18
場所は中庭、人はまばら、日陰にあるベンチ。 そこに座り、開けた籠をふたりで覗き込んでいる。その顔はくっつきそうなくらい近い。
『おいしそう』
『よかった』
笑顔で手に取ったのはサンドウィッチ。それを食べるふたり。女性の口の端に具材がつく、男性がそれに気付き指で取る。見つめ合い、ふふっと笑う。
女性の名を呼び、目を細めて見つめる男性。
男性の名を呼び返し、うっとりとしながら微笑む女性。
なんと、微笑ましい光景だろうか。絵描きなら絵画にし、作家なら本にするだろう。
私も、通常なら微笑ましく見ていたと思う。
男性が我が婚約者で、女性が浮気相手でなければ…。
…私は…また、何を見せられているのだろうか…?
「わ〜、今日も仲が良さそうですねぇ〜」
研究生が呑気に言葉を発する。
「…今日も?」
目線は動かさずそのまま言葉を拾う。
「この1ヶ月ほどは、毎日ああやってランチを一緒に食べているんですよ、あのふたり」
…へ〜、婚約者との仲を深める努力もしないで、同じクラスの女子とよろしくやってたってことですか…なるほど……。
目の前が暗くなった。 心理的にではなく、物理的に。
「…見なくていい」
瞼と背中に感じる自分以外の体温と耳元で聞こえた声。金髪翠眼イケメンに後ろから抱きしめられる様に、手のひらで目隠しをされていた。
婚約者以外との接触や恥ずかしさ、驚き等で頭は一瞬混乱したが、見続けたくなかったものを見なくて済んだことに安堵してしまった。
視界を遮ってくれた優しさに、ツンとしていた鼻の奥から、何かが溢れそうになった。
……ありがとう、ございます。
言葉にちゃんとできていたかはわからない。
閉じた瞳の奥では、キラキラした瞳の男の子が笑っていた。
⭐︎
帰りの馬車の中。今日も私は婚約者様を待ち、家路を共に走っている。
いつもと変わらず私の婚約者様は、無表情で、口を開かず、目も合わせずに座っている。私と喋るつもりはないのだろう。
だが今日は、こちらも黙っているわけにはいかない。
「…いくつか聞きたいことがあるの」
「………」
「まず、なぜ今日の様なことが起きたのでしょうか?」
「………」
「あの令嬢方は同じクラスの方ですよね?」
「………」
「…一緒にいたのは確か、伯爵家…でしたかしら」
ずっと微動だにしなかった顔が、ぴくっと動いた。
爵位に反応した?
「あなたが………受け止めていた令嬢は、私にはあなたが勿体無いって言ってたわ」
「………」
目だけで、こちらを向く婚約者様。『その通りだろ?』ってこと?
久しぶりに合う目。
やっぱりこの人の目は、深い森の緑だわ…。間違って迷ってしまったような、不安を覚える、深い深い森…。
「…私が、テストでズルをしたっていってたわ」
「…その疑いがあるって言っただけだ」
…言ったことは間違いないのね…。
「…それは、ひどいわね。伯爵子息ともあろう人が、根拠のない話をするなんて。噂が社交界でどれだけ怖いか、あなたはー」
「うるさい。ちょっと言っただけじゃないか」
…『ちょっと』?
思わず眉をよせてしまう。
「…その『ちょっと』であの令嬢は私を糾弾しにきたのよ? 私達の、今の社交の場とも言える、学園の、廊下の真ん中で」
「………」
また黙りか…。
視線も窓の外に戻している婚約者様。
「…あの令嬢、私に名前を名乗らなかったわ」
…反応なし。……というか、もしかして…。
「…あなたが名乗らなくていい、と伝えたの?」
また、つぃっとこちらに目線をむける婚約者様。
…マジか。こいつマジか。そんな失礼なことをしろと本当に言ったのか? なぜ…?
「…あの令嬢は『シャルレ』、とー」
婚約者様が呼んでいた、令嬢の名前らしきものを私が言った、その時ー
「彼女に手を出すなっ!!」
とものすごい顔で怒鳴られ、同時に頬に風を感じた。気付けば、目の前に婚約者様の顔があった。彼が、私の後ろの壁に手をついている。
早くなる鼓動。動かない身体。
……落ち着いて…落ち着いて……冷静に…大丈夫…呼吸して。
自分に言い聞かせ、ゆっくり息を吸い、婚約者様の顔を見る。
………あぁ、なるほど。
「…家を、特定されたくなかったのですか?」
「………」
ものすごい形相のまま、私を睨み続ける婚約者様ー。
……そう、だから友人の爵位を伝えた時に嫌そうにしたのね…。 家を特定したら、私が何をするかわからない…そう思ったから…。
でも、かの令嬢にはしっかり伝えられてたけど、ご友人にまでは浸透してなかったってとこかしら…。
悲しくなった気持ちのまま、顔を見上げていると、婚約者様も悲しげな顔になり「…領地が豊かならー」と言った。
…え?領地?
「領地が豊かだったら、この婚約など…」
…え?
「………デビは…婚約解消、したいの…?」
ここ数年、婚約してからずっと見てきた濃い色の緑色の眼。その目線だけで考えてることがわかるようになったのはいつからだろう。その目が言っている。
『その通りだ」とー。
⭐︎
ダリアの入れてくれた紅茶の香りがする。
帰ってくるなり、自室に籠った私を気遣い、入れてくれた。ここ数年、私が好んでいる茶葉だ。
ミルクを入れても香りが残るほどの強い匂いに、人によっては受けつけないらしいが、私は好きだった。
再会した後のデビも、人を避けつけないところがあった。自分のことを信じる気持ちが強いのか、人の意見を聞かないところがあるデビ。でも自分が納得すれば受け入れてくれる時もあった。
それを私は、なんだか特別に感じていたのだが…。
「…全部、勘違いだったのね…」
デビも、恋をすれば人並みに甘い言葉も吐くし、優しく触れることもできるのか。
今日、目の当たりにした名乗らず令嬢との空気を思い出す。
真っ直ぐに走っていく令嬢。
その身体を受け止めるデビ。
不安を吐露する令嬢。
気遣う声を出すデビ。
一緒に食べるものを選ぶ令嬢。
その食べ物を迷いなく口にするデビ。
そして、その令嬢を守ろうとして、私に怒りをぶつけたデビ。
全て、私は見たことがなかった姿だ。
なにかを…私が、すると思ったのかぁ…。
確かに、今の社交界でホワイティ侯爵家の影響は大きいだろう。
インフラを整え、功績を作り、資金も潤沢になって、父は人脈をどんどん広げている。
母も今や社交界の注目の的だ。美容に関しての開発を始めてからは、母のお茶会に参加したい夫人が列をなすほど…。
そのホワイティ家に目をつけられたら、この国の貴族はさぞ生きづらくなることだろう。
言わせてもらうなら、わざわざホワイティ家は敵視するようなことはしない。私含めて家族も。だが、そういうことではないのだ。『きっとホワイティ家は嫌なのではないか』そんな不確かな話でもまかり通ってしまう。
事実、入学前の小さなパーティーで、私に嫌味を言ってきた令息がいた。後日、その話をしていないにも関わらず母が知っていたので、理由を聞いたらお茶会に来ていた人から聞いたと言う。
『あの令息の家とは、もう付き合いをやめますわ』とひとりが言い始めると『じゃあうちも…』となったらしい。
その場では、子どものことだから、と母は収めたらしいが、後日、家には家長から謝罪の手紙が届き、令息本人と共に家にきて頭を下げられた。
私は誰にも何も言っていないから、その場を見ていた人間が広めたのだろう。当の私は、気にしていなかったのだが『私が嫌な気持ちになっただろう』と予想され、広められ、行動されたのだ。
私はなんとも言えない気持ちになりながら、前世の芸能人を思い出し、少し怯えた。
だからと言って、馬車でのデビの態度は良くないと思う。
私がされたのは、いわゆる壁ドンだ。でも愛のない壁ドンがあんなに怖いと思わなかった。
前世で『壁ドンは傷害罪』と聞いたことがあるが納得だ。だって顔にあたれば普通に怪我をする。
そして、久しぶりに暴力らしきものを受けて身体が動かなくなった。
…まだ、私は父親に囚われているのか…。
前世の父親。 あの人間と血が繋がってると思っただけで身の毛がよだった。無意識に、自分の腕をさする。
顔も思い出せない。記憶も曖昧。だが、身体に覚えさせられた記憶はなかなか消えてくれない。
ぼやけた顔が強い言葉を発し、その手が振り上げられ、衝撃がくる前に目を瞑る。頭、ほほ、耳、背中。その時によって衝撃を受ける箇所は違う。
でも、あの時怖かったのは、本当に、1番怖かったのは…きっと痛みではない。死ぬことですらない。
…………私は“愛されてない”ということを自覚するのが怖かったのだ…。
…あぁ、なんということだ。 テレビで『子どもはいつまでも愛情を欲する。どんなに毒親でも最後の最後は見捨てない』なんて言っていたコメンテーターを鼻で笑って『ここにいますがw?』と思っていたが。結局欲してたのは愛情? あぁ、自分にがっかりだ。 死んで、転生して、婚約者に同じようにされてからやっとわかるとは…。
いや、前世の話はもういい。大事なのはこれからだ。 デビは言っていた。『領地さえ豊かなら』と。
「………よし」
前から温めていたものを実行する時が来た。昔、デビに進言した時は『そんなものうまくいくはずない』と聞いてくれなかったが、今回はちゃんと手順を踏んで、事業としてやっていこう。
「…コレが軌道に乗れば…デビとはさよならね…」
…明日から頑張る。明日から頑張るから、今日は…少しだけ、泣いていいよね…?
誰に許しを乞うているのかわからないまま、私は布団に絡まり、枕を濡らした。
ここまで読んでいただき、本っ当にありがとうございます(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
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