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「帝都萬新聞社の佐々喜と申します」
いつもよりはキリッとした顔と姿勢で、佐々喜が問屋の主人に挨拶する。
主人の尾邑は、やや戸惑いを隠せない様子で佐々喜に頭を下げた。そして、佐々喜の後ろにいる杏樹を不思議そうに見やる。
ちなみに、環とキヨシは店の前で待機だ。一緒に中へ入れないと知って環は臍を曲げたが、杏樹が「これは奉公人たちの命が掛かってるかも知れへんねん」と言うので驚き、それ以上の不満は漏らさなかった。
「一体、どのようなご用件で……」
尾邑が佐々喜に尋ねる。
佐々喜はキリッとしたまま、真面目な声音で答えた。
「先日、こちらで奉公しているお梅の千里眼を見せて頂いたんですがね」
「新聞社の方が、お梅の千里眼を?!」
「ええ。やはりこれは記事にしたいので、改めて取材をさせて欲しいのです。ご主人にも詳しい話をお伺いしたい」
尾邑は驚いたように目を瞬かせた。
「いや、その……実は、わたくしはお梅の千里眼を見ておりませんでしてね。というよりも……先日、蔵の壁の中に猫がいると荒唐無稽なことを言い出して、うちの番頭が叱ったところなんです」
「ほほう!蔵の壁の中に猫?!それは、ぜひ、きちんと調べてみたいですなぁ」
「壁の中をですか?!」
尾邑が困ったように眉尻を下げた。
佐々喜が詰め寄る。
「もし、本当に壁の中に猫がいたなんてことになれば、国が正式な調査に乗り出すかも知れませんぞ。そのような件を、我が社が一番最初に記事に出来るというなら……そうですなぁ、それなりに謝礼も……」
声をひそめ囁く佐々喜は、悪い顔をしている。
杏樹は済ましながら、(詐欺師……)とこっそり胸の内で呟いた。佐々喜に、尾邑が壁の中を調べたくなるようなことを言って欲しいと指示したが、謝礼云々までは言っていない。
尾邑は半信半疑の顔をしつつ、「では、お梅を呼んで参りますので、お待ちください」と佐々喜に頭を下げた。
ほどなくして、お梅が来た。
顔色は優れず不安そうな様子だったが、杏樹に気付いてほんの少しホッとした表情になる。
杏樹は、にこっと笑って手を振った。
「こんにちは、お梅ちゃん!」
「こんにちは……」
佐々喜も、彼にしては優しそうな笑顔を浮かべる。
「やあ、お梅ちゃん。悪いけど、もう一度、千里眼の力を見せてくれないかなぁ」
お梅は杏樹と佐々喜を交互に見、それから主人の尾邑の顔色を窺う。
尾邑は、鷹揚に頷いた。
「先日は、太多が虚言だって言うからそのまま鵜呑みにしたが……私も気にはなっていてね。新聞社の方がこう言うんだ、ぜひ、見せて欲しい」
「はい……」
「あ、でもその前に!」
杏樹がパン!と手を合わせた。
「壁の中に猫がいると聞いたのだけど、それって何処なのかしら?壁の向こう……では無いのよね?」
お梅は、ハッとしたように杏樹を見上げる。
佐々喜が杏樹の横でうんうんと頷いた。
「そうそう。壁の中っていうのが意味わからねぇ。お梅ちゃん、その壁は、何処なんだい?」
お梅は目を大きく開いて、杏樹と佐々喜を交互に見比べる。そして何度か唾を飲み込み、裏手の方を指した。
少しばかり急いた調子で言う。
「向こうの蔵です」
「向こうの……」
「はい。先だって、直したばかりの蔵」
「もう一度、確認なのだけど。蔵の中ではなく、蔵の壁の中なのね?」
「はい」
迷いなく言い切るお梅に、尾邑も真剣な顔になった。
「そうか、あの直した蔵だったのかい。直しているときに、猫が入り込んだ……というには、無理があるねぇ。でも、お梅は自信があるんだね?」
「はい」
青白い顔のお梅が、今度は真っ直ぐに尾邑を見て頷く。
尾邑はしばらく思案したあと、佐々喜を見た。
「わかりました。では、その壁を壊してみましょうか。本当に猫がいるなら、そのままにしておくのも気味が悪い」
「まったく、そうですな。猫が祟るやも知れない」
「おお、それは勘弁してほしい!」
尾邑が身を震わせる。
尾邑と佐々喜の会話に、お梅はようやく強張らせていた肩の力を抜いた。
―――尾邑の指示のもと、店にいた数人の男たちが鳶口を手に裏庭の蔵へ向かう。そして、最近直したばかりだという箇所に鳶口を打ち込む。
漆喰がぼろぼろと落ち……すぐに一人が「うわぁ!」と大きな声を上げた。
壊された壁の間から見えているのは――猫の頭だった……。
猫の死骸が壁の中から出てきたので、現場は騒然となった。
佐々喜が慌てて杏樹とお梅の視界を遮り、ここから離れるように言う。主人の尾邑も、屋敷で待っている方がいいとマサを呼んでくれた。
杏樹は二人の言葉に従い、青を通り越して白い顔色になっているお梅の手を引いて、マサの案内で屋敷の中へ入る。
中に入ったところで、頬骨の尖ったギョロ目の壮年男性と行き合った。
マサとお梅が小さく息を飲む。
「太多さん……」
男はお梅とマサ、杏樹を険しい顔で見比べ、お梅に問い掛けた。
「お梅。そちらのお嬢さまは?」
「えと……」
「上壱條杏樹と申します」
お梅が答える前に、杏樹はにっこりと微笑んで名を名乗った。
一瞬、男は怪訝そうになったが、上壱條の名に思い当たるものがあったようで、ハッと一歩下がった。
身形の良い娘、上品な物腰、上壱條とくれば―――帝都の人間なら侯爵家を連想する。
「もしや、上壱條侯爵の……」
「ええ、娘ですわ」
頷いて、杏樹はさらに笑みを深くした。
「私、超常現象に興味を持っておりまして……お梅ちゃんの千里眼の能力を見せて頂きに参りましたの。先ほど、お梅ちゃんの言う通り、壁の中から猫が見つかって……今、向こうは大騒ぎですわ」
「……っ!」
男は息を飲み、反射的にお梅を睨みつけた。
お梅が震え上がる。
杏樹は、すっと自身の背にお梅を隠した。
「まあ!どうして、そのような怖い顔をなさるの?」
「……いえ。その娘はよく虚言を言いますので…………」
「あら。虚言では無いでしょう、だって本当に猫がいましたもの」
「そう……ですか……そうですね。すみません、ちょっと、向こうを見てまいります。失礼いたします」
男は狼狽え、杏樹の視線から顔を背けてそそくさと蔵の方へと歩き出した。
だが数歩で足を留め、「お梅」と振り返らずに声を上げた。
「は、はい……」
「まさか、お前に千里眼の能力があるとは驚いたが……あまり、あれこれと勝手なことを他人さまに話すんじゃないぞ」
「……はい」
お梅の小さな返事に頷き、男はそのまま裏庭へと出て行った―――。
蔵の壁から出てきた猫は、白喜久家のご隠居が可愛がっていた猫だったそうだ。姿が見えなくなり、ずっと探していたのに……無残な姿で発見され、すっかり意気消沈してしまったとのこと。
屋敷の客間で待っていた杏樹は、事の顛末を尾邑から説明され、「まあ……」としおらしく目を瞬かせた。
ちなみにマサとお梅は仕事に戻っており、杏樹は一人で客間にいた。
「そうですか、ご隠居さまの可愛がっている猫でしたか」
「ええ、まだ手の平に乗るような小さい頃から飼っていた猫なので……どうして、あんな壁の中に……かわいそうに……」
尾邑が悲痛な顔で首を振る。
「まあでも、お梅のおかげで、ちゃんと葬ってやることが出来ます。あのまま壁の中では、猫も浮かばれんでしょう」
「そうですね。お梅ちゃん、猫を壁の中から出してやりたくて、あんな狂言をしたのでしょうから」
頷いて杏樹が答えれば、尾邑と佐々喜が目をぱちくりとさせた。
「狂言……?」
「あら?辰五郎さん、お梅ちゃんの千里眼は仕掛けがあると思っていたのでしょう?なんのために、そんなことを始めたと考えていたの?」
杏樹の問い掛けに、佐々喜は「えええ?」と声を上げた。
「いや、なんのためにって……そんなの、考えもしなかった……。猫のためだと……?」
「え?お梅の千里眼は、嘘なんですか?」
混乱する佐々喜の横で、尾邑も驚く。
杏樹は、居住まいを正して尾邑を見た。そして、真面目な声音で言う。
「そうです。お梅ちゃんは、猫を壁の中から出してやりたくて、千里眼のふりをしたのです。普通に訴えても、きっと聞いて貰えないと思ったから」
尾邑も真剣な顔になった。
「……説明をしてもらえますか」
「もちろん。私はそのために、この白喜久家さんへ来たのですから」
杏樹は真っ直ぐに尾邑を見つめた。




