第34話 茶色い建物(前編)
第34話 茶色い建物(前編)
本当になんなんだろうな。別に私情は抜いて仕事はするし手伝う。でも、5時前の早出を頼むなら事前に言えないのか。前日の終業後に言われても困る。予定があったらどうするつもりだったのか。それも人づてで連絡してくる。何がしたいんだ。流石に決まったらそのときに連絡するように頼んだら(頼むってのがまたあれだ)、忙しかったからしかたないよ、と上司のかばいが入った。もう決めつけなんだな。当人は被害者面をしているのがもう。そうしたら手伝うのを嫌がっているからメンバーから外すとなった。ああ。どうでもいい。
そんなことを考えないように、ツァップさんの退魔法を見学させてもらってので試しに聖書(もちろん日本語)を見てみたが、信仰心がないものには文章でしかないということが分かった。やはりわからないものはわからないし、特に何も起こらなかった。ああいうのは思いと年月と才能が重要なのだろう。さて、藍風さんから久々に仕事の手伝いの依頼が来ている。(藍風さんはこの間一人で仕事をしていた訳ではなく、偶々受ける仕事がなかったらしい。)直接会っていないが、たまに連絡はとりあっていたから久しぶり、と言う感じはしない。みーさんからはそれよりもよく連絡が来る。大抵大した用ではないが日頃のを忘れさせてくれる。ツァップさんは分からないことをたまに聞いて来るが難しい英語だと分からない。勉強になる。
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土曜日の朝、朝食等を済ませてから藍風さんの家に向かった。そこの道を通るのもしばらくぶりで、いつの間にか近くの神社の木が葉をだいぶ落としていた。曇りが多い時期なのにこの日は突き抜けるような快晴だった。寒くはあったが、陽の当るところで動いていれば気持ちの良い天候だった。門の前について到着の連絡をしようとスマホを取り出して入力している途中に藍風さんが現れた。車のエンジン音を聞いて出てきたのだろう。準備が良いと思った。藍風さんはジャンパーを着こんでいた。
「おはようございます。お久しぶりです」
藍風さんは前と変わらない調子で言って、ストンと座った。そういえば助手席は藍風さん用のままだった。上着と荷物を後ろに置いていつもの登山服のような格好になった。
「おはようございます。それでは行きますか」
懐かしい香りが車中に広がる。顔を見るとふわりと薄い眉に長いまつげ、目が大きく広がっている。小ぶりなすっとした鼻と柔らかそうな頬がわずかに赤みをさしている。唇は寒さのせいか仄かに色味が薄らいでいて人形のようだったが潤みが血の通いを思い出させた。こちらを向いた藍風さんと目があう。サラリ、と黒髪が流れ、耳が僅かに覗き、その動きに合わせて太陽光が反射する。細く、白い首の下の筋肉の動きが見える。
私達は高速道路に乗ってT県の山間にある切内町に向かった。車の運転はやはり苦手だ。とはいえ距離がそこそこあったのでしばらくするうちに慣れてきた。高速から見える景色は灰色の建物群から田畑のある平地に変わり、それからだんだんと山に変わった。トンネルも増えていった。
「上野さんは、最近は何をしていましたか」
そこそこ遠出だからか、仕事の話をするのは後でよいと思ったのだろうか。藍風さんは透き通るような、少しかすれたような声で聞いてきた。
「そうですね。最近は、いろいろな霊能力者に会ったりしていましたね」
弦間さん、嶽さん、ツァップさん。三者三様でこういう能力の多様性を感じながら概略を話す。
「私はあまり他の人と知り合いじゃないので新鮮です。みーさんくらいですか」
少しだけ寂しそうに言う。
「それから、ツァップさんはどういう人なんでしょうか」
語気が戻る。女の子同士だから興味があるのだろう。
「ツァップさんは、高1の年齢のドイツ人で、藍風さんより少し背が高いくらいですね。朗らかな人ですよ。日本語は話せませんが英語で話せますから」
「英語…ですか。英語…」
「英語は苦手ですか」
何か考えているような表情がちらりと見えて、そう尋ねた。
「あ、いえ。中学校の英語ならできています」
やはり頭良さそうだからそうだろう。それから何か考えているようでしばらく静かになっていた。
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その間、今回の依頼内容を思い出していた。T県切内町の町はずれにある廃屋はT県では有名な心霊スポットである。もともとは何かの事務所として使われていたようだが既に廃棄されている。そうなった理由は心霊現象と関係するようなことではなく、ただの金銭問題だという。それでも窓が割れて、庭に雑草が伸びて、門の鍵が壊されたころには何故か心霊スポットとなっていた。夜は明かりがなく、怖くはあるが本当に何か出たということはない。それでも噂になっているような場所だ。依頼者の藤川さんは連れの男女二人と先週ここに心霊写真を撮りに行った。どうしても撮りたかった男は熱中して二人よりも奥へ奥へと進んで行ってしまった。帰ってこなくなることはなかったが戻ってきたときには何かいつもと様子が違った。後日、心霊写真は撮れなかったが、男はしきりに特に何も映っていない写真を眺めるようになって大学にも来なくなった。ある日、藤川さんが彼を訪れると写真が部屋に散乱していてその姿はなかった。元々放浪癖のある彼のことだからと彼の両親も気にしていなかったが、写真の1枚に初めは映っていなかった、そこにあるはずのない茶色い建物があった。そのことが失踪と関係があると考えた藤川さんは協会に怪奇の対応を依頼した。
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茶色い建物は何なのか。行ってみなくては分からないが。それから協会への依頼は結構あやふやなものでもできるようだ。ある程度は選別されているだろうが。そんなことを考えながら車を走らせた。