第5話 おやすみDJ。 その2
「それは、たぶんもっちーが変えて行かなければならない状況なんじゃないかな。ある意味で、試練であるとも取れるね」
「試練……」
「うん。かつて私が直面したいじめ問題と同じようにね……。あ、もっちーそのソーセージおいしそうだね。一個もらっていい?」
「一個って、一個しかないじゃねえか。おいコラ、勝手に食うなっ」
ファミリーレストランでのんちゃんと食事しているある昼下がりのことであった。もう僕とのんちゃんは恋人というか、ずっと一緒にいる、ある意味で夫婦のような状態であったので、せっかくのデートも新鮮味がない。もっとも彼女と会うだけで、「いつもの日常」の幸せを再確認できるので、それだけで僕は心から満足なんだけどね(ノロケ)。
「その子たちは、まだワナビ荘に入り立てで、私やもっちーより一周り年下の後輩に当たるわけだよね。そうなると、やっぱり子どもなのは仕方ないよね……私が入りたての頃そうだったように。だから、一緒になって喧嘩してるようじゃ、やっぱりダメだと思うんだ」
「まあ……、そりゃあそうなんだけどさ」
言いながら、ああ、のんちゃんは本当に立派に自分の意見を言えるようになったな……と、心のどこかで感心しながら、一方で寂しくも感じていた。なんだか、僕がいなくてものんちゃんは一人でも生きて行けるようになってしまった、そんな気がして。
「まず、なんでその黒川君だっけ、その子がもっちーに突っかかってくるようになったのか、考えないと。本当にもっちーに原因はないの? 他の、仁科さん、東田君についても同じ。どうして彼らが馴染めないのか、彼ら同士が仲良くできないのか。もっちーがやったこと、もっちーの言動のひとつひとつを思い出してみて」
「僕の、言動……」
なんだろう。僕は彼らに、話が弾むようにいろいろ話しかけたり、それなりにアクションを起こしてきたつもりだし、彼らを怒らせたりするようなことは言ってはこなかったつもりだけど……、どうして、
「そう、それじゃないかな」
「うん?」
僕が列挙したいくつかの行動を、のんちゃんは鋭く指摘する。
「要するにね、どうしてももっちーは先輩だから、上から目線になっちゃうの。意識していなくてもね。それが鼻につくっていう後輩がいても、おかしくないよ」
「上から目線……」
言われてみれば……そういう節も、あるような、ないような。
自分で気付いていないということは、それだけ重症なのだろうか、僕は。
「彼らはね、きっと、『自分が一番』って思ってしまう、思いたがる年頃なんだと思うの。根拠はないけど、万能感、全能感が全身を支配して突き動かす、というような、そういう時期。だから、上から説教されたり、自分のやっていることに水を差されたり、っていうことを何よりも嫌うの。私も専門学校時代、周りの人たちを観察して感じたことだから、わかるんだ」
「万能感、か……。まあ、わからなくもない気持ちだけど。じゃあ僕はどうすればいいのかな。彼らを持ち上げる? 彼らの言うことを全面的に肯定してあげればいいんだろうか」
「その必要もないよ。そういうのは一歩間違えれば『媚び』になっちゃうから、逆に相手から嫌われる可能性がある」
のんちゃんは人差し指をぴんと立てると、
「だからね、『何もしない』っていう選択肢もあるんだよ」
「『何もしない』?」
「うん、そう。『何もしない』。相手の言うことに正論で対抗する必要もなければ、積極的に賛同する必要もない。要は、適当に流すんだよ。ただ、相槌はちゃんと打ってあげてね。それだけで、相手は満足する。話を聞いてあげるだけで、そういう人とは仲良くなれる」
「つまり、真剣に応えない、ってこと?」
「ある意味ではそういうこと。たまに人間付き合いにすごく真剣になっちゃって、相手の言うこと全てに全身全霊で応えようとする人がいるんだけど、それは無駄なエネルギーだよ。人間関係、ある程度の適当さが必要なんだよ。人を嫌いになったり好きになったり、どうしても他人が気になるもんだけど、だからこそどこかで『別にどうでもいいんだけどサ』って思うべきなんだよ。その方がストレスが溜まらないし、案外うまくいく」
「……それって、のんちゃんが見てる生徒のこと?」
「……うん」
のんちゃんはアルバイトとして、今でも塾の講師を続けている。リカちゃんは今ではすっかり学校に馴染んでおり、塾はやめてしまったということだ(ときどきのんちゃんに会いに来るとは聞いているが)。
だが、学校で問題を抱えて不登校になった子や、勉強についていけなくなった子は、当然次から次へと塾へ入ってくる。のんちゃんはその一人一人に本当に真摯に向き合い、彼らの声に耳を傾け、そして彼らの問題に「うまく」対処しているのだった。
「なるほどねえ、確かに子どもならムキになりやすいし、いちいち相手に突っかからないと気が済まないってこともあるかもしれないなぁ。僕たちものんちゃんを見習わないとなぁ。いつの間にか、すっかり頼れる先生らしくなっちゃって。僕ものんちゃんの生徒になりたいぐらいだぜ」
「もっちーだって、私から見たらまだまだ生徒みたいなもんだよ」
「……さすがにそこまで言われるとヘコむ」
しかし、のんちゃんの言うことも間違いなかった。僕は先輩として、もうちょっと「聞き上手」にならねばならない。そしてそのいい例がDJだろう。真剣になりすぎて、相手を否定するようなことをせずに――、うん、そう心がければ、ひょっとしたら僕も「いい先輩」になれるのかもしれない。
「……もっちー」
そんなことを考えている僕に、ふと、何かに気付いたかのように、のんちゃんが話しかけた。
「あのころのワナビ荘……、懐かしんでるの?」
「……、ああ」
のんちゃんが少しだけ寂しそうに言った言葉に、僕は頷いた。確かに、僕はあの、今はもうなくなってしまった「ワナビ荘」の姿を、どこかで追いかけ続けているのかもしれない。
「私も気持ちはよくわかるよ。あの頃のワナビ荘、すっごく楽しかったもんね。もっちーがいて、DJ、まー君、リョーコさん、ハルさん、みちるさん、みんないて……、毎日がお祭り騒ぎみたいだったね。騒がしくて、ゆっくり落ちつくような暇もないくらいに騒がしくて、最初はそれがちょっと疲れちゃうこともあったんだけど、だんだんそれがないと寂しいくらいになってきて……。今の私も、少し寂しいと感じてる。一人暮らしは、誰もいないもん。もっちーがよく遊びに来てくれるし、その点では昔の自分なんかとは比べ物にならないくらい恵まれてる、っていうのはわかるんだけど……。だけど、やっぱりあの頃のどんちゃん騒ぎが、懐かしくなるよ」
「……ああ、僕も、同じだ」
すっかり静かになってしまったワナビ荘の食卓。いま一つ弾まない会話。なんとなくギスギスした関係。昔のワナビ荘との落差が余計に、僕の心に影を落としていることは確かだ。
「だけど、仕方ないんだよね」
「ん」
「いつまでも同じ環境っていうのは続かないから。新しい環境の中で、自分の立ち位置をしっかり作って、また新しい仲間と頑張っていかないと……。そりゃもちろん、全てがうまくいくわけじゃないけれど、うまくいかないなりに、環境に適応する努力をしていかないと、そこにいる人たちに悪い、と思う」
「……そうだね」
新しい環境。
新しい仲間。
以前のそれがあまりにも心地よかったせいで、どうしても不満が溜まってしまう毎日だけど、だからといってそれを態度に出していては彼らにも失礼というものだ。
人はみんな、違う。
いいところもあれば悪い所もある。
前のメンバーも、今のメンバーも。
だから、頭を切り替えて、新しい付き合い方を考えて――、前に進まないといけないんだ。
「ところでのんちゃん」
「ん? 何?」
僕の呼びかけににっこり笑って答えるのんちゃん。
「……今日、のんちゃんち行ってもいい?」
「言うと思った。いいよ」
理屈では割り切れても、気持ちが寂しいのはまあ、仕方がないというものだ。
このくらい、甘えるのはご容赦いただきたい。のんちゃんは僕の恋人なんだし、放置するのも悪いしね。
……ノロケに関しても、うん、ご容赦いただきたい。もうなるべく書きませんから(ぺこり)。