第290話 くるくる(中編)
第290話 くるくる(中編)
暑い。協会にY関連の報告書を提出し、受理されたのだが、Yは応じなかった。遠くからYの家を観察してみようとも思ったが、車がなかった。こういう時に不便である。レンタカーを借りてまで見に行こうとは思わない。一応Yの元にも件の幽霊もどきは出現したようで、追加の調査で末期がんを患っていることが分かった。だから私を呪っても仕方がないとは思わない。
そして、呪いは変質する。Yは大陸系の呪術師にコンタクトを取ったようである。協会のことなど気にしないならず者はYに、自分の身を削る呪いを教えた、と古見さんから連絡があった。呪術師からしたら教えるだけで大金が手に入るのだから、別にそのことをうっかりどこかで漏らしても大したことではなかったようだ。すでにその呪術師は処理されたが、厄介なのは呪いにオリジナリティを加えていたらしく、事前に防ぐことは無理らしい。
このことを知ってすぐ、藍風さんや知人たちには飛び火があるかもしれないから気を付けてください、と連絡をしておいた。返事の中に私の身を案じるものがいくつもあった。頼ってほしいというものもあった。私は幸せ者だと思う。
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古見さんから電話があったその夜のことだった。突然、身代わりがピシッと乾いた音を立てて壊れた。
(まずい!)
危険だ。Yがこうも早く自分の身を代償にした呪いを仕掛けてくるとは思わなかった。そして、身代わりがあっけなく壊れたことも想定外だ。
続いて、強烈な吐き気が襲う。何とかシンクまで持ちこたえて、そこに戻すと、夕食の残骸の中にムカデと蛇が混ざっている。違う、どちらも怪奇だ。吐き気は収まった。札を投げる、が、手が動かない。体が、動かない。
(これが…呪い…)
視界の中で、右腕に切り傷が浮かび上がるのが見える。ぷつ、ぷつ、と湧き出す血の玉が、切り傷に沿ってひとまとまりになり、シンクにぽたりと、落ちた。
「ァ!」
途端に体が動いて、思わず後ろに倒れそうになる。傷は浅い。これくらいなら直に止まる。それよりも―。
(シンクの中だ)
すぐに札をソレら目掛けて放り投げようと、見る。そこにいたのは―。
「X…」
1m弱、小型ながらもソレはあの時見たソレだった。手足が数対、胴から生えている、ボロ布をまとった女。その目は、獲物を狙う蛇の目、そのものだ。
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X。藍風さんと初めて会った時に遭遇した怪奇。狙った男を執念深く追い回す。私は一度、狙われて、確かにあのとき藍風さんが封印した。数十年後に出てくる可能性こそあったが、ここまで早いのは、そして私の体から出てきたのは…。
(それは後でいい!)
札を投げる。わずかに動きが鈍った。まだ本来の力が戻っていないようだ。とっさに顔の下、首を掴む。
(どうする!)
絞めるか…、いや、それで対応できない気がする。弱々しく私の腕をふりほどこうとする冷たい手を感じる。思わず洗面所に放り投げる。鏡の割れた音がする。ドアを閉めて、そこに札を貼る。小さく叩く音がする。ひとまず閉じ込めた。
誰かに連絡を…その前にここを離れなくては! スマホをポケットにしまい、硬貨虫を掴み、札などをカバンごと持って…車が、ない。普段使わない分、冷静さを欠いた頭で、意識できなかった。Yに破壊されていた。
ゴン!
洗面所から聞こえる音は大きくなる。仕方ない。カバンを肩にかけ、自転車を持って、玄関から飛び出す。とにかく距離を取らなくては、後のことはそれからだ。
日が落ちたとはいえ生ぬるい空気の中、乗り慣れた自転車をこいでいく。できるだけ人のいない方が良いだろう。硬貨虫も大人しい。右腕の傷口がわずかに痛む。
体を動かしたことで頭も回ってきた。Xは呪いの本質とは関係ない、多分。あの夜、私はソレの体液を思いきり浴びた。そのときにその、わずかな何かが私の中に入り込んだのだろう。幾つか思い当たることがある。
そして、呪いで私がダメージを受けたときに体の外に現れて、再び私を狙い始めた、その辺りだろう。どこまでが呪いでどこまでがXなのか、あの蛇やムカデの怪奇がどちらに由来するのか分からない。




