第9話
王立学院でのオフィーリアの同期は、まさに未来の宮廷の縮図といっていい人材が集っていた。
婚約者である王太子ローデリヒだけではなく、将軍の嫡男に財務卿の子息など、将来の宮廷において、重要な地位を占めるだろう者たちが一堂に会しているといっても過言ではなかった。
オフィーリアが学院に入学するに当たって、実家の公爵家からは、『いずれ自分を支えてくれるだろう人たちに最大限の敬意を払い、直接は係わり合いを持たないだろうその他の者たちとも、なるべく人間関係を円滑に保つように』と、繰り返し言い含められた上で学院に送り出されていた。
詳しく説明してくれた父は、学院生時代は主席であったらしい。
そんなこともあって、学院の門をくぐった時はオフィーリアも大いなる期待を胸に抱いていた。
――にもかかわらず学院での生活は、彼女にとって誇りと失意との間で己の信念を試される毎日であった。
たしかに学院に通う生徒は皆学生という身分であり、家格による上下関係を認めていない。
『学生の本分は学業』
学院では成績の如何によってのみ評価されるという教育方針を掲げている。そうすることで生徒間の競争を促し、より高い学習成果を引き出すのだという。
その理屈は、オフィーリアにもかろうじて理解できる範囲内にあった。
しかし、卒業してしまえば学院での成績など何の力も持たないのが、現実における実態だった。成績優秀者が爵位を賜るわけではなく、家格次第では成績上位者が、最低成績ぎりぎりの出来損ないの部下に納まることなど珍しくもない。
だからこそ、生徒は学生のうちに、卒業後を見越した人間関係を築くのが当然のことではなかろうか? 特に高位の貴族ならば、学生時代からその地位に相応しい振る舞いをすべきなのだ。
だというのに……
オフィーリアを取り巻く周囲では、目を覆うような惨状が繰り広げられていた。
己の立場を理解していないかのような振る舞いをする者たちがそこかしこで見受けられた。
――下品な振る舞いに、乱暴な言葉遣い、そして無秩序な交友関係。
なぜ誰も誇り高い学生時代を過ごそうとしないのか!?
学院の内側は閉じられた世界であっても、すぐ外にある貴族社会と密接に繋がっているため、ここでの評価はいずれ未来の自分に返ってくる。
ならばこそ、位に相応しい規範となる姿を常々の生活態度で示すべきなのだ。
王太子であるローデリヒですら、王族としての自覚が足りないとオフィーリアの目には映っていた。
そうした不愉快に満ちた学生生活を送っているうちに、とある令嬢がオフィーリアの視界に入ってきた。
――マルケス男爵令嬢シャルロット。
学院の行事で忙しいオフィーリアに代わり、婚約者であるローデリヒと一緒にいることが多くなりつつあった女性だ。
彼女の婚約者である辺境伯家の嫡男であるクラウスは、他者の婚約者に不用意に近づく彼女の行動をたしなめたりしないのだろうか?
王太子の婚約者というプレッシャーにさらされ続けたオフィーリアに対して、傍若無人で放埓な行動を繰り返しながら、まったく咎められる様子のないシャルロット。
お互い婚約者がいる身でありながら、この違いはなんだというのか!
あまりの理不尽に、日を経るごとにオフィーリアの憤懣は蓄積されていった。
そして、ついに忍耐の限界を超えてしまった彼女は、係わるすべての人物に釘を刺すべく、ある計画を実行することを決断した。
――王太子ローデリヒとシャルロットの密会の現場に、彼女の婚約者である将軍の子息クラウスを立ち会わせる――
学院で生徒会総代を務めているオフィーリアには、彼らの行動を知ろうと思えば可能にする手段はいくらでもあるのだ。
計画の決行にあたり、スキャンダルが拡がらないための犯人の身代わりも用意した。身の程知らずにもクラウスに付きまとっているという〝アーデルハイド〞という名の騎士階級の娘。
迷惑がられても、何度となくあしらわれても、懲りるということを知らない恥知らず。いい加減諦めればよかろうに、いつまでもつきまといをやめる気配がないと多くの者が眉をひそめているという。
にもかかわらず、仲裁に入ろうにも、常軌を逸した彼女のクラウスに対する執着に下手に手を出せば何をされるかわからないと、だれも指摘できずにいるらしい。
――それほどの負の評判を利用しない手はない。そうオフィーリアは考えた。
シャルロットはクラウスの許婚。
その女の嫉妬をでっち上げれば、凶行に及ぶ動機としても万人を納得させられるだろう。
あとはクラウスに許婚への不審と憎悪を植えつけるために、人脈をフル活用して、シャルロットの素行に関する悪評を吹き込み、精神的に追い詰めていく。
婚約者に裏切られた彼の怒りが頂点に達したところで密会の現場に誘導すれば、勝手に始末をつけてくれるはずだ。
騎士道を重んじる彼は、態度にこそ出していなくとも、シャルロットの無軌道な行動に忸怩たる思いを懐いていることは調べがついているのだ。
計画はうまくいっていたはずだった。
後は、アーデルハイドとかいう小娘に罪を着せればいい。そのための舞台も用意した。
ところが、結末が決まっていたはずの舞台で、予想もしていなかったアクシデントが起こってしまった。即興では修正し切れないほどのアクシデントが。
――クラウスが、自分こそがシャルロットを襲った襲撃犯だと言い出したのだ。
クラウスのまるで理解できない行動のせいで、オフィーリアは計画に大きな修正を加えなければならなくなった。
* * *
「それにしても、殿方というのはまったく当てにできないものなのですね! 私、少し失望してしまいましたわ」
棘を含んだ毒舌が、オフィーリアを妄想から引き戻した。
ちょうどクラウスに対する苛立ちが湧き上がりかけていたオフィーリアは、男性陣に対する厳し目の評価に、思わず同意を込めたうなずきを返した。
「そう……わたくしもそれは感じていました」
「やはりオフィーリア様も?」
「ええ。ローデリヒ様やクラウス様がしっかりしていれば、そもそもわたくしたちが動かずとも済んだはずです。そう思いませんこと?」
「その通りだと思います。自らの手落ちの尻拭いをオフィーリア様に負わせ、しかも肝心なことは何も成し遂げられず、ただ足を引っ張るだけ。本当に情けないわ。生きていて恥ずかしくないのかしら」
辛辣な言葉でこき下ろしているのは、マグダレーナである。
清楚な外見に反して彼女の舌鋒は鋭い。
ただ、それを不快に感じないのは、同様なことをオフィーリアも心の中で思っているからであった。マグダレーナの毒舌は、彼女が口に出せない不満を、ある意味代弁してくれているのである。
オフィーリアも共感を言語化してマグダレーナに伝える。
「あの方たちは将来、王国の重鎮に納まろうかという立場にいます。なのに、今のままでは国を背負うどころか、独り立ちできるかさえ怪しい……あなたの言を聞いて、やはりわたくしたちが導いていく必要があると確信しました」
「素晴らしいお考えだと思います。こう言ってはなんですが、殿方はどこか幼稚さが抜けきらない甘ちゃんであると、これまで何度も思い知らされてきました。オフィーリア様に厳しく導かれることを、彼らもきっと感謝することでしょう」
「ありがとうマグダレーナ。そう言っていただけると、わたくしにも張り合いが出るわ。今まで以上に気を引き締めませんとね」
オフィーリアの決意表明に、マグダレーナは大きくうなずいた。
ナターリエも友人に遅れてうなずいたが、ふと小首をかしげた。
「ですが、クラウス様の仰ったことは本当なのでしょうか? だとすれば、オットー様はいったいいつクラウス様を説得したのでしょうか?」
そこはオフィーリアも疑問に思っていた。
事前の情報では、密会していたのは王太子ローデリヒであったはずなのだ。
「いままでシャルロットが見つめていたのはローデリヒ様ではなく、隣にいたオットーだった? まさか、そんなはずはないわよね?」
オフィーリアのつぶやきは口の中で消え去り、二人の令嬢には届かなかった。
先日、講堂で行なわれた断罪劇は、オフィーリアの仕込みである。
未来の夫の浮気に釘を刺すとともに、さらに未来の将軍の弱みを握り、王家が軍を掌握する。
小生意気な男爵令嬢を排除するついでに、それらも同時にこなす予定であった。
これらの計画は、王妃ベアトリクスも承知の上で執り行った。
失敗が許されないことはオフィーリアも十分に理解しており、入念に策謀の糸を張り巡らせた上で起こした行動だったはずだ。
――だというのに結果は散々だった。
何が誤算だったのか。
それに関してはオフィーリアはひとつの答えを出していた。
――情報の確度が足りなかった。
オットーもそうだが、特にアーデルハイドという娘に関する情報をもっと確かめるべきだった。
しかし、一人で行なえることは少なく、そこまでは手が足りなかったという現実の壁が、あれ以上は無理だったとオフィーリアに囁きかける。
突きつけられた課題は、信頼できる手駒の少なさ。
しかし、今回のように、深い領域まで踏み込んだ策謀をめぐらさざるを得ないとき、どれほどの人間が彼女についてきてくれることだろう。
問題を突き詰めていけば、結局のところは人材の問題に行き着き、先のマグダレーナの嘆きに繋がっていく。
やはり、自分が皆を導いていかねば! という結論に収束し、気合を入れなおすオフィーリアであった。




