10. 海乃幸の真実
「……ぷっ……ぷふっ…………くくくっ……」
海乃幸は口を押さえて肩を揺らした。
「ちょっ、海乃っ、やめろっ、私までつられるじゃ……ふひっ……ふひひっ」
凛子に延焼しそうだが、マスクとサングラスを外してフードを脱いだのは失敗ではなかった。
「カッケー……」
小学生男子の見上げる視線が眩しい。
「あははははははははははっっっっっっっっ!!!! 何言ってるの幸太っ?! あははははははははははっっっっっっっっ!!!!」
「ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっっっっ!!!」
笑いのダムが決壊した。しかし、後悔はしていない。
「はあっ、はあっ、苦しい……。まさかこれが押本君のスキルなの?」
「私も散々やられたぞっ、笑わせて動きを封じる術だっ」
「んなわけあるかっ」
「ママーっ、僕大きくなったら魔王になる!」
「それだけはやめてっ」
「ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃっっっっ!!!」
「でっ、でもっ、押本君が魔族で良かったわ!」
「何言ってんですかっ。それより、海乃さんは何しに来たんです?」
「避難よ。子供と二人きりでいるよりは安全でしょ?」
そう言うと、海乃幸は帽子を手に取り、コートを脱いだ。
「!?」
「私もつい……魔族を選んじゃったのよ」
流れるシルクのような黒髪に、捻れた二本の赤いツノ。露出の多い滑らかな衣装は黒く輝き、背中の翼は薄く透けて長い尻尾がユラユラと揺れている。しなやかで艶のある曲線は、黒いブーツに飾られているようだ。全てがコスプレとは次元が違う。
「体型が変わっちゃったからさ、持ってる服が入らないのよ。肩が重くって……」
これでレベル1なのか!?
「海乃っ、エロいなっ!」
「サキュバスだからねー」
これはヤバい。
「フフッ」
赤い瞳が妖しく光ると、黒い唇から吐息が漏れた。
「ママー! お腹空いたー!」
「……幸太……」
「ハッ!」
危ない危ない、もうちょっとで子持ちの痴女に正気を失うところだった。
「……ピザでも頼みますか」
レベル2の魔王に、四人分のたこ焼きと焼売を出せる魔力はないのだった。
「それにしても、何で俺の住所を知ってるんです?」
「知らなかったわよ」
海乃幸はスマホを取り出した。
「ほら、これでどこにいるか分かるの」
「これって……見守りアプリ?」
「そうよ。子供用の見守りタグが余ってたから、私のコスプレ衣装のリボンで包んで、プレゼントしたの。昨日の夜に訪ねてきた怪しい女の子にね」
『ママー、お客さんだよー』
『お前が海乃幸だな?』
『えっと、あなたは誰?』
『マジック・ユニバースのテストプレイに参加してくれ』
『えっ、何でマジック・ユニバースのことを……』
『テストプレイに参加してくれっ』
『……いいけど……ちょっと待ってて、あなたに渡す物があるから』
『それでは、種族、職業、そして性別があれば選択してください』
「その時は適当にあしらったけど、後から警察のお世話になる可能性が大だったから、居場所が分かるようにしておいたの」
「ほら見ろ押本っ、よく似合うだろっ!」
凛子が得意げに頭を揺らした。どおりで見覚えのあるリボンだと思ったら、海乃幸のコスプレイベントの写真に映っていたのだ。
「つまり俺じゃなくって、凛子の位置情報を辿って……」
「せーかーいっ! まさかこうなるとは思わなかったけどね」
海乃幸は背中を向けると、透き通る黒い翼を広げた。長い尻尾が揺れている。
「ママー、かっこいい。僕も羽欲しい」
「あーーっこのままコミケに行きたいなーっ」
「押本ーっ、こっち見ろこっちーっ」
何故か揺れる尻尾から目が離せない……。
するとその時、どこからともなくアナウンスが流れた。
〝ポポ~ン!〟
『海乃幸のレベルが7になりました。管理パネルでステータスを確認して下さい』
「レベル7っ!? 海乃様っ、いくら何でも成長が早すぎやしませんかっ?!」
まさか、片っ端から男を誘惑して……。
「押本っ、今〝海乃様〟って言ったぞっ」
「えっ、いやその……」
海乃様が何もない空間をダブルタップすると、目の前に大きなスクリーンが現れた。後で知ったが、エアモニターというらしい。
【名 前】海乃 幸
【種 族】魔族/淫魔
【職 業】会社員/ビジュアル制作、主任/キャラクターデザイナー
【性 別】女
【レベル】7
【資 金】3,405,118円
【生命力】38@38
【攻撃力】19@19
【防御力】27@27
【魔 力】6@40
【守 護】なし
【サイズ】B89(D70)/W60/H88
【装 備】魅了の衣/濡れたストッキング/穢れたハイヒール
【スキル】誘いの声/妖しい瞳/甘い吐息/淫らな尻尾
《新しく〝迷いの香〟を獲得しました》
【擬 装】ウェイトレス/OL
《新しく〝歯科助手〟を獲得しました》
【討伐数】死亡 0
【 〃 】全治六ヶ月 9
【 〃 】全治三ヶ月 14
【 〃 】全治一ヶ月 28
【 〃 】軽症 36
【籠 絡】1
【魔 力】が6に減っている。どうやら俺は、スキル〝淫らな尻尾〟にとどめを刺されて状態異常に陥ったらしい。しかし気になるのは、討伐数である……。
「討伐って言うより、街を歩いてただけなんだけど、何故か私の周りで交通事故が多発してね」
「えっ、まさかその格好で街を歩いたんですか?」
「だって、ログオフのボタンが消えたんだもんっ。それにこの衣装だって最初はもう少し大人しめで、胸もこんなに大きくは……」
「なるほど、渋滞の原因が分かりました」
「私の調査では、この時代の交通事故の原因は脇見運転が第二位となっていたな」
「ホント、男ってバカよねーっ」
「海乃のレベルが上がったのも、押本が誘惑に負けたからだぞっ」
「いや、俺は被害者なんだが……」
ゲームバランスの調整不足か、いずれにしても危険極まりない。いっそのことテストプレイの中止ではなく、マジック・ユニバース自体の開発中止を社長に相談すべきか……。
翌日、俺は凛子を連れて海乃幸と一緒に社長室の扉を開いたが、そこで待っていたのは一匹の魔物であった。
「おや、その顔は押本君と海乃君だね、おはよう。凛子君もよく来たね」
社長はスライムだった。