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▽▽▽

 カーテン越しに朝日が差し込んでくる。目を開けると青い天蓋が視界に入った。バリバラでは緑色だったから、一瞬何処にいるかわからなくなった。七ヶ月前までは当たり前の光景だったのに、違和感を抱いている自分に驚く。時刻は七時を回ったところだ。この時間ならペイトンはランニングをしている。休日も、平日と変わらず早く起きて走るので、感心してしまう。もちろん朝食も毎日同じ時間だ。だから、こっちも休みでも早く起きる癖がついた。今みたいに。

 アデレードは、一度気怠く伸びをして、セシリアにやり込められたことを思い出しながら、のっそり上半身を起こした。ぼんやり部屋を見渡すと、テーブルの上の片付けられていないティーセットが目についた。かろうじてガラスドームだけは被せたので、ケーキはカピカピには乾いてないはずだ。店主には、昨日のうちに食べ切るよう言われていたが、まだ充分美味しく食せるだろう。


(結局、幾ら掛かったのかしらね)


 下世話なことを考えた。三ヶ月待ちのルグランのチョコレートケーキ。しかもホールで。フォアード侯爵家の家名を出して、金を積んだに違いない。


(ズルは駄目だって言ったのに……)


 笑ってしまう。同時に、そこまでやってもらうことに気が引けた。だって、自分は、ペイトン・フォアードに親切にした記憶がない。優しくしたこともなければ、思いやりをもって接したこともない。そもそもが、この結婚は、両家や自分にとっては利点があったけれど、ペイトンには、何の得もなかった。逆に、嫌いな女と暮らさねばならないデメリットしかなかった。つまり、全く対等な関係じゃなかった。こちらが頭を下げる立場だった。それがわかっていたから、嫁いでいったあの日、一時間待ちぼうけを食らっても、殊勝な態度で大人しく待っていたのだ。なのに、「君を愛することはない、僕に期待するなよ」などと無礼なことを言うから、舐めた態度で苛つかせるから、不平等な契約を結ばされる羽目になった。当然の報いだ。バーカバーカと思った。本当は「お前なんか好きになってたまるか」って思いが、ずっと心の隅でころころ転がっていた。性悪だ。だから、ペイトンに好かれる理由がない。好きにならないし、好かれもしない。それでいい。そう思っていた。だというのに、ペイトンが、似合わなくても好きな方を選べなんて言うから。陰口に慣れたら駄目だなんて言うから。八十になっても味方してくれるなんて言うから……。

 

「……そんなの好きになるじゃない」


 言った瞬間、アデレードははっとした。誰も聞いていなくとも、自分の耳には、はっきり届いたから。顔が熱くて、喉が震える。オーブンから焼きたてのパンがでてくる時みたいに、世界にこの思いがはみ出していった。アデレードは、どうしようもなくなって、寝台に突っ伏して、うーうー叫んだ。

 だって、そうだろう。そりゃそうだろう。誰もが振り向く美丈夫で、侯爵家の嫡男で、悪徳商人みたいに何でも買ってくれて、無礼な奴らはぶっ飛ばしてくれる。背広を鼻水まみれにしても怒らないし、お酒に酔って黒魔術をかけると暴れても、笑っている。そんなの仕方ない。不用心すぎる。逆に、なんで私が好きにならないように我慢しなくちゃいけないんだ、という感情が濁流みたいに流れてくる。契約を守っただけだとしても、物には限度があるんだ。好きになられたくないなら、それなりの行動をしろ。

 

「あー、もうっ!」

 

 アデレードは寝台の上を転げ回った。今まで着たことない色の、物凄く似合うドレスを着て、初めて人前に出るみたいな気持ちが、後から後から湧いてくる。いくら否定しても消えない。溺れるくらいに息がくるしい。そうだ、忘れていた。誰かを好きなのは、絞り出して絞り出して掻き集めるものじゃなかった。そうだ、そうだ、そうだった。今すぐ走り出したい衝動に駆られる。でも、朝っぱらから迷惑なので、代わりに起き上がると、カーテンを開けて回った。春の柔らかい陽光がぶわっと部屋を包む。大きく両手を挙げて深呼吸したら、学生の頃を思い出した。毎朝こうやって、気合をいれて学校へ行った。今日はいいことがありますように、と願いをこめて。笑顔を作って。笑っていると幸せになれると聞いたから。馬鹿みたいに信じていた。頑張って頑張って頑張ったら報われると思っていた。でも、駄目だった。今度は一つも頑張ってない。だから、上手くいくはずない。きっとまた傷つく。でも、それがなんだというのか。恋する力は尽きていなかった。どうせ一回なくなったのだから、またなくなってもどうってことない。意地を張ってもいいことない。損するのは馬鹿らしい。だから、一番よいところをやりに行く。バリバラへ。ペイトンに会いに。残りのチョコレートケーキを食べたらすぐに。






 朝十時の汽車でノイスタインを発ったので、バリバラには十六時に到着できた。夜になる前で良かったと思う。

 切符を用意してくれたのは両親だ。正確にいうなら、用意してくれていた、になる。

 朝食の席で、


「もう一度、バリバラへ行きます」


 と伝えると、父は「そうか」と言い、母は「そうね、いい選択ね」とあっさりした反応をした。それから、父に一通の封筒を渡された。ペイトンから、もう離縁状が届いたのかと一瞬体が強張った。しかし、中身を確認するとバリバラ行きの切符だった。最初は、セシリアが両親に何か言ったのか、と疑ったけれど、あの姉に限ってそれはないか、とすぐに思い直した。セシリアなら「あんだけ言ってあげたのだから、後は自分でどうにかしなさい」と言うに決まっている。実際、既にさっさと帰宅して、その場にもいなかった。では、何故? と考えたが、答えは簡単で、両親はこうなることがお見通しだったのだ。情けないような、恥ずかしいような、でも、温かい気持ちになった。だから、素直に感謝して、屋敷を出てきた。


 バリバラの駅構内は混雑していて、外に出るまで一苦労だった。


「では、アデレード様、私共は先に宿の手配に参ります」

「うん、有難う」


 汽車から下りて、どうにか駅前の馬車溜まりまで来ると、ノイスタインから同行してくれたバーサと、荷物持ちの従者に礼を言い、そこで別れた。宿についても、父が紹介状を用意してくれている。父のバリバラでの常宿だから、予約なしでも大丈夫らしいが、念のため先に部屋を押さえに行ってもらった。本来なら、まず自分も宿に入り、先触れを出してからフォアード邸を訪れるべきだ。が、「まだ、離縁してないし」と自分に言い訳して、アデレードは、一人で辻馬車に乗り込んだ。

 停車場周辺は、バリバラ随一の商人街になっている。アデレードもカフェ巡りによく訪れる。ペイトンの屋敷からもほど近い。見慣れた街並みを目で追っていると、段々緊張が高まってきた。早く全部終わらせたいような、まだこのままでいたいような矛盾が交互に押し寄せてくる。ひどく心もとなかった。しかし、そんなアデレードの気持ちをよそに、馬車は小気味よく進み、フォアード邸には二十分もかからず着いた。

 屋敷は通りに面していて、鉄柵の先には、手入れの行き届いた前庭が広がっている。アデレードは、馬車から降りると門扉に向かい、脇に据えられた呼び鈴を鳴らした。ほどなくして、屋敷の扉が開き、若い従僕が庭を横切って小走りにやって来た。


「奥様、お帰りなさいませ」


 ただいま、と言ってよいのかわからず曖昧に笑った。屋敷内へ入ると、玄関広間ではジェームスが待っていた。


「お帰りなさいませ、奥様」

 

 ジェームスも同じことを言うので、アデレードは、今度もやはり困り顔で笑った。


「旦那様は、いらっしゃいますか?」

「夕飯にはお戻りになる予定です」


 何食わぬ顔で、通常通りに振る舞うジェームスの態度に、どうなっているのか、とアデレードは気を揉んだ。


「……旦那様に、何も聞いていないんですか?」


 と率直に尋ねると、


「状況は把握しております」


 とまた笑顔が返ってきた。把握しているなら、どうしてそんなにいつも通りの態度なのか。離縁を突きつけられた夫人が屋敷に突撃したのに、呑気に出迎えては駄目だろう、とアデレードは益々困惑した。


「なんと言ってましたか?」


 どうでもよさげだったか、面倒くさそうだったか、別れが決まって意気揚々としていたか。アデレードは、直接会う前に、ペイトンの様子を詳しく知っておきたくて、尋ねた。腹を決めてきたはずが、弱気な気持ちが心の隙間に入り込んで不安になる。


「賭けに負けたので、奥様の願いを叶えた、と」

「賭け……」


 それをそのまま伝えたのか、とアデレードは少し呆れた。


「見届け人は私なので、勝手に勝敗を決められても困るんですがね。もとより結果はわかっておりましたけれど、契約は契約ですので、やはりきちんとして頂かないと」


 本気なのか冗談なのか、ジェームスまで律儀なことを言う。でも、確かに、どんなに馬鹿げた契約でも、契約は契約だ。そのために書面まで作成した。だとしたら、自分もズルはできないな、とアデレードは思った。


「……あの、じゃあ、私もきちんとしておきます。私にも一点加点しておいてください」


 ジェームスが目を瞬かせる。その顔を見て、アデレードは急に後悔した。これでは、ペイトンが好きなんだ、と公表したのと同じだ。


(でも、隠したまま勝つのは、なんかやっぱり後味悪いし……)


 アデレードが、公平と恥ずかしさの間で身悶えしていると、ジェームスは少し考える素振りを見せて、


「それなら、加点は百ですよ」


 と険しい表情で言った。


「え?」

「奥様の加点は百です。重大な契約違反ですので」

「ちょっと待って。おかしいでしょ。そんなの聞いてないです」

「ポイントの加点数について、細かな取り決めはありませんでしたね。重い違反なら、その分高く点がつくのは通常のことかと」


 ジェームスは、さも当然であるという口調で答える。その辺のことを取り決めていないのは事実だ。理屈もわかる。しかし、全く納得できなかった。正直者が馬鹿をみるなんて、おかしいじゃないか。


「それなら最初に言うべきです。信じられない。公平な人だと思ったから、審判になってもらったのに。最後になって、旦那様の味方をするなんてひどい裏切りですよ。これじゃあ、私の負けになる!」

 

 むきになって抗議すると、淡々と説明していたジェームスは、急に笑った。それで揶揄われているのだと、アデレードは気づいた。


「私は、お二人の味方ですよ。旦那様には奥様から直接お伝えください。長旅でお疲れでしょう? 部屋で少しお休みになりますか? それともお茶のご用意をしましょうか?」


 あやすみたいに返されて、言葉に詰まった。直接何を伝えるか、は聞き返すまでもない。ジェームスがペイトンをいいようにあしらう場面は何度か見てきたが、まさか自分まで同じ目に遭うとは思わなかった。一矢報いてやりたい気持ちになって、反撃の言葉を考えたが、何も浮かんでこない。多分、一枚も二枚も上手だ。下手に何か言うと、墓穴を掘るだけだ。


「……応接室に、お茶の用意をしてもらえる?」


 アデレードが観念して告げると、


「もちろんでございます」


 ジェームスは、静かに微笑んだ。







 私室じゃなく、応接室を選んだのは、離縁をつきつけられている妻が、のうのうと部屋で休むのはどうかと思ったし、ペイトンが帰宅したらすぐに話し合いができるように、と考えたからだ。


(私の部屋に来たことなんか、一度もないものね)


 アデレードは、ソファに体を預けて、ふーっと息を吐いた。目の前には、ジェームスが用意してくれたお茶とお菓子が、ふんだんに並べられている。折角なのでクッキーを一つ摘んだが、上手く喉を通らずお茶で流し込んだ。自分らしくなくて、余計にそわそわしてしまう。

 カチカチと時計の音だけ大きく聞こえる部屋で、ペイトンが帰宅したらなんて言おうか考えて、立ったり座ったりを繰り返した。

 まず、レイモンドをこちらに断りなく呼びつけたことは、怒らなければならないし、それに関してお礼も言わなければならない。だが、勝手に好きな人を決めつけるな、と抗議しなければならないし、誰が好きかを伝えなければならない。いや、この順番で告白はおかしいだろう。それに、言いたいことは、他にも色々ある。「最初に言われたことを、根に持ってごめんなさい」とか、「親切にしてくれたのに、何もお返ししてなくてごめんなさい」とか、「好き勝手言ってごめんなさい」とか「気遣いできてなくてごめんなさい」とか。謝ることが多すぎる。告白以前の問題な気がしてきて、今ここにいることも、なんだか申し訳なくなった。


(嫌すぎる)


 本当に、全部が嫌だという感情がどんどん膨らむ。不快感や拒絶ではないけれど、他に言いようがない。だって、もっとよい人間に見せておきたかった。もっと可愛い感じで、前向きで明るい子だとか、思われるようにしたかった。無性にイライラしてきて、アデレードはソファに突っ伏した。でも、すぐに起き上がり服に皺ができていないかチェックして、髪型の乱れを手櫛で直した。ジェームスが「お待たせして、すみません」と時折様子を見にくるから。まるで、嫁いで来た日みたいに。あの時は、明らかにペイトンが悪かったけれど、今日はこちらが突然訪問したのだ。

 壁の立派な柱時計を確認すると、十八時を少し回っている。


(あと、二時間あるわね……)


 フォアード家の夕食は二十時だから「夕飯までには帰る」と告げて出掛けたらしいペイトンが、まだ帰宅しなくとも仕方ない。いや、たとえ帰ってこなくても、約束しているわけではないから、誰にも怒られる謂れはない。もちろん、ジェームスが気に病む必要もない。


(ちょっと、庭に出てこようかな)


 気づまりだし、何より外の空気を吸って自分を落ちつけたかった。多分、このままこの部屋にいたら発狂してしまいそうだ。

 アデレードは、カップの紅茶を一口飲むと、よしっ、と勢いよく腰を上げた。念入りに身だしなみを整えるため、窓際の壁に掛けられた鏡の前に立つ。紺色のシックなワンピースを着ている。旅行用の身動きしやすい格好だ。やはり宿できちんとしたドレスに着替えた方が良かっただろうか、と心配になってきた。例えば、ペイトンに買ってもらったダレスシトロンのドレスとか。一応、旅行カバンには詰めてきている。でも、そんな格好をして未練たらしい妻だと思われたくない。いや、追いかけて来た時点で未練たらしいか、とどんどん暗い気分になる。


(やめよう)


 アデレードは、ぐだぐだ考えず早く庭に出ることにした。鏡の前でくるりと一回りして、乱れがないか確かめると、入口の方を振り向いた。すると、ほぼ同時に、物凄い勢いでドアが開いた。驚いて一歩退くが、構わず部屋に押し入ってくる人物に、アデレードは、更に大きく目を見開いた。


「君を愛することはない、と言ったことを撤回させてほしい。いや、違うんだ! なかったことにして、許されたいとか、そういう意味じゃなくて……その……あの時、確かに僕は、君を見て、普通っぽい娘だと思ったから、最初にがつんと言っておけば、こっちに関わってこない、と浅はかなことを考えた。まさか、こんな変な子だとは思わなかったし……いや、変というのはそういう意味じゃなくて、その、あれだ、そうだ、やられたらやり返すタイプだな。……あぁ、いや、やり返されないから、やってもよいわけじゃなくて……そもそもどんな相手でもあんなことを言うべきじゃなかったんだ。つまり、何が言いたいかというと、僕があの日あんなことを言ったのは、君がどうこうって話じゃなくて……その、僕は……傷つきたくなかったんだ。自分を守ることに必死で、相手を傷つけてしまうことまで、考えられていなかった。僕は、自分が傷つくリスクを冒してまで、誰かとどうこうなりたいと思ったことがないし、相手にも触れてくれるな、とずっと思ってきた。勝手だよな。勝手だと思う。更に最悪なことに、今更、それが嫌だと思っている。このまま君に何も伝えずに別れる方が、嫌だって……なんていうか、君になら傷つけられてもよいと思ったんだ。傷つくなら君がいい。それを言いにきた。……いや、勘違いしないでくれ! だからって、受け入れろとか、そういう話ではなくて……レイモンド・リコッタと幸せなら、それはそれで喜ばしいというか、上手くいってもらって全然構わないというか……構わなくはないが、仕方ないというか。いや、それも偉そうだな。お幸せに。……お幸せに? お幸せにか。……まぁ、つまり、なんだ。要約すると、君を愛してるんだ」


 ペイトンが一気に捲し立てるのを、アデレードは呆然と聞いていた。最初は心臓が飛び出しそうなほど脈打って、何も考えられなかった。ペイトンの整った顔が、終始苦悶に歪んでいるのを、ただじっと眺めていた。だけど、あまりに長く話すので、だんだんと落ち着いてきた。ペイトンが、言いたいことを言い終えた途端、怖いくらいの沈黙が落ちた。最後の言葉だけ強く耳に残った。けれど、ペイトンの険しい表情を見ていると、言葉が出てこなかった。全く感情が追いついてこない。こういうのをなんというのか。怒り泥棒とか、悲しみ泥棒とかいう類のやつではないか、とどうでもよいことが浮かんだ。

 時計の音が大きく聞こえる。針が動くたび、段々と自分のうちっかわに熱が戻ってくるのを感じた。ペイトンの言ったことに、こちらが怒る要素なんて微塵もないのに、なんだよ、と思った。だって、ペイトンをずっと待っていたのは自分だし、先に言いたかった。先に謝りたかったし、先に告白したかった。謝るべきはこちらなのに、ペイトンにそんな風に謝罪されたら、自分はどう謝ればよいのか。ノイスタインから、死ぬ思いで来たのに、なんだよ、なんだよ、と理不尽な憤りが湧いてくる。こんな八つ当たりを言えるはずがない。ただ、黙ったままでいることは、それより悪いことだと思った。とにかく何か言わねば、と気持ちだけ先走りする。


「……あの」


 アデレードが口を開くと、ペイトンが露骨に緊張するのが見てとれた。それが伝染して、また自分の鼓動も早くなる。


「初めて会った時から言おうと思っていたんですけど、いきなり部屋に入ってきて、あれこれ言うのやめた方がいいですよ。自分が損するから」

「え?」


 なんでそんなことを言ったのか、自分でもよくわからない。ペイトンが間の抜けた声を出したのが、無性におかしかった。絶対に笑う場面でないので必死に堪えるけれど、きっと、ひどく、変な顔をしている。


「……私があなたに謝ろうと思っていたし、どっちかって言うと私の方が悪いし、すみません」

「え、いや、僕は別に何も……」


 ペイトンが、途中で口を挟もうとするけれど、今は私の順番だから、と構わず話を進める。


「それから、私、レイモンドと寄りを戻したいなんて一言も言ってないんで、勝手に決めないでください。でも、会わせてくれたことは感謝してます。ありがとうございます」

「……それは、」


 ペイトンに構っていられない。考えていたことを全部言いたい。今言わなければ、もうチャンスがない、と焦りと使命感がごちゃまぜになって膨れ上がった。


「あと、契約のことなんですが、さっき、ジェームスさんに、自己申告したら一個しか違反してないのに百点つけられたので、私の負けになりました」

「え?」


 ペイトンの驚きの声が耳に届く。「え」とは何か。ペイトンもどさくさ紛れに言ったのだから、こっちもそれでいいじゃないか。アデレードは、妙に開き直った気持ちで続けた。


「なので、罰を受けるのは私になります」

「それは……つまり……」


 ペイトンは、微妙に不安そうな顔をしている。つまりも何もない。わかるだろうに、と告白の最中なのに苛ついてしまう。こんなのは駄目だ。恥ずかしいけど「私もあなたが好きなんです」とにっこり笑って抱きついたら、可愛い感じになるんじゃないか。きっと、多分、ラウラや「ガラスの宝石」のヒロインならそうする。でも、どうせ自分は変な子だ。やられたらやり返すタイプだ。おまけに、めちゃくちゃ根に持つタイプなのだ。だから、やっぱりらしくないことはやめる。一番よいところを横取りされた分を、満足いくように返してもらいたい。あのしかめ面の告白が、どうにも納得いかない。


「はい、だから、契約通り罰としてあなたの喜ぶことをしますね。告白は受け入れます。ですから、どうぞ、もう一回告白してください」

「え? も、もう一回?」

「はい、もう一回お願いします。あ、扉の外まで行かなくても、その場所から始めていいんで」


 アデレードは半笑いで言った。ペイトンは、数秒口を開けたまま静止していたが、


「……君は、本当にろくでもないな」


 と呆れて答えた。でも、笑っている。ペイトンの顔が急にキラキラして見えた。体中が熱くて、息が苦しい。これは逆に、自分に対する拷問なのではないか。失敗した。意地悪した因果応報だ。ざまぁってやつだ。しかし、「やっぱり今のはなし」と言うより先に、ペイトンが傍まで来て跪き、掌を差し出した。


「アデレード。僕は……その……君が大好きなんだ。だから、このまま結婚していてくれ」


 アデレードは固まった。愛しているって、言うかと思った。不意打ちだ。なんで変えるんだ。この期に及んで、ひねくれた考えが浮かぶ。

 ペイトンの頬は、紅潮している。緊張しているけど、優しい目をしている。こんな顔は初めて見た。やめてほしい。心臓を吐きそうだ。足がふわふわと、宙に浮いているみたいで立っているのも覚束ない。どうしよう、どうしよう、と気持ちばかり焦る。答えは決まっているのに、恥ずかしくて上手く素直に言えない。もどかしい。このまま黙って頷けばよいのかもしれない。多分、一番楽だ。でも、人に二回も告白させて、それはない。ちゃんと言わないのは公平じゃない。やられたらやり返すのが、アデレード・フォアードなのだから。

 差し出されたペイトンの掌に、自分の手を重ねる。ぶわっと全身が震えた。


「はい。……私も大好き」


 力強く言ったつもりが、実際は蚊の鳴くような声だった。最大級にへなちょこで、非常に、とても、情けない。でも、ペイトンは笑っている。震える声を聞き逃さずにいてくれた。重ねた掌がそっと握られる。好かれてることが、ひしひしと伝わってくる感じ。物凄くいい気分。

 ペイトンはゆっくり立ち上がると、


「じゃあ、とりあえず、あれだな……お茶でも飲むか」


 とぎこちなく言った。笑ってしまう。歌い出したいくらいに。


「……そうですね。喉乾きました」

「僕もだ」

「じゃあ、頼んできますね」

「いいよ。僕が行くから。君は座って」


 握られた手を引かれて、そっとソファへ誘われる。それから、ペイトンは「ほら、これでも食べていなさい」とテーブルのお菓子を片手で引き寄せて、あれこれ場を整えると、おもむろに出て行った。ぎりぎりまで繋いだ指は離さなかった。

 静かになった部屋で、思いっきり息を吸う。座っているのに浮いているみたいな感覚。もう、述べるべきことはなにもない。こういうのを、何と言うか知っている。そう、あの憧れのハッピーエンドだ。

 雲ひとつなく澄み渡る青空みたいな、晴れ!









 

これにて完結です!


二年八ヶ月に渡る不定期連載にも関わらず、最後まで見捨てず読んでくださった方々に、心より感謝です!


感想、ブクマ、いいね、評価、web拍手をくださった方々、本当にありがとうございます!

まだまだ大歓迎ですので、よろしければ是非お願いします!(´艸`*)


他の連載も、随時再開して完結させたい所存です!

また投稿しました際には、よろしくお願いします!


ここまで読んでくださり、

本当にありがとうございました!

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