第6章 歌劇奉納の儀と後の先
第6章 歌劇奉納の儀と後の先
歌劇奉納の儀の前日。王宮グレートフォレスト、王子執務室。
内務大臣ラングエッジ侯爵は、内務次官スラッド伯爵を伴い、アルベルト王子の執務室を訪れていた。
アルベルト王子の脇には、ナギ王国の王の盾としての最高峰となった王子護衛のザイド男爵が控え、その両脇には黒い鎧の護衛兵2人、執務室の両側の壁際には、赤い鎧の近衛兵4人が並んで立っていた。
「アルベルト王子、これがバーム皇国との友好条約草案となります。法務大臣ローゼン侯爵も国内法に照らしても問題ないと言っております。外務大臣コージス侯爵だけは第2王妃派とあって渋い表情でしたが、この草案には異を唱えることはできませんでした」
内務大臣ラングエッジ侯爵は、執務席に座るアルベルト王子に草案を手渡した。
「大儀であった。目を通しておく。前回の協議を踏まえた修正となっておるのだな」
「はっ、ここにおります内務次官スラッド伯爵が、アルベルト王子のご希望の通り修正しております」
「むう、修正の要点について説明してほしい」
「はっ、スラッド伯爵から説明します」
「我がナギ王国とバーム皇国は、平和的で、公正、平等、互いの敬愛を基に両国の繁栄と友好を図ります。罪を犯した場合には、その国の法で裁きます」
王子護衛ザイド男爵は、鋭い眼光でスラッド伯爵を睨んでいた。
「むう、両国の民のための友好条約だ。その線で引き続き励んでほしい。姉上もスラッド伯爵には期待している」
「もったいないお言葉です。誠心誠意、アルベルト王子と民のためにバーム皇国との友好条約づくりに邁進します」
内務大臣ラングエッジ侯爵と内務次官スラッド伯爵が退出していった。
アルベルト王子は執務席から立ち上がると、ザイドに近づき声をかけた。
「ザイド、どうした。険しい目つきだったぞ」
「アルベルト王子、このザイドは王子護衛としてスラッド伯爵を品定めしておりました」
「して、どうだった」
「穏やかな物腰でしたが、内に秘める強い意思を感じました」
「そうか。私の両翼としてうまくやっていけそうか」
「この命、アルベルト王子の望むままに」
ザイド男爵は、抑揚のない口調で言った。
王子執務室から退出した内務大臣ラングエッジ侯爵は、赤い絨毯の通路を歩きながら内務次官スラッド伯爵に語りかけた。
「スラッド伯爵、アルベルト王子もナギ王国とバーム皇国との友好条約草案に満足していたようだな。よくやった。後は次回の会議で詰めていくだけだな」
「アルベルト王子が、そのお考えを明確にお示しくださったおかげです」
「アルベルト王子は、暗殺未遂事件後に一段と逞しく御成になられた」
「あのように急激にご成長なさるお姿には、感服するばかりです。噂に聞いてはおりましたが、王族ハイエルフの覚醒というものですか」
「ああ、間違いないと思う。王族ハイエルフの覚醒にはまだ分からないことが多いが、恐らく、これまでに見聞きし、経験してきたバラバラの事柄が、突然結びついて一気に開花していくのであろう。アルベルト王子がそれだけ、豊かで、困難な人生を歩んでこられたという証だ。ひとたび、王族ハイエルフの覚醒が始まれば、日に日に国王としての資質が開花していく。近い将来に賢王として、民のためによい治世をなさるだろう。・・・スラッド伯爵、その時には其方がアルベルト王子の右腕となり、そのお考えを具現化していくのだ」
「はっ、肝に銘じます」
内務大臣ラングエッジ侯爵は、視線を高くして赤の絨毯を歩いて行った。
歌劇奉納の儀の当日。迎賓第2別館レーク。
朝食後に、宮廷から迎えの馬車が来た。歌劇奉納の儀は夜に執り行われるため、かなり早い迎えであった。それは、王立歌劇場に向かう前に、ルーナ王女からの要請があったからだ。
ダイチは、侍女のキャメルがホモ・サピエンスにと用意したタキシードに着替えた。
「儀式なのでドレスコードがあるとは思っていたが、謁見時の正装モーニングから、夜は準正装となるタキシードに黒ネクタイか・・・これも動き辛いな」
ダイチは、慣れない服装を着て、照れ隠しでキャメルにブツブツ言っている。
「ダイチ様、タキシードがお似合いですよ。さすがはホモ・サピエンスです。エルフの私は、ダイチ様のお姿にうっとりです」
キャメルが我が子の晴れ姿を眺めているかのような眼差しでダイチに言った。
「本当にお似合いです。どうぞ歌劇奉納の儀をお楽しみください」
侍女のクミンが、ダイチの肩についた糸くずを摘みながら言った。
「ありがとうございます。おだてられているのは分かりますが、そう言ってもらえると嬉しくなります」
ダイチは、笑顔でそう言っているが、内心は穏やかではない。歌劇奉納の儀では、アルベルト王子とルーナ王女の命が狙われるかもしれない。いや、ローズ第2王妃派は狙ってくるに違いないと考えていた。
ダイチは、タキシードに身を包み、胸の不安を隠しながら王宮グレートフォレストへと向かった。
王宮グレートフォレスト、王女の部屋。
王女の部屋には、アルベルト王子とルーナ王女、王女護衛のリリー、ダイチの4人がテーブルを囲んでいた。クローはテーブルの上に置かれ、カミューは床で横になっていた。アルベルト王子の護衛ザイド男爵は、歌劇奉納の儀式会場である王立歌劇場で、警備の最終確認をしているために同席していない。アルベルト王子の話では、ザイド男爵は、今朝の警備最終確認に出発する寸前まで、王子の歌劇奉納の儀への参加を見送るように説得をしていたと言う。アルベルト王子は、国家の繁栄と民への慈愛を祈る国家儀式ゆえに、参加への決意は揺るがなかった。
ルーナ王女が穏やかに話し始めた。
「ダイチ殿から提案のあった情報収集の結果について説明します。過日のアルベルト王子暗殺未遂事件についてです。リリー」
ルーナ王女が美しいヘテロクロミアの瞳で、リリーへ合図した。
「はい、では私の方から説明します。我々は情報収集に近衛兵情報局の全ての精鋭を投入しました。その結果、暗殺の実行犯4人は、金で暗殺を請け負う『夜面党』と分かりました。
本日未明、近衛長官ホワイト侯爵の指揮の元、『夜面党』のアジトを近衛兵団が急襲し、壊滅させました。残念なことに最後まで抵抗をしいた頭領は、捕縛寸前で自害してしまいました。アジトからは、王宮への侵入経路を示す地図が見つかりましたが、他に証拠となるものはありませんでした。
残された地図に記された侵入経路は、国王緊急脱出通路でした。これは第1級の国家機密となっており、国王を除くと極1部の重臣などしか知らない通路です。
内務大臣ラングエッジ侯爵の話では、アベイス・フォレスト国王陛下が亡き今では、この通路の存在を知る者は、3人のみであるとのことです。1人目は、内務大臣ラングエッジ侯爵ご本人、2人目は、更迭中の宮廷警備長官ブラウン侯爵、そして3人目は・・・・」
リリーの説明を聞いていたクローが、
『ダイチ、最低限必要な情報は手に入れた。先手攻勢ではなく後の先となる策をしかける』
王立歌劇場へと向かう馬車の中から、緑の芝生が生い茂った大きな広場が見えてきた。その中央には池があり、池の中心には銅像と噴水があった。その広場からは大理石の階段が王立歌劇場へと続いていた。
王立歌劇場は、巨大な四角い建物であったが、その入口には三角の大きな屋根を持っており、屋根は石造りの巨大な円柱によって支えられていた。屋根の上にはエルフの男性象と女性像が3体ずつあった。それら広場や噴水、巨大な王立歌劇場の全てが夜の闇の中でライトアップされ、神々しい雰囲気を醸し出していた。ライトアップは街灯の灯ばかりではなく、魔法も補助的に使用して演出効果を高めていた。劇場内の照明や歌劇の舞台演出でも同様であった。
王族専用口の前には、白の鎧を纏った衛兵が何重にも列をつくって待機している。そこへ、白馬4頭だてで白に金色の意匠のある馬車が到着した、その馬車からアルベルト王子が降りた。アルベルト王子は、白い上下の式典正装服で左腕には、黒い喪章を付けていた。護衛兵10人が取り囲むようにして誘導していく。
続いてルーナ王女の馬車が到着した。ルーナ王女は金色の髪に青い宝石のバライバトルマリンのついた銀のティアラを載せ、淡い青のドレスに白いハンドバックを手にしていた。護衛兵10人が同じように誘導する。その後もドリューン王子、ローズ第2王妃の馬車が次々に到着し、同様に護衛兵が誘導していった。
ダイチは、王立歌劇場正面の入口から入った。三角形の屋根の下を抜けると、目の眩むよううな眩しくライトアップされたエントレンスがあった。ホール入口の扉の上には、天使2人が向き合って大きな氷の結晶を持っているレリーフがあった。その氷の結晶は時計盤となっていた。時計の脇にも、壁の側面にも、あらゆる場所に彫金技術を駆使した豪華な飾りの付いたレリーフがあった。宮廷彫金師ワイルゼンの彫金工房で見たタガネで丹念に削り出す繊細な作業が目に浮かんだ。
床には深紅の絨毯が敷き詰めてあり、窓には深紅に橙の縁取りのついたベルベット生地のカーテンがウェーブしながら垂れ下がっていた。ホール入口の右側には、エルフの姿をした美しい女神が、雪の結晶の舞い散る森の中で微笑んでいる彫刻があり、これにも金銀の高度で繊細な装飾が施されていた。ダイチはその美しさと華やかさに魅了され、しばらく立ち止まって眺めていた。
ダイチは視線を上げると、エントランスの高い天井一面に描かれた絵画に眼を奪われた。重厚な黒雲に稲光と竜巻、地が裂けそこから湧き上がる炎、凍る森、競り上が大地、その大地の上には7人の神々しい神が禍々しい8人の魔人と相対している。7人の神はエルフやホモ・サピエンス、ドワーフ、獣人、見たこともない姿の人等の軍勢を率い、8人の魔人の後ろにはおびただしい魔族や魔物と思われる軍勢に満たされていた。7人の神と8人の魔人の間には、光の球があり、そこから幾筋もの光が四方に広がっていた。
ダイチは、この絵画の圧倒的な迫力に時を忘れて見入っていた。
ホールに入ると、全体が白い大理石造りであった。正面のステージはまだ深紅のカーテンで閉じられているが、かまぼこ型の形をしていた。その前にはオーケストラピットがり、そこから扇形に観客席が広がっていた。床には深紅の絨毯が敷き詰められ、座席は金色のフレームに赤茶のベルベットで覆ったクッションが付いていた。
ホールの側面には大理石でできたボックス席が横に5つ並んで飛び出していた。それが6層重なっていた。ボックス席の外側の大理石には、それぞれ美しいレリーフが施され、中は深紅の壁紙と絨毯、カーテン、金色の縁に深紅の椅子が6つ並んでいた。そこには小さなテーブルも付いていた。
天井の中心には、大きな円形の意匠と多数のランプのついたシャンデリアが下がっている。その周りの天井一面には、力強いレリーフが施されていた。
男性は左腕に黒の喪章、女性は黒の喪布で口元を隠した観客が、次々と席に付いていく。
アルベルト王子とルーナ王女は、ステージに向かって左の前から1番目、3層の王族専用ボックス席。内務大臣ラングエッジ侯爵と内務次官スラッド伯爵は、その隣にあたるステージに向かって左の前から2番目、3層の貴族専用ボックス席。
ドリゥーン王子とローズ第2王妃はステージに向かって右の前から1番目、3層の王族専用ボックス席。軍務大臣フォール侯爵と外務大臣コージス侯爵は、その隣のステージに向かって右の前から2番目、3層の貴族専用ボックス席だと予めリリーに確認しておいた。残りの3層の左右ボックス席には、他の貴族が座る。
ドリゥーン王子とローズ第2王妃がボックスの自席に来ると、観客は大きな拍手で迎えた。ドリゥーン王子とローズ第2王妃は、手を振りこれに応えた。
最後に、アルベルト王子とルーナ王女がボックスの自席に来ると、観客は立ち上がって盛大な拍手で迎えた。アルベルト王子とルーナ王女も手を振ってこれに応えた。次期王の登場に観客の拍手はしばらく続いていた。ドリゥーン王子は、これを苦々しく感じていた。
王族ボックス席は、横2列の8人席である。アルベルト王子とルーナ王女は並んで座席に座り、座席の後ろに正装の護衛服に白い雪の結晶の中で銀の雷鳥が翼を広げいる意匠の大勲位雷鳥章を胸に付けた王子護衛のザイド男爵、正装の護衛服を着た王女護衛リリーが帯剣して直立していた。更に後ろに2人の黒い鎧の護衛兵がいた。全てのボックス席には対魔法用の結界が施されていた。
ボックス席の扉をあけると王族専用通路があり、ここには赤い鎧の親衛隊10人が待機していた。王族専用通路から外の出口までは等間隔で警護兵が立っていた。
警護の指揮を執るのは、近衛長官ホワイト侯爵であった。
アルベルト王子は、立ち上がりボックス席から歌劇奉納の儀の開会を宣言した。
ホール内は割れんばかりの拍手に包まれた。大司教の祈りの後に、オーケストラピットから序曲が静かに奏でられた。
「いよいよ、歌劇が始まったわ」
ルーナ王女は、緊張で喉が渇き、ボックス席のテーブルに置かれたグラスに入った葡萄ジュースを1口で飲み干した。その後、膝の上の白いハンドバックを強く握りしめた。
「姉上、大丈夫です」
アルベルト王子はそう言って、ハンドバックの上にあったルーナ王女の手を握った。
リリーもザイドの左脇に立ったまま、険しい眼で辺りを警戒している。誰の目からも緊張していることが窺えた。
ザイド男爵は、真っ直ぐに前を睨んだまま、
「リリー、どうした。緊張は体の反射速度を鈍くするぞ」
「はい、ザイド男爵。観衆を前にしての王子と王女の警護は、どうしても緊張が高まります」
第1幕が始まった。
対面の王族の席では、ローズ第2王妃が、ワイイングラスを持ちながら、歌劇に引き込まれていた。ドリゥーン王子も横でワイインを飲んでいた。後ろには黒い鎧を纏った護衛の兵士4人が立っていた。
その隣のボックスでは、軍務大臣フォール侯爵と外務大臣コージス侯爵がワイイングラスを持って、何やら密談をしていた。その後ろにも鋭い目つきの護衛が4人控えていた。
「クロー、どうだ魔族の力の発生源は、このホール内にいるか」
ダイチが思念会話でクローに話しかける。
『少し黙っていてくれ。これだけの観衆が感情を高ぶらせて、興奮状態なのだ。その中で僅かな魔族の力を探知することは思っていたよりも難しい』
タン、タタタタッタ、タン、タタタタッタ
アァーーーーッ ライツェオーーーー
オーケストラの演奏とオペラ歌手の大音量の声がホールに響く。音響特性を考慮した構造なので尚更迫力が増していた。
ダイチはホール内の中央の席に座っていた。ここであればホール内を満遍なく探知できると考えたからだ。しかし、観客の熱気に気圧された形となっていた。
第1幕が終了した。休憩時間となり、観客はドリンクや軽食を求めて、ホール内からロビーへと移動を始める。
ダイチとクローは今のところ、魔族の力の発生源を突きとめられていない。
「クロー、考えていたよりも難しいようだな」
『ああ、探している魔族の力は魔族の精神エネルギーなので、観衆の高揚した精神のそれは魔族の力と似ていて、分かりづらい。ホール内は精神エネルギーの渦のような感じだからな・・・・』
その瞬間にクローがピクリと動いた。
「・・・どうした」
『いるぞ、このホール内にいる。休憩で観衆の興奮が落ち着いてきたので、魔族の力を感じることができる』
「どこだ」
『・・・移動している・・・右側だ』
「何階のどの方角だ」
『そこまでは分からん。とにかく右側だ。近づけばもっと鮮明になる』
「よし、右側の通路へ移動する」
ダイチは、黒の神書クローを左手に抱えたまま、右側の通路を目指して移動して行った。
『やはり移動しているが、ここだ・・・いや、この階の上からだ』
「この上はボックス席の2層だ。2層なのか」
『層までは分からん。とにかく上だ。上に行ってくれ』
ダイチは2層のボックス席通路へ移動した。ところどころに警備の兵が立っていた。
『近いぞ。この上の3層の通路だ。間違いない』
「よし、3層へ行く」
ダイチが3層へ移動しようと大理石づくりの長い階段を上がった。階段から着いた通路には4の文字があった。
「あれ、ここは4層だ」
『ダイチ、違うぞ1つ下の3層だ』
ダイチは慎重に階段を下りた。長い階段を下りると2層に出た。
「あ、そうか3層はここからは入れないんだ。3層は王族と貴族専用の層だから、一般市民の通路とは違う専用通路で行かなければならないのだ。くそっ」
『そうなのか惜しいな。でも、諦めるのはまだ早い。右側の3層と分かっているなら・・・』
「そうか、分かったぞクロー。ホール右側を壁伝いに前から後ろに向かって歩いて行けばいいのか」
『その通りだ。魔力の力の発生源の真下にくれば、そこの真上と分かる。そこから3層を見上げて見える人物が、魔族の力の発生源だ』
「よし、1度歩いてみるか」
ダイチは、休憩中のホール右側の壁伝いに前から後ろに向かって慎重に歩き出した。
『だめだな。魔力の力の発生源は止まったり、移動したりを繰り返している。恐らく3層の通路だ』
「2幕の始まる時間を待つか」
ダイチは、クローを腕に抱え、ホール右側の最後尾に待機した。
第2幕が始まった。
オーケストラの音楽と役者の台詞と歌がホール内に響く。
ダイチはホール右側を最後尾から前に向かって慎重に歩き出した。時折、観客の大きな笑い声やため息も聞こえてくる。
ダイチとクローは右側の壁伝いに移動しながら、思念会話をする。
『演劇が始まると、探知しにくくなるな』
「全く感じないのか」
『距離は近いので、微かに感じている。もう少し前だ』
ダイチはクローを抱えたまま階段状になった客席を1歩1歩下りて行く。
『ダイチ、この上だ。ぼやけた感じだが、この上の3層ボックスだ』
ダイチはボックス席を見上げた。壁からせり出した1層目のボックス席の底が見えた。それが邪魔で上層の席にいる人物は特定できない。
「この上は、前から1か2番目辺りだな。第2王妃と王子、貴族席だ。ただ人物の特定はできない。ボックス席には護衛も4人ずついるはずなので」
『そうだな』
「ここは一旦、自席に着いて、ボックス席内の人物を見てみるか」
『距離が遠くなるので、感知は難しくなるがやってみよう』
ダイチは、公演中の観客席内を移動して、ホールの中央にある自席に座り、3層の1番目と2番目のボックス席を見た。
1番目のボックスには、ローズ第2王妃が真剣な眼差しで歌劇を見ている。隣でドリゥーン王子がワイイングラスを片手に、役者のユーモラスな台詞と仕草に笑っている。後ろには4人の護衛が直立していた。
2番目のボックスでは、大柄でがっしりとしたホモ・サピエンスで40代半ばのハイエルフが何かを摘み口に入れながらワイインを飲んでいた。その隣では大柄で肥満のハイエルフが、時々禿げた頭をハンカチで拭きながら観劇していた。その後ろに4人の衛兵が直立していた。
「クロー、ボックス席2つの12人までには絞れたようだが、もっとなんとかならないか」
『あのボックス席内に入れれば、確実に特定できる』
「むう、それは警備もあってかなり難しいな。警備を指揮している近衛長官ホワイト侯爵に話をして、ボックス席手前の通路まで入れてもらうしかないか」
第2幕が終了して、休憩時間となった。次はいよいよ最終第3幕を残すのみだった。
ダイチが席を立とうとしたその時、
「お客様、よろしいでしょうか」
と、声がした。
ダイチがその声に振り向くと、黒い上着とズボンをはき、会場スタッフを示すカードを首から下げ、黒い喪布で口元を隠した銀髪のエルフ女性だった。
「なんでしょうか」
ダイチが応じると、
「外でお話をお伺いしたいことがあります」
「時間がないのですが」
「お時間はおかけしませんので、外まで」
ダイチはエルフ女性の後に従って歩いた。エルフ女性は王立歌劇場の入場口から出て、大きな広場まで来た。広場は歌劇奉納の儀とあって、それを祝う人々で賑わい、屋台なども多数あったが、木立に囲まれた静かな場所まで案内された。
「急いでいますので、お話は手短にお願いします」
「私はここの警備担当者です。お客様は先ほどボックス席の真下で何かをしようとしておりましたね。そのことについてお聞きしたい事があります。王立歌劇場ではお客様の立場もあると思いましたので、ここでお尋ねします」
エルフ女性の言葉は丁寧だが、その視線には突き刺さるような鋭さがあった。
ダイチは、自分の行動を不審に思い警備担当者が誰何しているのだと理解した。
「・・・・私は怪しい者ではありません。それはですね・・」
『ダイチ、少し距離を取れ、この女から火薬の臭いがする』
ダイチは、咄嗟に後ろへ跳んだ。その時、エルフ女性が手に何かを握って突いてきた。ダイチは辛うじてこれをかわした。女の右手には黒光りするクナイがあった。




