32話 「どんな顔だったっけ?」クール美少女が、モブ幼馴染をその他大勢に格下げする件
鋭理と詩織のもてなしを受けているうちに、ふたりの両親と兄が仕事から帰ってきた。
この時間に家族5人が揃うのは珍しいらしい。
はからずも、湊は鋭理の家族全員と対面することができた。
鋭理は3人兄妹の末っ子だった。普段の彼女からはそんな印象を受けないが、詩織や、ふたりの兄である智哉の温厚ぶり、鋭理への可愛がりぶりを見ていると、「なるほど、確かに末っ子だ」と納得してしまった。
鋭理の両親は、湊が現在ひとり暮らしと聞き、夕食をご馳走してくれた。
湊は久しぶりに、『家族団らん』の雰囲気を味わうことができた。
(家族の前では、鋭理はあんなにも満たされた表情をするのだな。なるほど、これが鋭理の守りたい家族。この穏やかな両親や兄姉とのバランスを取るために、肉体感覚を突き詰めているわけか)
これもお互いの愛の形なのだろう、と湊は思った。純粋に羨ましかった。
――夕食後、お暇しようとした湊を、自宅マンションまで送ると鋭理が言い出した。
「怪我をしているお前を放ってはおけないぞ、ミナト」
「心配してくれるのはありがたいが、さすがにひとりで大丈夫だ」
「させるか」
「悪役の逃走を阻むみたいな言い方やめろ」
どういうわけか意固地になる鋭理。
見かねた彼女の父親が「車で送る」と提案しても、鋭理は自分が送ると言って聞かなかった。
仕方なく、兄の智哉がともに付き添うことで、鋭理は渋々納得したのだ。
「今日は妹たちが世話になったね。ありがとう」
道中、智哉が礼を言った。目元や雰囲気が詩織そっくりな、知的な印象の美男子である。仕事帰りにもかかわらず付き添ってくれるあたり、詩織と同じように優しい人物のようだった。
智哉は、道中も他愛のない雑談を交わす鋭理と湊を見て、目を細めた。
やがて、湊の自宅があるマンスリーマンションに到着した。
「パルクールできそうな、良い壁だな。ミナト」
「同感だが、絶対にやるなよ。親友が警備員に連行される姿なんて見たくないぞ」
「……」
「黙るな」
ため息をついてから、湊は智哉に頭を下げた。
「送っていただいて、ありがとうございました」
「こちらこそ。妹と親しくしてくれて感謝しているよ。ところで、湊君はここにひとりで住んでいるのかい?」
「はい。夏休みまでには出なければなりませんが」
「それは……大変だね。何か力になれればいいのだけど」
「ありがとうございます。けど、頼ってばかりでは親友の名がすたるので」
「そうか。君は本当に面白いね。鋭理と親しくなった男子が君のような人間で、兄としてはホッとしているよ。今まで、身近な同世代男子は航平君くらいだったから」
本当によかった、と智哉は繰り返した。
湊は再度礼を言い、マンションに入っていった。
◆◆◆
「さて。戻ろうか、鋭理」
「うん。それより兄さん、ミナトに余計なことを言い過ぎだ」
「おや。お前がふて腐れるなんて珍しい」
「ふん」
頬を膨らませながら、智哉と並んで歩く。軽口をたたき合えるほどに兄妹仲は良いのだ。
街灯が灯り始めた。
自宅までもう少しというところで、鋭理たちはひとりの青年と出くわした。
「おや、航平君じゃないか。こんばんは」
「ども」
フード付きパーカーを着込んだ航平が、小さく会釈する。彼は所在なげに民家の壁に背中を預けていた。
妹の幼馴染である航平を、智哉は昔から知っている。『気難しい妹と長年一緒にいる奇特な青年』という認識だ。
特に警戒することもなく、ひと言ふた言声をかけて、航平の前を通り過ぎる。
最近、航平と対立しがちな鋭理は、無言のまま兄の後に続いた。そんな彼女を、航平は後ろから鋭い目で見つめる。
「あの! すんません、智哉さん」
「ん? 何だい、航平君」
「ちょっと、鋭理と話をさせてもらっていいっすか?」
智哉が目を瞬かせる。一方、鋭理はわずかに顔をしかめた。
「私はお前と話すことはないぞ、コウヘイ」
「俺にはあるんだよ。ちょっとでいいから、時間くれよ」
「まさか、そのために待ち伏せしていたのか?」
「今はいいだろ、そんなこと」
ふたりのやり取りを見て、智哉は静かに尋ねた。
「航平君。どうしても対面で話したいことがあるんだね?」
「……うす」
「わかった。ただ、もう日が暮れている。10分くらいで構わないなら、僕は少し席を外そう」
「10分……まあ、はい。ども」
納得していない様子ながら、航平は頷いた。
智哉がその場を離れると、航平は鋭理に詰め寄った。
「おい鋭理、どういうことだよ。お前さっき、天宮と一緒にいただろ?」
「コウヘイ、お前は待ち伏せだけじゃなく、私たちを尾行していたのか。さすがに気分が悪いぞ」
鋭理が抗議すると、航平は誤魔化した。
「とにかく、天宮とは関わらないようにしてくれ。お前も、智哉さんもだ。特に、詩織さんにはもう二度と近づけさせるなよ」
「なぜ姉さんとミナトが一緒にいたことを知ってるんだ」
「それは……鋭理と智哉さんが話しているのを聞いたからだよ」
「本当か?」
航平は視線を外した。
鋭理は、航平の手を振り払う。彼女の鋭い視線に射すくめられ、航平は狼狽えた。いつもの強気な態度が鳴りを潜める。
「俺はお前や詩織さんを心配してだな」
「心配無用だ。私たち家族がミナトとどう関わろうと、お前には関係ないだろう、コウヘイ」
「そんなこと言うなって。天宮ってヤツはさ、口だけ達者で、心の中じゃどんなことを考えてるかわかったもんじゃないんだぜ?」
「なんだと」
「だってよ、あれだけ見境なく女を口説いている男だぞ。まともなわけないじゃねえか。お前も、暦深も福音も、皆騙されてるんだって! 何でわかってくれないかな」
航平の言葉を聞いた途端、鋭理は激しくイラついた。
怒りが表情から伝わったのだろう。航平は後ずさり、しどろもどろになった。
「な、何を怒ってんだよ。お前をイラつかせるようなこと言ったか、俺」
「言った」
「どんな!?」
「それは――」
言いかけて、ふと鋭理は我に返る。
確かに、どうして自分はこれほど苛立っているのだろう。
航平の言葉が耳に入るたび、ざらりとした違和感を抱く。鋭理が最も重視している肉体感覚が、航平を拒否している証だった。
ただ、曲がりなりにも長い時間をともにしてきた幼馴染に、このような苛立ちを覚えた経験はこれまでない。鋭理は戸惑った。
(コウヘイは幼馴染……幼馴染って何だ?)
鋭理にとって航平は、「幼稚園から知っている分、他の人間より顔がわかる」という相手だ。
改めて航平の顔に注意を向ける。辺りが暗くなったせいで、よく見えない。
そのとき、鋭理はふと思った。
(こいつ、どんな顔だった?)
思い出せない。
湊の顔はすぐに、細かいところまで思い浮かべることができるのに。
まるでモザイクがかけられたように、航平の顔の細部が思い出せない。
この瞬間、鋭理は悟った。
『自分にとって、もはやコウヘイは有象無象の他人と同じ認識なのだ』――と。




