白鳥と黒鳥2
生まれながらの王女であるアヤに、リズが教えられることは多くはなかった。だから課題は初めから一つだけだったといってもいい。
いかにこの国になじむか。それだけだった。
これが今もってなかなか難しい。アヤ側にとっても、この国の人々にとっても。
アヤについては王邸の敷地の一角にある館に居住しながら、リズの通う学園の大学部に聴講生として籍を置き、その一方で家庭教師にも学びながら、この国での生活に慣れていくという方針がとられていた。
まずはアヤのこの国での経験や見識が深まってから次の段階に進みたい、場合によっては引き返せる道も残しておきたいという大人の思惑が透けて見える方針だった。
何もわからぬうちに王子と婚姻させてしまうという手段もあっただろうに、この国で暮らしていけるか、王子と婚姻を結ぶか否か、判断するための猶予期間が与えられている状態だ。誰が判断するのかはさておき。
王子が大事にされているように、アヤは大事にされているのだとリズは思う。
それが本人にとって「楽」であるかどうかはまた別として。
アヤは大学に通う間はリズやリズの友人たちとともに学び、放課後は同じ敷地内の高等部に通う王子やその友人たちを加えて「予定」を組み、過ごすようにしていた。同年代の人々との交流は今後の彼女のためにも大事だとリズは考えていたし、学生のうちでないと気軽にいけない場所も見せておきたかった。地位を得てしまった後では、行けなくなってしまう場所がある。
この「予定」に忙しい王子の参加は難しいものがあったが、リズは学園の近場での喫茶を組むことで対応した。普段、大人からのお仕着せのスケジュールでアヤに会うことが多い王子は、短い時間といえども学生として過ごすアヤの姿が垣間見られることが嬉しかったようだ。見る者が見れば大変機嫌がよく、機嫌の良い王子を見るとリズも自分の手腕を褒めたい気分になった。
次第に異国から来た王子の婚約者は人の目を惹くことになる。
なかでも彼女の存在に激しく反応したのは高等部、大学部の女子学生だった。
好意的に、静かに見守ってくれる人々も多かったが、批判的な人々の声は大きく厄介だった。彼女らがアヤにつけた呼び名は黒鳥というもので、どうやら『白鳥の湖』の黒鳥を由来とするらしい。彼女の黒髪を揶揄したものだろう。
リズは大学内ではできる限りアヤとともに行動を共にするようにしたが、常にというわけにはいかなかった。
批判者は周囲に人がいる時は遠巻きに眺めて口をつぐんでいられても、アヤひとりきりの時はそうもいかないようで、待ち合わせの場所でアヤが理不尽な言いがかりをつけられている場面にリズも出くわしたことがある。
その日はアヤをエドの父親が運営する植物園に案内する予定だった。リズは授業が入っていたが、アヤは聴講の予定がなく、所定の場所で待ち合わせをしてから向かうことになっていた。
待ち合わせは学園内の噴水広場。普段からそれなりに人通りが多く、待ち合わせで賑わう場所だ。
アヤをそのような場で待たせることに懸念がなかったわけではないが、学園内は他の場所に比べ安全であること、人目はないよりもあったほうがよいことから、目をつむった経緯があった。
運悪く授業が長引き、リズは慌てて待ち合わせ場所に向かった。アヤに伝えていた時間は皆よりも遅いものだったが、彼女は余裕を見て行動する傾向があった。
アヤが少し遅れるか、他の面子が早めに到着していますようにとリズは願ったが、願いは得てしてかなわない。
噴水から少し離れた木陰のベンチにひとり座るアヤの姿は、遠目でも分かった。
アヤに歩み寄る女学生の姿も。
リズがいやな予感に噴水広場に駆けつければ、場は人は多いのに奇妙な静けさに包まれていた。その場の人々の視線は、木陰のふたりの少女に注がれている。
『王子の隣にはリズ様のような方がふさわしいのです。国にお帰りになったほうが身のためです。そのほうが王子もあなたもお幸せになれます』
緊張なのか、怒りなのか。上擦った声で女学生が叫ぶに近い音量で言葉を発する。
似たようなことがそれまでにもあったのかもしれない、アヤは臆した様子もなく、相手の言い分を聞いていた。リズが止めに入る前に返答を口にする。
『私へのご意見は承りました。ただこの婚約はわが国とこの国の王がお決めになったこと。異論があるのでしたら陳情なさったらどうでしょう。もしくはカールに直接訴えてみるのもよいかもしれません。カールにふさわしい他国の姫君をご存じでいらっしゃるということですよね。もしお一人でカールに会うのが心もとないということであれば、私もご一緒してもかまいません。予定を調整いたします』
穏やかに微笑みながらの台詞に、相手は罵倒の言葉でも口にしようとしたのだろうが、視界に入ったリズの姿に気づいて、顔色をさらに青くして何も言わずに逃げ去っていった。
その時、その場にはちょうどウィルとエドも到着していた。
ふたりがアヤの応対を大笑いをしながらも賞賛していたのに対し、リズはまったく笑えなかった。
この場でこのやり取りを見ていた者、やり込められた相手はこの話を周囲に伝播するだろう。油が注がれた火は燃え上ってしまう。
陰で悪口を言われるだけ、噂を流されるだけならまだいい。誘拐や殺傷事件に発展するような事態になれば、目も当てられない。
リズは警備の増強願いを出すことをひっそりと心に誓っていた。




