Scene15: 絶体絶命
痛っ!、といって目をつぶっている間に、背中にはマットレスの感触。瞼を開けて顎を引くと、私の胴体をまたぐようにナオヤが両膝立ちになっていた。
奥に伸びている自分の太ももが視界に入り、スキニーパンツを穿いていたことにホッとする。目の前にしているスウェットの股間はなだらかで、まだ臨戦態勢に入ってしまているわけではない。
少し落ち着きを取り戻した私は、体をゆっくり引き抜くように動かしていき、ベッドが接地している壁に背をあずける。
「……ごめん、ナオヤ。ちょっと悪ふざけが過ぎたよ。その件に関しては時期に相手が見つかるって」
「今でいいよ。お姉ちゃんでいいよ」
ゾワッと背筋に虫酸が走った。優しげな表情を浮かべているのが、よりいっそう不気味さを煽る。
「よくないよー、全然よくない」
「どうして? お姉ちゃんから誘ってきたんじゃんか」
「だから悪い冗談だったって謝ってるでしょ。とりあえず、頭に〝お〟を付けて呼ぶのは、やめて」キモいから。
「わかった。姉ちゃんが嫌がることはしないよ」もうすでにしてるんだよ。
「……いったんどいてくれない? トイレ行きたくなっちゃった」
ナオヤは私の太ももの上に腰を下ろしてから首を横に振り、「終わってからにしてよ」と、猫背になって私と目の高さを合わせくる。さっさと股間に膝を立てなかったことを後悔しているうちに膝上までお尻の位置がずらされ、平蜘蛛のような前かがみの姿勢になる。
「姉ちゃんお願いだよ。一回だけでいいんだ。今回だけでいいからさ。ね?」
「しーなーい、って言ってるでしょ。あんた自分が何言ってるかわかってる?」
「自慰行為って思えばいいよ。これからちょっと変わったオナニーをするんだって」
「はイぃ?」
「赤の他人が相手じゃなくて自分にかなり近い弟だろ? だからセミ・マスターベーション的な」
……ちょっと以上なに言ってるかわからないな。
入室時にスン止めになった精液が、行き場を間違え、頭に回って脳味噌を破壊してしまったのだろうか。こんなことになるなら射精後に入っておくべきだったと悔やまれる。
こいつはやばいぞ、と思って私はマットレスにのせた両腕に力を入れた。体を浮き上がらせようとするが、ナオヤに腹部を手で押さえつけられる。
「どこ触ってんの!?」
「腹くらいで怒るなよぉ。――たしか付き合ってるやつは今は居ないんだったよね? 前の彼氏と別れたのって、もう一年も前? ということは、だいぶご無沙汰になってるよねぇ。ちょうどよかったんだって。こうやって他人にさわられることすら、なかったんだろう?」と、円を描くように私の腹をゆっくりゆっくり撫で回してくる。
「……ほんとキモいんだけど」
通常言語が通じないなら肉体言語に訴えるまで。
右手に固めた握りこぶしをモノノケ頭に向けて解き放つ。
パシッ。
と、軽い音を立て、ナオヤの左手に収まった。
……あれ?
ナオヤはキャッチボールのボールをつかんだかのように平然としている。
「僕がいつも簡単にぶたれたり蹴られたりしてるのは、許容してあげてる、ってだけだからね? 姉ちゃんより多少背低くたって力勝負で負けるわけないよ」
「それはそれは、いつも気を遣ってくれていて、どうもありがとう」
軽口をたたくが、内心焦る。顔脇へとズラされた右手は、すぐに手首を拘束されてしまい、力をめいっぱい入れてもわずかに震えるだけ。
意識が空中に奪われていると、腹部が圧迫される感覚。
ハッとして視線を下に移す。
着ていたニットセーターの裾が知らぬ間にめくられており、ヘソ下辺りのインナーシャツにナオヤの右手のひらが押しつけられていた。お腹が腰骨よりも下がって、スキニーパンツの穿き口と地肌とのあいだに隙間ができるてしまっている。
「最初に、濡らさなきゃいけないんだよね?」
生じた暗がりにナオヤの指先が向く。最後にトイレに入ったのいつだっけ、ちゃんと拭いてたっけ、とアホくさいことが脳裏を過ぎったあと、私は自由が利くもう一方の手で、大慌てにその手首をつかまえた。
「い、今、生理中!」
「嘘だね」と、ナオヤがきっぱり。「男って血の匂いにかなり敏感なんだ。普段そういうのないから、きっと女の人より気づきやすいよ」
手首をつかまえる腕がズズッと下る。
「つ、爪! 爪伸びてない!?」
「おととい切ったばかり」
さらにズズッと下がり、ショーツの端をさわられる感覚が伝わる。
「ゴムは!?」と咄嗟に口をついて出た一言に、ナオヤの手の動きが止まり、光明が差した気がして畳み掛ける。「ゴム無しじゃさすがにやばいってことくらいはわかるよね? 私ナマでさせたことなんて一度もないし。あ、そうだ! ツルハか薬王堂に行って買ってきな。ね? そのうちに」私は逃げるから。「シャワー浴びててあげるから。そしたら、――」
ナオヤが突然体をひねらせる。私にまたぎ乗った状態で、枕元のほうへ上半身と腕を伸ばし、マットレスを上げ、ベッド上を漁るようにしたあと、身を引っ込める。
「ちゃんと持ってる」
と、目の前に一枚のコンドームがかざされた。
……童貞のくせしてなんで持つものだけは持ってるんだ。
一枚だと思っていたモノが、トランプカードのようにスライドし、二枚に増える。
「予備があるから破れても心配ない」
私も最後の切り札をきった。
「お父さーーーん! お母さーーーん! 助けてーーー!」
一階のリビングまで届くように、ただ大きくはっきりとした大声をあげた。
何秒か後に、階下からくぐもった両親の声が返ってくる。
「ふたりでやりなさーーーい」と、父。
「上がっていかないから安心してーーー」と、母。
ポカンと口を開けたまま私は押し黙ってしまった。
うちの両親は何を言っているのだろう?
まるで弟が姉を犯すことを認めているようではないか……と思ってすぐに、状況を理解した。私は家に帰ってきたときに、弟を叱ることを両親に告げていた。ドタバタするようなことになっても悲鳴があがっても、二階にのぼって来るなと言いさえしていたのだ。
両親は現在、私が弟を説教しつづけていると思い込んでいる。『助けて』の意味を『手に負えないから叱るのを手伝え』というふうに捉えたのだろう。
別な意味で手に負えなくなっていることを伝えるために、私はふたたび声を張る。
「違うのーーー! ナオヤに、――」
と言ったところで、口を塞がれた。
ベッドの足元側へと強引に横倒しにされ、マットレスに仰向けにさせられる。床に下ろしていた足も、ナオヤの片足に絡め取られてベッド上に強制移動させられた。両手が自由になったのも束の間、反撃しようとする前につかまれ、マットレスと背中の間に両腕を無理やり押し込められる。その上にナオヤの体が覆いかぶさってきた。
ハァハァと荒くなった息遣いが耳元で聞こえる。
「……ねえ、どうして姉ちゃん? どうして嫌がるの? 僕が童貞だから?」
「弟だからだ大馬鹿!」
「後背位ですればお互いの顔を見なくて済む」
「体位で解決する問題じゃない!」
「それじゃ、今だけ弟をやめる」
と、意味のわからない言葉を耳にしたあと、天井を向いている私の視界が、一気にボヤけた。ナオヤが自分の掛けていた黒眼鏡を外し、私の顔に掛けさせたからだ。
のっぺらぼうがヌッと顔を覗かせる。
「乱視強いからこれだけ近くてもよく見えないだろう?、ナツキ」
「なに甘い声作ってんのよ。っていうか、姉を呼び捨てにすな!」
「弟はもういないよ」
と、肌色の満月が迫り出す。
ヤニ臭い息を吐く唇が浮き彫りになってくる。
「キ、キスはダメ!」
「なら、セックスはいいね?、ナツキ」
私は顔を横にそむけ、長い溜め息をつく。
「いいよ、わかった。……サせてあげるから」
と、全身から力を抜いた。




