白鳥と黒鳥3
『アヤ。正論だけれど、あの応対ではあなたの悪評になってしまうわ』
植物園からの帰り道、アヤの館の門の前でウィルとエドとは別れ、玄関への道のりをふたり並んで歩きながら、噴水でのやり取りをリズはたしなめた。
『そうね。でも沈黙しても、あるいはどんなに言葉を尽くしても、きっと解決はできないのよ。なんとなくイヤっていう感情の話だから。だから現実的な改善手段を案内するんだけれど、皆さま怒ってしまわれるのよね』
肩を竦めて見せたアヤの横顔には、微苦笑のなかに淡く疲労が浮かんでいるように見えた。
『あの人たちはあなたを嫌な気分にさせたい、それだけなの。自分たちの気持ちを言いたいだけ。自分たちの手で物事を前進させるつもりなんてないのよ。だから相手にしないのが一番。今後はあなた自身ではなく警護の者に対応させるようにしましょう』
学園内ではあからさまに張り付いてはいないが、近くに身辺警護の人間はいるのだ。
リズの提案にアヤはその場に立ち止まると、眉をひそめた。最近のアヤはリズの前では笑顔以外の表情を見せるようになっており、リズにはそれが後ろめたく、それでいて嬉しい。
『今も隔たりがあるような状態なのに、こちらからさらなる壁をつくりにいくのは、対策としてどうなのかしら』
『あなたが傷つくよりずっといいわ』
リズの真顔の言い分に、アヤは目を閉じ眉間を指で抑えるようにして考え込む。
『あなたの言っていることも分かるの。ただ母にこの手のすれ違いへの応対は仕事のひとつだと思えと言われたわ。どこにでもあって、いつでも起こるもの。一国の王子と婚姻を結ぶというのはそういうことなのだと。だから覚悟はしていたし、今、人を遠ざけるのは将来を考えると早すぎる気がするの』
『仕事だから嫌な目にあっても我慢するって考え方は、わたしは好きじゃないわ。それにずっと身辺警護をはりつけておくって話ではなくて、過渡期の今の対応としてよ。何かあってからでは遅いのは分かるでしょう? それに、こういうことを自分ひとりが我慢すればいいんだって考えないで。つらいことをひとりで抱える必要なんてないの。わたしたちがいるわ。わたしを頼ってほしいの』
思いのほか必死になってしまったもの言いに、リズ本人もアヤも目を大きく見開いて相手を見てしまう。
相手に見せたくなかった一面を見せてしまった気がして、リズはきまりがわるい。
先に表情を変えたのはアヤだった。軽やかな笑い声をたてて歩き出し、リズを振り返って笑顔を向ける。
『ありがとう。リズ。他人のことをそんなふうに考えられるのって素敵だわ。格好良いわね』
『茶化すなら怒るわよ』
強張っていた肩から力を抜いたリズは、呼吸を整えながらゆっくりと歩き出し、再びアヤの隣に並ぶ。
『茶化す気持ちはかけらもないわ。心から思っているのよ。リズは美しくて格好良い。だから、あの子たちがカールにはリズのような女性がふさわしいって言うのも理解できるの』
アヤの面に浮かぶ微笑に淋し気な色合いが混じったのは、西に傾いた陽ざしの加減だろうか。目の前の少女が自分に向ける眼差しに、羨望に似たものが混じった気がして、リズはため息をつきながら頭を左右に振る。
『王子とわたしの間にそういった感情はないわ。それにあなたも知っているでしょう。賢者のルールで世界は動いている。王子はこの国で生まれた女とは絶対に結婚ができないの』
『それはあまり関係がないみたい。いずれ王子は王子の座を捨てて、あなたと駆け落ちをするつもりだって主張する派閥もあるようだから。越えられない障壁も超えられるのが恋愛みたいね』
楽し気に軽口を言うアヤに、リズは力の抜けた笑みを向ける。
『思春期の女性の妄想に付き合わないでちょうだい』
『カールとあなたでロミオとジュリエットを演じたらそれは素敵でしょうけれど、あなたはジュリエットのような選択はしないわね。手堅く、最終的にはきちんと成果を出す方法を選びそう』
そうね、と同意を口にしようとしてリズは口を閉じた。
「ロミオよ、ロミオ、なぜあなたはロミオなの」と、王子に対して考えたことは一度もない。
しかし傍らを歩く少女について、似たような問いを自らに投げかけたことがある。
あなたが王子の運命でなければ。
あなたが王子の婚約者でなければ。
自分はどんな未来を思い描き、選択しただろう、と。
彼女こそを自分の運命にしたいと願った王子の気持ちが今のリズにはよく分かる。
『私の母にもリズのように言ってくれる人がいたら……。だめね、こんなことを思っては』
アヤは遠い夜空を思い浮かべるような眼差しを浮かべる。それを払うように軽く頭を振ると、リズへと笑いかける。
『リズが私のメンターになってくれてよかったって心から思うわ』
それからアヤはわずかにためらいを見せながら言葉を続けた。
『私がもう少しこの国で経験を積んで、できることが増えたらリズの悩みも共有してくれる……?』
他人からの要望に対して答えるばかりのアヤのこの物言いは珍しかった。だからこそ、この言葉を発するには勇気を必要としたことも、リズには分かった。
それでも「もちろん」とは言えない。
『それは……アヤ、だいぶ頑張らないといけないわね』
茶化した返答をリズがすれば、アヤが子どもっぽく顔をしかめた。
けれどもリズを見てため息を一つ吐くと、すぐに笑みをその頬に乗せる。やるせなさを飲み込んだ、美しい笑みだった。
『日々前進あるのみね。頑張ります』
自分の悩みはこういうものだと提示できたら、どれだけ良かったか。
リズは自分の心臓の上に右の手のひらを置く。
人はアヤを黒鳥と呼ぶけれど。
わたしこそが黒鳥なのだ。
黒鳥から白鳥に何を言えようか。
自らの秘密を隠すように、リズは胸の上でこぶしを握り締めた。
リズパートはおしまいです。
二章の最後は王子視点です。




