飛ぶ、という事
飛べ!
さっきのように心の中で力一杯叫んだ私は、思い切り地面を蹴って真上に向かって飛び上がった。
ふわりと体が浮き上がったのが分かり、そのまま飛べるように必死になって羽ばたいた。
でも、残念ながら私の体は、また同じように呆気なくバランスを崩して落っこちてしまった。
だけどさっきと違うのは、両手を広げたリッティが見事に落っこちてきた私を抱き止めてくれた事。
「大丈夫?」
「ええ……大丈夫よ。飛べはしなかったけど、今も一瞬だけだったけど確かに体が浮いたわ」
「ええ、確かに浮いたわね。私も見たわ」
真顔で頷き合ってからリッティが手を離してくれたので、私はまた一歩下がった。
「もう一度やってみるわ」
「ええ、何度でもやってちょうだい。守っているからね」
少し両手を広げて身構えてくれたリッティの頼もしい言葉にもう一度頷いた私は、一つ深呼吸をしてから改めて空を見上げて翼を広げた。
結局、頑張って合計十五回も挑戦したんだけど、結果は全敗。
何度やっても、やっぱり私の体は以前のように飛ぶ事は出来なかった。
ただし、上手くタイミングを合わせて地面を蹴って飛び上がれば、一瞬ではあるものの確かに体は浮くようにはなった。
でもそれだけ。
以前やっていたのを思い出して浮き上がった際に必死になって羽ばたいたんだけど、何故かそれ以上体が浮く事は無く、私は落っこちる度にリッティに助けてもらう事になったわ。
しかもそのうちの何度かは、落っこちた際に助けに来てくれたリッティを巻き込んで一緒に転んでしまい、結果として、二人揃って着ていた服を泥だらけにしてしまったのだった。
特に、私のレギンスは膝に大きな穴が開いてしまった上に擦り傷まで作ってしまったし、ワンピースにも擦り傷のせいで付いた血とか、かぎ裂きみたいな破れまで出来てしまっていたわ。
ううん、これってお裁縫が苦手な私でも直せるかしらね? それとも、誰かに頼んだ方が早いかしら?
密かにそんな事を考えつつ、苦笑いしながら破れたワンピースの裾を引っ張る。
「これ、ちょっと人に見られたら何か事件があったと思われそうよね。二人して泥だらけの怪我だらけ。一体誰に襲われたのってレベルだわ」
でもそんな私を見たリッティは、自分と私の服の泥汚れを順番に叩いて落としながらも満面の笑みになっている。
「おめでとう、ルリ。まず、最初の山を越えたわね」
もうこれ以上ないくらいの笑みでそう言われて首を傾げる。
全然飛べていないのに、十五回もチャレンジして全敗した上に泥だらけになって怪我までしているのに、一体何がどうおめでとうだと言うのだろう?
「ええと、それはどういう意味か聞いていい?」
考えても分からず、ここは素直に聞いてみる事にしたわ。
「だって、体が浮いたのよ。あれだけ頑張って日々訓練していても、根っこが生えたみたいに頑固に地面から離れられなかったルリの体が、わずかとはいえ完全に浮いたのよ」
嬉しそうにそう言われて、小さく頷きつつ首を振る。
「確かに、浮きはしたけど……でもそれだけよ」
「だから、その、体が浮くって事が重要なのよ!」
拳を握ったリッティに力説されて、さらに首を傾げる。
「ああそっか。ルリはまれびとだから知らなかったわね」
しばしの沈黙の後、リッティが苦笑いしながらそう言って私の肩を叩いた。
「あのね、羽が生えそろって飛行訓練を始めた子供達が、最初にぶち当たるの壁がこれなの。つまり、体が地面から浮くかどうか、という事」
真顔になったリッティの説明を、私も真顔になって聞く。
「ほら、それこそチムニー達がいつもやっている羽ばたく訓練があるでしょう。あれは、正に今からこれを始めるところなんだよね」
そう言って笑ったリッティは、自分の大きな翼を広げて見せれくれた。
「上手に翼を広げて羽ばたけるようになると、次にするのが、大きく飛び上がって体を浮かせる事。そしてそれに慣れる事よ。今まで地面から離れた事がなかった小さな子供の体は、浮く事そのものに最初はどうしても本能的に恐怖を感じるのよね。でも、それ以上に飛べる事への憧れと嬉しさもある。だから、訓練を初めて体が浮くようになると、大人達が手を引いて一緒に飛んであげるの。恐怖を覚えるその体に、飛ぶ事そのものを体験させて慣れさせる為にね」
大きな翼を軽く羽ばたかせると、リッティの大柄な体はさっきの私とは違ってふわりと浮き上がり、そのまま羽ばたくとぐっと上空へ舞い上がっていった。
羨ましい。
その姿を見送った時、不意に湧き上がったそれは妬みにも近い強い感情だった。
私も飛びたい。
そして心からそう思った。
思わず振り返って、今はほぼ飾りになっているすっかり見慣れた私の翼をそっと手を伸ばして掴んだ。
皆が口を揃えて綺麗だ、可愛いと言ってくれる私の翼。
全体に桜の花のようなごく薄いピンク色で、風切羽は全て真っ白。そして翼の所々に濃い赤と白と黄色の羽が点在している。確かに自分でも可愛いと思うわ。
一つ深呼吸をしてからゆっくりと広げると、思った通りに動いてくれる。
軽く羽ばたけば風が起こる。でもそれだけ。
「ほら、おいで!」
役立たずな翼を引っ張って無言で凹んでいると、頭上から笑ったリッティの声がして驚いて顔を上げると、リッティが羽音と共に目の前に舞い降りてきて笑顔で右手を差し出してくれた。
「でも……」
「いいから、引いてあげるから一緒に飛びましょう。飛んでいる時の感覚をルリも思い出さないとね」
笑顔でそう言われて、縋るようにしてその差し出された手を掴む。
グレイさんほどではないけれども、リッティも大きな手をしている。私の手が子供みたいに小さく見えて、ちょっと笑っちゃったわ。
「私の手首部分を掴んで。そう、そんな感じでね」
言われるままにに握手するように握ってた手を離し、お互いの手首部分を握り合うようにして手を繋いだ。
確かにこの方が、握手状態よりもしっかり握り合えている感じがする。私の手がうっかり離れてしまっても、これなら相手の手は離れないのでしっかりと支えてもらえるだろう。
笑顔で頷いたリッティが、大きな翼をぐっと広げて大きく羽ばたき、そのまま一気に上空へ上がる。
当然、手を握っていた私の体もそれに引かれて一緒に上がっていく。
必死で羽ばたいたけれど、残念ながら私の体が浮く事はなく、完全にぶら下がった状態のままでどんどん高度が上がっていった。
思わず足元を見下ろしてしまい、予想以上にはるかに遠くなった地上を見て、初めて飛んだ時のように全身が恐怖に総毛立つ。
「リ……リッティ、降ろして……」
恐怖に震える私の言葉が聞こえているだろうに、リッティは降りようとはせずにさらに高度をあげた。
「大丈夫。絶対に離さないから、安心していいわ。ほら、無駄でもいいからルリも羽ばたくのよ。空を飛んでいる感覚を思い出して」
真顔でそう言われて、恐怖に固まりつつも必死になって翼を羽ばたかせる。
でも、私の体が浮き上がる事はなく、リッティが降ろしてくれるまでの間、私はただただ無様にバタバタとひたすら羽ばたき続けていたのだった。
そして、ようやく地面に降ろしてもらえた頃にはもう疲労困憊状態だった上に完全に腰が抜けてしまっていた私は、その場にヘナヘナと座り込んでしまい、そのまましばらく立ち上がる事も出来なくなっていたのだった。




