80.弟なんかじゃない
ルカをひっつかんで、ずかずかと調剤室に逃げ込んだ私。
ドアをばたんと閉めると、ほっとして息をついた。
人々の視線をあんなに感じたことはない。
特に「これはすごいネタ!」という盛り上がりを見せていたメイドさん達には、とにかく全てを忘れてほしい。
あー、もうどうしよう。
この一瞬だけですごく疲れたなぁ。
そんなことを考えていた時だった。
「……クレア、手を離してくれる?」
ルカの困ったような声に、私ははっとして手を離す。
「ご、ごめん。痛かったよね?」
勢い任せに引っ張ってきちゃったな、と反省しているとルカは首を振る。
「全然痛くはないんだけどね……」
ルカはそう言うと、私から一歩距離を取る。
え、と思って見ているとルカが言った。
「距離取らないと、つい抱きしめたくなっちゃうから」
「え」
にこりと微笑まれて、固まる。
「引っ張り込まれて我慢を強いられるのって、けっこうひどいと思うけど……俺、試されてるのかな?」
「……引っ張り込まれてって……!」
考えてみれば、これ私がルカを密室に連れ込んだ形になってるんじゃない!?
慌てて大声を出し否定に入る。
「いや、ちょっと待って!違う違う!あんな人前でルカがとんでもないことを言いだすからじゃないの!」
「ごめん、確かに人がたくさんいたってこと忘れてたかもしれないけど……。でも……」
そこでルカは私をまっすぐに見た。
「……やっと会えるって思ってたのに……『弟』だなんて言われるとは思わなかったな」
しゅんとするルカに、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「あ、あー、あれはその……あの時はああ言うのが一番その場で誤解なく収まるかと思って……幼馴染って普通に言えばよかったね。
私みたいなちんちくりんに弟扱いされるのってもう嫌だもんね。どっちかっていうと昔からルカのがしっかりしててお兄さんみたいなものだし、背だってもう全然大きいし……」
混乱からか、言い訳がひどく長くなってしまう私。
「ふぅん?」
首を傾ける彼は、どこか私を伺うように瞳を光らせる。
「ねぇ。クレアはまだ俺のこと、弟みたいな幼馴染だなって思ってるの?黒髪の俺に対しても?」
「……黒髪のルカは……正直あまり思えないけど……。でも今のルカは見た目もあの頃と変わらないから。あ、もちろん大人になったとは思うけど、なんだか条件反射というか、その見た目につい安心しちゃって……」
思ったことを白状すると、ルカはしばらく私を見てから、ため息をついて空を仰いだ。
それってどうなんだろうなぁ、と小さく呟きながら。
「ご、ごめんね?」
「ううん、俺こそごめん。でも、クレアとならどんな誤解されてもかまわないから、変な言い訳しなくてよかったのになって思ったんだ」
そう言って優しく笑いながら、私を見つめる金髪ルカ。
その笑顔に、なんだかふわふわとした気持ちになる。
「あ……そっか。うん。ありがと。でもルカの立場を考えると迷惑かけられないから」
特にメイド界隈の噂はとどまることを知らないから、英雄の名に傷をつけるわけにはいかない。
私はそう思っていたのだけれど、ルカはまっすぐに私を見る。
「そんな立場なんかよりも、クレアには気にしてほしいことがあるんだ」
「え?」
私に気にしてほしいこと?
なんだろう?
薬のこと?解呪方法のこと?それとも別のことがあるのかな?
必死にぐるぐる考えを巡らせていると、ルカは自分の両手を背中に回してから、一歩だけ私との距離を縮めた。
私よりも頭一つ分背の高いルカは、少し身をかがめるようにして、私の顔を覗き込む。
至近距離で緑の美しい瞳と目が合い、息が止まりかけた。
「ねぇ。俺がこれまでどれだけ我慢してきたかなんて、全然わからないでしょう?」
穏やかな口調だったけれど、心の底からの本音であることが彼の瞳からわかる。
「こっちは呪いのせいで死ぬほど我慢してるのに、クレアは全然俺のこと気にかけてくれないよね」
「え?」
「弟だなんてつまらないこと言うし、普段からオーウェン様や庭師と楽しそうに話しちゃって……俺、すごーく嫌だった」
ルカは拗ねた子どもみたいに言う。
まるで私が悪いみたいだ。
「花まつりの時だってなにあれ。可愛すぎだろ。ほんと、クレアは俺をどうしたいんだろう? あんなの近づかない方が無理に決まってるよね。そりゃ黒髪の俺だって手を出すよ」
そんなことを突然暴露され、私は頭が真っ白になる。
しかし顔はものすごく熱い。
何も言えずうつむく私に、ルカは囁くように言った。
「ちょっとはわかってくれた?」
そう言って彼は、背中に回していた左手をすっと私へと伸ばした。
思わずびくりとしたが、ほんの少し頭に違和感を抱いた次の瞬間、はらりと私の髪の毛が肩へと落ちる。
驚いてルカを見ると、彼は私のバレッタを手にしていた。
「こないだの髪型すごく似合ってた。おろしてる方が、好きだな」
そう言って、ルカはふわりとほほ笑む。
ドキドキとかそういうものを通り越して、私は完全に固まってしまった。
とんでもないことをしている、という自覚があるのだろうか?
黒髪ルカは薬が効きすぎて、理性と本能を行ったり来たりしてるらしかったんだよね?
確かに我に返って瞬間、反省してたもんね。
でも、金髪ルカは?
この状態の彼は、呪いの影響がほとんどないから、黒髪の時みたいに我に返るということがないんじゃ……?
それとも、普段の反動でこんなことになってるんだっけ?
あれ、よくわからなくなってきたぞ??
あまりの出来事に直面した私。
一種の現実逃避のように考え事をしていると、ルカが私を見て首をかしげる。
「何考えてるの?」
「え」
「他の奴のことだったりする?」
オーウェン様のこととか考えてないよね?
そんなことを言うルカに、私は慌てて「考えてないよ!」と否定する。
「あ、あの、ルカ。とりあえず落ち着いて……」
「落ち着いてるよ? クレアこそ落ち着いて。大丈夫だよ。絶対触らないから」
「え」
「いくら呪いが弱まっていても、クレアには触らない。それだけは絶対守るって決めてるから。念のため二重に手袋をしてるけど」
彼はそう言って右手を見せてから、自分の背中に隠した。
「だから、安心してね?」
金髪ルカの基準は少しゆるめ、というだけで「私に触らない」という部分はやはり徹底してくれているらしい。
言動が少々バグっているのは、やっぱり普段の反動が大きいだけなのかもしれない。
そう思って頷いた私に、ルカが言った。
「左手は制約なしだけど」
私の頬にそっと触れた。
心臓が飛び出すんじゃないかというくらいものすごい勢いでドクドクと言い始めた。
さっきから固まってばかりの私は、どうしていいのかわからずちらりとルカを見上げる。
その手の温かさと同じように、幸せそうに微笑む彼に、何も言えなくなってしまった。




