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10.夜空の下

 


 ギルドに明かりが灯されました。マナハゼの実から作られたロウソクたちは、青い炎から柔らかな光を放っています。すすも煙も出ないので、屋内で使うのに重宝するのです。


 彼女ら受付嬢の手元でも、ランプとして明るく照らしています。

 青い光のなか、彼女は書類を書いていました。


「ふぅ……ここらで終わり、と」


 ペンを置くと、ぐいとじっくり、思いきりのいい伸び。座りっぱなしは体にこたえます。こわばった肩と筋がビキビキと、あちこちから音を経てているのが聞こえてきました。


 日も落ちきると、さすがに冒険者の姿はまばらになってきます。

 夜はモンスターも活発になるため、無理に夜道を急ぐよりは途中で日が出るのを待ったほうがいくらか安全なのです。 


 そうなるといくら受付嬢を配置しても、ムダに座らせているだけになってしまいます。

 引き継ぎのための業務報告を書き終えれば、今日の彼女の仕事は終わりなのです。


 ギルド長への挨拶もそこそこにすまし、更衣室で帰り支度をしていると、彼女に声がかけられました。

 まるで子供のように小さな人影。ドワーフ先輩です。ドワーフらしい、その小さな体格とは思えないはっきりもした声でした。


「終わったのかい」

「はい、これで報告書もおしまいですね」

「あんたにしちゃ、ちょっと時間かかったね」

「ちょっと手間のかかることが重なりましたから」

「せっかく一緒だし、今日は飲まない? というわけで行くわよ」 

「いいですね。お供しましょう──」


 答えた時には、すでに先輩は扉の外で待ち構えていました。

 彼女が着替えや帰り支度をちょうど済ませたのは幸いですが、後に来たはずの先輩はどれだけ手早いのやら。


「お疲れ様です、夜はお任せを」

「ああ、お願いしますね、また明日……」


 入れ違いに声をかけてきたのは、後輩の鳥人です。この鳥人はこれから仕事です。今日の夜の受付担当となっています。

 ぐるり、と頭をひっくり返している姿には、いつまでも慣れません。

 おっかなびっくり挨拶をして、二人はギルドを後にしました。



────



 ドワーフ先輩の言う店は、曲がりくねった裏路地を進んだ先にありました。

 手元のランプも頼りなく、どこからか悪漢でも出てきそうな、おどろおどろしい道の一角で、ドワーフ先輩は立ち止まりました。


 先輩が指し示したのは、どこかの壁でした。

 お世辞にもきれいとは言えない、掃き溜めのようによどんだ外観。

 思わずごねる彼女も無理やり中に連れ込まれれば、その評価は一変しました。


 全面木張りの内装が、明かりに照らされて輝いています。さりげなく置かれた植物のインテリアが彩り、そのどこにも埃のひとつも見当たらず、さわるのもためらってしまうほどです。

 片隅の石積は地下にも繋がっているようで、隠れ家のような雰囲気です。


 新築なのでしょうか。そう彼女もそう思わずにいられないほどに、清潔で美しいものでした。

 唖然としている彼女に、先輩が面白そうに笑いかけました。


「いいだろう?あたしのお気に入りさね」

「いやはや、これは……」

「ここはわたしのおごりよ」

「いえ、いいですよ。自分の分は自分で払います」

「あんたのさっきの変な顔で十分よ」


 結局彼女は、抵抗むなしく押しきられてしまいました。

 出てきたワインやエール、つまみもどれも十分に美味しいものでした。

 店でも、外見では判断できないものだと改めて実感します。


 愚痴を吐いて、ふざけた話をして。酒に滑った口がうまく転んで、一層話が弾んでいきます。


 その最中でした。


「──なに!」

「爆発?」


 浮かれた気持ちを引き裂くように、轟音が鳴り響きました。窓の外がピカッと光ったかと思うと、窓が激しく叩きつけられました。


 大荒れの嵐です。

 外を見れば風が吹き荒れひさしが躍り、誰かの傘が宙を舞っています。

 空気を裂く雷鳴、扉や窓ががなりたてる悲鳴に二人は思わず耳を押さえました。


「ええい、嵐じゃない!」

「こんな予兆無かったわよ」


 驚く間にも嵐は一層激しさを増していきます。

 閃光、爆音と同時に地面が揺れ、ドワーフ先輩は引っくり返ってしまいました。

 他の客も何人かイスから転げ落ちてしまっています。

 ほんのすぐそばに、雷が落ちたようです。

 梁が音をたてるのを聞いて、彼女は青ざめました。


「ううわ……きついなぁ、家持つかな」

「あんたのとこ、ちょっと……ボロなとこがあるからね」

「私にもわかってますよ」


 そう言いながら、彼女は再びグラスを手に取りました。嬉しいことに中身はこぼれていません。

 いくら不安を抱いても、この荒れ模様では見に行くことなど叶いません。

 ならば、飲んでいよう。雨がやむまで、気がすむまで。


「晴れるまで存分に飲みましょうか」

「あら、珍しい」


 元々大きな目を、さらに大きく丸くしたドワーフ先輩に彼女は思わず笑ってしまいました。


「おやおや。もっと珍しいわね、そうまで笑うたぁ……」

「たまにはいいじゃないですか。どちらにしろ、私は自分のペースで飲みますよ」

「さすがにドワーフに合わせる道理は無いわね。じゃ──」


 ガラスの音色が、心地よく響いてきました。



────



「……いつつ、ちょっと飲み過ぎたかな……?」


 少しばかりおぼつかない足どりで、彼女は帰宅の途についていました。

 つい、想定以上に杯を重ねていたのです。


「明日も仕事があるってのに……」


 さすがに酔いを残して仕事はできません。

 ずいぶん夜更けになってしまいましたが、水浴びくらいはしたほうがいいでしょう。

 我が家にお泊まり、というドワーフ先輩のお誘いは受けたほうが良かったのでしょうか。時すでに遅しですが。


 こうまで酔ってしまったのはいつ以来でしょう。

 どこかでやはり、家のことが不安だったのかもしれません。


 結局、嵐はずいぶん続いたわりに、突然ピタリと止んでしまいました。

 奇妙なのは、痕跡がほとんど無いことです。


 風が吹いていたというのに、地面にはゴミどころか木の葉一枚ありません。

 雷が落ちたというのに、街中のどこにもその跡がありません。

 雨が降っていたというのに、水溜まりがどこにもありません。


 空を見上げれば、雲一つない透き通った空に、星月がまたたいていました。


「何だったのかしらねぇ」


 まるで魔法だったかのようですが、果たしてそんな魔法があるのやら。

 声をあげても、答える人はいません。


「おお……!」


 月明かりに照らされて、家の姿が見えてきました。ぼんやりと浮かぶ家の様子に変わったところは見当たりません。


 小さくても、彼女の大切な家です。

 ほっと胸を撫で下ろして、家へとかけだしました。


 


 

ひとまずは、これにて。

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