りだった。今度は魔術の強化を乗せている。


 すぐに理解した。これは戯れ、じゃれ合いにすぎなかった。本気の戦いならばイリナ姫には他の選択肢がいくらでもあった。


「甘い」


 構わず距離をつめた、払い蹴りを喰らう瞬間に「硬気」で防ぐ。俺は攻撃に失敗したイリナが低い態勢のまま苦し紛れに手刀を放った手を掴むと、彼女が逃げようと後ずさりしたところに足を引っかけて転ばせる。そのまま胸元を押さえて地面に抑え込んだ。形的には押し倒したような格好になっていた。


 イリナ姫は攻撃に意識が偏り過ぎているところがある。戦いは一人でするものではない、相手を見て戦いを変えなければ──。


「相手を見て戦い方を変えなければ隙が生まれる。そう良く教えてくれた人がいました」


 ほんのわずかな距離のまま、目と目を合わせて彼女はそう言った。俺にも覚えがある。それがイリナ姫の悪癖だったからだ。


「貴方は他人の技術までも奪うと言うのですか」


「何が言いたい?」 


「その体術。なぜあなたが習得しているんですか?」


 完全にはぐらかすのは無理だ。一部認める必要があった。俺は立ち上がるとイリナ姫の手を取って立たせてやる。そして答えた。


「そういう秘術がある」


 残虐王にはギフトを奪うという謎の秘術を持つと噂が囁かれるほどだ。口から出まかせでも多少の信ぴょう性はあるだろう。


「本人が望んだから可能だった奇跡さ。友に裏切られ、ありもしない罪をきせられて、刺客に致命傷を負わされた。その時の奴は憎しみの権化だった。悪魔と取引するほどに」


「友に? いったい誰が。レギル? それともニース? まさかロイスは」


「全員だ」


 冷徹なまでの声で断言する。


「うそ」


 イリナは茫然として呟いた。


 もう隠す必要はないのかもしれない。どうせ残虐王自体が秘密を知るものとして敵から狙われているのだから、その中身が俺であろうと誰であろうと関係ないはずだった。


 だからイリナ姫ならば話しても大丈夫だと、そう信じたかった。だが俺がその秘密を知らないことを敵方に知られて生じるデメリットも当然考えられた。そして、それを知ることで彼女の身に危険が及ぶことになるかもしれなかった。おそらく苦しめることにも。


「私には分からない。あなたという人が。理性は言っています。あなたの言葉も行動も全て嘘で私を騙そうとしているのだと」


 あまりに理解に苦しむ出来事に直面すると人はこういう顔をするのかと思った。イリナ姫は苦渋の混じった表情で重苦しく言葉をつむいだ。


「でも、感情では。あなたは尊敬できる人にしか思えないんです。悪であることを許容する貴方は、正しくありたい私とは覚悟が違い過ぎる。それに……一緒にいると。懐かしく感じてしょうがないんです。笑い方も仕草も戦い方も全てがあの人にそっくりで。もしかしたらって、そんな馬鹿な考えが頭から離れないんです。これがあなたの策略なのだとしたら、あまりに酷い。心底恨みます」


 イリナ姫は内心を吐露し、俺に対して一気に踏み込んできた。


「一つ、聞きました。あの女性。アステールさんは龍人、ハイドラゴンなのですね。監獄都市から逃げ出した。あの」

 

 事実を確認するように淡々とした言葉だった。


「その人と一緒にいるあなたはエルと名乗っている」


 いずれ向き合わなければいけないと思っていた。この旅の最中に彼女がこういった情報を得ることも半ば覚悟していた。彼女が俺のことを知りたかったように、俺も彼女のことが知りたかった。彼女が俺を見ていたように、俺も彼女を見ていた。本当に信用してもいいのか。全てを打ち明けてもいいのかと。


 そして、その答えはほぼ出ていた。俺の目にはイリナ姫は昔と変わらないように映った。少し夢見がちで甘さがあって、誰よりも正義感が強い真っ直ぐな少女のまま。


「あなたは、エルさんなんですか?」


 静かな問いだった。それに俺はどう答えるべきなのだろうか。





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