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彼女の寿命が尽きるまでは

「こんにちわ」


「こんにちわ~~」


 街道をすれ違った男と、ショコラが挨拶を交わしていた。


 男は商人風で、周囲に護衛らしき冒険者が数名いた。


「これはこれは、立派な騎士様がお二人も……いったいどちらまで?」


「〈カカオリンド〉っていう街ですよ」


「ああ、カカオリンド。カカオ豆の名産地。まだまだ遠いですなぁ……」


「そうなんですよぉ~。おじさんはどこまで行くんですか?」


「わたくしどもは今から絆の深淵まで行くところなのですよ」


「えー! 実は私達、絆の深淵から来たんです!」


「ほほぅ! そうでしたか――」


 絆の深淵。


 それは、あのダンジョンが決して一人では攻略できないように作られているから、そう呼ばれているのだと地上では理解されている。


 実は違う。それは後付けの理由。絆の深淵という名前が地上で知られるようになったのは、遠い昔にケイトが決意表明としてその名で喧伝(けんでん)したからだ。


 絆とは、挑戦者同士の絆ではない。


 あの世とこの世を結ぶ(くら)い絆を指している。


 すなわち現世(うつしよ)幽世(かくりよ)を繋ぐ、ケイトだけが見通せる、いと深き穴。


 あのダンジョンは今も広がり続けている。


 植物の根のように広く、深く。


 たちの悪い病魔のごとく人知れず、静かに、しかし(すみ)やかに。


 この世の者どもが生きる現実の土台をミシミシと(むしば)みながら。


 連中が気付いた頃には、もう世界は手の施しようのないくらい致命的に(おか)されてしまっていることだろう。


 絆の深淵は二〇〇階層? とんでもない。もう三〇〇階層目前だ。


 幽世の迷宮を創れるダンジョンマスターは、長い歴史を俯瞰(ふかん)すれば、まぁまぁ存在する。だが、あそこまで自由奔放に、かつ無制限にダンジョンを拡張し続けられる者はいるまい。


 この世界には、ケイトの狂気がひっそりと、そして着実に根を張りつつある。


「呼び止めてすみませんでした。それでは――」


「いえいえ。こちらこそありがとうございました~~!」


 ショコラが食料を抱えていた。ちゃっかり安く売ってもらったようだ。


 男が俺とすれ違いで頭を下げた時、ふと、首の裏に黒い蝶々のマークが見えた。


 悪夢蝶。あの男もまた、N級ダンジョンに救いを求めて潜るのだろうか。


 ――私、最近(ちまた)で見つかったっていう“蝶々”が見てみたいの。


 ケイトの声が脳裏で再生された。


 その時、俺の指で碧い指環がキラリと光った気がした。


 この指環の名は、少女の絆(リング・オブ・ケイト)


 絆の深淵でマスタールームに入る資格を持つものは皆、これをはめている。クラリスの指にもついている。


 ダンジョンへの、引いてはケイトへの忠誠を誓う指環だというのが表向きの名目で、特段の効果も無い象徴的なものだと、みんな考えている。


 実はこれ、監視の力がある(いま)しめの指環だ。


 この指環をはめている者の視覚と聴覚を、ケイトは盗み見ることができる。


 だから今も、俺の見聞きするものは全て、ケイトがダンジョンの底から覗き見ているはずだ。


 この事実は俺しか知らない。最古参のデンハムですら知らないことだ。


 俺とケイトだけの秘密。


 ケイトは基本的に他者を信用していない。


 そしてケイトは怜悧(れいり)な女だ。


 過去に俺が敗れ、彼女の命が(おびや)かされたことがあった。だが、いずれも彼女はその見た目と言動を活用し、無垢な少女を見事に演じ切って、自らの力でその窮地(きゅうち)を切り抜けた。


 そう。あの時、スターチェイサーの戦意を削いだように。


 みんなケイトに騙される。


 彼女は必要とあらば自分を危険に晒すことを(いと)わない。


 奸智(かんち)にして豪胆(ごうたん)


 ケイトのダンジョンマスターとしての底知れぬ才能は、誰よりも長く共にある俺がよく理解している。


 愚かな冒険者ども。冷静に考えればわかるだろうに。今や千年の時に渡って挑戦者どもと命がけの知恵比べをし続けた存在だぞ。その辺のエルフやら、生き字引の爺婆(じじばば)なんかよりも、よほど老獪(ろうかい)――。


 その頭脳が、ダンジョンを攻略していた俺の目を通じて気付いたのだ。


 悪夢蝶とは、絆の深淵がいよいよ、あの世に近づきつつある証拠であると。


 俺には確信がなかったが、ケイトははっきりと悟ったようだ。絆の深淵が世界に根を張り、その奥底があの世に近付いたがために、このダンジョンという水路を通じて世界中に冥府が行き渡り、そして染み出し始めている。


 その結果としての(ひず)みが、悪夢蝶という呪いとも(やまい)とも取れない奇病となって蔓延(まんえん)し始めた。それが真相だろう。


 だから幽世の迷宮である絆の深淵に潜るとその歪みが霧散し、症状が(やわ)らぐ。


 だが確証がない。そこでケイトは俺を外に送り出して、その真偽を調査させたいようだ。


 それは俺にしかできない。


 なぜなら、ダンジョンであの世とこの世を繋げようとしていることは、俺とケイトしか知らないからだ。ケイトの意図を汲んで彼女の知りたいことを調査できるのは、俺だけ。


 デンハムくらいには教えてやっても良いのだが、ケイトは誰も信じていない。


 俺以外は、誰もだ。


 ひょっとしたら俺も――。


 (あわ)れな娘。


 その(なが)きに渡る孤独が、彼女を(まこと)の悪へと追いやった。


 邪神や破壊神が可愛いとすら思えるほどの巨悪だ。


 彼女は孤独から逃れようと持てる力のすべてを使って狭間の海を藻掻き、そして、さらなる孤独の深みへと沈みつつある。


 俺はただ、そんなケイトの隣に居てやることしかできない。


 彼女こそがダンジョンの主で、俺は一匹の鉱夫に過ぎないのだから。


 このままケイトがダンジョンを深く掘り進めれば――。


 やがて現実の底が抜ける。


 ケイトの狂気が洪水となってあふれ出し、世界を洗い流す。


 そして、この世は食い尽くされる。


 この世とあの世が混じり合い、境界を失った世界がダンジョンに変わる日だ。


 その時、人類はおろか、動植物も、妖精族も、竜族も、魔族も、神族すらも、なにもかも。この世の存在は全て、その未来を閉ざされることになるだろう。


 虚ろな悪夢の怪物達に怯え、アリのように必死に穴を掘って中に逃げ込み、その入り口を堅く閉ざして外敵を退(しりぞ)け、薄暗く狭苦しい穴蔵で細々と命を繋ぐ。ただただ闇の中に隠れひそみ、やがてその穴の中でゆっくりと種の寿命をすり減らし、いつか最後には、醜い地底生物のように成り果てて消え失せる。


 そんな時代が来る。


 ケイトが大手を振って地上を闊歩(かっぽ)し、逆に、今度は生きとし生けるものが地の底に引きこもる。


 そんな生命にとって、冬の時代だ。


 まぁ元々、闇黒(くらやみ)に漂っていた俺にとっては、この世がどうなろうとも、どうでもいいことだが。


 しかしケイトは――――。


 問題は山積み。種々の懸案はなにひとつ解決せず、俺は家に帰れず、ショコラとの契約は終わらず。それなのに俺は絆の深淵を背にし、自らの足で歩いて部屋(ユートピア)からどんどんと遠ざかっていかねばならない。


 この重苦しい足取りよ。


 道の小石を蹴ったりしながらシュコシュコ黙々と歩いていると、そんな俺の顔を下から覗き込んでくる無邪気な顔があった。口に棒付き飴を咥えている。


「――ろういらんれうかぁ、りーえるあん。ちゅぱ……元気ないですねぇ~~」


 ショコラだ。器用に後ろ向きで歩きながら、俺を見上げている。


 彼女はふっと、その表情を崩した。


「――そんな時には……はい。じゃっじゃーん!」


 そう言ってショコラが俺の前に掲げたのは、一本のタバコ。


「お」


 思わず兜から声が漏れた。ショコラがブスリとタバコを突っ込んでくる。


「――こんなの、どうしたんだ?」


「さっきのおじさんから拝借しました」


「お前……」


 少し肩がコケた。


「天下の怪盗ショコラ様ですから」


 するとショコラは悪戯っぽく笑い、背伸びして俺に顔を寄せてくる。


「――それともぉ……私の手作りタバコの方が良かったですか?」


「お前の手作りな……この世のものとは思えないほどマズいんだ」


 だって中身雑草だからな、あれ。


「ひ、ひどいッ!」


 眉をハの字にして涙ぐんだショコラ。


 そんなやり取りに腹を抱えて笑うクラリス。ふと真顔になった。


「――なぁ、そう言えば、これから向かうショコラの街って、本当にカカオリンドなのか?」


「はい。実は私の実家ってカカオ農家なんです」


「ほ、本当か⁉ ひょっとして作りたてのチョコなんて、食べられたりするのか⁉」


「もちのろんですよ。せっかくだからご馳走しますね」


「……おいおい! この任務最高だな、おい‼」


 クラリスが俺の鎧をバンバンと叩いて上機嫌だ。


「ディーゼルさんには、私が特製チョコを作ってあげますから」


「だから俺は食えないと何度言えば――」


「それー、ダンジョンの外でも続けるんですかぁ~~?」


 あきれ顔になったショコラ。


(こだわ)りのせいで人生の半分損してますよ……でも、うちのチョコはザクチョコですよ? そんな意地、いつまで張り続けられますかねぇ……?」


 挑みかかるような目つき。にょほほ……と口がωの形になっている。


 そこにクラリスがオロオロと割り込んでくる。


「ざ、ザクチョコについて詳しく」


「カカオ豆の食感が残っていてザクザクするチョコなんです。混じりっけなし。豆と砂糖だけ。普通のなめらかなチョコと違って、豆の風味が強く残っていて(つう)には堪らない逸品です」


 胸を張って得意げなショコラ。


「もちろん、うちの庭からビーントゥバーです」


「び、びーんとぅーばー……?」


 クラリスが目をパチパチ。喉をゴクリ。口の端から涎をタラリ。


 もちろんこの会話もケイトに筒抜けだ。お土産にチョコを忘れると門前払いを食らうこと間違いなし。なにせチョコはケイトの好物でもある。今頃ケイトが原因不明のヒステリーで暴れ回ってるかも知れない。すまんな、デンハム。


「うちのチョコでディーゼルさんのコスプレ魂に風穴あけてあげますよッ! 覚悟してください!」


 ズビシッと指を突きつけてくるショコラ。


 シュコーッっと嘆息をつく。


「――ショコラ、お前、あそこで見たデンハムはどう説明するつもりだ。ほら、あの燃えてる恐竜。あんなコスプレないだろう」


 するとショコラがうーんと唸って、口に指を当てた。


山車(だし)灯籠(とうろう)っていう、巨大な装置で練り歩くタイプのコスプレがあるって、聞いたことがあります。それなんじゃないですか?」


「そんなのあるのか?」


 まさかの回答に驚いて聞き返した。


「あ、知らないんだー。でも、コスプレ仲間さんのネタにも、もっと興味を持ってあげないと、コスプレ王の名が泣きますよ」


「なんだよコスプレ王って……」


「くっくっくっ……よっ、キング!」


 笑いを噛み殺しながら俺の肩を叩いたクラリス。


 彼女は、ショコラが俺をコスプレイヤーとして扱うのがべらぼうに愉快らしい。


 (かぶり)を振って、小さな頭痛を振り払う。


「――お前が俺を呆れた目で見るように、俺もお前を呆れた目で見ているんだぞ?」


「酷いなぁ……そんなこと言うとぉ、残りのタバコ、あげませんよ?」


 そう言って、ショコラはパッと手を開いて見せた。指の合間にタバコが三本挟まっている。


 腕は確かなようだ。


 シュコーッ。


「――俺はお前が怪盗だなんて、信じてないからな」


「じゃあ、お互い様ですね!」


 ショコラは、ふふふーんと機嫌良さそうに鼻を鳴らし、くるくるとその場で回って見せた。


 長い尻尾がリボンのように彼女の身体に巻き付いて、彼女の猫耳には俺がくれた〈失楽園の荊冠サークレット・パラダイスロスト〉がはまっている。


 そして彼女の胸にぶら下がっているのは、黒く輝く護符の代わりに、七色に輝く涙の形をした結晶。


 ――これあげる。助けてくれたお礼。


 ケイトが、ショコラに直接礼を言った。


 しかもその後、俺への任務に先駆けて姉を生き返らせろとも言った。さらには家を案内するとまで。


 あのケイトが。


 信じがたいことだった。


 ダンジョンの外の存在に懐いたのを、初めて見た。しかも初対面で。


 確かに、俺の視界を通して彼女を見続けてきたとは思うが。


 まさかとは思うが……ショコラの人柄がケイトに響いたのであれば。


 ショコラが、鍵になるのかも知れない――。


 パチンッ、パチンッと指を鳴らせばすぐにタバコに火が付いた。


 鎧の中のざわつく気分を瘴気と一緒に混ぜ込んで、タバコの煙に乗せて吹き出す。風がその瘴気混じりの煙をさらって、空に混じり合っていった。


「ふーっ……」


 風は冷たく、空は高い。


 冬は近い。


「……まっず……」


「ぷぷぷっ! それ、私の手作りタバコでした~~~~‼」


 ショコラはそう言い残し、土埃を上げながらダッシュで逃げていった。速い。


「――こっちは本物ですよ~~~~、はやくはやく~~~~ッ‼」


 ――だがしかし。まぁ、せめて。


 ショコラの寿命が尽きるまでは待ってやるよう、帰ったらケイトに口添えしてやるか。


 もし、それが叶えば……。


 他者に一切の興味を持たないケイトが、ショコラのために、しばらくダンジョンの拡張を止めると言うのであれば……。


 世界がショコラを救世主と(あが)める日が来るのかも知れない。


 ――聖女ショコラ。


「――ふっ、どんな悪夢だ……」


 外でマズいタバコを吹かすのも、悪くないな。


 そんなことを考えながら、まっすぐに続く街道を三人で賑やかに歩く。


 慎重に言葉を選んだ。


「――これから苛酷な冬が来る。その先に春の訪れがなければ、ほとんどの生物は希望の中で死に絶えるほかない。誰もいなくなった、うら寂しい枯れた大地を独り歩いても、こんな賑やかな光景を目にすることも、ビーントゥバーとかいうチョコに出会うことも、ないのだろうな」


 その呟きは、ショコラの元気な声にかき消されて、その場の誰の耳にも届くことはなかった。


「やはり、のんびり眺めるのであれば、冬よりは春うららだ」


 俺の目と耳を覗いているケイトに、どう聞こえたのかは分からない。


「――さ、早く仕事を終わらせて寒くなる前に帰るか!」


 なに、ちょっとばかし帰宅(ホームカミング)が延びただけだ。切り替えていこう。


 それに、この旅は穴の底で引きこもるケイトに、世界のなんたるかを見せてやるという、すべてに優先される極めて重要な仕事でもあるのだ。


 心なしか足取りが軽くなった気がする。


 今回の旅は、ショコラのおかげで手応えのある旅になる。


 まっすぐに続く道。その先で元気に手を振る彼女の笑顔に、そんな(きざ)しを感じたからだ。




(完)


最強だけど面倒見が良くて苦労性のラスボスと、ポンコツ(?)だけど明るくて超ポジティブな女怪盗のお話はいかがでしたか?


幽鬼のホームカミングは、実はタイトルが示すとおり、ディーゼル達はまだまだ全然帰れません。この黙示録ファンタジーには先があるのですが、ひとまずラスボス地上放逐という形で一応の決着となります。


面白い、続きが読みたいと思ったらブクマ、評価、感想で教えていただけると嬉しいです! 作者が続きを書くかどうかの判断材料にもなります!


長めの後書きは活動報告に書きましたので、興味がある方はこちらをご覧下さい↓


https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1588934/blogkey/2688569/


ここまで幽鬼をお読みいただいた皆様には深く感謝を申し上げます。


連載中に頂戴できた感想には、額に入れて飾っておきたいほど感激しております。あたたかい応援、本当にありがとうございました!


幽鬼のホームカミングは続けるとしても、ノクタの別連載の次になるので、半年以上先かと思います。


それでは、これからしばらく作者は書き溜め期間に入りますが、また続編なり新作なりで再会できることを祈って。


(c) 赤だしお味噌 All Rights Reserved.

2020年11月

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。 [一言] あっちの更新も楽しみだけど、こっちの続きも読みたいな。
[一言] 別作品がおもしろかったので、こちらもよんでみました。 面白いです!
[良い点] 凄くおもしろかったです。ありがとうございます。 ダンジョンの"楽しさ""ヤバさ""エゲツなさ"が、さくさく死ねることで伝わってきました。油断すると(しなくても)すぐ死ぬんじゃー!しかもまだ…
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