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第8話 

 ――数日後、窓から差し込む柔らかな陽光に包まれた明るいサロン。


「……それでは失礼いたします」


 深々とした一礼を残して、空のワゴンの隣に佇んでいたメイドが、部屋に主人たちを残したまま扉を閉めて立ち去った。

 室内に残されたのは、三人の令嬢たちと、テーブルに並んだティーセット。


 淡い光のヴェールの奥に、繊細な細工が施されたティーセットが並べられた丸いテーブルを挟んで、三人の令嬢が向かい合っている。

 さりげなく置かれた小物ひとつとっても優美な装飾品で彩られた小さな部屋は、ちょっとした茶会を開いたりするのに利用される、学院の施設のひとつである。

 建前では、申請さえすれば誰でも利用できる場所となっているが、実際には一部の者たちにしか貸し出を許可されていない。


 テーブルを取り囲むのは、室内を飾る豪奢な装飾品の数々に負けない、麗しいドレス姿の三人の令嬢たち。

 輝かしい金髪(ブロンド)、艶やかな薄茶色(ベージュ)、つややかな薄い黒髪(ブルネット)という三種類の異なる色彩が、それぞれの個性を浮かび上がらせている。


 宝飾に彩られた煌びやかな衣装を、優雅に着こなす公爵令嬢オフィーリア。

 髪色に映える明るい色彩が、華やかな印象をもたらす侯爵令嬢ナターリエ。

 無地を基調とした装いが、清楚さを引き立てている伯爵令嬢マグダレーナ。


 夜会でもない単なる茶会(ティーパーティ)にしては、いささか華美に過ぎる装いの三人の令嬢たちだが、これでも彼女たちにとっては派手さを抑えているつもりなのだ。

 しかし、彼女たちの表情は、華やかに衣装な反比例するように重く沈んだものであった。


「そう、クラウス様は自宅謹慎になったのね」


 重い沈黙を破って、オフィーリアが切り出す。


「はい。実家に何の相談もなく婚約の破棄を決められてしまいましたから。ただ、叱責は受けたそうですが婚約を白紙に戻すだけで、それ以上の処罰は与えられないようです」

「シャルロット様もすでにクラウス様から心が離れていることを認められていますから、婚約解消の手続きはスムーズに行なわれたそうです」


 テーブルに置かれたティーカップの注がれた琥珀色の液体は、とうに冷めてしまっていた。


「……オフィーリア様。申し訳ありません」

「あら、なぜあなたが謝るの? ナターリエ」

「ですが、クラウス様のことは……」

「…………」


 繰り返しクラウスの名を耳にして、オフィーリアは負の感情を体外に吐き出すかのように、無意識に深いため息をついてしまった。

 対面の二人の令嬢の身体がピクリとこわばるのを視認して、自身の態度が彼女らに不快な気分を与えたことを自覚し、軽率だったと反省する。


 味方は――理解者は大切にしなければ。

 自分には取り巻きの人数こそ多いが、真に理想を共有できる同志と呼べる人間に限れば、片手で数えられるほどしかいない――それを思い知らされたばかりなのだから。


「……済んだことは仕方がないわ。いまはこれからのことを考えましょう。わたくしたちにはクラウス様などより優先すべきことがあるでしょう?」


 彼女自身にとってもこの二人の令嬢の存在は得難いものであり、自身の不機嫌さを軽々にぶつけていい相手ではない。その程度のことはオフィーリアでなくとも、わずかばかりの知恵が回る者なら理解できることであろう。


 特に講堂での一件では、彼女を取り巻く人材が実は使えない者ばかりという事実を否応なしに突きつけられた。その現実と向き合い深い教訓として学ばなければ、今後、彼女が飛び込むことになる華々しい世界で、高貴な血に選ばれた者として、相応しくあり続けることなど不可能であろう。


 彼女たちもオフィーリアの意を汲んで、すぐに頭を切り替えてくれたようだ。


「そういえばシャルロット様は、結局、私たちの前に姿を現しませんでしたね」


 シャルロットに対する非難めいた語り口に、肩にかかる薄い黒髪(ブルネット)をわずらわしげにかき上げながら、マグダレーナも追随した。


「本当にナターリエ様のおっしゃる通りです! うやむやにされてしまいましたけれど、あの女が貞節を守らず、他の男に手を出したのは紛れもない事実ですのに! いつの間にか〝婚約者に裏切られた悲劇のヒロイン〞の座に収まって! とても許せるものではありませんわ!」


 彼女たちの共通の敵。

 王家の権威を頂点とする秩序に、波風を立てる者。

 彼女たちが開く欠席裁判で、一度として無罪になったためしがない人物。


 ――男爵令嬢シャルロット。


 今回は、オフィーリアたちが用意した処刑人の鎌からうまく逃れられたようだが、こちらも完全に見逃したわけではない。


「婚約者を裏切っておきながら、報いも受けず難を逃れたようですが、このままにしていいはずがありません!」


 輝かしい金髪(ブロンド)の公爵令嬢が、大きくうなずいた。


「その通りです。あの(おんな)こそ、貴族社会において人心を惑わす最大の災厄。あまりに放埓な振る舞いに眉を(ひそ)めてはいましたが、お互い婚約者がいる身。ずっと注意するだけにとどめていました。〝貴族の娘たる者、衆人の規範たるべし〞、と。

 しかし、本来なら自らの行いを省み、反省すべきところを、あの小癪な女は一向に態度を改めないどころか、他の男にまで色目を使い出す始末!」


 歯ぎしりさえ聞こえてきそうな抑圧された声で放たれたのは、身の程を弁えない男爵令嬢に対する罪状の宣告であった。

 オフィーリアの意に沿わない行動を、まるで改めようとしないシャルロットの姿勢は、未来の王妃に定められた者に向けての許し難い暴挙であり、不敬罪に該当すると判断した。

 高貴なる血によって選ばれし者の義務を放棄し、あまつさえ秩序を乱してまわっているという理由で、オフィーリアは異端審問官(インクイジター)たるを自らに課し、彼女に罰を与えんと欲したのだ。


 特権階級に生まれたものは、その特権に見合う義務を擁する。

 高貴なる者の罪は、血によって贖われなければならない。

 それが貴族の掟であると、オフィーリアの伯母であり近い将来義母となる予定の王妃ベアトリクスに、彼女は幼い頃からそう教え込まれてきた。


 刑の執行人に仕立てた(クラウス)別の男(オットー)に言い含められて、結果的に実行には到らなかったわけだが、あの行為は王家の権威を維持するためという大義名分のある、正義の行いであったと王妃殿下もお認め下さっていた。


 王家あってこその平和であり、王室の権威が守られてこそ国民の幸せがある。

 にもかかわらず、〝領主とは王家のために身をなげうってこそ、自領の発展に資する〞のだと理解できない凡愚たちにどれだけ悩ませられていることか!


 頭に血が上ってしまっていたオフィーリアは、うつむきぎみのナターリエが見せた、深い諦観の意味に気付くことができなかった。


 ――このことがのちに深い意味を持つことになる。




 代わりにオフィーリアは頭に主要人物の相関図を浮かべ、目の前の令嬢たちとともに現在の状況を確認をはじめた。


「わたくしが王妃殿下に第一王子ローデリヒ様との婚約を申し渡されたのは7歳の時でしたわ。そのときの言葉を今でも覚えています。『王室は国の誉れであれ』、と」


 あの日のことは鮮烈な記憶としてオフィーリアの脳裏に焼きついている。

 ……いや、奇跡の光臨に立ち会ったと言ったほうが、当時の彼女の心情を表すのにより正確だったかもしれない。


 生まれて始めてくぐった王宮の門、豪華絢爛な装飾に彩られた部屋の奥、真っ赤なカーペットの先でオフィーリアは王妃ベアトリクスに引き合わされた。

 玉座に座る王妃ベアトリクスが醸し出す、圧し掛かるような威厳と輝かしい美貌、そして包み込むような包容力に、幼いオフィーリアはただ圧倒させられた。

 赤いカーペットが玉座と自分とを繋ぎ、他はすべて世界から消え去ってしまったような不思議な感覚の中で、その美しい女性は一枚の絵画のように穏やかな表情をしてこちらを見ていた。


 煌びやかな衣装に包まれたその女性は、その瞬間(とき)からオフィーリアの女神となった。


 人の姿をした女神(あきつみかみ)からかけられた言葉を、オフィーリアは啓示としていまも心に刻んでいる。

 ――そう、あの日を境にオフィーリアは新しく生まれ変わったのだ。


 その日以来、王家の一員としての使命感が彼女を突き動かしていた。


「わたくしが生まれた頃、王室の権威は揺らいでいたと聞きます。荒廃してゆく国土を憂いた王妃殿下が陣頭に立って、傾きかけた王室を立て直そうと尽力なさり、その努力の結果、ようやくいまの安寧があるのです。

 過去の過ちを繰り返さないようにと、王家の血を濃く受け継ぐわたくしが、第一王子であられるローデリヒ様の婚約者に選ばれた。そのことはすでにベアトリクス様から聞かされていますね?」


 二人の令嬢はうなずく。ただ、その温度は微妙に異なっていた。


「残念ながら、幼い頃からローデリヒ様は政にあまり関心を示さない。それでも同世代の学友の中で学ばれるのですから、きっと王家の義務に目覚めてくれるだろうと期待していました」


 オフィーリアの口調が一転、吐き捨てるようなものに変わる。


「それが、相変わらずまったく学業にすら興味を示さないばかりか、交友関係はオットーばかりと親しくするだけで人脈を広げようともしない。王妃殿下にお願いされこともあり、何度か(たしな)めてみましたが、聞き入れてくれた様子はありません」

「オフィーリア様……」

「わかっています。わたくしの言葉はローデリヒ様を変えるには到らなかった。わたくしの力不足は認めましょう。

 しかし、このまま放置するわけには行かないとわたくしが考えるのも仕方のない状況でした。王妃殿下がおっしゃるように、王室の権威が揺らげば、王国全体が動揺してしまいます。再び国を乱すわけにはいかないのです。

 ――だからこそあの女には表舞台から消えてもらう必要があったのです」


 それは今回の襲撃が自らの計画で起こしたものだという告白であった。

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