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ノイエヴェルダーの大火①

 二年前、王が王都の喧騒を離れ、隣域の軍事都市ノイエヴェルダーに離宮を構えてからの変貌は凄まじかった。王の権威を支える軍部が駐留し、彼らの住居や、そこで生じる莫大な消費をまかなうための商工業者が雪崩のように流入した。都市は膨張し、人口は爆発的に増加した。

 

 しかし、この街には致命的な欠落があった。夏期に猛烈な乾燥と晴天が続くというこの土地特有の気候に対し、防火・消火のインフラが、人口の増加に全く追いついていなかったのである。


 都市計画は王自らが采配を振るった。そこには貴族のタウンハウスすら存在せず、王の関心はただ宮殿の建設に向けられていた。

 宮殿建設のために呼び込まれた外国人労働者の住居だけは、レンガ造りの異国風住宅として整然と立ち並び、街の中でそこだけが異質なほどの華やかさを放っていた。

 そして、災厄は予兆もなく訪れた。八十日以上も雨が降らず、大地が極限まで乾ききっていたその日、一筋の火の手が上がった。

 乾いた激しい風に煽られて、火は瞬く間に猛威を振るい始めた。半木造の住宅が密集する市街地は、まるで巨大な薪の山だった。炎は風に乗り、家々を飛び越えて連鎖的に燃え広がった。

 

 

 軍部によりダニエルも消火・救助活動に駆り出されていた。

 

「曹長! 東区画は全滅です!」

 

 部下の一人、ルーカスが大声で報告する。

 

「井戸は?」


 ダニエルも負けじと大声で返す。炎の轟音と、人々の悲鳴が入り混じって、二人の間にはまるで大きな滝でもあるかのようだった。

 

「わかりません!」


「井戸が焼けるはずはない! 確認しろ!」


「近づけないんです! 熱で!」

 

 都市を貫く川や運河だけが唯一の焼け止まりとなり、それ以外の場所では人力による消火など無力に等しかった。


 


 二日間にわたる業火が収まったとき、都市は黒く焼け焦げた廃墟と化していた。煤けた灰の中に沈んでいた死者は、三百人余り。

 火災の出火原因は、一家庭の些細な火の不始末であったという。だが、その炎が街を飲み込むのに、長い時間は必要なかった。

 

 町人たちが暮らす半木造住宅は、驚くべき密度の高さでひしめき合っていた。木材の骨組みがむき出しになったその家々は、乾いた風に煽られた火の粉を受け、またたく間に連鎖的な延焼を始めた。飛び火は路地を軽々と跳び越え、炎の壁となって町を蹂躙したのだ。

 一方で、石造りの離宮、礼拝堂、そして代官所は、炎の進路を拒むかのように焼け残った。さらに運河に加え、レンガ造りの外国人居住区や、広大な訓練所を有する石造りの軍事施設もまた、炎を食い止める〝焼けどまり〟として機能した。

 しかし、その堅牢な防火帯の背後で、多くの命が失われていた。死者がこれほどまでに膨れ上がった最大の要因は、避難の混乱にあった。逃げ惑う住民たちの荷物や家財道具が狭い路地を埋め尽くし、避難路そのものを物理的に閉鎖してしまったのだ。背後から迫る熱波に追いつめられ、道行く手をふさがれた者たちは、なす術もなく炎に呑まれた。

 現場指揮を執るダニエルら王都の軍部は、生き残った住民たちから途切れ途切れの証言を聞き取っていた。彼らの表情には、ただの鎮火では終わらない、この地が抱える病巣の深さが刻まれていた。


「どうして逃げなかったんです?」

「逃げたよ。でも荷車が動かなくなって……」

「皆、家財を積んでたんだ」

 

 皆口をそろえて、そう答えていた。

 命の方が大事だろ、というつぶやきがダニエルの口から出ることはなかった。

 軍人なら装備を捨ててでも生き延びろと命じる。

 だが町人にとって荷車一台は、明日を生きるための全財産だった。

 

 この惨劇からわずか数日。ベルクハイムの中央政府は、驚異的な速さで動いた。ハインリヒが起草した緊急勅令〝暴利取締令〟が発令されたのである。それは、この未曾有の災禍に乗じて私腹を肥やそうとする奸商たちへの、有無を言わせぬ宣告だった。


 小麦、建材、燃料。生活を維持するために不可欠な物資を指定し、法はこう定めた。

『不当な高値での販売、あるいは売り惜しみによる買い占めを行った者は、いかなる立場であろうと厳罰に処す』


 調査の任を受けたアンネリーゼと下っ端の監査官たちは、足の踏み場もない灰の海へと駆り出された。灰と熱気にまみれながら、彼女は記録帳を広げる。

 ダニエル達軍部の集めてきた情報を基に失火・被害の広まった原因を探る。


「失火はおそらく住宅街からだ。特定はできなくもないが、リーゼ、不要だな?」


 ダニエルが片眉を上げながら訪ねた。その顔も服も煤だらけだが、彼の瞳は輝いている。

 アンネリーゼはその様子に心強さを感じつつ、淡々と返した。時間が惜しかった。

 

「ええ、犯人捜しは不要です。それよりどうしてこんなに燃え広がったのでしょうか」

「もう長いこと雨が降らず、かなり気温が高い晴天が続いた。この辺りは毎年そうだ。そして当日は風も強かった」

「なるほど……気候条件が原因ですね」

 

 カリカリとペン先を鳴らしながら記録を続ける。

 

「ああ。だがそれだけじゃない。家々が密集しすぎている。これは避難の遅れにもつながったようだ」

「というと、人があふれて前に進めなかった?」


 ダニエルは強く頷き、口を開いた。


「もちろんそれもある。だがみな家財を持って逃げようとしたせいで、さらに進めなくなったようだ。皆、己が死ぬとは思ってもいないのだろうな……」

 「そうですか……」

 

 アンネリーゼはダニエルからの聞き取りを終えると、二人は黒焦げになったノイエヴェルダーを見て回った。

 燃え残っている建造物はどれも石造りのものばかりだった。

 代官所、礼拝堂、そして住宅の一階部分。

 ヴァルデック伯爵領でも、そうだった。焼け残っていた石造りの礼拝堂を思い出す。

 そして異国の職人たちのレンガ造りの住宅街。

 

「石とレンガの街並みにすることができれば、次は延焼を押さえられるかもしれませんね」

「ああ、だが井戸は石造りだが熱すぎて近づくことすらできなかった」

 

 消火が遅れた原因でもある、とダニエルは続けた。

 

「ではどうするのがいいでしょうか……」

 

 アンネリーゼは頭を抱えて立ち止まった。その横でダニエルは腕を組んで顰め面をしている、と思うと何か閃いたようだった。

 

「各戸で水を備えておくのはどうだ。湿っていれば燃えにくいだろうから、木製の桶や樽で構わない」

「なるほど、雨水であれば勝手に溜まりますし、各戸にあれば消火活動の初動が早まりますね」

 

 こうしてアンネリーゼ達は報告書と改善案を練り上げた。

 アンネリーゼの報告書は、なぜ火が一瞬にして都市を飲み込んだのか、その構造的欠陥を克明に炙り出していた。

 


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