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一丁倫敦の杏樹のアパートメントは、いつになく人が多くて、大騒ぎだ。
「もう!有馬、邪魔!なんでこんなときに、うちに来るん?」
「ひ、ひどいです、杏樹さま。いつもの様子伺いに来ただけなのに、邪魔者扱い……?!」
杏樹の帰りを富久と共にのんびり待っていた有馬は、佐々喜らを連れて帰ってきた杏樹の言葉によろめいた。
だが杏樹は、そんな有馬の肩を冷たくぐいっと押す。
「はいはい、有馬は向こうへ行って!……環、一緒に座りましょ。辰五郎さんとキヨシくんは好きなところに」
「おう」
「えと、オレは別に立っていても……」
「キヨ坊、気にしなくていいから座りなさいな」
追いやられて悲しげな有馬に構うことなく、環は杏樹の横に腰掛けて、キヨシに声を掛ける。
キヨシは身を縮めながら、そっと勧められた席に腰を下ろした。一方、佐々喜は、もう座っている。
「ほんなら有馬さま、珈琲豆を挽くのを手伝ってもらえますか」
富久が気を使って、有馬に声を掛けた。有馬はホッとしたように返事した。
「はい!喜んで!」
「―――で?わたくし、今回は最初から最後まで蚊帳の外なんですけど?……結局、どうなったのかしら?」
台所へ行く有馬を横目で見ながら、環が質問を発した。
白喜久家の近くでおとなしくキヨシと待っていた環は、アパートメントに着くまでこの質問を我慢していたのだ。
杏樹は佐々喜と目を合わせた。佐々喜が頷いて、話し始める。
「今回の千里眼騒ぎは、番頭がご隠居の飼っている猫を殺したことに端を発していたんだ」
「番頭さんがネコを殺した?!」
キヨシが目を丸くする。
環は首を傾げた。
「それがどうして、千里眼に繋がるの?」
「白喜久家の主人に、直接訴えられなかったからさ」
―――番頭の太多は奥方の親戚筋の人間で、白喜久家では一年半ほど前から働き始めた。
やや無愛想で口下手なため、店ではなく、屋敷内の雑務や管理を任された。屋敷内の奉公人教育も彼の担当で、非常に厳しかったという。特にお梅は、しょっちゅう食事を抜かれる罰を受けていたらしい。
そんな太多が、ある日、縁側で寝ていた猫を蹴り飛ばして殺してしまった。
お梅はたまたま、それを見てしまう。しかし太多は、誰も見ていないと思って、死んだ猫を縁の下へ放り込む。
お梅は、この件を主人の尾邑へ言うべきかどうか、悩んだ。しかし、屋敷の奥で働くお梅は尾邑と会う機会がほとんど無い。そもそも一番下っ端のお梅が、手代や番頭を通さずに直接主人と話すのは難しい。
悶々としつつ、太多のその後の動きを気にしていると―――夜にこっそり、太多が猫の死骸を持ってどこかへ行こうとしている。
そっと後をつけたところ、太多はヒビの入っていた蔵の壁を壊し、そこへ猫を埋め込んでしまった。そして、翌日には何事も無かったかのように、「その壁は崩れかけていたから、昨日、修理した。触らないように」などとお梅たちに言う始末。
「……馬鹿じゃないの?どうして、蔵の壁に埋め込むのよ。外へ捨てに行けばいいじゃない」
あらましを黙って聞いていた環が、とうとう呆れたように口を挟んだ。
尾邑とともに太多を問い詰めた佐々喜は、苦笑いをする。
「太多もそうしたかったようだが、昼間はとにかく人目があって外へ出れねぇ。夜はあの辺りはまだ街灯もなく真っ暗だ。提灯を持ってウロウロするより、手っ取り早く埋めちまえと思ったんだとよ。あの猫は白喜久家のご隠居が可愛がっていることは近所では知れ渡っていた。適当にその辺に捨てて、犯人探しが行われても困るとも思ったらしいな」
「えええ?だから埋めるなんて……それ、手っ取り早いかしら……?わたくし、壁の補修なんて出来なくてよ?」
「太多は仕事を転々としていてな。左官の職についたことはねぇが、奉公先で手伝わされたことがあるんだとよ。ちょうど表側の土塀を補修していたもんだから、そこから材料を拝借したらしい」
「ふぅん……夜中にまあ、ご苦労なことだわ」
その通りだ。だが、ご隠居の可愛がっていた猫を殺してしまったことがバレると、白喜久家を辞めさせられるに違いないと焦り、太多も必死だったらしい。
一方お梅は、埋められた猫が可哀想で仕方がない。太多の所業を暴くというより、猫をちゃんと葬ってやりたい一心で、兄に相談した。相談された兄は、さらにマサに相談した。
マサは悩んだ末……やはりマサでも、主人の尾邑と直接話をするのが難しいため、千里眼という茶番を思い付いたのだという。
裏に出入りする商人たちに、太多には気付かれぬよう少しずつ噂を広め、やがて尾邑の耳に届いたときに、「蔵の壁の中に猫がいる」と言う筋だ。
「なるほどねぇ。普通に、壁の中に猫がいるなんて言っても信じないけれど、千里眼の力があるとなったら、確かに信じるわね。じゃ、キヨ坊なんて、格好の的だったんじゃないかしら。新聞社と繋がりがあるし」
「えっ、オレ、利用されたってことっスか?」
悲しそうに眉を下げたキヨシに、佐々喜が笑う。
「はは、実際、キヨ坊はいい働きをしたと思うよ。お前さん、俺んとこへ持ってくる前に、豆腐配達先でさんざん吹聴して回っただろ?予想よりも早く噂が回るから、マサが言うには、キヨ坊以外には醤油屋の御用聞きにしか千里眼は見せてないんだとよ」
「えええ~、マサさん、もういっぱい、いろんな人に見せたって言ってたのに」
キヨシはがっくりと肩を落とした。
そのときちょうど富久と有馬が珈琲やお茶、お菓子を持ってきた。キヨシが手伝って、全員に配る。
富久は、台所の小さな腰掛けを二つ持ってきて、有馬と二人、壁際に陣取った。
「台所でも少し聞こえてたんやけども、こちらで残りを聞かせてもらってもよろしおすか?」
「もちろん!」
環が答え、珈琲を一口飲んで杏樹を見た。
「それで。結局、千里眼は嘘だったのでしょう?一体、どのような仕掛けだったの?」
「そうそう、それ!あの場で種明かししてくれなかったから、気になって仕方ねぇんだよ」
佐々喜も大仰に相槌を打つ。
杏樹は、軽く肩をすくめた。
「種っていうほどやあらへん。兄の正太さんが、手でお梅ちゃんに教えただけや」
「ええ?正太も塀の外だったぞ。中は見えてないだろう」
佐々喜が渋い顔で言い、キヨシもぶんぶんと首を縦に振った。
杏樹は立ち上がり、隣の部屋から紙とペンを取ってくる。そして、さらさらと図を描いた。
「環は実際に見てへんから、わからへんよね。これが、うちが千里眼を見せてもろたときの、みんなの位置。お梅ちゃんは、この塀の外に立って、塀の内側を歩いているのは誰か、当てるねん」
「へえ……確かに、これではお兄さんも中は見えないわね」
「うん。そやけど、この見世物は参加した奉公人全員が共犯やから。ここで待機している一人が正太さんに合図を送り、正太さんも同じものをお梅ちゃんに合図する」
「ああ、それなら可能だわ!なーんだ、簡単な種じゃない。あなた、これを見抜けなかったの?」
最後の言葉は佐々喜へ向けたものだ。
やや馬鹿にした口調に、佐々喜がカチンとした顔で環を睨む。
「宇兵衛という男性に、長い髪の鬘をかぶせた。そしたら、お梅ちゃんは宇兵衛のはずだが、女性かも?と答えたんだ。俺が鬘を用意しているなんて、予想外の行動のはずだ。手の合図で、そこまで知らせられるとは思えない」
まあ!と環は目を丸くする。
キヨシはまたもや首を縦に何度も振った。
全員の目が杏樹に向く。杏樹は、にっこり笑った。
「合図は、例えば宇兵衛さんなら親指、マサさんなら人差し指を立てると、簡単に決めていたはずやねん。でも、もし予定にない人物が選ばれた場合、男か女かだけ、伝えると決めていたんちゃうかな。指は立てず拳にすれば男、広げて掌を見せれば女、みたいに」
「そうか……」
佐々喜が呆然と呟く。
「あのとき、お梅ちゃんは宇兵衛の名を言ったあと、戸惑うように女の人?と続けた。それは、長い髪の宇兵衛が見えたからではなく、合図の意味がわからないまま、それを言ったからだったんだな」
「そ。種がわかれば簡単やろ?でも、お梅ちゃんみたいな純朴そうな子が嘘を言うように見えへんから、信じてしまったんやろね」
キヨシが鼻の頭に皺を寄せた。
「なんかダマされたのは悔しいっすけど……でも、お梅ちゃん、猫のためにこんなことをしたのかぁ」
やっぱりお梅ちゃん、いいコだなと小さく続ける。
杏樹は手を伸ばしてキヨシの頭を撫でた。
「あとはまぁ、マサさんや他の奉公人たちが太多の横暴ぶりを主人に訴えたかったから協力したというのも大きいやろね。みんな、太多のことを怖がっていたし」
太多の話になると皆、怯えていたし、お梅はガリガリ、他の奉公人たちも食事を満足にとれているようには見えなかった。
太多は、躾や教育と称して、過度な体罰を与えていたらしい。
特に壁の中に猫がいると言ったあと、太多の横暴ぶりは更に増した。もっとも太多としては、お梅の千里眼の真偽よりも、犯行がバレる!と恐慌状態に陥っていたようだが。
「最低ね、その番頭!で、ちゃんと罰したの?」
軽蔑した口調の環の言葉に、佐々喜が頷く。
「今回の件で、尾邑さんは太多を解雇すると決めたよ」
「そう、良かった……」
「尾邑さんも、奥の奉公人たちに気を配ってなかったことを反省していた。お梅ちゃんたちの待遇がこれで良くなるといいな」
佐々喜の言葉に、その場の全員が首肯した。
数日後、白喜久家にて―――
環が、わくわくした様子で裏口の出入り口に陣取っていた。そのそばには、白喜久家の主人、尾邑の姿もある。
仕掛けがあっても構わない、千里眼の実演を見てみたいと環が言い出したためだ。
尾邑も、結局一度も見ていなかったので、自分も参加させて欲しいとやって来た。
すっかり明るい表情になったお梅が、にこにこと塀の外で手を振る。
「用意できました!環おじょうさま、歩かせる人をえらんでください!」
「わかったわ!……えーと」
並ぶ奉公人たちをちらりと横目で見て……環はそばにいるキヨシを押し出した。
いたずらをする子供の顔で、キヨシに囁く。
「キヨ坊、行って!」
キヨシは目をぱちくりとさせたあと、苦笑しながら塀の内を足取り軽く歩いて行った。
環は、キヨシやお梅に目もくれず、奉公人や正太を何度も見比べる。奉公人たちはにこにこと立っているが、みな、手は後ろ手に組んでいた。
環の眉が寄り、尾邑も不思議そうに首を傾げた。
「……お梅ちゃん。誰が歩いたか、わかる?」
塀に手をついていたお梅は、声を掛けられて、環を振り返った。
「えーと……キヨシくんです!」
「当たり……」
おかしいわね、合図を送っていたかしら?と呟きながら、環は次は奉公人の中から一人を選んで歩かせる。
お梅は、それも当てた。
環は目を皿のようにして、屋敷の出入り口付近に並ぶ奉公人たちを観察していたのだが……誰もそれらしい合図は出していない。
さらにもう一人歩かせてから、とうとう環は叫んだ。
「ちょっと!杏樹、これは一体、どういうことなの?!あなたが言っていた仕掛けはないじゃない!」
これでは、本物の千里眼だわ!と言う環に、奉公人たちと一緒にいた杏樹が笑う。
今回、始める前に杏樹は少しだけ入れ知恵をしたのだ。
「手の合図はバレやすいから。一番左端にいる人で、誰かを伝えてたんよ。例えば宇兵衛さんやったら、マサさんっていう風にね。あとは、向き。正面向きか、横向きか」
「でも、キヨ坊は?」
「環やったら、キヨシくんを選ぶ可能性があるもん。だから、キヨシくんも選択肢に入れておいた」
環はがっくりと頭を垂れた。
「もーう!杏樹、ずるいわ!」
「ふふ。そやけど、本物の千里眼かも?って楽しめたやろ」
「ええ、そうね……」
尾邑も感心したように頷いた。
「なかなか面白かったですよ!仕掛けがあると知っていても、見破れないものですなぁ」
これなら、客寄せの見世物にしても良いかな?と言い出し、それを聞いたお梅が慌てた。
「む、むり!むりです、だんなさま。大勢の人が見てたら、緊張します!」
「あはは、冗談だよ。いや、でも、面白かった。お前たちの発想は大したものだ」
マサを始め、奉公人一同は照れくさそうに肩をすくめた―――。
第五話、完結!
一真の依頼を受ける前に、新聞社の佐々喜を出しておきたかったので、さほど謎もない話となりました……。
次こそは、あまり間を空けずに更新できるよう、頑張ります。
その前に人物紹介や用語解説を入れたいなぁ……。




