第4話 うらぶれ案山子は月夜に吠える その12
「声優学校を辞めた!?」
それからしばらくして――本当にしばらくして、どのくらいしばらくかと言うと、その次の春が巡るくらいまでしばらくして――、僕は驚くべき知らせを聞いた。
僕の恋人――すなわちのんちゃんが、声優学校をやめて、教育大に入学し直したのだという。
「うん。私、すっかり教育の道に目覚めちゃって。私、これから頑張って、学校の先生になるつもり」
一昔前からは考えられないようなしゃっきりとした姿勢、ハキハキとしたしゃべり方である。ちょっとネクラな頃ののんちゃんも好きだった僕からすれば、ほんのちょっとだけ、残念ではあるのだけれど(贅沢である)。
あの日――、のんちゃんが出場したコンクールでは、残念ながらのんちゃんは賞を受賞することはできなかった。まあ、自由演技で声優としての演技を何ら発揮できなかったのだから、当然と言えば当然の結果である。だが、のんちゃんは少しも暗い顔をしなかった。にこにこと笑って――、そのまま、ワナビ荘に戻った僕たちは夜通し打ち上げというなのどんちゃん騒ぎをし、近所からのひんしゅくを買った(本当にごめんなさい)。
そして――、のんちゃんは塾の仕事に今まで以上に打ち込み、リカちゃんとはすっかり師弟関係を築き上げ、その結果、リカちゃんは、別の学校ではあるけれど、学校のカリキュラムに編入し、不登校を脱する決意をしてくれた。そして、のんちゃんはそれをきっかけに、教育という仕事に心からやりがいを感じ始めたのである。
「声優は――、いいのか。夢だったんじゃあ」
「うん。今でも、ちょっとだけ惜しいかな、っていう気持ちはある。だけど、今の私には新しい夢ができたから」
桜舞う季節のこと。のんちゃんは、ぴしっとしたスーツを実に纏い、教育大学でしっかりと教育の勉強を受けることになった。塾での活躍を見ていれば、彼女がいずれいい先生になるであろう、ということは言うまでもなかった。
「ねえもっちー、良かったの?」
「うん?」
DJとリビングでせんべいを食べながら、僕はのんびりと話している。テレビでは、新生活応援フェア、だとか、入学・就職応援セールなどの広告が次々に映し出されている。
「のんちゃんがここを出ていく、ってこと、止めなくて。最近ここ意外にも、専門学校でもしっかり友だちを作ったみたいだし、おそらく新しい教育大でもたくさん友だちを作るわよ。のんちゃんすっかり垢抜けて可愛くなったから、男の子もたくさん寄ってくるかも。不安じゃないの?」
「……そりゃあ、そんなこと言われたら不安にならざるを得ないけどよ」
僕は口を尖らせる。今のリビングには二人以外は誰もいない。バリバリ、とせんべいをかじる音が無駄に広い部屋に響く。
「――この春からリョーコたちも出て行っちゃうわけだし、寂しくなるわねえ」
「でも、新しい借り手も見つかったんだろ? なら、すぐにまた元みたいにワイワイやれるようになるよ。またいいワナビ仲間を探せばいいじゃん、DJならできるだろ。僕だって、まだしばらくはいる予定だしさ」
「そうよねえ、あんたもいずれはいなくなるのねえ、はぁ……」
いつになくセンチメンタルなDJである。まあ、この歳にもなれば色々あるのだろう。こういうときは黙って聞いてあげるのが大人というものである(生意気)。
「もっちー!」
そうこうしているうちに、玄関先から元気な声が聞こえてきた。僕の、大好きな人の門出である。僕も湿っぽい溜息なんてついていないで、張り切ってやらねばならない。
「ごめんね、引越しの手伝いまでさせちゃって……。入学式までに済ませたいとか、ちょっと無茶だったかなぁ」
「いや、こういうのはできるだけ早くやっちゃった方がいいんだ。大丈夫、だいじょう、ぶ……」
そう言いながらも運んでいる箪笥の重さに思わず腰を屈めてしまう僕である。「あらもう、何なの。情けないわねえ」と笑うDJであるが、奴から見ればたいていの男は情けない。
まあ、そんなこんなで、僕たちは新しい生活に移行していくわけである。僕は、愛する人と共に、これからもワナビの道を歩んでいくことだろう。……すでに先輩となってしまった、まー君やリョーコの背中を追いかけながら。
さて、こんな風にして春といううってつけな季節にして、なんとなく綺麗に終わりそうなこの物語であるが、実は、もうちょっとだけ続くんじゃよ。
そう、まだ大事な人のエピソードが描かれていないじゃないか。皆さま、お忘れだろうか――、だとしたら僕は嘆かざるを得ない。ワナビ荘の登場人物たちに少しでも愛着を持って下さった読者諸兄ならば、おそらく、最後の話は誰のためのものか、おおよその目測はついていることと思う。
ぜひ、期待しながらページをめくってほしい(かつ、サブタイトルはまだ読まないでほしいという無茶な注文をしてみる。わがままな語り部である)。
「ワン」
お前じゃねえよ。