最果ての教会へ
長いこと聖女ものを書きたくていろいろ考えていたのですが、今回やっとキャラが固まったので、始まりのお話を書いてみました。
ヘンリック・リンドベルグは窓が黒く塗られた護送馬車に揺られながら、俯き、目を閉じていた。
『嘘つき聖者!』『国民を騙した詐欺師め!』
そう誹られ、聖騎士の資格まで剥奪された。このまま最果ての教会まで流されるのだ。
ヘンリックは嘘をついてはいない。だが、誰もそれを証明できなかった。アウォアレンでは聖者・聖女が絶えてから既に二十年を超えており、ヘンリックが見える『穢れ』の存在を証明できる者は、他になかったのだ。
その時、馬車が大きく揺れ、車輪を軋ませながら止まった。外で喚声が上がる。
(私を始末しに来たか……!)
ヘンリックは唇を噛んだ。武器も鎧もない。聖騎士として戦う術は知っていても、全くの丸腰となると、生き残るのは難しいだろう。
喧騒が聞こえる。鎧がなくとも、せめて聖騎士として剣を持って戦いたかった。だけど半端な力しか持たぬヘンリックには、似合いの最期なのかもしれない。
その時、再びワッと声が沸いた。剣戟の音と、そして獣のような叫び声。重い打撃音がする。馬車がドンと揺れ、扉が吹き飛んだ。
「聖者様、生きてるかい!」
逆光の中に、一人の女性がいた。逞しい腕、張りのいい腰、毛皮を纏い、戦槌を無造作に担いでいる。血の匂いがした。
「あたしはラウラ・ラスムッセン! 最果ての教会で暮らす傭兵さ。都から来た聖者様だね! 迎えに来て良かったよ、そうじゃなきゃアンタ死んでたね!」
そして彼女は太陽のように笑った。ヘンリックが知る都の女性とは、まるで違う。だが、とても型破りな美を、ヘンリックは確かに感じた。
「さて、行こうか聖者様。アンタ剣は使えるのかい?」
ラウラは死体が持っていた剣を取り上げると、それを差し出した。ヘンリックは跪き、両手で受け取る。
「使えます。危ういところをお助けくださり、ありがとうございました。ラスムッセン嬢」
ヘンリックは死体が提げていた鞘を外し、剣を収めた。
「そ、そんな呼び方よしとくれよ! あたしのことはただラウラって呼んでくれ!」
ラウラは慌てたように言った。少し低い声が、耳に心地よい。絹のドレスに包まれ、扇の影で囁き交わし、宝石を飾った都の貴婦人たち。ラウラはそれとは正反対だったが、彼女が都の女性たちに劣るとは、全く思わなかった。
「お出迎え、感謝いたします」
「あー、馬車は壊れちまったね! おっ、馬は無事そうじゃん。よっと……聖者様、馬には乗れるかい?」
「はい、乗れます、ラウラ殿。私のことはヘンリックとお呼びください。私は聖者としての身分を剥奪された者。その呼称を使うわけにはまいりません」
「そうかい、ヘンリックさん! じゃあ、行くか!」
「お待ちください、生き残った者がいるやもしれません」
「そうだね! あたしも手伝うよ。そうそう、死体のフリしてるヤツには気をつけな!」
ラウラは慣れた様子でそこらに倒れた兵たちを検分しだした。ヘンリックも倒れた者たちの息があるか、脈があるか、慎重に確かめてゆく。
ラウラの戦槌による傷痕は強烈で、女性の腕でこれだけの得物を使う彼女に、ヘンリックは感嘆した。彼女に救われたありがたみを噛み締める。護送隊も暗殺者たちも、等しく確かめ、せめてもと開いたままの目は閉じてやる。
「聖……ヘンリックさん! この男、息がある!」
ラウラの声に、ヘンリックはその場に駆けつけた。装備を見るに、護送隊の一人だ。剣による傷を負い、血を流していた。男は薄く目を開ける。
「罰が……当たったのです、聖者、様……」
ヘンリックはその場に膝をつくと、すぐに肩から切り下げられた傷に手を当て、魔力を注ぎ込んだ。傷はゆっくりと消え、男は目を瞬く。その目から一筋涙が流れた。
「ああ、聖者様……これほどのお力がありながら…」
「私のことは、ただリンドベルグと。貴方の名は?」
「ダニエル・ラーソンと申します。私のことは、お捨て置きください。痛みが消えました。感謝いたします」
傷は癒えても失血でダニエルの顔色は白い。
「オイオイ、せっかく助かったのにそれはないだろう! あたしが教会に連れてってやる。養生すれば、必ず治るさ!」
ラウラは快活に言うと、ダニエルの頬を軽く叩いた。
「あたしの馬に乗せてやろうか?」
「流石に女性と相乗りは……私の馬に」
ヘンリックが申し出ると、彼女は破顔した。
「そうかい。悪いね!」
結局生存者は彼一人で、三人は二頭の馬に乗り、最果ての教会に向かった。馬上のラウラが振り返る。
「見事な治癒の術だったじゃないか、ヘンリックさん。教会の司祭様以上じゃないかい? どうして偽物だの嘘つきだのと言われているんだい?」
ヘンリックは馬上でダニエルを支えながら答えた。
「治癒魔法と破邪の力はまったく異なる術なのです。私に聖者の資格はありません……」
聖者、あるいは聖女には「穢れ」を目で見る力がある。ヘンリックにもその力があり、幼い頃から穢れが黒や紫のもやのように見えた。
さらにはそれを祓う力が聖者や聖女には備わっている筈なのだが、ヘンリックは何故かその能力を全く持たなかった。穢れが見えるのに祓うことができないことが、どれだけの無力感をもたらすか。ラウラにはわからぬよう、小さくため息をつく。
「もうすぐ着くよ! あれが最果ての教会さ!」
ヘンリックは顔を上げ、まばらな木立ちの隙間からその建物を見た。尖った屋根の上には、教会のシンボルがある。
到着すると、穏やかそうな神官が教会の前で待っていた。ラウラの言った『司祭様』だろう。
「ようこそおいでくださいました」
司祭は罪人のヘンリックに、深々と頭を下げた。
「司祭様、馬上から失礼致します。怪我人がおりますが、休める場所はございますか?」
「もちろんでございますとも。教会はそのための場所です」
司祭は再び深々と頭を下げる。ラウラが馬から飛び降り、負傷したダニエルを、ヘンリックの腕から引き取った。
ヘンリックは馬から降りると、改めて教会やその周囲をよく見る。最果ての教会と言うが、建物にも周囲にも、穢れは全く見られない。
「最果ての教会はありがたーいところなのさ! アンタも精のつくもの食べて、ゆっくり休めばすぐに元気になるよ!」
ラウラはそう言って、ダニエルがよろけるほど背中を叩いた。
「こら、ラウラ! 怪我人には優しくするのですよ!」
「ハイハーイ!」
その声が聞こえたのか、教会の中からさまざまな背丈の子供たちが駆け出して来た。
「ラウラだ! お帰りラウラ!」
「ラウラー!」
「あっ! 男の人、いる!」
ガヤガヤとしていた子供たちが立ち止まり、そっとラウラの後ろに固まった。
「初めまして。ヘンリック・リンドベルグと申します。この教会に派遣されて来た者です。どうぞよろしくお願いします」
ヘンリックは丁寧に挨拶し、頭を下げた。
ヘンリックは詐欺の罪で追放されたが、形の上ではこの辺境に派遣されて来たことになっている。左遷と言うとわかりやすいだろうか。
「あっ! もしかしてラウラの婿さん!? ラウラは婿さん探してたもんね!」
ヘンリックは目を丸くした。ラウラは豪快に笑う。
「ハハハハハ! こんな上等な婿さんがこんな辺境に来るもんかい! この方はお客人だ! 失礼のないようにね!」
「ハーイ!!!」
「そろそろ中にお入りになりませんか? あばら屋ではありますが、ご案内いたしますよ」
司祭の言葉に、ヘンリックは頭を下げた。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
そして、質素だが掃除の行き届いた教会に入った。最果ての地には瘴気を含む風が吹き付ける筈だが、懸念していた穢れもなく、密かに感心する。この司祭がよく管理しているのだろう。
入ってすぐは礼拝堂だった。祭壇があり、長椅子と長机がズラッと並んでいる。思ったより広い。微かに蝋燭の匂いがした。司祭は廊下に出て、一つのドアを示した。
「こちらが聖者様の居室となります」
「私のことはただ、リンドベルグと」
「勿体無いことです、リンドベルグ様」
居室は広くないが、ベッドとデスクと物入れがあった。窓もある。司教は片目を瞑る。
「掃除をしたのは子供たちです。ラウラはこういったことに向きませんので」
自然と笑みが浮かんだ。
「有難いことです」
実際に部屋は清潔に保たれていた。先程はラウラのお陰で命を拾った。元々なかった命だと思い、この地で静かに自身を見つめ直すのもいいかも知れない。
そこで表から何か騒ぐような声が聞こえて来た。司祭も気づいたようだ。
「リンドベルグ様はこちらに。少し表を見て参ります」
「いえ、私も参ります」
ヘンリックはラウラから受け取った剣の柄に手を置き、後に続いた。喧騒が大きくなり、子どもの泣き声がする。司祭とヘンリックは脚を速めた。
犬が激しく吠えている。そして腕を押さえた子供が泣いていた。ヘンリックはすぐにその場に駆けつけ、子供を庇った。
「傷を見せてください!」
「アーンアーン、バムセに噛まれたぁ!」
その咬み傷を見て、ヘンリックは愕然とした。
「穢れが……!」
少年の腕に開いた牙の跡から、血が流れ、紫色の瘴気が煙のように立ち上っている。犬はと見ると、涎を流し、激しく吠えている。ただ、こちらに飛びかかろうとはしない。ヘンリックには、少年に襲いかかるまいと、必死に耐えているように見えた。犬の身体には穢れが纏わりついている。
「バムセは君の犬ですか!?」
「そうなの! ぐすっ、聖者様、バムセを助けてぇ……! あーんあーん!」
ヘンリックは唇を噛んだ。そして少年の傷に手を翳し、癒やそうとする。だが、魔力は穢れに触れると霧散してしまう。
(穢れで、癒やせない……!)
汗を流し、魔力を届けようとしても、どうしても届かない。
「リンドベルグ様、穢れを祓えないのですか!?」
司祭が切羽詰まった声で言った。
「それができぬから私はここにいるのです……!」
ヘンリックの心に絶望と無力感が押し寄せて来た。
「ヘンリックさん! 一体どうした!」
その時、ラウラの声がした。彼女は駆けつけると、一足飛びに子供を庇うヘンリックと犬の間に立った。
「遅れてすまない! あたしは厩に行っていたのさ。何があった!?」
「この子が傷を。どうぞ気をつけて! 穢れが纏わりついています!」
「何も見えないが、アンタを信じるよ!」
ラウラの立ち姿は頼もしく、ヘンリックの心に勇気が戻って来た。逆光の中の彼女は、淡く輝いているように見える。
(いや……!)
日光のせいではなく、彼女は確かに白い輝きを纏っていた。犬から吹き寄せる瘴気も、彼女に触れると蒸発するように消えてゆく。ヘンリックの胸が強く鼓動を打った。まさか……!
「ラウラ殿! 私の言うことを信じて、その通りにしていただけますか!?」
「わかった! 何をすればいい!」
ヘンリックの仮説に根拠はない。だが、ここは彼女に賭けることにした。
「座って……犬と視線を合わせてください」
ラウラは言われた通りにしゃがみ、犬の目を見た。唸り声が徐々に小さくなる。
「手に……ゆっくりと意識を集中してください」
ラウラが右手をそっと掲げると、その手に白い光が集まり、次第に強く輝き出した。
「ラウラ殿、あなたの手が光っているのがわかりますか?」
「い、いや、なにも見えないよ! 一体どういうことだい!?」
「確かに光っています。その手を、犬にゆっくりと伸ばしてください。手が温かいと、感じますか? その熱を意識しながら、そっと……犬に移すように、撫でてあげてください」
緊張のあまり強張る舌を、必死で動かして、かつて学んだことをラウラに伝える。
「あなたの……聖力で、犬の穢れが、消えます。刺激しないよう、ゆっくりと」
ラウラは素直に頷くと、犬をそろそろと撫でた。犬に纏わりついていた穢れが、蒸発するように消えてゆく。やがて犬はすっかり静かになり、小さく吠えるとラウラの手を舐めた。
「バムセ、大人しくなったじゃないか!」
ラウラは笑ってバムセを撫でた。
「ラウラ殿。この子の傷も癒していただけますか?」
ヘンリックは犬から守るためにしっかりと抱きしめていた子を、そっとラウラに見せた。
「この腕の傷に、手を向けてください。先ほどのように、手に集まる熱を意識して……傷が塞がるところを、想像してみてください」
ラウラのこめかみから汗が流れ落ちたが、彼女は頓着しない。その手から再び白い光が溢れ、それが少年の傷に触れた。途端に立ち上っていた瘴気が霧散する。次いで傷もゆっくりと塞がっていった。
「痛いですか?」
「もう痛くない! バムセも大丈夫! ラウラとお兄さんのお陰だよ!」
「これは完全にラウラ殿のお陰です!」
ヘンリックは跪くと、ラウラの手を取り、額に押し当てた。
「ラウラ殿、私は今日、貴方に二度救われました。貴方こそが本当の聖女様。私がお仕えする方です」
「あ……あたしが聖女様だって!?」
ラウラは心底驚いた顔を見せた。
「間違いありません」
「だ、だってあたしは何も見えなかったし、当てずっぽうでアンタの言う通りやっただけだよ!」
「穢れが祓われたことが何よりの証拠です」
「穢れが消えたのかい!? 凄い! あんたが嘘つきじゃないってことが、これでわかったね!」
ラウラは太陽のように笑った。ヘンリックは目を瞠った。視界がぼやけ、頬を熱いものが伝う。
「う、うわっ! 泣かせちまったよ! どうして泣くんだい!? 折角バムセとトーマスが癒ったのに!」
ヘンリックは懸命に心を鎮めようとしたが、涙は拭ってもあとからあとから溢れてくる。
「ラウラが婿さんを泣かした!」
「わうっ!」
「ち、違うよ!」
「ありがとうございます……! ありがとうございます、聖女様……!」
ヘンリックは、ただ、ラウラに感謝し続けた。重すぎる責務に押し潰されそうな思いで生きてきたが、初めて肩の荷が下りた気がしたのだ。
「私はステファン・ポウルセン、この教会を預かる司祭です。どうぞお楽になさってください。少し……専門的な話をいたしましょうか」
教会内の小さな一室で、四人がテーブルについていた。ポウルセン司祭とヘンリック・リンドベルグ、ラウラ・ラスムッセンに、護送隊生き残りのダニエル・ラーセンだ。彼は失血から体力を失っていたが、食事を与えられてからかなり回復し、この席についている。
ポウルセンは少し迷った後、言葉を選びながら言った。
「少し信じられないことですが、リンドベルグ様がおっしゃるには、このラウラが聖女様であらせられると……」
「間違いありません」
間髪入れずにヘンリックが言った。
「トーマス少年と飼い犬のバムセには、確かに穢れがついていました。それをこの聖女様が、跡形もなく浄化してくださったのです」
「そ、そんな呼び方よしとくれよ!」
ラウラが驚いて言った。
「大体あたしを見て、誰が聖女様だなんて思うかい!?」
「はい。ラウラ様は神々しいほどお美しく、どこから見ても聖女様と言えます」
ヘンリックの言葉に、ラウラはポカンと口を開けた。するとダニエル・ラーセンが思わずと言ったように笑った。
「きっと聖女様なのでしょうが、一見すると辺境によくいる、強い冒険者や傭兵のように見えますね」
「そうだろう! ヘンリックさんもその奇怪な呼び方はよしとくれよ!」
「しかし、貴方は紛れもなく聖女様!」
ヘンリックは思わず立ち上がる。
「聖女様が穢れを祓った時、確かに白い光のような神聖力が見えました。私が今までに、一度も見たことがないものです!」
ポウルセンはその勢いをいなすように言った。
「確かにラウラには神聖力があり、穢れを祓ったのでしょう。では、それを目の当たりにした貴方は一体何者なのでしょうか? リンドベルグ様。私もそこにおりましたが、穢れも神聖力も、見えはしませんでした」
ポウルセンの穏やかな言葉に、ヘンリックはゆっくりと座り直す。
「私は……きっと、聖者として不完全なのです」
それだけを言って、ヘンリックは黙り込んだ。
「それならあたしだって不完全な聖女さ! あたしだって『穢れ』も『神聖力』とやらも、一切見えなかった! ただ、あんたの言葉を信じて、言われた通りにしたら、あの子たちが元気になった、それだけさ!」
そこでラウラはハッとした。
「あたしたち……多分、二人で一つだ」
「どういうことですか?」
ヘンリックは訝しげな視線を彼女に向ける。
「アンタには穢れが目で見える。だけど祓えない。あたしには穢れが祓える。でも見えない。それは……あたしたちの力が、二人で一人分だってことじゃないか!?」
「まさか! 前代未聞です!」
ヘンリックは強い調子で言ったが、彼の本能は、この説が正しいと直感した。
「……私は占いで、王都に聖者が生まれるとされた日に生まれました。22年前の、夏至の日です」
ラウラが目を大きく見開いた。
「なんてこった! あたしが生まれたのも22年前の夏至さ。その頃は親が生きていて、王都にいた!」
ヘンリックは、震えるような思いが腹の底から湧き上がってくるのを感じた。
「占いは、二人のことを指していたのですね……!」
「そうだよ! あたしたち、聖者の力を半分こして生まれたんだ!」
「半分こ、ですか。確かにそれは、なかなかいいですね」
ヘンリックは微笑んだ。幼い頃から厳しい修行をしてきたので、子供らしい扱いはほとんど受けたことがない。ただ、『半分こ』という無邪気な言葉が、『そんな言葉を使う過去がもしあったなら』という淡い思いを抱かせた。例えば、ラウラと兄妹として育ったら。それはきっと、楽しい子供時代だったろうと思った。




