0.私の記憶の中の物語について
『不思議の国のアリス』『ジャックと豆の木』『ヘンゼルとグレーテル』『親指姫』『シンデレラ』他にもたくさんの物語を私は知っている。だけど、人に聞いてみても知らないと首を振られ、あらゆる書物を読み漁っても同じお話は見つからなかった。
それもそのはずだった。だってこの物語達は私の記憶の中に眠っていた物語だから。
自分が生きてきた中で培ってきた記憶とは違う、でも確かに私の中に存在をしていた別の誰かの記憶。別の誰か、その人がどんな人物だったのかとか、どんな人生を送ったのかとかは全く覚えていない。けど代わりにその人が知っていた物語を私は覚えていた。
私が考えて作った物語なんかじゃない。突然、思い出したかのように完成された物語が頭を流れてくるのだ。
物語だけ、でも人はこれを【前世】の記憶というらしい。
私は私の前世の記憶のことを《記憶の中の物語》と呼んでいる。
私、ロジーナ・ハールックがそんな記憶の中の物語を最初に思い出したのはまだ5歳の時だった。
最初に思いだした物語は『不思議の国のアリス』だった。お母様に連れられて参加したお茶会会場の庭園に、ふわふわとした白い毛、ぴょこんと伸びた耳に、ぴくぴくと忙しなく動く鼻、くりくりの黒い眼を愛らしく輝かせた見たことのない動物が迷い込んだのだ。
その動物を見るのは初めてだった。なのに私はそれが≪うさぎ≫という動物であることを≪知っていた≫のだ。
このうさぎが、いや、このお茶会という会場でうさぎを見た事が私の中で眠っていた記憶を呼び戻す鍵となったのだろう。
パンッ、と目の前が弾けるように白く点滅した後、自分の頭の中で知らない女性の声が私の知らない物語を語りだしたのだ。
驚きで声を上げる暇もなく、女性が語る物語に合わせて物語の場面が絵となって目の前にくるくると浮かんできては消えていく。どんどん速度を上げて流れてくる物語に合わせてズキズキとした頭痛が頭を割ろうとしてくる。女性が「めでたしめでたし」と物語を締めくくったと同時に、私はぱたりとお茶会会場で倒れたのだった。
目が覚めた時には自宅のベッドで、両親がとても心配そうに顔を覗き込んでいた。何が起こったのか理解ができなかったが、何故だか誰かに先ほど≪思い出した物語≫を語らなくちゃと思った。体調を聞く両親に曖昧に返事をし、私は直ぐに「こんなお話知ってる?」と先ほど頭の中で流れ込んできた物語を語った。
最初は困惑した表情を浮かべる両親だったが、物語を話し終われば「初めて聞くお話ね」「とても面白いよ」と笑顔で感想をいってくれた。
面白かったという感想が嬉しくて、私は体調が回復した後、直ぐにお兄様とお姉様にも『不思議の国のアリス』という物語を語った。二人とも知らないお話だと首を傾げていたが、面白いお話だと褒めてくれた。
誰も知らない物語が頭に流れてくるなんて不思議な体験をしたなぁ、と5歳の私はそうのんびりと考えていた。
直ぐに同じ不思議体験をするともつゆ知らず。
『不思議のアリス』を思い出したお茶会から2ヶ月程たった頃、お母様と7歳離れたお兄様、5歳離れたお姉さまと一緒に公爵家の庭園パーティーに参加をした。
庭園パーティーを行うだけあって公爵家の広い庭には、色彩溢れる花が咲き乱れていて、私の目は庭園の花に釘づけとなった。もっと見たいとう欲望に身を任せ、私は挨拶に忙しい家族から離れ、ふらふらと沢山の花を眺めて回った。
そして結果、迷子になった。
その時の私はとてつもなく焦った。
迷子になんて初めてなったからだ。
「おがぁ~さまぁ~ッ!おに゛ぃ~さまぁ~ッ!おね゛ぇ~ざまぁ~~ッ!!」
なんて泣き叫ぶくらいに焦っていた。
だけど公爵家の庭はそれはもう広かった。気づけば全く知らない木々が覆い茂る森のような場所にいたのだ。庭なんて面影は全くない、お嬢様たちの優雅な笑い声なんてものも聞こえない、そこはもうただの森だった。
戻ろうと思って泣きながら走り出しても森森森。どこまでいっても森だった。
もう帰ることなんてできなんだ。私はこのまま誰にも見つけられないまま死んじゃうんだ。
そう思うくらいに憔悴しきっていたとき、後ろの林ががさりと揺れた。ひょこりと顔を出したのは、月のように輝く金色の髪と目を持った妖精のような可憐な女の子だった。
「……うるさいから、泣き止んで」
女の子は泣いている私の声に気付いてここまで来てくれたみたいだったけど、その顔は不機嫌そうに歪んでいた。
ぼろぼろと涙を流す私の頬を袖でぐいっと乱暴に拭うと、座り込んでいた私の手を引っ張って立ち上がらせてくれた。
女の子は背が高くて、お姉さまよりも少し大きいくらいだった。
「こっち」
そういって女の子は私を森から連れ出してくれた。
森は思っていたよりお屋敷から離れていなかったようで、すぐに建物が目の前に現れた。
これでお母さまたちの元に帰れる!だけど、絶対に怒られる…。
お母さまは躾けに厳しい人だった。公爵家で迷子になったなんてお母さまの堪忍袋を引きちぎる案件だ。
………怖い。
お母さまの怒りの鉄槌を恐れていれば、女の子が私の顔を覗き込んでいた。
どうしたのだろう?
女の子を見上げれば、くるりと方向転換した女の子に連れられてお屋敷の周り回り始めた。
最初に連れてきてくれたのは、お屋敷の内にある池だった。そこで急に女の子は池に手を突っ込み、カエルを鷲掴みにして私に差し出してきたのだ。
驚いて叫んだ。
「……ダメか」
困ったように息を吐き出した女の子が次に私を連れてきてくれたのは、馬小屋近くの林だった。女の子は私をその場で待たせて林の中に突入していき、帰ってきたときには両手いっぱいのコウロギやらバッタやらを差し出してきた。
驚いて泣いた。
「これもダメなの?」
眉間に皺を寄せて不機嫌そうな顔をした女の子が次に私を連れてきてくれたのは、お屋敷の裏庭にあたるだろう大木の根本だった。女の子は袖が汚れるのを構わずに木の根元を手で掘りはじめ、私はそれを眺めていた。すると急に女の子が素早い動きで何かを捕えたかと思うと、私に鷲掴みにしたモグラを自慢げに差し出してきた。
これには驚きで意識を失った。
そして目が覚めたら、私は知らないベッドに寝ていた。近くの椅子で本を読んでいた女の子は、私が起きたことに気が付いて、とても安心したように息を長く吐き出した。女の子は、少し迷っているように目を彷徨わせた後、私の頭に手を置いた。
「……驚かせてごめん」
しゅん、と肩を落として申し訳なさそうに謝る女の子には、最初に会った時のような不機嫌さは消えていた。
「ううん、だいじょうぶです。全部初めて見るから驚いてしまいましたけど、次はもう驚かないて見れると思います」
「そっか」
「だからまた見せてくださいね」
そう笑って言えば、釣られたように女の子も小さく笑った。
「ねぇ、鳥は平気?嫌いじゃない?」
「鳥は好きです!」
「そっか、よかった」
女の子は窓際に置いていた籠をベッドまで持ってきて私に差し出してきた。
籠には布が敷き詰められていて、そこには、羽に包帯を巻かれた藍と赤と白の毛色をした鳥が寝ていた。
「わぁ」
「珍しい鳥でね、ケガしていたのを見つけて看病してるんだ。ツバメっていうらしいよ」
「ツバメ……」
初めて見るツバメに感動した私をみて、女の子が嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間、私は固まって動けなくなった。
『親指姫』
急に頭に響いてきた女の人の声が『親指姫』という物語を語り始め、目の前には物語の場面がくるくる浮かび上がっては消えていく。きっと時間にして2秒くらいだったと思うけど、女の子を驚かすには十分な時間だったようだ。
「やっぱり駄目だった?」
急に動きを止めた私を心配そうな顔で女の子が覗き込んできた時には、「めでたしめでたし」と頭の中で物語の幕が閉じられた。
前と違って頭が痛くも鳴らないし、気を失うこともなかった。頭の中には、しっかりと女性が語った親指姫の物語が刻み込まれていた。
それを実感すれば、胸に広がったのはドキドキとした高揚感だった。
「ねぇ、こんなお話知ってます?」
興奮を抑える事ができないまま、私は女の子の返事を待たずに物語を語った。私の勢いに驚いた表情を浮かべて籠を抱きしめていた女の子だったけど、カエルやコウロギ、モグラといった、今日見た生き物が物語に登場すれば、驚くように目を瞬かせた。途中からは目を閉じて、静かに私の語る物語を聞いてくれた。
「傷ついたツバメを見つけた親指姫は、モグラに見つからないようにツバメを看病しました。そして…」
コンコン――
物語も佳境に入ってきたその時、部屋のドアがノックされた。お話が中断されたことが嫌だったのか、女の子が不機嫌そうに顔を歪めつつも、仕方なさそうに椅子から立ち上がってドアへと向かった。
ドアの向こうにはお屋敷の侍女だと思われる人が居て、女の子に何やら話をしていた。
私は何の気なしにその様子をみていたのだけど、侍女の後ろに控えていた女性が目に入った瞬間、ザァーっと血の気が引いた。
「何をしているのかしらロジーナ?」
「おおおおおおお母様…!」
ゆっくりと優雅に部屋の中に入ってきたのは、鬼の形相をした私のお母様だった。
あろうことか公爵家で迷子になり、その上、公爵家の一室を借りて看病をされていた私にお母様の怒りは予想通り爆発をしていた。
恐怖で青ざめ、声を出すこともできずにいた私を引きずるようにベッドから連れだしたお母様は、私の頭を押さえつけながら女の子と公爵家の皆さんに何度も頭を下げまくった。
そのまま逃げるように自宅の屋敷へと戻った。
家に帰ってからは、他の家族にもこっぴどく叱られてしまい、しばらく私のお茶会等への参加を禁止されたのだった。あの女の子には、お話を全部語りきれなかった事が今でも心残りとなっているため、お茶会やパーティーに参加をできるようになってからは、女の子を探すようにしていたのだけど残念ながら再会することは叶わなかった。
あの日、『親指姫』の物語を思い出して以降は、ちょっとした拍子に様々な物語を思い出していった。そして私は、物語を思い出したら直ぐに近くにいた人を捕まえては、「こんな話は知っています?」と物語を話し聞かせた。
8歳の時、我が家の庭師が育てた大きな豆が付いた蔓を見た時に『ジャックと豆の木』を思いだし、庭師に物語を語った。
10歳の時には、貴族の子供の誕生日会に招かれたときにパティシエが作ったというお菓子の家を見て『ヘンゼルとグレーテル』を思い出し、隣に立っていた男の子を捕まえて物語を語った。
そういえば12歳の時には、王妃様に献上されたという国一番のガラス細工職人が作ったガラスの靴のお披露目パーティーに参加をした時に『シンデレラ』を思い出し、会場警備をしていた騎士様に物語を語ったっけ。
皆が初めて聞く物語だと言っていた。
そうやって色んな人に物語を語るうちに、この物語達は私の記憶の中にだけ存在をしていた物語なんだと思うようになった。
それからは自分の物語を探すようになって、あらゆる書物を読み漁った。
だけど私の記憶の中の物語と同じお話は見つからなかった。
そうして私は確信をした。やはり私しかこの物語たちを知らないんだと。
私にだけ起こるこの不思議な現象や思い出す物語には、何か大切な意味でもあるのだろうか。神様が私に何かを託しているのかもしれない、なんて考えてしまうのは大げさだけど、それでもこのまま私の中だけに留めておくべきではないといつしか思うようになっていた。
このまま人に語っているだけでは駄目だ。もっと沢山の人に『記憶の中の物語』を知ってもらわなくちゃ。
そうして、いつか『親指姫』の物語があの時の女の子の元へと届けばいいな。
物語を最後まで語ることができなかったのはあれ1回切り。
女の子、いや、きっともう素敵な女性になっているだろう彼女に、親指姫が幸せになる物語を知ってもらいたい。
私の中に眠っていた物語を世に広めるために、何かできることから始めよう。
そう13歳の時に決意をしてから早くも6年。
今、私はお城で文官として働いている。
王宮図書館へ自分の本をこっそりと追加するという目的のために。




