昏い眼光が宿った日
記念すべき一〇〇回目の全滅は、中層に突入してすぐだった。なぜ扉を開けた瞬間に落とし穴なのか……。
絆の深淵は一〇〇階層を超えると途端に難易度が跳ね上がる。
だが問題はそれだけではなかった。
俺の知らないトラップや、重量級の俺が極端に不利になる地形が増えていた。
ケイトが、ダンジョンをいじったのだ。
向こうも、なり振り構わず俺の帰還を阻むつもりだ。
あの女ぁ……。
結局、一階層越えるのに丸五日かかった。
あまりの過酷さにショコラがぐずり始め、例の地蔵のように動かなくなる状態となってしまい、あえなくそこでギブアップとなった。ちなみにその状態はクラリスでも動かせなかった。
「――こ、こんなことを続けてきたのか……お前達、とんでもないな……」
とは、俺たちのダンジョン攻略を目の当たりにしたクラリスの感想だった。俺もとんでもないと思う。非常識という意味で。
彼女も十六回死んだ。クラリスの装備は普通の装備なので、全滅すると落とす。それだから彼女も、それはもう必死に攻略に挑んだのだが、駄目だった。進めない。
深層に匹敵するトラップと、意味不明な地形や迷路で封鎖されてしまうと手も足も出ない。俺もクラリスも直接戦闘向きで、ダンジョン的な搦め手に滅法弱いのだ。ショコラがいくら身軽でも一人ではどうしようもない。
ケイトもその辺りを理解した上で、ふんだんな地形とトラップで嫌がらせしてきたようだ。姑息……。
パーティバランスって大事なんだな、と実感すると共に、もうこのダンジョンを踏破できる奴、地上に存在しないんじゃないか説が、俺の中で持ち上がった。
そんな中層アタックだった。
そして――――。
「ディーゼルさ~~~~ん! はやくはやく~~~~ぅ!」
青い空。高い雲。澄んだ空気。季節がいよいよ変わろうとしている。
まっすぐ続く道の先で、ショコラが手をブンブン振って、ぴょんぴょん飛び跳ねていた。満面の笑顔だ。
俺は大人しく、ショコラの姉を生き返らせることにした。
無理だからだ。
あの先は完璧な布陣でなければ進めない。受け入れた。
そんな俺の決断を聞いた時のショコラの喜びようといったら。
この街道を行き、小さな宿場街や大きな街をいくつも越えた先に彼女の街があるそうだ。そこに姉の遺体も安置されているとのこと。
「――随分と懐かれているな、ディーゼル。女子供に好かれる才能があるんじゃないか?」
鼻歌交じりにクラリスが言った。
久しぶりの外出に、俺の隣を歩く彼女も頭の後ろに手を組んで機嫌が良さそうだ。季節の変化が感じられる風景を楽しんでいる様子だった。
「あいつ、俺のことを幽鬼だと信じていないんだ。何故だと思う?」
俺の問いに、クラリスはうーんと宙に視線をさ迷わせ、ポツリ。
「――お前の面倒見が良いから、かな」
何とも言えず天を仰いだ。統べる幽鬼なのに面倒見が良いと言う点については、自分でも思うところはある。全てダンマスのせいだ。
クラリスが申し訳なさそうに続ける。
「ディーゼル、この際だからはっきり言わせてもらうが……お前の言動からは父性がにじみ出ている。先日の勇者達に対しても〈獣性モード〉使っていなかっただろう。連中が諦めて退却するのを待っていたのは見え見えだ。あれではお前、主人公に立ち塞がって殺しに来るが、その実、主人公に託したいものがあってその成長を優しく見守っている宿敵、カッコ、操られているか弱みを握られた肉親とかだとより一層盛り上がる、カッコ閉じる、ポジだぞ」
それは良くないな。そう見えたのは、良くない。もう少し上手くやらないと。
「だがなぁ……食べない。寝ない。その上で普段からシューシュー瘴気を吹き出しているような奴だぞ? 真っ当なわけがないだろう? しかも人類代表の勇者を、正面からぶちのめすような危ない奴に懐くか、普通?」
俺の暗然としたぼやきに、クラリスが眼を細めて揶揄うように口元を歪めた。
「なんとかは盲目ってやつだろうな。お前の中身が空っぽだと困るんだ、ショコラは」
「なんとかって、なんだ?」
するとクラリスは、くつくつと笑った。
「さてなぁ……ミステリアスであったり、ちょいワルな方が、逆に女は興味を引かれるということもある。その上で優しくされるとコロッとな。ギャップ萌えというやつだ」
「そういうものなのか、女とは? まったく理解できん……」
あと、ちょいワルじゃなくて極悪だぞ?
「そういうものだ。もう少し人間を勉強した方が良いぞ、ディーゼル。あれだけの怪物どもを束ねているお前が、部下の気持ちが分からないようでは組織が持たない」
「俺の千年に渡る実績を踏まえた上で言っているのか、それ?」
シュコーッと、嘆息が漏れた。
立ち止まっていたショコラに追いついた。
その後もショコラが喋り、主にクラリスがその話し相手になっていた。なんだかんだで、あっという間に仲良くなったようだ。ショコラの愛想の良さには鎧の底から感心する。
「――あははは。クラリスさんって、なんだか騎士様みたいですね! すっごく格好いい! 憧れます!」
「ん? ああ。私は元々、聖騎士だからな。存分に頼ってくれて構わないぞ」
「ええーっ! 聖騎士様って、すっごく少ないって聞きました~~。凄いんですねぇ~~~~」
その女、人類を裏切って闇黒の使徒に堕ちた闇騎士なんだけどな。
しかも元勇者だ。こいつも極悪だな。
「ふふふ。なんだか妹ができたようで、ショコラと話していると和むな……おいディーゼル。この娘、逸材だぞ。私がもらっていいか?」
「わーい。もらわれちゃいましたぁ~~~~」
ショコラがクラリスに抱きついた。
それを抱きとめたクラリスの目が若干濡れていたのを見逃さない。
あとな、クラリスは両刀遣いらしいからな、気を付けろよ。騎士団って大変なところらしいぞ。人の世の業を生き抜いた女の手にかかれば、お前みたいな、なんちゃって怪盗なんぞ、まな板の上の鯉だからな。いかようにでもお料理可能だ。
という話は黙っておく。面白そうだから。
風が吹いた。大量の落ち葉が道を横切っていく。
「――んん~~! それにしても久しぶりの外の空気、すっごく美味しいです! あのダンジョンの中も世界一周旅行みたいで面白かったですけど、やっぱり本物は違いますよ。ケイトちゃんも一緒に来れば良かったのに」
そんなショコラの何気ないひと言に、クラリスは黙って薄く微笑んだ。
ケイトはダンジョンの外には出られない。
それがダンジョンマスターの宿命。
ケイトはダンジョンの申し子だ。
ダンジョンをいじっている時間が楽しく、ダンジョンにすり潰される挑戦者を眺めるのが娯楽。朝から晩までダンジョンの奥でぐうたらしていれば、あの女は基本的に幸せなのだ。
では、ケイトは地上に未練がないのか。
――そんなわけがない。
地上に未練のない者が、ダンジョンの中に地上の光景を好んで作るわけがない。
幼き日に見た光景を再現し、両親の記憶が残る家を作り、行ったことのない世界の果てを思うがままに創造して、そこで時々、一人で時間を過ごす。
絆の深淵には、ケイトの狂おしいまでの地上への憧憬が渦巻いている。
そんな少女の尽きることなき夢の中で、挑戦者達は命を使い果たし食われていくのだ。
ふと、空っぽ甲冑の奥底からこみ上げて来た、色褪せない記憶。
――ディー……私、外に出たい。
夕陽を見ながら、ケイトが言った。
彼女が見下ろす入り江には、夕陽が写り込んだ朱色の線が、水平線までまっすぐ伸びていた。
――無理だ。ダンジョンマスターは外へは出られない。
――どうしてダンジョンマスターは、ダンジョンから出られないの?
――この世でもない、あの世でもない、その狭間のダンジョンこそが、あんたの溶けかけた魂を収める器だからだ。ダンジョンの外に出ると、コップから水を零したように、その魂は崩れ、飛び散り、土に染み込んで消えてしまう。
ケイトの底なしの瞳が俺を見つめた。その眼差しを見返して告げた。
――ダンジョンマスターは、ダンジョンの中だけがその居場所だ。おまえはこの世に留まることも、あの世に逝くこともできない。世界はお前を決して再び受け入れない。ここで生き、ここで消えるのだ。
――じゃあ……。
ケイトの瞳に、昏い眼光が宿ったのはその時だった。
諦観の極みにあったガラス玉の奥底に灯った、力強い感情の火種。
――じゃあ、世界が全部ダンジョンになったら……わたしは自由になれる?
――世界が、全部ダンジョンに……。
闇黒の化身である俺が狼狽するほどの圧力が、その問いには含まれていた。
――どうすればいい? ……教えて、ディー。
俺はその時、ケイトに聞かせた話をやや後悔している。
――それなら、ディー。あなたは私の鉱夫よ。
――私と一緒にダンジョンを掘るの。
――掘り続けて。私のために。
――ダンジョンに挑む冒険者を全部刈り取って。私を襲いに来る敵の、そのすべてを食らい尽くして。
――すべて……すべてよ。
――そうしたら、その力でまた掘るの。
――手を止めては駄目。私が自由になるその日までは。
――私が自由になったら、その時は……。




