第七話
国境での戦いを終え、嶺陰の城塞へと戻った一行を待っていたのは、勝利を祝う宴の空気ではなく、冷たく張りつめた緊張感であった。
八咫の地下兵舎。松明の火が揺らめく薄暗い広間に、隊長たちが集められていた。
陣は少し離れた柱の影から、静かに彼らを観察していた。
大刀を研ぎ澄ます一番隊隊長・緋冴の危険な手つき。その鋭い眼光が、時折、柄に結ばれた古びた手作りの紐に触れる時だけ、わずかに力が抜ける。壁際に座り込む蒼真は、虚ろな目で自分の服の裾を何度もギギュッと握りしめては、確かめるように息を吐いていた。そして、微動だにせず佇む神妙な男・玄十郎。その凍りついた眼差しは、誰とも交わることなく暗がりを見つめている。
誰もが毒の抜けた気も緩めず微い、狂気と隣り合わせの雰囲気漂わせていた。
(誰もが深く狂気に落ちかけている。……だが、同時に誰もがこの傷を隠す術を知っている)
陣の冷徹な目が、彼らの仕草を追う。敵に情報を流していた「狐」は、この地下にいる隊長の中にいるのか。それとも、地上で実権を握る重臣の中にいるのか。
「やあやあ、みんな集まってるねぇ」
浅葱色の着物を軽やかにはためかせ、葵がヘラヘラとした笑みを浮かべて現れた。手にはいつもの酒瓶。その呑気な立ち振ら舞いに、広間の空気がわずかに弛緩する。
その葵の背後に、影のように寄り添う女の姿があった。――雪乃だ。彼女は隊長たちに向けてヘラヘラと笑ってみせる葵の背中を、悲しげな、祈るような目で見つめている。葵が背負うものの重さと、その笑顔の裏にある病みを、彼女だけが知っていた。
「国境の鉄心の軍は退けたよ。全部、そこにいる陣くんの素晴らしい軍略のおかげさ」
葵が柱の影の陣を指さすと、隊長たちの鋭い視線が一斉に陣へと向いた。
「――異能も持たぬ流浪人が、八咫の采配を執るなど」
緋冴が低い擦れた声で吐き捨てる。
「まあそう言わずにさぁ」
葵はヘラヘラと笑いながら陣の隣に並び、陣にしか聞こえない声で呟いた。
「――で? 陣くん。君のその素晴らしい『目』には、誰が尻尾を隠してるように見える?」
陣は表情ひとつ変えず、腕を組んだまま葵の横顔を一瞥した。
「……焦るな。敵は化かすのが上手い『狐』だ。下手に鎌をかければ、尻尾を切って闇に潜むだけだぞ」
「へえ、慎重だねぇ。まあ、毒虫を炙り出すなら、罠を仕掛けるのが筋ってわけだ」
「無駄口を叩いてないで、さっさと次の盤面を作れ。狐を誘い出す餌が必要だ」
「はいはい、相変わらず手厳しいねぇ」
葵はくすりと笑うと、声を張り上げて隊長たちに向き直った。
「さて! 景勝様からの次の御言だ。近々、我が国の軍需拠点を巡察することになった。裏でコソコソ動いてる連中も、きっとこの動きは見逃さないだろうねぇ」
あえて情報を流し、誘い出す――。
葵の言葉に、広間の数人の隊長たちの眉が微かに動いたのを、陣の目は逃さなかった。
傍らに立つ楓が、静かに刀の柄に手をかける。暗がりの中で、真実を秘めた刃と、化かし合う狐の暗闘が、静かに幕を開けようとしていた。




