何が起きたのか分からない不気味さ
最近は会社の繁忙期で毎日残業続き、電車に乗り家に帰っている途中、窓をふと見ると、いきなり人影のようなものが見えた。
疲れているせいだろう。
目をこすり、もう一度見ると、その人影は消えていた。
駅を降りた時、足音が聞こえた。
コツ、コツ……。
少しずつ近づいてくる。
住宅街だし、同じ道を歩く人もいるよね。
そう思い、気にせず歩いた。
だが、一つ気になることがあった。
私が信号で止まると、足音も止まる。
歩き始めると、また――
コツ、コツ……。
妙な胸騒ぎを覚えた私は、コンビニへ入った。
店内には店員と数人の客がいる。
安心して飲み物を手に取り、何気なくガラス越しに外を見る。
街灯の下に、一人の男が立っていた。
黒いスーツ。
傘も持たず、ただこちらを見ている。
知り合いではない。
数分後、男はいなくなっていた。
「気のせいか……」
そう呟き、店を出る。
また歩き始める。
コツ、コツ……。
今度はさっきより近い。
思わず振り返る。
誰もいない。
静かな住宅街。
聞こえるのは、自分の荒い息だけ。
安心したその瞬間だった。
コツ。
足音が耳元で止まった。
背筋が凍りつく。
振り返ることもできず、私は鍵を取り出し、震える手で玄関を開ける。
勢いよく家に入り、鍵を閉めた。
これでもう大丈夫。
そう思ってドアに寄りかかった。
すると玄関の外から、
コツ。
コツ。
コツ。
誰かが、ゆっくりと家の中へ入るように歩いてくる音がした。
ありえない。
玄関の向こう側なのに、音は確実に家の中を歩いている。
コツ。
コツ。
コツ。
音は廊下を進み、リビングの前で止まった。
息を殺し、耳を澄ませる。
数十秒の静寂。
もういなくなったのかと思った、その時。
コンコン。
リビングのドアが二回だけノックされた。
恐る恐るドアスコープ代わりに隙間を見る。
誰もいない。
安堵してドアを開けようと手を掛けた瞬間、スマートフォンが震えた。
画面には防犯カメラの通知。
『玄関で人物を検知しました』
映像を開く。
そこには、玄関の前でスマートフォンを見ている私が映っていた。
そして、そのすぐ後ろには――
電車の窓に映っていた、あの人影が立っていた。
しかし映像には、その影は私の後ろにいるのではなかった。
玄関のドアをすり抜け、すでに家の中へ入っていくところだった。
翌日、その家から私の姿は消えていた。
玄関には靴が揃えられたまま。
財布もスマートフォンも残されていた。
ただ一つだけ、警察が不思議に思ったことがある。
家中どこを探しても、人が歩いた形跡はなかった。
なのに廊下には、乾いた土の足跡だけが、リビングの前でぷつりと途切れていたという。
後日談
事件から三か月後。
警察は失踪事件として捜査を続けていたが、有力な手掛かりは何一つ見つからなかった。
会社では「疲れから突然いなくなったのではないか」という噂が流れ、やがて話題にする人もいなくなった。
そんなある日。
私が毎日利用していた終電の車掌が、一つの奇妙な証言をした。
「終電を点検していると、たまに窓に人影が映るんです。でも車内には誰もいない。」
最初は気のせいだと思っていた。
しかし、防犯カメラを確認すると、一瞬だけ確かに人影が映っていた。
その人物は、毎回同じ場所、同じ窓に立っている。
映像を停止して顔を拡大した瞬間、車掌は思わず椅子から転げ落ちた。
それは、三か月前に失踪した会社員――私だった。
映像の私は窓の外をじっと見つめ、何かを訴えるように口を動かしている。
音声はない。
唇だけがゆっくりと動く。
映像解析の担当者が何度も確認し、読み取った言葉は、たった一言だった。
「振り向くな。」
その日以降、その路線では終電に乗った乗客から同じ証言が相次いだ。
「窓に誰かが映っていた。」
「目が合った気がした。」
「振り向いたら、足音が聞こえ始めた。」
鉄道会社は原因不明として記録を残したが、公表されることはなかった。
そして今でも、その終電では、ごく稀にこんなアナウンスが流れるという。
『お忘れ物のないようご注意ください。……また、窓に映るものは決して振り向いて確認しないでください。』
もちろん、そのようなアナウンスを流したという記録は、一度も残っていない。




