アトランティスの海賊船 …エピローグ
終わりの見えないような清んだ青空が、白い雲の欠片を抱いて視界いっぱいに広がっていた。
思いきり深く息を吸い込めば、ひんやりとした冷たい空気が肺に入り込んでくる。北西の方から吹いてくる本日の風は、次に訪れる季節を一足先に運んでくるかのようだった。
「天空の都…なんて、見えないじゃん。」
天に続いていた光の塔の名残りさえ、今はない。
―――遥か昔にここで生き、天の都へ続く塔を建設しようとしていたアトランティスの人々。彼らは何を知り、何を見て、天に反逆の意志を示したのだろうか。
世界を焼くほどの兵器までも創って。
「 神よ なぜ貴方は わたしとヨルムンガルドを離したのか
神よ なぜ貴方は わたしに何もない大地をくれたのか
なぜ この声は天に届かないのか
わたしはここで 問い続けねばならないのか
この声は やがて貴方を焼く 恨みの焔となるだろう
そのまえに どうか――― 」
「"竜のうた"か。懐かしいな。」
ぽつぽつと思い出す様に、子供の頃に教わった歌を口ずさんでいると、後ろ側から声が聞こえた。
この場所のことは姫と私と船長しか知らなかった筈だが、彼もまた、ここへ続く階段を見つけたのだろうか。
「サフラン。どうしたの。昼食ならまだでしょ?」
「いや、お前がフレア姫と一緒にいないなんて、珍しいなと思ってさ。」
言われてみれば、そうだ。何故私はこんな所に独りで居るのだろう。
今日は姫とは朝食の時に会ったきり、見かけてもいない。いつもはほとんど一緒に居るのに。
「もう、この都市も安全だからね。」
寝転がっていた体をよっと起こすと、膝を抱えて眼下に広がる都市部を眺める。
今は遠くで米粒のように見える亡者達はもう、人を襲う事もないが、今だ都市の外側を彷徨い歩いていた。
<強制終了〉と〈リセット〉を経ての再認証により、改めて都市の〈管理者〉になったフレア姫が、そう命じたからだ。
朽ちることがないならば、その本能のままに都市を守り続けよと―――。
「あんなことがあった後で、おちおち歩く気にもなれないけどな。」
今私達は、負傷した船員たちの回復とアトラス号の修理を待って、都市に滞在している。
これが、なかなか施設は充実しているし、地下に果物などが生い茂る植物園を見つけたとあって、かなり贅沢な環境となっていた。いっそのこと、このままここで暮らしたいくらいだ。
ちなみに買い出し班は別にいて、船長が即興で修理した廃船を使い、今は北へ行く為の物資を調達しに行っている。リーダーはカーキだが、船長は最初財布を渡すのを渋っていたらしい。いつも、こういうことはサフランが中心になって行っているので、カーキでは使いこんでしまわないのか不安だったそうだ。
それは当然だろう。私なら、あいつには絶対渡さない。綺麗なお姉ちゃんのいる店で酒でも飲みまくるに決まっている。
だが、サフランは怪我も酷く、他の生身っぽい者たちもほとんどが今だ本調子ではないのだ。ここは一人かすり傷程度だったカーキが行くしかない。―――まったく運の良い奴だ。カード勝負では弱かったくせに。
しかも今回、島に上がってほぼ無傷だったのは、カーキとオーディン、それに動物達だけだ。
船長も表立って怪我をしているそぶりは無いが、酷使した両腕がだいぶ痛んでいると、ヒーリングに当たった姫が言っていた。
私も、左腕と頭部の怪我や、ずる剥けになった手の平だけで済んだならば、まだマシな方だ。
「…やっぱり、北に行くのか。」
そのまま、膝を抱えてぼんやりと町並みを眺めていた私に、サフランがぽつりと問いかけてくる。
それは唐突なようでいて、あるいは的を得たタイミングなのかもしれなかった。
彼はひょっとして、ほんの少し生まれた私の迷いを、感じ取っていたのかもしれない。
「うん。本来はここ、寄り道だったからね。」
「あそこは、ここより何倍も危険だぞ。―――それに、今度相手にするのは大勢の生身の人間かもしれない。それも、賊から国を守ろうとする、真っ当な連中だ。」
「…そうだね。」
「お前、この船に残れよ。」
私の姫に対する想いも、執着も。サフランはある程度身近で見てきた筈だ。
だからこそ、姫を一人にしてはおけないと、姫を守ることが私の目的だと、言わずとも分かっていながら、その問いを投げかけてきたのだ。
(…分かってるよ。姫の帰る場所がフランベルグである限り、私はまた、姫と離れなければいけない。)
剣を捧げながら、志半ばで騎士としての使命を全う出来なかった、この未練を。私はただ、小さな恩返しで払いたいだけかもしれない。
それは言ってしまえば、ただの自己満足だ。本当に姫が必要としているのは、私よりもアトラス号の者たちなのだから。
ならば自ら、危険を冒すような真似はしなくても良いと。そういう選択肢もあるのだとサフランは言っているのだ。
確かに、アトラス号の皆とずっと一緒に旅をすることが出来たら、それはそれで楽しいだろう。
でも―――
「姫はきっと、危険な所には一人で行こうとする筈だよ。」
「船長や他の連中が守るさ。それが依頼だ。」
「出会ったばかりの時とは、たぶん気持ちが違うよ。姫がヴァルハラの所に行きたいのだって、国の皆を守りたいからなんだ。それにこの船の皆が加わっても、何もおかしいことはない。」
「おかしいだろ。矛盾だらけだ。それに俺たちはもう―――。」
「生死じゃなくても、身近な人達が傷つくってのは、やっぱり痛いものだよ。…私も、今回のことでそれを思い知った。」
傷つき、迷い、それでも成し遂げたいことがある。
―――人の気持ちは、変わっていくものなのだ。
ゆらゆらと揺れる赤い水面は、時折意志を持つかのように波紋を起こし、下の階の灯りを反射していた。
ここは、私がガーディアンと初めて〈認証〉を行った部屋の真上だ。六角形の不思議な間取りはそのままに、床の中心位置には、赤い柱を上から見下ろすようなくぼみが造られている。最初ここには透明な蓋が掛けられていたが、それは簡単に手で退かせるような仕様になっていた。
今、私は直にその赤い液体を見降ろしている。このまま身を投げ出してしまえば、大きな水槽の柱のなかに、すっぽりと収まってしまうだろう。そして竜脈を満たす、新たなひと欠片となるのだ。
『オーパーツの一部か…。俺には、そんな呼び方をするものには見えないけど。』
あの時船長が言っていた意味が、ようやく分かった気がする。
私の王家に代々伝わっていたのは、このオーパーツそのものではない。その中身であり核である、この赤い液体なのだ。
後で聞いたのだが、この液体を特殊な製法で結晶化した物が、管理者の認証に用いられてきたらしい。与えられた物であろうと奪ったものであろうと、それを持つ者が都市を動かす資格を得られると。
(だから、王家の血を引く私が、管理者に選ばれた。)
そして、サザンクロスの歴代の皇帝たちが守りたかったものの真実もまた、そこにあるのだ。
一族の血を守りたい。アトランティスの力の悪用で世界を混乱させる訳にはいかない―――と。
たとえ、そこに私の希望的観測が込められていたとしても、それで十分だ。私の中の真実はそれで良い。
それでこそ私は、自分の立つ場所を恨むことなく、生きていけるのだと思う。
(…この血肉は、遥か元を辿れば、焔竜のものだったのかな。)
切った指の先に絞り出す様に力を加えると、真新しい血の雫が一滴、赤い水面にぽたりと落ちていく。
瞬間、そこから黄金色に輝く竜脈の光が溢れ、柱の底までをみるみるうちに満たしていった。
そんな光景に目を奪われながら、私は思考の渦から、もうひと欠片の記憶を取り出す。
『―――アースガルズ帝国の入口まで辿りつければいいって?…俺はてっきり、皇帝の所まで連れていくものだと思ってたけど。』
『私も最初は、そうも考えていました。…けれどそれでは、あまりにこの船の方々が危険すぎると…。』
『捨て駒にするつもりが、情が移ったってことかな。まだまだ考えが甘いんじゃない、お姫様。』
『何と言われようと構いません。それに、街中に潜入するとしたら、どのみち人数は少ない方がいいと思いますし…。』
アトラス号の骸骨は、船を離れることができない。その他の生身に見える男達も、どこまで過酷な状況に耐えられるのか、それを試すつもりなど無い。
例え死なずとも、痛みはある。それならば、彼らを巻き込むにしても限度があるだろう。
『アクアのことは、どうするの。』
『私は彼女の自由を束縛する権利は持ち合わせていません。アクアの望むままに、好きにしてもらうつもりです。』
『それ、絶対自分の方に着いて来るって、分かってて言ってるでしょ。』
そうだ。レイス船長の言う通り、私はそれを確信している。
その上で、アクアなら私と運命を共にしてくれると。それを彼女も望んでいると―――
―――私は、どうしようもなく卑怯でずるい人間だ。彼女の優しさに甘えている。
けれど、それを分かっていても尚、突き放すことなどできない。
その後レイス船長が吐いたため息には、深い苦悩が込められていた。
『…また、アクアを自分の檻の中に閉じ込めますか?』
『いや。体の部分だけ繋ぎとめても、何の意味もないでしょ。彼女の心は今のところ、君と共にあるみたいだからね。』
この人の愛情の本質が今だ掴めないのは、それが家族愛に似た部分も含まれているからだろうか。
手に入れたいのに、それがアクアを不幸にするならば、見守っているだけでいい。…世界のどこかで、生きていてさえくれれば、それで良いと…。
彼はきっと、アクアが失った過去を大事に、大事に―――懐深くに隠している。
『…ごめんなさい。レイス船長…。』
『いいよ。仲間が大事なのは俺も同じことだ。約束通り北の首都に一番近い海岸までは、絶対に送り届けてみせる。そこから先は―――君達の運命に委ねるとするよ。』
アースガルズ帝国・北の魔都、フリズスキャリヴへ。
その玉座に、私の運命を握る皇帝が居る。彼に会う事が、この旅の終着点となるだろう。
『管理者認証完了。これによりユグドラシル・レコードの最深部までアクセス可能になりました。都市の設定を変更しますか?』
「いや、設定はいい。」
『了解しました。尚、すべての環境に対する権限は〈第一管理者〉が優先となっております。』
「それも知ってる。いいからアースガルズの地下コンピューターに繋げろ。調べたいことがある。」
六角形の暗い部屋。壁には黄金色の文字や図形が瞬き、所々に都市の様子を映す映像が浮かんでいる。
そこはフレアが初めに〈認証〉を行った部屋と似たものだったが、只一つ挙げるとしたら、そこには赤い柱が無かった。
代わりにあるのは、部屋の中央に置かれた椅子だ。背もたれから前面のディスプレイまでが卵の殻のようなデザインで造られているそれは、近代的というよりはアートに近い。
そこにどっかりと腰掛け、キーボードの上に足を投げ出したオーディンは、音声のみですべての操作を行っていた。それに応じる声は、都市を守っていたガーディアンのものとまったく同じだ。
『ハッキング完了。痕跡を残さずに終了する場合、残り時間は五分三十秒程になります。』
「十分だ。まずヴァルハラの出生の記録と、皇家と"竜人族"の関係についてをすべて落とせ。」
『了解しました。ダウンロード完了まであと三分零五秒…』
長い瞬きをするように瞼を閉じたオーディンに、その口元には笑みが浮かんでいる。
足元にすり寄ってきたフレキの鼻先を撫でる手先に、もう片方の手を頭の後ろに回すと、彼はひとつの映像に視線を投げかけた。
そこに映るのは、廊下を移動していくフレアの姿だ。
+++++
ふうっと吐いた白い息は、今の気温の低さを示している。
アトランティスではまだまだ雪の降る様な季節ではなかったが、この辺りは寒期が来るのも早いのかもしれない。
とはいえこの寒さは、単に早朝だからというのもあるかもしれない。いくら北の大陸とはいえ、日差しが差してくればもう少し過ごしやすい気温になる筈だ。
北の入口・虹の街ビフレスト。大きな三日月の入り江が特徴のこの港街は、晴れた日に正面から船で入港すると、空に巨大な虹の架け橋が見れるらしい。稀な話だが。
「虹の橋か…見たかったな…。」
「この濃い霧じゃ虹も何もないって話ですよね~。大体ここ入り江から外れた岩場だし…。」
薄手のコートやストールを羽織り、船の淵に寄りかかった私とフレア姫は、すでに降りる準備も万端なまま霧の只中を見つめている。
その心境も、心なしかぼんやりとした感じだった。いつも、新しい大陸といえば胸がわくわくして仕方がないのに、今は何か物寂しい。
「はいそこ、文句言わない。街の近くに無事に降りられるだけでも感謝して欲しいね。」
『は~い。』
背後から掛けられた声は、レイス船長のものだ。
確かに、アトランティスからここまでの航海を振り返ってみると、こうして無事に辿りつけただけでも奇跡かもしれない。
何しろ軍艦に追いかけられたり、生身ではないと思っていた船員たちの間でただの風邪が大流行したり、バージョンアップしたアトラス号が暴走したりと色々、本当に大変だったのだ。
―――それを物語で言うとしたら、また別のオハナシといった所だが。
「せんちょー…またそんな薄着でふらふら歩いて。この間まで風邪気味だったんだから、部屋で大人しくしてようよ。」
「手厳しいねアクア。もうすぐお別れなんだから、見送り位させてよ。」
見かねて首にあったストールを船長の首にぐるぐると巻き直していると、その後ろで、霧の中から徐々に、勢ぞろいしている男達の姿が浮かび上がっていった。
初めは異色すぎて不気味な連中だと思っていたが、今となっては、皆最高の仲間たちだ。こうして離れ離れになることは、本当に辛い。
「皆さん…本当に、ありがとうございました。」
「もう、堅苦しい挨拶は昨日の宴で聞いたからいいって!」
「姫さん元気でな~。またいつでも呼んでくれよ~。」
そうだ。これで永遠にお別れと言う事ではない。
例え、彼らが闇を旅する海賊団でも、存在自体が伝説のような船でも。縁さえあれば、また会える筈なのだ。
(でも…フレア姫ならともかく、私にこの船を呼べるだけの運命が備わってるかどうか。)
そもそも、ここからは先の見えない旅だ。生きて帰れる保証も、ない。
そう考えると、今更決心が揺らいでしまいそうな自分が居た。
「皆、またね!」
だからこそ、この気持ちが変わらないうちに、私は陸へと降り立つ。
その隣には、フレア姫がいる。それだけで十分なんだ。
「あ。…オーディン…。」
陸に降り立った私達の背後。船とは反対方向の崖に寄りかかったオーディンに気付き、フレア姫が近付いていく。
彼もまた、船を降り、気ままな放浪を続ける道を選んだそうだ。
彼ほどの腕ならば、と途中までの護衛を依頼したこともあったが、それもあっさりと断わられている。
私達には話さなかったが、オーディンもまた、すべきことがある様子だった。
今、あの二人の間には、甘く切な…くもない、意外にもあっさりとした空気が流れている。
それすら邪魔してやりたい気持ちをぐっと堪え、フレキのフサフサを名残り惜しげに撫でていると、ふとフレア姫の顎に手をやるオーディンの姿が見えた。
(…!! 油断も隙もない!!)
「お前とは、また逢えそうな気がする。」
「うん。そうだね。」
(あの勘の良すぎる両者が同じこと言ってる!?)
反射的に腰のレイピアに腕を伸ばす私。それを全く無視して、少し離れた位置で別れの挨拶を交わす二人。
しかし、それだけの言葉を交わすと、オーディンはさっさと霧の中へと姿を消してしまった。
それを見送るフレア姫の表情にも、悲しみの色は無い。
「アクア?」
「わひゃあっ!?」
いつの間に、船を降りて人の背後に立っていただろう。
これで何度目かは知らないが、いつものレイス船長の悪戯に引っ掛かり。いきおいで背後を振り返ると、すでに間近に船長の顔があった。
「忘れ物。」
ちゅ、と一瞬聞こえた音に、私は目を丸くする。
―――今のは、一体…なんだったのだろうか。
そのまま呆然と首元を押さえていると、次にはっと気付いた時にはすでに、船長の姿は無かった。
相変わらず、闇や霧に紛れるのが上手い人だ。今はそれどころではない気もするが。
「待たせてごめん。…アクア、どうしたの?」
ぼーっと船の方向を見続ける私に、フレア姫が不思議そうに声を掛けてくる。
「左の首元に、キスされました。…レイスに。」
「ああ…。」
別れの挨拶にしても、もっと他にすべき位置があるだろうと。何故左の首元なのかと真剣に考える私に、フレア姫は納得した様子で答えを教えてくれる。
「確か、こっちの方ではそれ、"死んでも離さない"って意味だったような。船長、北の出身だったんだね。」
「っ…!? レイス船長だと、シャレにならないですよそれ!?」
そもそも彼は生きてるのか死んでるのか何歳なのか。その"死んでも"は私なのか相手なのか。
ロマンチックを通り越して背筋に寒気を覚え、私はコートのボタンを首元まできっちりと掛け直した。
悠久の時を、あの海賊船でコキ使われる図をうっかり想像してしまい、それを振り払うかのように地図を広げる。
この岩場の先の林を抜ければ、そこはもう、虹の街の東門だ。
「い、行きましょう、姫!」
「そうだね。」
寒さや不安に負けないように、二人で手を繋ぎ、街の方角に向かって駆けだしていく。
ここは北の入口。まずは偽の通行証で街中に入り、より安全にフリズスキャリヴに辿りつく為の情報収集をしなければならない。それでも準備の辺りは、すでに船の皆に大分世話になっているが。
いつのまにか、戻ってきた最上級のワクワク感。これこそ、世の冒険者たちが命を賭して手に入れる、一時の宝物だろうか。
夢とか希望とか、そんなものを詰め込んで、海賊たちはまた、遥かな海に船を出す―――。
旅はまだ、始まったばかりだ。
紺碧の書 ~アトランティスの幽霊船~
終わり




