7話 壁
領主代理であるメイアから、キロンの村に関することに目をつぶる約束を取り付けてから一週間、リアンはいつもの日常を取り戻していた。
早朝に見回り、鍛錬を行い、日が昇り始めてからは村の手伝いや狩りを行い、そして日が沈む頃には再び鍛錬という日々だ。
積み重ね続けたことと、先日の初めての対人戦から、リアンの槍の腕は着実に成長を続けていた。槍を振るう姿も様になり、サトゥンからも『人間の成長とは面白いものだ!ふはは!』と、褒められているのかどうか分からない評価も貰っていた。
だが、槍を振り続けながらもリアンの胸の中には燻ぶる感情があった。
それは、戦士として芽生えてしまった者ならば誰もが避けられない感情だった。
以前までの、ただ漠然と村を守る為、狩りをする為の力だけならば、彼にこんな感情は芽生えなかっただろう。
ただ、彼は知ってしまった。槍を振るい、自分の身体を駆使し、力を行使するという本当の意味を。
故に、彼は渇望する事を覚えてしまう。知りたいと、感じたいと、心と身体が求めてしまうのだ。
――自分の実力は、一体どのくらいの強さなのだろうか、と。
自惚れと断ずるには、酷過ぎるかもしれない。力を持った者ならば、誰もがその誘惑に取りつかれない訳がないのだから。
だが、幸か不幸か、彼はその感情を『恥じる』人間だった。その感情を覚える度に、自分如きが何を自惚れているのかと叱責する。
リアンは、己の胸に生まれたその感情を恥ずべきことだと決めつけていた。自分のこの力は、サトゥン様に与えられたものだ。そしてこの力は、己の欲望ではなく皆の為に行使する力なのだ、と。
自分を戒め、力の意味を決めつけ、リアンは日々槍を振るう。鍛錬こそ重ねるが、リアンは今、自分のあまりに大きくなり過ぎた力に道を見失いかけていたのだ。
与えられた大き過ぎる力の意味を、十五になったばかりの少年が理解するには、あまりに早過ぎた。
胸のすっきりしない中で、リアンはみんなを守る為にと槍の腕を磨く。そんな悩みを抱えたリアンの元に、一人の来客が訪れる。
槍の鍛錬を行っていたリアンの元に、いつものようにサトゥンが背中にミーナを担いで高笑いしながら訪れる。
だが、いつもと違うのは、彼の隣にある人物がいたことだ。その人物をみて、リアンは驚きの声を上げる。
「め、メイア様?」
「こんにちは、リアン」
その女性――メイア・シュレッツァは、視線を向けたリアンに優しく笑みを浮かべて手を振って答える。
以前出会った領主としての正装ではなく、動きやすく揃えた冒険者風の姿に、リアンは見惚れてしまうが、すぐさま首を強く振って意識を強く持ち直す。
「どうしてメイア様がこの村に……あの、先日のことで何か問題でも」
「問題は沢山ありましたよ。何せ貴方はうちの力自慢の衛兵達を槍一本で全て倒してみせたんですもの。それも手心を加えてね。
衛兵達からあれは一体どこの誰だったんだと、何度も何度も聞かれたんですから」
「そ、それは本当に申し訳ありませんでした」
「ふふ、冗談です。あの日のことは気になさらずとも大丈夫ですよ。
貴方のことは王都から私が呼び寄せた精鋭の一人で、衛兵達の鍛錬の為に前連絡無しで戦闘訓練を行ったと説明しました」
「重ね重ねご迷惑をおかけします。えっと、それでは本日の用件は一体」
そこまで口にして、リアンは言葉を途切れさせる。彼女の右手にあるものが視界に入った為だ。
彼女の右手には、長さにしてリアンの長槍の半分程度だろうか。細身の片手剣を携えていた。
その剣は以前リアンが所持していたような安物ではなく、明らかに相応の力ある者が持つ剣であった。剣を視界に入れ、表情が強張るリアンに、メイアは愉しそうに微笑んで話をしてゆく。
「この村を訪れた理由は二つあります。一つは、村の現状を自分の目で把握するため。成程、サトゥン様やリアンの仰る通り、この村は街には秘匿しておくべきだと私も納得しました。
半竜人や半獣人は、この国では確認出来ない種族です。不用意に街の者が視界に入れてしまえば、魔物とみなしてしまうかもしれません。
貴方達の判断は間違っていないと私は判断します」
「では、もうひとつの理由とは」
「一週間前に申し上げた通りですよ、リアン。貴方の槍捌き、少しではありますが拝見させて頂きました。
その実力ならば、王都でもかなりの実力者として扱われるでしょう。私も貴方程の力をもつ人間は数えるほどしか出会ったことがありません。
だからこそ、『分かる』のです。今、貴方はこう思っているのではありませんか。自分の力は、一体どこまで通用するのだろうか、と」
メイアの言葉に、リアンは目を見開き驚愕する。自分の胸の内をぴたりと言い当てられたからだ。
それを肯定を受け取ったのか、メイアは笑みを浮かべたまま、再度言葉を続けていく。
「貴方は十五とサトゥン様から聞きました。十五という齢でそれほどの力を持つこと、これは異端といっても過言ではないでしょう。
貴方には溢れんばかりの才能がある。先日の衛兵達との戦闘では、確かに経験は積めたでしょうが、所詮彼らは『貴方以下』の力しか持たない。
リアン、貴方は欲している筈です。自分と渡り合えるほどの強者を、どこまで槍が通用するのか、知りたいと感じている筈です」
「そ、それは、違……」
「力ある者ならば、目の前にサトゥン様がいらっしゃる。だけど、この方では意味が無いのです。
何故なら私も貴方も、サトゥン様の力は天蓋の存在だと認めてしまっている。決して届かぬ存在だと心折られてしまっている。
だからこそ、貴方は今、道を見失いかけている。違いますか?」
その言葉を、リアンは強く否定出来ない。そして疑問に思う。何故、この人はこうも自分の心を見透かしてくれるのか。
メイアが口にしたそれらは、リアン自身ですら確固としてそうであると断言出来なかった、非常にふわふわした欲求であった。だが、彼のその本音をメイアはすらすらと言い当ててみせた。
だからこそ、リアンはメイアが読めない。彼女は一体何が目的なのか。何がしたいのか。
だが、彼女は一歩、また一歩とリアンの元へ近づいてくる。距離にして十歩分。その位置に立ち、腰から片手剣を抜き、リアンに告げる。
「貴方の気持ちが分かるのは、それは私が貴方と同類だったからです。私も幼い頃、貴方と同じ気持ちに駆られたことがあります。
幸か不幸か、私はそのとき王都で騎士をやっていたので、『壁』を見つけることは容易でした。越えるべき壁、遠過ぎず、這い上がり目指すことが出来る最適な壁が、私には在りました。
ですが、貴方にはそれが見つけられない。サトゥン様ではその壁になり得ない。ですので、これは魔獣退治して頂いたお礼です――貴方に私が与えます。初めての敗北というものを」
そこまで話、メイアはその笑みを消し、リアンに初めて見せる表情へと変貌させる。
それは、どこまでも闘争を求める戦士の表情。絶対的な強さへの自信に裏打ちされた、サトゥンが見せてくれたモノと同じ、戦人の顔。
放たれる闘気は鋭く美しく、そして威圧的で。息を呑むリアンは、気付けば槍をメイアに向けていた。身体が無意識のうちに、彼女を打倒すべき敵だと判断したのだ。
腰を落とし、迎撃態勢を整えるリアン。まるで猛獣にでも対峙したかのような空気の重さに、彼は必死に己に活をいれて押し返す。
その姿を見て、メイアは喜びを押し殺す。彼が戦士としての才があることは理解していたが、改めて目の前で伝わることが何よりの喜びだった。
「それでは、参ります――『風よ、我と共に荒れ狂え』!」
刹那、メイアは爆ぜ、恐ろしき速度でリアンへと疾走する。
不意をつかれたリアンは、その初撃を対処しきれない。慌てて槍を剣の軌道上に運ぶが、ワンテンポ遅い。
メイアは半端な槍を片手剣で打ち払い、がらあきとなった彼の胸へ強烈な蹴りを叩き込む。
疾風の如き加速がついた蹴りは、女性のものとは思えない衝撃を伴う。呼吸が止まる程の痛みに、リアンは後方へ吹き飛んでゆく。
だが、意識は手放さない。背後の木に叩きつけられながら、リアンは真っ先に指先の感覚を確認し、槍を構える。そして、斜め上から飛んできた斬撃を遠心力をつけた槍で撃ち落とした。
「見事です!下級騎士ならば、今の一撃で終わっていたのですが……ふふ、楽しませてくれます!」
「くっ!」
大きく槍を旋回させ、リアンは必死に彼女から距離を取ろうとする。近接戦闘が危険であると、先程の交錯で即座に判断した為である。
互いの武器の都合上、近接戦闘ではリアンにとって非常に分が悪い。相手は彼にとって格上であることは、すぐに肌で感じている。
だからこそ、リアンは距離を取る。本人は気付いていないが、それはリアンが格上との戦闘法を自分で学び判断したということだ。
そのことに驚くのはメイアだ。サトゥンからの話では、リアンは格上と戦闘は経験がないとのことだった。だが、それでも今の彼は格上の相手に対し理にかなった戦闘方式へシフトしてみせた。
近接戦闘に持ち込もうとするメイアに対し、彼は槍を巧みに旋回させ、ときに突きを加え。見事にメイアを中距離へと貼り付けることに成功していた。
無論、メイアはまだ余裕はあるのに対し、リアンは必至だ。だが、それを踏まえても見事という他ない。
口元をゆるめそうになる自分を律し、メイアは剣を振るいながらリアンの評価を更にワンランクあげる。彼ならば、中級の騎士すらも上回る、と。
「十五にしてそれほどの動きをするとは、本当に惹かれさせてくれます!『風よ、我らが敵を排せよ』!」
メイアの口から言葉が紡がれた後、リアンは足元に強烈な風圧が発生したことを感じる。だが、判断が遅い。風は彼の下方で荒れ狂い、その場に立っていられないほどの嵐を発生させていく。
たまらずリアンはその場所から飛び出し、別の足場を求めたが、それは狩人の罠。彼の逃げた先には、メイアが待ってましたとばかりに待ち構え、宙に浮いた彼に対し、再び鋭い斬撃を放つ。
足が地に着かない状態のままで、彼女の攻撃は受け切れる筈もない。リアンは大きな衝撃を槍越しに受け、そのまま大地へと叩きつけられてしまう。
だが、転んだままでいられるはずもない。朦朧とする意識の中、必死にリアンは身をよじる。逃げなければ、メイアの追撃をかわせない。
体勢を崩したままで、立て直しが出来ないままリアンは必死にメイアの猛攻を受け続ける。
剣に、足技に、時に身体ごとぶつけ。あまりの速度と攻撃の重さに、リアンは攻撃に転じることすらできない。
例えるなら荒れ狂う嵐。しかも相手はことあるごとにリアンの隙、甘くなった防御を狙い撃ち、攻撃をねじ込んでくる。
必死に痛みに耐えながら、リアンは必死に考える。どうすればこの攻撃から逃れられる。どうすれば彼女の攻撃が止まる。どうすれば。
対するメイアは、リアンの瞳に魅入っていた。リアンの諦めない瞳、希望を探す瞳が、彼女の胸を捕えてゆく。
メイアの予定では、最初に『魔術』を使った時に、終わる筈だった。加速を込めた一撃を放ち、揺らいだところへの斬撃で終わる筈だった。
だが、彼はまだ終わらない。それどころか、自分を前に、必死に希望を探っていた。勝つ為の一手を、必死に紡ごうとしているのだ。
メイアは思う。自分の時はどうだったか。自分が師匠を相手にしたとき、これほどまでに執念をみせただろうか。否、自分は最初の一撃で終わっていた。そして意識を取り戻した時に、己の負けを心から悔しがった。
そんな自分に対して、リアンはどうだ。リアンは既に悔しがっている。手が出せないことに、攻撃にうつれないことに、悔しがっている。だが、そのうえで諦めようとしない。まだ負けたわけではないと、必死に策を練っているのだ。
リアンの視線がメイアをぞくぞくとさせる。まだ磨いて一月とたっていないとサトゥンから聞いた。そんな彼が、これからさき成長すれば一体どんな戦士になるのだろう。
リアンはまさしく、宝石の原石。磨く前にもこんなにも強き輝きを放っているのだ、もしこれが磨き上げられたならば、一体どれほどの。
普段は丁寧で、淑女として在るメイアで在ったが、リアンの前で強い欲望を隠せなかった。女として、戦士として、これほどの才能には惹かれずにはいられない。
だからこそ、メイアは原始的な欲望を感じていたのだ。この男を、初めて屈服させる役目は他の誰にも渡したくはないと、強く感じてしまうのだ。
必死に己を自制し、メイアは勝負を終わらせることを決める。これ以上は、自分がどうなるか分からない、と。
彼が打ち上げた槍を身体を逸らしてよけ、槍の持ち手に蹴りを加えて大きく宙に舞う。
空を舞う彼女は無防備に投げ出された状態で、それを唯一の隙と見做したリアンは槍を迷わず突き出して彼女を迫撃する。それが彼女の用意した罠だと悟るのは、激しい衝撃の後。
「『風よ、我が身体を羽と化せ』――リアン、見事でしたよ」
その突きだした槍を『すりぬけ』、メイアはリアンの後頭部に強烈な蹴りを叩き込んだ。
あまりの衝撃に膝をつく彼に、息もつかせぬ胸元へと回し蹴り。それが、彼の意識が持つ最後の光景だった。
投げ出されたボールのように、地面に一度、二度と叩きつけられ、彼は意識を失った。
リアンが意識を失うのを見届け、メイアは大きく息を吐く。自身の興奮を少しでも落ち着ける為に、昂ぶりを少しでも飼い慣らす為に。
そして、落ち着きを取り戻すと、メイアはリアンの傍まで歩み寄り、彼を抱き抱えてサトゥンの方へと歩み寄る。
今まで彼らの戦闘を無言で見守っていたサトゥンは、愉しげに口元を歪めながらメイアに口を開く。
「ふはは、随分と本気にさせたみたいではないか、うちの神槍は」
「そうですね……彼の壁となり、成長を促してあげるつもりでしたが、想像以上でした。正直、彼を侮っていたと反省していますよ」
「ふははは!そうであろうそうであろう!盟友リアンは人間の中では大きな輝きを持つからな!
むふふ、こやつに出会えたことが、我が勇者である何よりの証明よ。勇者の元には強き英雄が集うものと決まっているからな!」
「彼は『魔法』のことを何も知らなかった。ですが、そのうえで初見で対処して見せた……恐ろしい才能ですね」
「私にとっては脆弱な雛鳥以外の何物でもないがな!ぬはははは!
だが、感謝するぞメイア!お前のおかげでこやつは更に一段高みへとあがることができる!」
「サトゥン様、貴方は彼を一体何処まで強くさせようとしているのですか」
「決まっている――この人間界で、誰よりも強くなって貰う。それが神槍リアンの宿命なのだ!ふはははははは!」
あっけらかんと言い放つサトゥンに、メイアは肩で息をつきながら、腕の中の少年を見つめる。
今はまだ頼りない、子供っぽさを残す少年ではあるが、心は確かに戦士が生きていた。
そんな彼がこれから先、もっともっと強くなり、それこそサトゥンの言う通り遥か高みへ登っていくとしたら――
「……楽しみが一つ出来てしまいましたね。その時の貴方に会うのが、本当に楽しみですよ、リアン」
目を回す少年に見せる笑顔。その美しさはきっと、リアンがこの時起きていなかったことを後悔するほどに美しい女性の笑顔であった。
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