城塞侵入
一〇〇階層を含めた一連のエリアは、深い水堀に囲まれた、高い城壁を擁する城塞となっている。
その内部が、九五から九九階層に当たり、中庭の階段を登った先にある塔の中腹から侵入する先が一〇〇階層だ。
蜃気楼の街から城塞に侵入するルートは三つある。
ひとつ目が正面ルート。跳ね橋を通って水堀の上を突っ切ることになる。ただし遠くから鋭い矢で蜂の巣にされたり、敵に挟み撃ちにあったり、橋を落とされたりと散々な思いをするのがこの正直な道だ。やってやれないことはない。
ふたつ目が飛龍ルート。この幻の街のどこかに出現する飛龍にワイヤーを引っかけて、城壁の上まで一気に空から侵入する。ワイヤーを見つけたり、飛龍を呼び出したり、そもそもタイミングが非常に難しいなど、手間と時間のかかるルートだ。成功すれば一番安全なルートでもある。
そして三つ目が、今俺たちが行く地下ルート。
ザ・ダンジョンといった雰囲気の複雑な迷路になっている一方で、内部は敵が多いだけのド直球な内容だ。内情を知る俺であれば一番楽な道と言える。
ただしその地下への進入路が、キラードジョウ落とし穴の中の途中にある横穴なのが問題だった。一度落ちてトラウマになったのか、泣いて嫌がるショコラをとっ捕まえて下りるのに少し時間がかかるという事件があったものの、今のところ順調だ。
湿った四角い地下道に松明が灯る。
俺が先行し、ショコラが後ろからついてくる。
この地下に侵入する直前に確認した時は、正面跳ね橋ルートをスターチェイサーが通り抜けた形跡がなかった。この第三のルートもだ。スターチェイサーが通ったのであれば、もっと戦闘跡が残っているはず。
つまり、スターチェイサーは第二の飛龍ルートで進入したということだ。
しかしあれはかなり手間がかかる上に、そもそも、知らなければ思いもよらないルートだ。もちろん偶然見つけた冒険者も過去にいたにはいたが、丹念にダンジョンを探索してようやく見つけられるレベルの、ほとんど隠しルートだ。ペースアップをして急いでいるスターチェイサーが、偶然見つけられたとは思えない。
連中は飛龍ルートを知っていたのだ。
イルバーンはS級冒険者であるらしいから、過去の冒険者達の口伝を元に知っていてもおかしくはないが、幻の街のどこかに落ちているアイテムを拾い集めている時間を考慮しても、やはり手際が良すぎる。
何らかの具体的な手引きがなければ無理だろう。よほど入念に下調べしてきたと言うことか……。
スターチェイサーが最奥に到達するのは不可能だとしても、警戒するべき相手であることは確かなようだ。ダンジョンが厳戒態勢をとったのも頷けるというもの。
そんなことを考えながら歩いると、後ろからショコラが顔を出してきた。猫目の瞳孔をまん丸く開いて、猫耳をピクピク動かしている。
「――ディーゼルさん、奥から足音がします」
ショコラは耳がいい。夜目も利く。猫だからだろうか。いや、豹だったか。どっちでもいいな。
――ショコラが俺のことをコスプレイヤーだと言い張るように、俺もショコラのことをあえて猫だと言い張って対抗するのはどうだろうか。こいつは猫と言うと怒るから、ちょうど良いかも知れない。今度マタタビでも嗅がせてみようか。
上手い具合の仕返しを思いつき、胸中でほくそ笑みながら、彼女の視線を追って前方の闇を凝視する。
暗がりの奥。曲がり角から現れたのは白い目抜き仮面を被った巨漢だ。
太った大きな身体を揺らし、前面には屠殺エプロンを掛けている。
チェーンソーという凶悪な武器を持ったモンスター――〈チェイソン〉だ。
「どひーっ! こ、怖っ!」
ショコラが俺の後ろに隠れた。
シュコーッという嘆息が鬱然と兜から漏れる。いやいやと頭を振った。
「ショコラ、この流れは――」
「総帥ッッッ‼」
「ほらな……マジかよ……嘘だろ……」
この声はドルトン。こいつ、本当にここまで到達してチェイソンのコスプレをしているぞ。もはやドン引きだ。
「ディーゼル総帥、このようなところでお目にかかれるとは。このドルトン、万感の極みにございまする!」
「おお……お前、よくここまで来られたな……」
俺の言葉にひれ伏すチェイソン――じゃなくてドルトン。
「ははぁ……。九〇階層越えは小生にとっても命がけでござりました。同志らも多数全滅し、コスプレ衣装を剥ぎ取られて泣く泣く帰還したものも多く、今となっては小生を含めて数人だけがこの付近で潜伏しておりまする」
連中は、装備ロストでコスプレグッズを失うことになる。普通の挑戦者のように、途中で装備を補給しながら、というわけにもいかないから、ここまで来てコスプレを続行する難易度は普通の挑戦者よりも高いと言える。
よく見るとドルトンの服装はボロボロ。生傷も絶えないようだ。でもおかげでチェイソンのコスプレは迫真の出来に仕上がっていた。
「小生も何度か死に戻りを経験いたしました。いやはや、死に戻りとは不思議なものでございますな。しかし、小生は果報者にございまして、こころざし半ばで引き返した同志らの装備を引き継ぎ、こうしてチェイソンに扮してこの付近を彷徨っておったところにございまする」
ここに来るまでに、かなり無理はしたようだ。
ならば、まぁ、いいか。
頭のイカレた変態どもが、あっさり九〇階層越えをした、などとダンマスの耳に入れば、いよいよこのダンジョンは誰も入ってこられないほどに高難易度化してしまうところだった。
「――と、ところで総帥……いかがでしょうか、小生のチェイソンは……?」
恐る恐る俺の兜を仰ぎ見たドルトン。
「超似合っているぞ。なぁ、ショコラ?」
「――え? は、はい! すっごくお似合いですよ、ドルトンさん」
「おお、おお……」
ドルトンは感極まった様子で何度も頷いた。
さて、どうする……。
ドルトンの前で腕を組んで黙考する。
洞窟内に訪れた沈黙。
様々な処理方法が俺の兜の中を駆け巡り、最終的に俺の出した結論は――。
「――もうすこし、真面目な話をするか」
「真面目、といいますと?」
「お前たち悪夢崇拝者どもは、ダンジョンに受け入れてもらいたいのだったな?」
「左様にございます。N級ダンジョンの懐に抱かれることで、我々の罪は浄化されるのです」
「罪だと?」
そこに、ショコラが口を挟んでくる。
「悪夢蝶は、地上で七つの大罪を犯した愚か者に下される悪夢の烙印。っていうことになっているんですよ。本来は死後、永久に悪夢に囚われてしまうところを、生きている間にN級ダンジョンで罪を悔い改めて魂を洗浄することで、その業苦から逃れられるんだそうですよ。私は信じていませんけど」
なんなんだ、それは……。
内心で嘆息しつつも、全て知っているぞ、と言った具合に鷹揚に頷いて見せる。
「――そうだったな。ならば、俺から最後の託宣を貴様に与える」
「ははぁ……」
もはや盲目的に俺の言葉にひれ伏すだけとなったドルトン。ショコラがその姿を見て、うわぁ……みたいな表情を浮かべて引いていた。




