第292話 助かろうと決めたその後
最終話です。
第292話 助かろうと決めたその後
それから、電話口の藍風さんに無事と礼を伝えて、動かなくなったXを道路脇に蹴って寄せた。それから支部に連絡を取ると、弦間さんから話が行っていたようで、すぐにXを回収に来てくれた。
それから陰陽道の人たちに連れられて自宅に帰り、自分も家も徹底的にスクリーニングされた。Xのわずかな残滓も残っていないかと調べられ、念のために祓われた。彼らが帰るまで硬貨虫はカバンから出てこなかった。道路に落としていったものや自転車は別の人が回収してくれた。ありがたい。いくつかXと反応して原型をとどめていないものもあった。
彼らの帰りがけに弦間さんから電話があった。家に来ていた人たちと話した弦間さんが言うには、念のために、すぐにでもそこを引っ越した方が良いということであった。場の記憶や私自身の体験が、特に夜、独りでいるときに、どう作用するか分からないらしい。それから、やはりYは自宅で死んでいたそうだ。自分の体に紋様を描いて、大陸系の呪符を抱いて、喉を包丁で貫いていた。Xや例の幽霊もどきの仕業だろう、目玉と舌がなく、指の肉が全てこそげ落とされていたという。
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来春にもう一度引っ越すのだから、たった半年のためだけにまた借りるのは面倒で、かつ金がかかる。新事務所近くのアパートを下調べせずに飛びつくと碌な物件に当たらない。住所は必要だ。どうしようかと思っていたところで、藍風さんが家に空き部屋があるから使わないかとありがたくも勧めてくれた。その言葉に甘えることにした。住所を移し、家財一式を置かせてもらった。その当日、最後の段ボールを部屋に置いてから藍風さんと一緒に居間で一息ついた。
網戸越しに入ってくる風は外に広い庭がある分涼しく、そのまま隣の部屋に抜けていく。扇風機がその流れをゆるくコントロールして、藍風さんの髪が時折揺れる。優しい香りが動く。藍風さんが麦茶を一口、こくりと飲むと口を開いた。
「あの、別にここに住んでも、大丈夫ですよ」
藍風さんじっとこちら見ている。グラスを握っている手は細く白い。
「ああ、ありがとうございます。そこまで何でもお世話になるわけにいかないですよ。住所と荷物だけで大助かりです」
後は、誰かに通報されたらほぼ確実にトラブルに巻き込まれる。その自信がある。
「あの」
珍しく藍風さんの声が少し強めに聞こえる。
「上野さん」
「何でしょうか」
「あの、もっと頼ってください」
藍風さんは、小物運びを手伝ってくれたからだろう、先ほどから少し体温が高くなっている。そう言われると、確かに私は最近自力でやろうと抱え込む傾向があるようだ。Xの件も、もっと周りを頼っていれば、死ぬかもしれない思いをせずに済んだのだろう。そうは言っても――。
「ありがとうございます。いつも助かっていますよ」
もう十分すぎるほど助けられている。だから、これ以上は流石に悪い気がするのである。
「それなら…」
先の返事では腑に落ちなかったようだ。藍風さんは少し身を乗り出してきた。そこまでなら――。
「今度困ったら、危なくなる前に、連絡します。必ず。だから、藍風さんも何かあったら、言って下さい」
もう少し頼りにしようと思う。その分をたくさん恩返しを、できるか分からないが、すればよい。そうやって循環していけば、多分、よいのではないかと思う。
「はい。お願いします」
藍風さんがニコリと笑った。良かった。
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最低限の荷物を持ち藍風さんの家を出たあと私は文松駅からG駅へと向かった。とりあえず向こう数日はネットカフェに寝泊まりしようかと思う。その後は、嶽さんが人手を探していたから、一緒にしばらく山中を移動する予定だ。桾崎さんも一緒だろう。藍風さんは受験勉強に専念するが、たまに依頼を受けるつもりと言っていた。そのときは一緒に仕事をする。合間合間でツァップさんと、みーさんの準備を手伝うことにもなっている。そのときに賃貸物件を漁ろう。自分の分だけではない。他のみんなの分もまとめてやれば手っ取り早い。宍戸さんは都合が合ったら2人に会いたいと言っていた。2人も興味津々だったし、上手くタイミングを合わせて飲みに行ければ良いかと思う。
そう言えばあの逃走にも収穫(?)があった。硬貨虫はほぼ完全に躾けることができていたと分かった。カバンに入れても見境なしに金属や鉱物を食べることもなく、逃げることもない。さらに、一般人から見えない。どこに連れて行ってもほとんど支障がないだろう。これから春までの移動生活の、よい連れとなってくれると思う。
スマホを見る。明日の夜の天気は…晴れだ。藍風さんと一緒に星を見に行く約束している。何座がどうなどは詳しくないが、ただ満点の星空を眺めるだけでもきっと楽しいと思う。
(終)
拙作に最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。約1年ほどですが、続けることができたのは皆様が温かく見守ってくださったおかげです。本当にありがとうございます。




