最終話:終わらせることなんか誰でもできる
リリィは驚いてネモに声をかけた。
「ネモ! どうして?
もう私は『神の眼』を失って、あなたのことも視えなくなっていたのに」
ネモはクヒヒと嗤った。
「例え視えずとも、俺はいつだって君の側にいたんだぜ?
それに、君を助けようとたくさんの人が協力したんだ。
君はよくやったよ。
あのどうしようもない世界を、ちょっとは存続できるようにした。
その責務を果たしたんだ。
でもその結果がこれじゃあ、大衆は認めても俺達が納得しないさ。
そら、ささやかながらみんなからの贈り物だ。
クーリングオフはできないからそのつもりで」
そう言うとネモの隣に転移魔方陣が浮かび、テルミンが現れた。
戸惑うリリィに黒髪ロングの魔法使いは、彼女を磔から解きながら説明する。
「オルサがあんたを助ける方法を考えていたんだ。
あいつ、死に際でなにか視えないものと話すようになったらしくって、調べてみたらあんたには元々守護霊のユニコーンがいるそうじゃないか。
オルサは……悪魔への変異に耐えながらそいつを一時的に可視化することに成功した。
そこで、限界が来て、あいつは……。
まぁ、別にあんたを責めても仕方ないし。
で、このネモってやつが協力してくれるらしいことは理解したから、なんとか救出計画を立てられた。
あんた、昔ときどき壁に話してるような独り言を言ってるの見ちゃって、危ないやつだと思ってたけど、違かったんだねぇ。
時間を止めるほどの相棒がいるなら、これだけの成り上がりも腑に落ちるよ」
磔を解き終えたテルミンの言葉に、ネモはドヤ顔を見せたので、リリィはイラっとしたが、それでもわからないことがある。
「まってよ。例え今ここから逃げだせたとしたって、どうにもならないよ。
私が処刑されないことには、大衆は納得しないもの」
リリィがそう言うとと、テルミンはやれやれ、と言いたげな表情で応えた。
「本当に死ぬつもりだったのかい?
全く、それじゃあアタシ達がやってきたことは間違っていたって認めるようなものじゃないか。
もちろん満点の正解じゃないのはわかってるよ。
それでも、ちゃんと次の走者にバトンを渡せたじゃないか。
大衆の単なる憂さ晴らしにまともに付き合うんじゃないよ。
一緒に走ったアタシ達まで報われなくなっちまう」
それに。とテルミンは続ける。
「ちゃんと計画してきた、って言ったでしょうが。
マレー、さっさと来なさい」
その声に応えて、魔方陣から彼は転移してきた。
「テルミンさん。今のオレはマレーじゃなくてスレテーだって言ったでしょう。
お久しぶりです。フェリクスさん。
オレの首がまだ繋がっているのは、あなたのおかげですから、今度はこっちから恩返しさせてもらいますよ。
オレ自身の意志でね」
そう言って彼は背負っていた大きな長方形の箱を開けた。
中にはリリィそっくりの擬似人間だった。
リリィは呆れて元マレー現スレテーに忠告した。
「せっかく足を洗ったのにまた危ない橋渡ったでしょう?
規制されてる擬似人間の輸入なんて、死にたいの? 」
その場の全員が、お前が言うな。とツッコミを入れた。
咳払いしてスレテーは説明した。
「まぁ擬似人間は魂のない人形で全く動かないですから、代わりに磔にしてもどうしても違和感が出てしまいます。
そこで——」
スレテーの言葉を遮ってネモが話しを続けた。
「俺が擬似人間を動かして君の真似をしよう。と、そういう訳だよ」
「どういう訳だよ」
思わずリリィは口に出してしまったが、ネモは嗤って答えた。
「どの道、君がしてる俺の角の首飾りは擬似人間もしてないと入れ替えたのがバレるだろ。
角が焼かれれば俺も消えちまうがな。
……か、勘違いしないでよね!
別に君を助けるためにするんじゃなくて、女の子の体に入ってみたかっただけなんだから! 」
なんとも言えない空気が漂った。
「ネモ、忘れてるかもしれないけどすでに私アラサーだからね」
スレテーがどうりで、と口走り、リリィに睨まれて黙った。
ネモはあらためて語る。
「元々、俺は消えたはずの非存在だ。
それがもう一度こうして舞台に上がれたんだから、それでいいんだよ」
リリィは、ネモが本気なのは良くわかっていたから、それ以上なにも言わず首飾りを擬似人間にかけた。
するとネモはしゅるりと首飾りに吸い込まれ、擬似人間は箱から起き上がった。
「うわっ、キモ!
私が目の前にいる! 」
リリィの悲鳴にネモはがっくりと脱力した。
「その反応はなくない?
結構感動的な場面じゃないのこれ。
なに、泣かないの? 」
リリィはカラカラと笑った。
「感動は娯楽の中で貰うからいいかな。
今は笑ってネモと話したい。
でももう時間もないのかな」
ネモは頷いた。
「そうだな。
この場を止めておくのも限界だ。
特に別れの言葉も思いつかないなぁ。
ま、それが俺達らしいといえばそうか」
そうだね。とリリィは同意した。
テルミンがネモをリリィと同じ形に磔にしていく。
作業が終わり、リリィ達が転移する直前に、ネモが口を開いた。
「じゃあな、相棒」
「うん、さよなら。ネモ」
それが最期の会話だった。
リリィ達が転移した先は聖都の外に出る門境で、そこにはストルオが待っていた。
「リリィ、久しぶり。でもないか、僕らは結構頻繁に会ってたからね」
リリィは苦笑いして肯定する。
「ストルオがここにいるってことは——」
「うん。マレーと同じ、リリィも別人としてこれから生きていくことになるよ。
いやぁ、色々大変だったなぁ。
選挙のときとかも裏でリリィを支えるのはとても大変だったよ。
例えっ、それがっ、地味でっ、魅せ場がなかったとしても、僕はいつもリリィを支えていたんだよね! 」
何か執念を感じる勢いでまくし立てたストルオに、リリィはなぜか咄嗟に謝ってしまった。
「え、ええ。そうね。ごめんね。なんか。
ストルオには感謝してもしきれないよ」
ストルオは満足げに鼻を鳴らし、リリィに旅袋を渡した。
「これが当座の生活資金と、新しい住居場所とか色々入った新生活応援セットだから。
落とさないでよ? 」
念をおすストルオに、若干引きながらリリィは頷いた。
これでリリィは今までとは別の新しい人生を歩むことになる。
新しい名前は、ポエナであった。
リリィは聖都の門境に向かって歩き出し、街を出る手前で振り返った。
マレーもテルミンもストルオも、リリィに手を振って見送っていた。
これが多分彼女達の今生の別れになるだろう。
リリィを手を振り返して、門の外に足を踏み出した。
かつて英雄と冒険をした少女は、絶望から立ち上がり、英雄が遺した光と影を受け継いだ。
そして宿命は、彼女を盛者必衰の理に堕とすかに視えた。
依然、世界から理不尽が消えたわけではない。
不条理がいつ誰のもとに降るのか、そんなことはわからない。
彼女の未来はなにも決まっていない。
けど、わかるのは、終らせることなんか一瞬で済んでしまうということだった。
そして、新しく始めるのはとても難しいということ。
破壊すれば勝手に新しいものが生えてくるわけではない。
自分の足で歩かなければ、種を蒔かなければ、何も産まれない、育たない。
彼女はそうして運命から自らを救う果実をもぎ取った。
だからきっと大丈夫だろう。
今後も彼女は歩き続ける。
リリウミア・フェリクスという少女が懐いた英雄譚は、その死によって終わってしまったけれど。
一つの物語が終わろうと、新しい物語を綴る方法を、彼女は知っているのだから。
完結御礼
(それでも世界は)
まだ続きます。