26話 コミュ障と馬鹿の不思議な会話
俺たちは結局ラナの言葉通りに彼女の家に厄介になることになった。ラナが店を開いている建物の2階にはそれなりのスペースがあったのだがそれを彼女だけが使っていたのだ。俺達はそこに住まわせてもらった。
朝起きてリビングに向かうと既にルシャが目を覚ましており、隠していた翼を広げていた
「おい、いいのか。亜人だってばれるとまずいぞ」
ラナと同じくハーフとはいえ、彼女だってあまりいい待遇だとは思えなかった。このことが住民に露見すれば同じく悪感情を向けらることになるだろう。
「だって窮屈なんです」
わしゃわしゃと毛づくろいをしていた。
それにしても相変わらず不器用だ。繕っているのか荒らしているのか分からない。こういうのは本能がどうにかするものではないのだろうか。
「うむむ。むむむ」
難しい顔をして翼を弄っていた。
ちょっと触ってみたい欲求がもたげる。ラナのパタパタする猫耳しかり、なんとなしに心惹かれるのだ。しかし大人の自制心によって叩きのめす。
衝動に任せた行動はしない、それが俺の信条だ。
でも、ちょっとぐらいはいいだろう。
ちょんと翼の付け根に触れる、ひんやりとした肌触りだった。
「ひゃ」
珍しくも甲高い声を発した。
ルシャは翼を体に隠すようにして体に抱き、頬を朱に染めた。
「ま、ますたー。翼は心に決めた人しか触らせちゃ駄目なのです」
「そうだったのか。悪かったな」
「で、でも。マスターがどうしてもって言うなら、私は別に」
「ならいいや」
「ええ?」
ルシャは肩透かしをくらったように目をぱちくりさせる。
「だって心に決めた人しか駄目なんだろ。俺は違うじゃないか」
「凄い正論……」
ルシャはボケッとした表情でわさわさと毛づくろいを再開した。
そこにラナも現れて、ルシャの姿を見て茫然と口を開けた。
「きれい」
「ありがとうございます」
ルシャは心底誇らしそうに感謝して、
「褒められました」
へら、と俺に向かって笑みを向ける。
何かを期待するような、褒めて褒めてとその目は訴えている。
俺は「ああ」とだけ返し。
死にかけた経験から思ったことは口にしてみようかと思い立った。
お世辞などは考えつかないが、今までは剣にばかり向き合っていて、たとえ思ったとしても口にしてこなかったことを。他人に軽々しく内心を打ち明けることは弱さにつながると思っていた。だがそれであそこまで裏切り者を作ってしまったのだとしたら、やはり俺も変わる必要があるのだろう。
「最初見た時。天使みたいだと思った」
どうせ俺の身体じゃないんだ。
好き放題言いうし、やってやるさ。
「あわわ」
ラナが変な声を出した。
「大好きです! マスター!」
俺は翼をはためかせて飛び込んできた小柄な体を受け止める。抱擁というよりもお姫様にやるあれだ。子供をあやすようなものだった。
「私はマスターはミノタウロス100頭より恐ろしいと思います!」
「褒めてるのか?」
「もちろんです!」
元気いっぱいのルシャだが、嬉しくなるようなものではない。彼女は俺の服にぐりぐり頬を擦りつけた。臭い付けでもしているかのようだ。ルシャはそれにひとしきり満足すると離れていった。
「だから、ちょっと匂うなって思ったんですね」
「ラナさんもですね。猫っぽかったです。それとルディスさんも亜人の血を引いてますよね?」
「そ、それは……はい」
隠しても意味がないと思ったのだろうラナは頷いた。
「でもみんなには隠しているんです。どうか秘密に」
「分かった」
ルディスはハーフであることを上手く隠して立ち回っているようだ。やはりそれほど根深い対立感情が人間たちには存在した。
「ルディスとは長いのか」
「ここに来てから。助けてもらいました。やっぱり私、この見た目ですから」
ラナはしょんぼりとして、すぐにそれを卑屈気味な笑いで胡麻化した。
暗い話題に入りかけて俺は話題をさっさと変える。
「さて、昼飯どうするかな」
「それなら任せてください」
珍しくもラナが自信ありげに胸を張った。猫耳が自己主張するようにパタパタと動いているのが、なんとも魅惑的だった。
彼女には申し訳ないが、これは虐められるのも分かると思った。まだ精神年齢の低い男子にはからかいの対象、精神年齢の高い女性陣からは、それはもう大不評であろう。
「私が用意しますよ。お客さまですから」
「いいのか?」
「はい。家事は得意です」
続く言葉をわずかに濁らせる。
「それに……お、お礼がしたくて」
口元に手を当てて頬を朱色に染めていた。
彼女に対する疑いはほとんど消え去っていたが、わざとらしく俺に取り入ろうとしている、そう見えてしまうのは俺の性根がねじ曲がってしまったせいなのか。どうなのか。ラナもせめてルシャぐらいのアホだったら分かりやすいのだが。
「おお。頼む。最近まともなもん食べてなかったんだよ」
その一言でルシャがぴくりと反応した。
「わ、私がやります!」
「でもルシャって料理苦手だろ」
どうやらルシャは彼女の料理がまともではなかった俺が言ったと受け取ったらしい。しかし残念ながらそれは紛れもない事実だ。
「できます。やれます。今まではまだ実力の5割しか出してなかっただけです」
「逆にそれはどうなのよ。師匠に食わせる飯なんだぞ」
だが、まあいいと納得する。
二人一緒ならば別に変なことにはならないはずだ。
「それじゃルシャも手伝ってやってくれ。俺は本読んでるから」
俺が懸念していたラナの裏事情はなさそうに見えた。結局、裏切られた俺は人のことを容易に信じれなくなってしまったのだ。
どちらにせよルシャに害が及ぶことはないだろう。わざわざ上手く俺に取り入っておいて弟子を狙う意味が分からない。それに彼女は種族の特性上、非常に頑丈だ。
どんな窮地に陥ったとしても俺に助けを求めるぐらいはできるだろう。
気分を切り替えて久しぶりにゆっくりすることにした。
◇◇◇◇◇◇
カッカッカッカ!
包丁が綺麗な音を立てていた。
「う、上手い」
ルシャは動揺に震えた声で呟く。
ラナの手慣れた包丁さばきに圧倒されていた。
なんせ手伝うところがない。ルシャの不器用な手際では逆に邪魔になってしまうほどだ。一番弟子のはずなのに押されっぱなしだ。
「ど、どうしてそんなに上手なんですか」
「どうせ引き籠ってるなら家事をしろと言われて、もう3年間毎日ずっとやってました」
ルシャは衝撃を受けた。なんと3年も先輩なのだ。
「なんて凄い悪党の才能」
「悪党ですか?」
ラナはおうむ返しに呟いた。ルシャの頭の中では料理イコール修行、料理上手イコール凄い悪党という謎の図式が成立しているのだ。主にそれは師匠からまともに修行をつけてもらってないことも理由になっているのだが。
「あの……ルシャさん、何か困ったことがあったら遠慮なく言ってくださいね」
その発言が良く分からなかったラナではあったが、詳しく聞くのも悪いかと、やや緊張しながら話を流した。持ち前のコミュニケーション能力の低さを発揮した。
というラナの態度はルシャには一見優しげに映った。まさしくそれはラナ本人としてはそのつもりだったが、ルシャにとってはそうではなかった。
ルシャは見抜いたのだ、ラナにわずかに宿る緊張を。
ピキーン! とルシャの直感が働いた。彼女の直感はいつも碌でもない時に碌でもない方向に向けて働くのだ。この時もまさしくそうだった。ルシャは思った。まさかラナは自分から一番弟子の座を奪うつもりなのではないかと。
「一番弟子は私なんですよ」
「は、はあ」
ルシャが宣言すると、ラナは曖昧に言葉を濁した。
ラナは勢いに押されて肯定も否定もできなかった。
「えっと。雑用は私がやっておきます。ルシャさんはどうぞ他のことを」
「ラナさんだけに任せるわけにはいきません。私もお手伝いします!」
「い、いえ。大丈夫です。私家事は得意ですから苦にならなくて」
もはやどちらも意味不明な意地の張り合いになっていた。
この必死な態度、間違いないとルシャは確信する。これは一番弟子の座を争う戦い、精神に対する攻撃なのだ。その事実に気が付いてはっと口元を押さえる。
(あてこすられてる!?)
ルシャ翻訳機によればラナの発言はこうなる。
『あらまあ、なんて不器用なの。足手まといは邪魔だから消えなさいよ』
『私はあんたとは年季が違うのよ。お嬢ちゃん』
ずきーんと胸に痛みが走った。
鋭い言葉で擦れた箇所がじくじく痛む。
(これが女の戦い……ラナさんはなんて悪い女なんだ)
空想の世界に存在する自分より上手の悪女の攻め手にルシャはなす術もないのだった。だがこのままで終われない、ルシャには己こそ一番弟子であるという自負があった。
「師匠の好みを把握している弟子が作ったほうがいいと思うんです」
ふ、どうだとラナに視線を送る。
これにて完全論破だ。
「で、でもその、ルシャさんはお弟子さんなんですから家事の他にやることがあるんじゃ」
「ぴ」
痛いところを剛速球が抉っていく。
この発言をルシャ翻訳機にかけるとこうなるのだ。
『まさか弟子なのに家事しかやらせてもらえてないの? それで本当に弟子だなんて言えるのかしら。おーほっほっほ』
これはルシャのハートにクリーンヒット。
反撃の糸口が見当たらない。
(あわわ。まずい)
このままでは負けてしまう。敗北必至の流れではないか。
どうする、どうする──考えに考えてルシャが生み出した結論は。
「わ、私にだってやることぐらいありますもん!」
それだけ言い放ってバッと身を翻す、そのまま脱兎のごとく退却だ。まだ負けてないからこれで引き分けになる。戦術的徹底で引き分けに持ち込むのだ。
ただそれが言い訳にすぎないことは誰よりもルシャ自身が分かっていた。心は敗北感でいっぱいだったから。
◇◇◇◇◇◇
一人残されたラナはぽかんとルシャの背中を追った。
「ど、どうしたんだろう」
ラナの困惑も無理ならぬことだ。ラナはルシャ翻訳機の存在も知らなければ、まさか弟子だというのに雑用しかやっていないとは知る由もない。
「なんで?」
この謎は対人恐怖症持ちの元引き籠りにはあまりに難度の高いものであった。