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ようやくの更新再開となりました!(まさかの一年越し)
でも、次の更新は来週です、すみません。
そして前回予告した一真からの依頼ではなく、別の話となりました……。
通りの見える窓辺で読書を楽しんでいた杏樹は、向こうから来る見知った姿に気付き、声を上げた。
「富久!お客様が来はるわ。お茶と珈琲を用意してくれへん?」
すぐそばで繕い物をしていた富久が顔を上げる。針を置き、よっこらせと立ち上がった。
「あら、ちょうどお八つの時間ですねぇ。今日は頂きものの羊羹があるんですけれど……珈琲と合いますやろか」
「大丈夫やないかなぁ」
「ほな、用意しますね」
富久はにこにこと頷き、台所へと向かう。
杏樹も本を置いて、居間のソファへと場所を移した。
―――しばらくして、アパートメントの扉が叩かれる。杏樹を訪ねてきたのは、キヨシだ。以前、とある事件で関わった少年である。
キヨシの後ろには、草臥れた格好の壮年の男性もいる。
「どうも、お嬢さま」
ハンチング帽を脱いで、無精髭の男はにやっと笑った。
無精髭の男は佐々喜辰五郎、新聞記者である。以前、杏樹が道に迷っていたときに助けてくれたことが縁で、親しくなった。
その後、ちょっとした雑用で使い走りをしてくれる者を探していると聞き、ちょうど空き時間の仕事を探していたキヨシを彼に紹介した。以来、キヨシは豆腐屋と新聞社、二つの仕事を精力的にこなしている身だ。
「今日はどないしたん?」
二人をソファに座らせて、杏樹が口火を切る。
富久が黙って佐々喜の前に珈琲と羊羹、キヨシの前にお茶と羊羹を置く。
キヨシが興奮したように身を乗り出した。
「実は、壁の向こうにいる人が誰か、わかっちまう能力の子がいるんスよ!でも、佐々喜の旦那は絶対、何か仕掛けがあるはずだって、信じてくれねぇんだ。だからお嬢さまなら、もし仕掛けがあっても、見破れるんじゃねぇかなぁと思って……」
「壁の向こう?」
杏樹は目をぱちくりとさせる。
佐々喜が苦笑した。
「ああ、なんか、壁の向こうにいる人間が誰か、分かるんだと。いわゆる千里眼ってやつになるのか?でも、昔、話題になった御船千鶴子みたいに、封筒の中の文字が読めたりする訳じゃないらしい」
「へえ……でも、壁の向こうが見えるってすごいやん」
「いやでも、壁の向こうの人間が誰かは分かるが、何をしているかは分からねぇ。精神力を使うから、透視出来るのは一回に二、三人程度。そんな感じでいろいろと制限があるらしいから、どうも胡散臭ぇんだよな」
佐々喜は無精髭の生えた顎を撫でる。
杏樹は人差し指を軽く唇に当てた。
「……そやけど、御船千鶴子さんの千里眼も、当てるまで時間が掛かったんとちゃいましたっけ?しかも、別室に籠もってたって」
「そうそう。だから詐欺だって騒がれたんだよな。自殺しちまったから、結局、真相は分からず仕舞いだけど」
佐々喜が頷く。
御船千鶴子以外にも長尾郁子など、一時期、千里眼で話題になった人物はいる。だが、この頃はとんと話題に上らない。二人がもう故人となったせいもあるだろうし、千里眼は詐欺だと人々が思うようになったからだろうか。
「ともかくも、その千里眼の噂を今から確かめに行くんだよ。で、出来たらお嬢さまも一緒に来て欲しいってワケだ」
「辰五郎さん、詐欺やと思うなら自分で見破ったらええのに」
一緒に行くのは吝かではない。
が、杏樹はふふふと袖で口元を隠して佐々喜をからかう。
佐々喜が渋い顔になった。
「俺ぁ、根が素直なモンでね。絡繰りがあったとしても、とても分かりゃしねぇよ」
「根が素直やなんて……よう言うわ」
佐々喜はどちらかといえば、根はぐるぐるに巻いていて、真っ直ぐなところがないくらいではないだろうか。
しかし杏樹はそれ以上は追求せず、珈琲を飲み干して立ち上がった。
「ええよ、ほんなら行こか」
「おう。……宜しく頼むよ」
にやっと笑って、佐々喜も立ち上がった。
キヨシは慌てて羊羹を頬張った――。
訪れたのは、かなり大きな屋敷だ。
立派な門に分厚い塀、中はこの頃流行りの洋館付き住宅ではなく純和風な家屋で、重厚な瓦屋根が美しい。亀の飾り瓦も見えた。敷地内には蔵もあるようである。
屋敷の主は尾邑亀松、江戸時代から続く木綿問屋、白喜久屋とのこと。
キヨシの案内で、杏樹たちは裏口へと回る。
「こんちはー!」
キヨシは勝手知ったる風で、裏口から建物の中へ入ってゆく。
入った先は、台所だ。キヨシはよくこの尾邑家に豆腐を届けているのだ。
「キヨ坊!……その人が新聞社の人?」
「あ、マサさん。うん、そうだよ!」
台所にいた二十代半ばくらいの女性が、キヨシに気付いてすぐそばに来た。
「どうも。帝都萬新聞社の佐々喜辰吾郎と言います」
くたくたのハンチング帽をちょっとだけ頭から持ち上げて、佐々喜が挨拶をする。
「この家の女中のマサです。……新聞社の人と会うなんて、初めてですから……緊張しますね……」
マサはにこにこしながら髪を手櫛で整え、佐々喜を中へ招き入れた。
その途中で後ろの杏樹に気付き、目を丸くする。
「そちらのお嬢さまは……」
「うちの社のお得意様の娘さんでね。是非とも千里眼を見てみたいというものだから、一緒に来たんだけど……駄目だったかなぁ?」
「いえいえ、そんなことはございません。良いところのお嬢さまをこんな裏口でお迎えして、申し訳ないというか……」
マサは恐縮するように肩を縮める。その肩は細く、随分と痩せているようである。
杏樹はにっこりと笑った。
「どうぞ、気になさらないで下さいな。わたくしが勝手について来ただけですもの」
途端にキヨシが口をもにょもにょとさせて、横を向く。杏樹の猫被りが可笑しくて仕方ないのだ。
反対に佐々喜は、しれっと杏樹を前に押し出す。
「いやぁ、お嬢さまは好奇心が旺盛でして。では、一緒に見学しても宜しいですな」
「ええ、はい、お嬢さま一人増えるだけなら、大丈夫です」
佐々喜は首を傾げた。
「あんまり大勢だと、千里眼が出来なくなる?」
「人の気配が多すぎると、分からなくなるらしくて……」
「なるほど。やはり常人ならざる神通力ともなれば、繊細な能力なんでしょうなぁ」
神妙な顔で佐々喜は頷く。
マサはホッとしたように笑った。
「みたいですね。……では、お梅を呼んできます」
マサが連れて来たのは、十一、二歳くらいの少女だ。マサ同様、かなりの細身である。
少女の後ろには、少女に似た面立ちの十六、七歳の少年もいた。
「この子が千里眼の力を持つお梅です。こちらは、兄の正太。お梅は人見知りでして……近くに兄がいる方が落ち着くんです」
マサはこの屋敷でもう十年ほど働いており、この兄妹は去年からだそうである。気の弱そうなおとなしい兄妹を、しっかり者のマサが面倒を見ている感じだろうか。
「初めまして、お梅ちゃん、正太くん。帝都萬新聞社の佐々喜だ。……今日はお梅ちゃんの千里眼の力を見せてもらうよ」
「……はい」
兄にぴったりとくっつきながらも、お梅はしっかりと佐々喜の目を見て返事した。
緊張しているのか、手は固く握り締められている。兄の正太が、そんなお梅の背を優しく撫でた。
さて、千里眼の実験は、次のようなやり方だ。
佐々喜や杏樹たちは、裏口に立つ。
お梅は屋敷の外に出て、裏口より少し先の塀のそばへ。そして屋敷の使用人数人の中から、佐々喜が選んだ人間を内側の塀沿いに歩かせる。するとお梅が、その歩いた人物が誰かを当てるというものである。
お梅からは塀の内は見えないが、裏口に立つ佐々喜や杏樹たちは塀の内と外が見える。なので、不正が行われてないかどうかが分かるという仕組みだ。
ちなみに、兄の正太はお梅から少し離れたところで様子を見守っている。
「塀のそばを歩かせる人間は、屋敷の使用人しかダメなのかい」
「お梅が知ってる人でないと……」
「そりゃそうか」
佐々喜は頷き、並んでいる使用人たちを眺めた。
四、五十代くらいの男三人、女二人の計五人。
佐々喜は少し悩んだあとマサに近寄り、耳打ちした。
マサは「え?」と困った風になったが、すぐに頷いた。そして、ゆっくりとそのまま塀の内側を歩いてゆく。
つまり佐々喜が選んだ一人目は、マサだ。
集められた使用人たちは、バラバラに屋敷近くで留まり、マサの歩く様子を眺めている。
マサは適当に奥まで歩き、再びこちらへ戻ってきた。
佐々喜はそれを確認してから裏口から顔を出し、お梅に声を掛ける。
「お梅ちゃん!誰か、分かるかい?」
壁に両手をついて俯いていたお梅は、壁から手を離してこちらを向いた。
やや視線を彷徨わせ、兄や佐々喜、杏珠を見たのち、「……マサさん」とはっきりとした声で答える。
「ほーう、当たりだ!……もう一人、いいかい?」
「はい」
佐々喜は、ちらっと杏樹を見る。
杏樹は小さく肩をすくめた。これだけでは、お梅の千里眼が本物か偽物かなど、言えるはずがない。
ちなみに杏樹は裏口で外寄りに立ち、ずっとお梅を見ていた。塀は厚みがあるため、杏樹の位置からはマサの歩く様子は見えない。
佐々喜は、今度は使用人の男性に近寄り、鞄の中から長い黒髪の鬘を引っ張り出した。大きめの鞄を持ってきていたのは、鬘を持ってきたためだったらしい。
取り出した鬘を、男性に被るよう指示する。
男性はびっくりしたように目を丸くさせたが、おとなしく鬘を被って塀のそばへ行った。そして、そのまま奥の方まで歩く。
その様子を見てから、佐々喜はまたお梅に声を掛ける。
「お梅ちゃん、今度は誰だい?」
やはり壁に両手をついていたお梅は、壁から手を離して小さく首を傾げた。
「……宇兵衛さん……あれ?……えーと……女の人??」
困ったような声音だ。
佐々喜は感心したように唸った。
「ふうむ。すごいじゃないか……」
それを聞いて、マサはホッとしたように微笑んだ。
その後、別の使用人男性を歩かせ、見事お梅が当てて今日の実験は終了となった。
「とても興味深かったよ」
佐々喜がマサにそう言うと、お梅が兄にくっつきながら、口を開く。
「新聞に……のりますか?」
「え?」
思わぬ質問だったので、佐々喜が戸惑う。
杏樹が佐々喜の腕を掴んだ。
「そうね、こんなすごいこと、記事にするべきよね」
「えぇ?お嬢さま、何を……」
「それにわたくし、お友達にも話さなくっちゃ。お梅ちゃんの能力、本物だもの」
力の入った杏樹の言葉に、お梅は顔を綻ばせる。
杏樹は、お梅の目線に合わせて少し腰を屈めた。
「すごい能力を見せてくれて、ありがとう」
「ううん……そんなことはないの……」
喜んだわりに、お梅は気まずそうに視線を逸らして、そそくさと兄の背に隠れた。




