27話 忍び寄る敵
俺は久しぶりにゆっくりとした時間を過ごしていた。
ラナのおかげで料理の質も向上を見せるだろう。さらに彼女らに雑事を任せればますます自分のことをする時間が増えるはずだ。
外で野暮用をすませてから残虐王の日記を持って部屋へと向かう。この世界のことを知り自分のことを知るのに、彼の残した本は最も重要な手がかりだ。特に残虐王の残していった日記は誰にも見られないように常に懐にしまいこんでいる。
静かなところで読み進めようと思っていたら既に先客がいた。
暗闇の中から僅かにすすり泣く声が聞こえた。目を凝らせば見覚えのある赤髪の頭。ルシャが電灯も付けずに真っ暗闇の中えぐえぐと嗚咽を零していた。
電灯のスイッチを入れて呼びかける。
「ルシャ。どうかしたか?」
「ますたあ」
顔を上げる。涙と鼻水を垂らして、ぐしゃぐしゃの顔だった。
可愛い顔が台無しだ。仕方ないなとハンカチを渡す。
「ほらもう泣くな。なにがあったんだ」
「私は駄目な弟子です。愛人に負けるなんてダメダメです」
「なんだって。いったい何を負けたって言うんだ」
ルシャの強さの片鱗はうかがい知ることができている。
まさかラナがそれほどの実力を隠していたのかと驚かずにいられない。やはり彼女はその正体を隠しているのかと悪い予感に寒気がした。
「掃除も洗濯も料理も全然敵わないんです。こんなんじゃ弟子失格ですぅ」
「ええっと」
指を振ってしばし思考する。
「君はいったい何になりたいんだっけ。メイドさん?」
「悪党です」
「だよな」
家政婦志望だったのかと勘違いするところだった。悪党になりたいも十分に意味不明ではあったが、それはいまさら気にすることでもない。
「悪党は掃除も洗濯も料理も上手な必要ないと思うが?」
そう告げると、神からこの世の真理を告げられた修行僧のごとき感銘を見せた。ルシャはぱたりと泣き止んだのだ。
「そ、そうなんですね!」
「驚くことにそうなんだよ。にわかには信じ難いことだけど」
わあ、びっくりした。ということで問題も解決し、早速、日記の続きを読み始める。のだが、すぐに本を閉じる。ルシャがちょこんと横に座り、日記を覗きこんできたからだ。これは他人には決して見せるわけにはいかないものだった。
「まだ何か用なのか」
「マスター。修行付けてください。他の修行もしたいです」
上目遣いで甘えるように言う。俺も言いたいことは分かる。今のままでは完全にサバイバルの訓練か、もしくは修行は修行でも花嫁修業にしかなってない。だが。
「俺は忙しい」
ルシャの目に届かないようベッドの反対側に座って日記を開く。読み始めるとルシャはくいくいと俺の服の裾を引っ張り自己主張する。まるで猫みたいに人の作業を邪魔してくれるものだ。だが精神の力を発揮して気にせずに読み進める。
残虐王がわざわざ残していった日記にはいかに監獄世界の守りが強力で脱出が不可能であるかが延々と書かれていた。『歴史上最高の魔術師の私も正攻法は諦めたほどだ』などと注釈されている。俺が考えることを先読みして書いていったのだろう、とことん性格の悪いやつだ。
ふんと鼻を鳴らして日記を閉じる。そう言えばルシャの存在を忘れていたなと視線を巡らせれば、ルシャは体育座りでしゃがみ込んでむくれていた。
目が合うと、つんとそっぽを向く。
「無視するなんて酷いです」
「悪かった。でも忙しいって言ったろ」
「マスター。ラナさんのほうが好きなんです」
「そんなことはないが」
「マスター。昨日からラナさんのことずっとチラチラ見てますもん」
目敏いなと笑みが引きつる。彼女のことを気にして何度か注視していたのだが、ばれていたのかと思いつつも平静を装った。
「囲いの愛人がなんだって君が言い始めたんだろ」
それなのになぜ拗ねるのか。俺自身としてはラナのことにある程度の責任を感じているから、どういう名目でこの家に置いてもらっても構わなかったのだが。
まったく。この世代の子が考えることはさっぱりだ。
「だってだって」
などとルシャは駄々をこねる子供のように言う。
しかしすぐに気が付く。俺は若年層とのプライベートな付き合いをした経験というものが多くもなく気が回らなかったが、ルシャなど15程度のまだまだ若人ではないか。
「私がマスターの一番だと思ってたのに」
潤んだ瞳で俺を見つめる。なんだか語弊があるが、話の内容から総合的に考えれば一番(弟子)ということだろう。俺は彼女を安心させるように優しく言う。
「ルシャ、君は間違いなく俺の一番弟子だ」
「マスター」
ルシャは感動したように頬を染めた。
「だって最初の弟子なんだからずっと一番弟子に決まってるじゃないか」
あっけらかんとして告げると、ルシャはむむむと眉をつり上げた。
「そういうことじゃないです! マスターは弟子心が全然分かってません!」
ルシャはそう言って出て行ってしまった。女心も分からないのに弟子心まで加えられては俺にはもうどうしようもない話だった。
「君は師匠心が全然分かってないよ」
消えた背中に向かって投げかける。
これで引き分けだ。きっとそうだ。
◇◇◇
ルシャはとぼとぼ歩く。
珍しくもずーんと気分は沈んでいた。
師匠に対して子供みたいにあたってしまったことが原因だった。全ては自らの不出来が原因であるのに、それを他人のせいにするとはなんたることか。
「申し訳ありません。ますたー」
バシバシと頬を叩いて気合を入れ直す。
技術で負けても、せめて根性だけは負けるわけにはいかない。
そして戦場へと足を踏み入れてラナがいないことに気が付いた。
「ラナさーん」
きょろきょろと見回して周囲に何度か呼びかける。
「むむ」
周囲を索敵すると未完成のまま料理が放り出されている。急に用事ができたのか、それとも。外に出てピューヒョロロと口笛を吹くと小鳥が数羽舞い降りた。
「猫の女の子を見ませんでしたか」
足下に座り込んで言葉をかける。
「チュンチュン。チュン」
その場で何度か飛ぶように羽ばたきながら小鳥は答える。
これをルシャが翻訳すると以下の通りになる。
『看守野郎に連れて行かれましたぜ。姐さん』
なぜ看守がいるのかは分からない。しかし、ラナはきっとルシャのことを探しに外に出ていった。その時に看守に見つかってしまったのだろう。
「え! どっちに」
その問いにはもう片方の鳥が答えた。
「ピューロロ。ロロロ」
『あっしがご案内しますぜ』
「ありがとう!」
師の愛人を守れないとあっては弟子の名折れだ。
ルシャは小鳥に導かれて駆けだした。
そろそろシリアスのターンが戻ってきます




