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10話 兄を追い出した妹、実は親友作りに嫉妬する重度のブラコンだった件


 ――同じ頃。


 市内には、新進気鋭の瑞穂学園の他にもう一校、有名な私立学校がある。


 私立暁丘(あけのおか)女子高等学校。

 創立70年を超える伝統校だ。


 天宮結は、この女子校の1年生として通っている。


「はぁ……」


 放課後、クラスメイトが部活や習い事に教室を出ていく中、結は大きなため息をつきながら机に突っ伏していた。


「なんであんなこと言っちゃったかなあ」


『あんなこと』とは、兄の湊に「出てって!」と言い放ってしまったことだ。

 あれから数日が経つというのに、結はまだ引きずっていた。


 湊が半年ぶりに帰ってきたあのとき、結は内心パニック状態だった。沈みがちな気分を切り替えるためにシャワーを浴びた直後だったのも、混乱に拍車をかけた。

 とにかくいったん落ち着きたい。湊の顔を見てしまうと、自分が思っていた恥ずかしいセリフをぶちまけてしまいそうで怖かった。少しひとりにして欲しかった。

 結果、半年前に仲違いした勢いのまま、湊へキツく当たってしまったのだ。


 湊は結の言葉を真に受け、その日のうちにマンスリーマンションを契約し、本当に家を出てしまった。

 自宅に残した身の回りの物を取りに来る際は、事前に郵便受けに手紙を投函して報せる気の遣いようだ。


 兄の歩み寄りを結は望んでいたはずなのに、いざそのときになると尻込みしてしまって先に進めない。素直になれない。

 しかも、湊を追い出す際に「親友を作れ」と条件まで付けてしまった。そのせいで、自分から戻ってこいと今更言えなくなってしまったのだ。


「私の馬鹿。せめて新しい連絡先を交換しておくんだった」


 再び大きなため息。

 それから結は、のそのそとポケットに手を伸ばす。丁寧に折りたたんだ湊の手紙と、1枚の写真を取り出した。

 写真には、小学生の頃の湊と結が一緒に写っている。ピクニックで山に登ったときのものだ。

 双子兄妹で、仲良く肩を組んで笑っている。この頃はまだ、結の方が背が高かった。

 結にとって忘れられない過去、取り戻したい過去だ。


「はぁ……」

「いかがされたのですか?」

「うわぁっ!? い、伊月旗(いつきはた)さん!?」

「ごきげんよう」


 淑やかに微笑みかけてきたのは、クラスメイトの伊月旗という少女だった。黒髪ロング、いついかなるときも美しい姿勢と丁寧な言葉遣いを崩さない、生粋のお嬢様である。実家も名士らしいが、それを鼻にかけることもない。

 実際、庶民出身の結にもこうして気さくに話しかけてくれるのだ。


 伊月旗は結の手元を見て「あら」と呟いた。


「その写真に写っているのは、ご家族ですか? とても仲がよろしいのですね」

「仲が良い? ま、まさか。そんなことないよ。これはその……ムカつく相手の顔を忘れないため!」

「まあ、大変。(わたくし)はてっきり、心の支えにされているのかと。えっと、『推し活』でしたっけ?」

「……伊月旗さん、時々言葉で抉ってくるよね」

「ふふふ。実際にそう見えたのだから仕方ありませんわ。今どき、現像された写真を大事に持ち運ぶなんてよっぽどですわよ」


 悪戯っぽく言われ、結は顔を赤くした。

 伊月旗は穏やかな表情のまま、じっと結の言葉を待っている。入学してまだ日が浅いにもかかわらず、素直になれない結の性格を見抜いているのだ。これが人間の器の違いかと結は思った。


「一緒に写っているのは、双子の兄。けど仲違いして、今は別々に住んでる」

「まあ」

「この写真だって、スマホのやり取りができないから昔の写真を引っ張り出してきただけだし。両親とも疎遠気味だから、データをもらうわけにもいかないし」

「まあまあ」


 口元に手を当ててから、伊月旗は前の席に座った。


「天宮さん。ご家族とは和解した方が良いですよ。あなたのためにも」

「……わかってるよ」

「なら、良いのです」


 多くを語らない伊月旗。直後に彼女のスマホが鳴り、伊月旗は「それでは、私はこれで」と教室を出ていった。


 再びひとりになった結は、片頬を机の天板に付けながら写真を眺めた。


「あーあ、壁作ってる。これじゃ湊のことを言える立場じゃないよ」


 写真の中の結は、何の心配事もなさそうに笑っている。湊の方も笑顔だったが、心なしか緊張しているように見えた。


「あの頃は楽しかったなあ」


 兄は――湊は、結にとっての憧れだった。だから小さい頃から背中を追いかけた。どこまでも純粋に。

 そのうち、湊よりも体格も学力も上回った。人脈の広さでも湊を圧倒した。

 憧れだった兄が、いつしか自分に対してコンプレックスを抱いていると知ったとき、結は落胆した。結から距離を取ろうとした兄を、子どもだと思った。

 それでも、憧れと信頼は消えなかった。なぜなら、湊ならいつか必ず自分を追い越すと確信していたからだ。


 様子が変わり始めたのは、中学生になってから。

 eスポーツのプレイヤーとして才能を発揮するようになった湊を見て、結は嫉妬と焦りを感じるようになった。


 兄は自分を超える――そう信じていたはずなのに、いざそれが現実のものになり始めると、急に受け入れがたくなったのだ。

 結は自分の心境の変化に戸惑い、どう折り合いをつけていいかわからなくなった。心の整合性が取れないまま、嫉妬と焦りからくる不安感は、やがて湊を虜にするゲーム自体への不満や憎しみに代わっていった。


 去年の半ば、積み上がっていた不満がついに爆発。湊と口論になった末、結は自らゲームで勝負すると言い出した。

 そして――持ち前の集中力とセンス、そしてビギナーズラックによって、何と格闘ゲームで湊に勝利してしまったのだ。


『私に負けるなんて、プロなんて辞めたら!?』


 あのとき、興奮のあまりそう口走ってしまった。湊の絶望に気付かなかったのだ。


 結は、「これで湊は目が覚めて、私のところに戻ってくる」と思った。

 けれど実際は真逆。湊はゲームどころか結からも背を向け、姿を消した。


 後悔している。

 なぜあのとき勝ってしまったのか。

 湊を煽るような言葉をかけてしまったのか。

 自分たちを捨てようとする湊を強く引き留めなかったのか。


 けれど、謝れなかった。

 心のもやもやが整理できず、どうしてもこんな考えがくすぶってしまう――「私は悪くない」と。


「半年も音信不通になって。こっちがどれだけ心配したかわかってんのかな。それなのにいきなりふらっと帰ってきてさ。しかも、全然顔つきも変わって……」


 両腕に顔を埋める。思考がぐるぐる回った。

 ふと、湊の言葉を思い出す。


『お前に、俺と親友の姿を見せる。俺はもう他人から逃げないって姿を見せる。そうすれば、お前はもう一度俺を信じてくれるか? 中学2年までの、あの頃のように』


「……認めない」


 ぽつりと呟く。


「私と仲直りする前に、親友を作るなんて認めないんだから」


 わがままで理不尽だとわかっている。けれど、結の偽らざる本心だった。

 だって、親友なんて作ったら結の入り込む隙間がなくなるから。


「どんだけブラコンでめんどくさいんだ、私。はぁ……」


 自己嫌悪に沈む結。


 そのとき、スマホに予定時間を報せるアラームが鳴った。結が毎回楽しみにしている配信の時間だ。


Achtung(アハトゥング)! 我が来た! 天界のブラック労働に別れを告げ、夜の(とばり)に舞い降りた高貴なる吸血鬼。我こそ夜空姫(よぞらき)ネオンなり! さあ、愛すべき下僕ども、今宵も我が声に心震わせるがよい! Bitte(ビッテ)!』


「相変わらずネオンちゃんは可愛いな。ふふ」


 沈んでいた表情が初めて緩んだ。

 結はVTuber『夜空姫ネオン』のファンだった。古参と言ってもいい。

 高飛車な言葉遣いなのに、根っこは気が弱くてしばしば謝る。天然のお馬鹿さんに見えて、実は意外に博識。そういうギャップに結は惹かれた。


 そして、夜空姫ネオンを応援している一番の理由は、彼女が配信によってリアルに抗っていると感じたからだ。

 親近感があった。


 結は投げ銭付きのスーパーチャットを送る。


:ネオンちゃん、頑張って!


『ダッチェス、いつも応援ありがとー!』


 ネオンからの反応に頬が緩む。

『ダッチェス』は結のハンドルネーム。「公爵夫人」を表す。

 結は、プロ時代の湊が『公爵(デューク)』と呼ばれていたことを知っていた。


 ハンドルネームの由来は、まだ誰にも話したことがない。

『湊の隣にいるべきは自分だ』――そう思っていることは、湊にも内緒なのだ。


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