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第10話 災禍

 災禍。

 それはこの世界が持つ殺戮機構。超過殺戮現象。虐殺原理が巻き起こす屍山血河の構築事象は、災害である。

 一定周期で巻き起こる絶滅現象の一つ。規模は、その時々によるが、国が一つ滅びることは覚悟した方が良い。最悪、人間の世界は滅びるだろう。

 何が起きるかも定かではないが、今回の災禍は単純なものであった。

 超過殺戮現象の名の通りに巻き起こる殺戮。ある種、最も被害が少なく済む災禍の一つであるが、最も凄惨なものになる災害であった。

 唐突にそれは巻き起こる。それは災害だから。伏線も、あらゆる予兆もありはしない。

 これは自然災害だ。世界が持つ作用の一つ。

 もしこの災禍に遭遇したのなら、運が悪かった。ただそれだけなのだ。


 場所はガストヴィルティン領の端、カイゼルヴィント魔王国との国境上の要衝。

 そこにある砦の見張り台にて、不運にも冷精の活動が活発なこの場所での夜番をやることになった男が欠伸を噛み殺し、遠く魔王国の国土を見据えている。

 魔獣番と呼ばれる彼の所属する騎士団の役割は防衛であるが、常日頃から魔獣が襲ってこないかの見張りも職務に含まれる。


 今日も今日とて何も起きない敵国国境上を監視している。いつ魔獣が襲ってくるのかわからない為の見張りであるが、静かなものであった。遠く荒野の続く為に見晴らしの良い土地だ。

 動くものは何もなく、時折、夜闇に煌くのは妖精の燐光のみ。平和そのものであった。


「はぁー、今日もなにもなしか」


 ここ数日何も起きていない。いつもならば日に一度か二度くらいの襲撃があるというのにここ最近はなにも起きていない。

 襲撃が起きないならば起きないで暇しかたなかった。平和は良いことであるがただの見張りにとっては退屈なだけである。

 やることと言えば訓練をするかばかり。油断も過ぎるが、王国随一とも言われる騎士団である為、自惚れなどではなく正当な自己評価


「たるみすぎだぞ」


 そう注意するのは彼の同僚であった。しかし、彼の方も顔に暇と書いてある。話す口実に使っているだけであろう。


「はいはい、すみませんね。で、どうよ、最近」

「何がだ」

「何がって、知ってるんだぜ、おまえイエルナの酒場で」

「待て――」

「おいおい、恥ずかしが――」

「違う、あれは、なんだ?」


 始めは同僚が恥ずかしがっているのか、照れているのかと思ったが声色からそうではないと察し、すぐに彼が見ている方を男も見た。


「なんだ、あれ」


 黒い何かが蠢ている。夜の闇の中であろうとも見て取れるのは赤く輝く光があるからであった。そこまで行けば気が付く。

 あれは――。


「魔獣だと!?」

「なんだ、あの数は!」


 ありえない数の魔獣の出現。男たちの対応は素早く、すぐに鐘を鳴らすべく走りだした。

 その瞬間を以て、男たちの意識は闇に消える。最後に見たのは、飛び込んでくる巨大な影。空を飛翔する帝王。ドラゴンの姿であった。


 砦陥落の報せは、一夜もせずにガストヴィルティンに駆け巡った。過去、破られたことは数度という砦の陥落は、彼らに災禍の発生を思わせるのに時間はかからなかった。

 巻き起こる虐殺連鎖。虐殺が虐殺を呼び、更なる災禍の軍勢は際限なく広がりを見せていく。夜だというのに、まるで昼間かと錯覚するかの如くガストヴィルティン領を怪しげな紅が照らす。

 それは魔獣の眼孔の輝き。砦陥落より数時間、精強な軍を有する、領民総てが魔獣狩りを経験していた防人の領を魔獣が埋め尽くしていた。


 まるでその場から湧きあがっているとでも言わんばかりに時間が過ぎれば倍以上に膨れ上がっていく。それらが通った後に残るのは血の河のみ。

 死がやってくる。紅の瞳の死が、進路上にある一切合切を逃しはしないのだと言っていた。

 もちろん騎士団は抵抗していた。レイラの帰る場所なのだと両親は奮起した。騎士団は領民を護るのだとその意思を滾らせた。


 だが、すべては無意味だ。未曾有の自然災害に巻き込まれた人が何の感慨もなく死んでいくように。意志を持つ災害を相手にすれば秒も持たずに瞬殺されていく。

 死体が積み上がり山となって、全て魔獣の腹へと収まっていく。そのたびに、災禍は膨れ上がっていくのだ。


 死ねば死ぬほど、虐殺は加速する。血と脂、肉と骨。何一つ残ることなく全て軍勢となって死を築き上げる。

 祈る暇などない。神は救わない。この世界に神などいないのだと言わんばかりに開いた地獄の窯。ガストヴィルティン領に広がった災禍は、エレニア王国を呑み込むべく進軍を開始する。


 夜を超えてなお天を覆う雲。双子の目は隠されて、地獄の夜が続く。黎明は果てしなく遠い。なにより夜明け前が最も暗いというように、殺戮深度はただただ深まっていく。

 学園都市ラブレストにまで災禍の手が伸びるのはそう遅くない。ガストヴィルティン領が壊滅して一夜が明けた翌朝。

 学園は死の焔に包まれていた。


「っぁ――」


 何が起きたのか。レイラは把握していなかった。駿河すら状況はわからない。突如として学園を襲った悲劇。王国中に警告が伝わると同時に災禍の手はそこに伸びている。

 運命は告げる。誰一人として逃がしはしない。一定周期で巻き起こる絶滅現象。世界の意志は、人の滅びを願っていた。


――おい、レイラ、おい!

「うっ、るさい、わね――」

――何が起きたんだ!


 わかるはずもない。

 だからこそ状況の確認をしなければと、レイラは起き上がる。寮の部屋は半壊していた。いったいどういったバランスで保っているのだろう。綺麗に半分に断ち切られていた。

 何かが降ってきたのか、粉砕された建材の破片が粉となって舞い上がっている。


 ぴちゃり。


 ふいに身体を動かすと手が触れた。液体。生温かな。


「これ、は……」


 それは血であった。血。

 いったい誰の血か。

 一人しかいない。同室の人間は一人だけだ。


「クメル……」


 両断された彼女の上半身が転がっていた。運悪く、彼女の方が直撃を受けてしまったらしい。しかも最悪なことに、彼女は即死しなかった。

 痛みに喘ぎ、生にもがいた凄惨な痕跡がそこには広がっていた。見開かれた瞳は、どうしてこんなことになってしまったのだとレイラに訴えかけている。


「あー、あー。もっとゆっくりしていればいいのにね」

「ネルフェル……」


 呆然と死体を見る彼女の下にやってきたのはネルフェルであった。

 この状況で彼女は何一つ動揺した様子もなく、何の感慨もなく今現在も繰り広げられている超過殺戮現象を認識していながら、何一つ精神の海原に波風を立てない。

 平静そのまま――いや、呆れていた。


「そういうわけで、ここまでねー。じゃあね、レイラちゃーん。猫ライフもー楽しかったけど、お姉さん自分の命が大事なの。それじゃ、生きてたらどこかで会いましょ」

――あの野郎、逃げやがった!


 猫の鳴きまね一つ。転移魔法が起動して彼女の姿は掻き消えた。


――どうするんだ。

「だから、逃げる、のよ」


 このようなところで死ねない。死体を一瞥して、レイラは立ち上がる。身体は辛うじて動く。


「あんたの方が速いわ。逃げるわよ」


 レイラは駿河と交代する。


「逃げるたって、どこへだよ」

――先生たちが避難誘導してる場所があるはずよ。とにかくそこへ行きましょう。

「了解」


 全身に気を回し、全身を強化する。


「すまない」


 クメルの瞳を閉じてやり、駿河はその場を後にする。半壊した寮から飛び降りて学園都市をかける。黄金の残光が後を引くかのように夜の如き昼闇を駆け抜た。


「なんだよ、これ――」


 そこに広がっているのは紛れもない地獄。

 血で染まっている。地獄とはかくあるべきだとでも言わんばかりに。此処こそが地獄、これこそが地獄絵図。

 虐殺という名の過剰殺戮が織り成す地獄は、今もなお拡大を続けている。無辜の民が悲鳴を上げて逃げ惑い、そして尽くが逃げられはしない。


 腕が飛ぶ。足が潰れて。頭が転がる。

 咲き乱れる死の血染花。燃え盛る死体という淀みから湧きあがる脂の瘴気が全身にまとわりついて離れない。

 それは駿河の身体を重くして足を引く。まるで亡者たちがお前たちも一緒に来いとでも言っているかのようだった。生者をうらやむ亡者の脚引きが、精神力と体力を奪っていく。


「ぐ――」


 否応なくこみ上げる吐き気。平和な時代に生きた者ではテレビや映画の中でしか体験することのない非日常の現出に駿河の精神は疲弊していく。

 止まる脚。前に進もうとしても、脚は重く動いてはくれない。立ち止まれば、死が襲ってくるというのに、脚は鉛のように重い。


――なにしてるの、止まるな、走りなさい!

「――っ!」


 レイラの叱咤に咄嗟に一歩を踏み出した。頭上を通り過ぎていく風切音。

 石をそのまま武器にしたかのような武骨な大剣が頭上の空間を削り取っていった。

 オークだ。ファンタジーの敵の代名詞とでも言うべき存在。強大な膂力と恵まれた体躯から放たれる一撃。躱したと思ったがすぐさまは、敵は巨剣を振り下ろす。

 一撃は石畳を破壊し、その破片が駿河へと降り注ぐ。


「ぐぁ――」


 しかし、致命傷ではない。気功によって強化された肉体は、辛うじて駿河とレイラの生命を繋げる。


「大丈夫ですか!」


 そこにやってくるのは学園の教師であった。剣を携えた男はレイラが襲われているのを見るや否やオークへと向かっていく。

 巨剣をいなし、躱して懐に入り切りつける。


「だめ、だ――」


 だが、駿河の宿痾が叫ぶ。それではダメなのだと。

 切り付けた端から超再生する。まるで巻き戻しでも見ているかのように再生するオークの肉体。どれほど切られたところで意味をなさず、むしろ硬い肉質を断ち切るために常に全力で剣を振るう教師は疲弊していく。


「ぐぁ、――」


 もはや剣を振れなくなったところでその頭を掴まれてしまう。


「にげ、――」


 その頭が最後まで言葉を紡ぐことはなかった。

 林檎を手でつぶすかのような気楽さでオークは教師の頭を握りつぶした。


「あっ……」


 這い寄ってくる絶望。それはあらゆる全てを蝕む猛毒にして麻痺毒。


――剣を取って!


 言葉に身体の方が反応し駿河は剣をとった。頭上を通り抜け過ぎていくオークの腕。その余波だけで全身が傷ついて行く。

 だが、どうにか教師の落した剣を拾うことが出来た。

 その刹那、クリアになる思考。余分で必要ないことは戦闘思考として組み上げられた意識によって外へと弾きされる。


――行くわよ!

「ッ――!」


 言われるままにオークとは反対方向に逃げ出す。

 がむしゃらに燃え盛る都市の中を行く。

 死体。死体。死体。

 あらゆる場所には死体があって魔獣がいた。それらと戦うには駿河には余裕がありはしない。レイラにもまた同じく。

 繰り広げられる殺戮から逃げることしか彼らには出来ない。


「無事だったか」


 逃げ出した先。学園中央棟には、未だ幾分かの生徒や教師たちが抵抗を続けていた。


「師匠……」

「何も言わずとも良い。今、馬車で少しずつ逃がしているところだ。おまえも行け」


 剣一本を手にしたカインは駿河を迎え、それと入れ替わるように組み上げられた即席の門の方へ向かう。


「無理です。いくらあなたでもあの数は!」

「そうかもしれない。だが、それでもやらなければならない」


 カインという男はこれでも王国有数の力を持っている。ならばこそここで戦わなくてどうするのだという話だ。彼が逃げ出せば、もはやこの場は終わることと同義。ゆえに彼に逃げることは赦されない。


「ここの教師として一応の仕事だからな」


 枯れた剣鬼は、そう言って戦場へと出た。


「ふん!」


 一息に振るわれる刃。

 技量のみにて振るわれた刃は例え相手がどのように硬い装甲を持っていたとしても意に介すことはない。断ち切り、災禍と同じく死骸を積み上げていく。


「師匠……」

――代わるわ。


 ただそれを見つめる駿河に代わり、レイラが表に出てくる。


――お、おい、どうするんだ。

「決まっているでしょう。私も戦うのよ」

――無理に決まってるだろ!?

「それでも、やらないと。私は貴族なのよ」


 地獄を見た。ここにたどり着くまでに見た死体は数十では足りない。

 毎日挨拶をしてくれたおばさんがいた。

 おまけだよと一個パンをおまけしてくれたパン屋のおやじがいた。

 夜遅くに剣を振るっていると、頑張り屋さんですねと頭を撫でてくれた明かり屋のお姉さんがいた。


 みんな死体になっていた。

 いいや、それだけではない。あらゆる人間が死体になって、もはや誰が誰だか分らぬほどにぐちゃぐちゃになっていた。

 災禍における超過殺戮ほど凄惨なものはない。魔獣による超過殺戮現象などあらゆる死の中で最も悲惨に過ぎるものだからだ。

 そんなものを見て、まだ何が出来るというのだろう。一時、宿痾でがあって天才と言われてみても、所詮は駿河などただの一般人に過ぎないのだから。


「それでも……やらないといけないのよ貴族なんだから」


 それこそが矜持。


――ああ……。


 そんな彼女だからこそ、駿河にはとてもまぶしく――。


「逃げろ!」


 だからこそ――それに気が付けなかった。


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